介護事故と法的責任
1 介護事故とは
介護事故について明確な定義はないが、「介護の提供過程で、利用者に対し何らかの不利益な結果を与えた場合または与える危険のあった場合」であるとされる。介護事故の類型として、(1)転倒、(2)ベッドからの転落、(3)介助中の事故によるあざ・出血・やけど、(4)誤嚥・誤飲、(5)薬の誤配等がある。特に多いのは歩行時の転倒、ベットから車椅子への移乗の際の落下、入浴介助時の事故、食事介助時の誤嚥である。
介護保健法施行後、医療法人が、介護保険施設(介護老人福祉施設、介護老人保健施設)を開設したり、居宅療養介護や短期入所療養介護などの居宅サービス事業を行うケースが増加している。それに伴って施設内での介護事故や訪問介護の際の事故も増加傾向にある。高齢者でかつ要介護者である場合、必要な注意義務を尽くしたとしても発生を防止できない場合もある。しかし施設の構造上の不備や職員に対する指導・訓練の不備、医療機関との連携の不備によるものも少なくない。
2 介護事故と法的責任
介護事故が起きたからといって施設に直ちに法的責任が発生するわけではない。債務不履行ないし不法行為の要件に該当する場合にはじめて法的責任が生じる。介護施設の設置者と入所者(利用者)との間には介護サービス提供についての準委任契約が存在する。その契約に基づく付随的債務として介護施設の設置者は安全配慮義務を負う。これは介護サービスの提供過程で利用者の心身の安全を確保するよう配慮する義務である。介護施設の職員がこの安全配慮義務に違反し、それによって利用者に損害が発生した場合に、使用者である介護施設の設置者が債務不履行責任を負うことになる(民法415条)。
債務不履行責任とは別に被用者である介護施設職員の故意・過失(注意義務違反)によって利用者に損害が発生した場合は、介護施設職員が不法行為責任を負う(民法709条)と共に、使用者である介護施設の設置者も不法行為責任(使用者責任−民法715条)を負う。
また介護施設職員に故意・過失がない場合でも、施設の物的設備に瑕疵があったような場合(例えば階段の手すりが破損していた場合)には土地の工作物の設置または保存の瑕疵による不法行為責任(民法717条)が生じる。
安全配慮義務違反と過失(注意義務違反)はほぼ同じ内容であり、債務不履行責任と不法行為責任の違いは時効期間である(前者は10年、後者は3年)。
3 「安全配慮義務違反」「注意義務違反」
問題は「安全配慮義務違反」ないし「注意義務違反」の中味であるが、抽象的に言うならば「介護の実践における介護水準に照らして要求される注意義務を怠った場合」である。何が介護の実践における介護水準かは、それぞれの介護行為の性質(例えば危険性の程度)、利用者の状況(例えば痴呆の程度)など様々な要因を考慮した総合判断から導かれるものである。従って単に介護施設が決めたマニュアルや慣行に従ったというだけで過失が否定されるわけではないし、逆に利用者が想定外の行動を取った場合などは過失が否定される場合もある。
医療過誤の場合の注意義務違反も「臨床医療の実践における医療水準に照らして要求される注意義務を怠った場合」とされる。医療行為については近時各学会においてそれぞれの疾患について診療ガイドラインが作成されており、医療水準を考える場合このガイドラインが参考とされる場合が多い。ところが介護に関してはそれぞれの介護行為についてこのような具体的なガイドラインは作成されておらず、文献も少ない。そのため要求すべき介護水準を決めることは難しく、過去の類似事件の判例を参考にするしかないのが現状である。以下実際の判例でどのような判断がなされているかを紹介する。
4 横浜地方裁判所平成17年3月22日(判例時報1895号91頁)
介護老人施設でデイサービスを受けていた高齢女性が、同施設内の便所で転倒受傷した事故につき、施設職員の歩行介護に過失があるとして施設経営法人の損害賠償責任が認められた事例(一部認容 認容額1253万0719円 確定)
<当事者>
当事者Xは、事故当時85歳の女性。「本件施設」は、Y市の地域ケアプラザのひとつであって、社会福祉法人であるY協会がY市から委託を受けて運営管理する施設。Xは、平成12年2月から本件施設において、週に1回の通所介護サービスの利用を開始。平成14年7月18日、Xは要介護2の認定を受ける。介護認定のために作成された主治医による意見書には、「筋力が落ちているため、転倒に注意を!」との記載。認定調査票には「両下肢に麻痺があり、加齢による筋力低下で歩行が不安定である」、「両足での立位歩行は、支えがないとふらついてできず、杖が必要である。室内歩行時も杖を使用している。」との記載。
<事故の概要>
平成14年7月1日(事故当日)Xは通所介護サービスを受けて帰宅するため、本件施設内で送迎車の到着を待っていた。送迎車に乗る前に、トイレに行くことを思いたってXが立ち上がったところ、これに気づいた介護担当職員Aは「ご一緒しましょう」とXに声をかける。Xは「ひとりで大丈夫」と答えたが、Aは「とりあえずトイレまでご一緒しましょう」と言ってトイレの入り口までの数メートルを歩行介助。トイレ入り口まで到達したところ、Xは本件トイレの中に入っていった。Xはこのとき、Aに対して「自分一人で大丈夫だから」といって、内側から本件トイレの戸を完全に閉めた。Aは「どうしようかな」等と迷ったが、トイレから出てきたときに歩行介助を行おうと思い、その場を離れる。一方、Xは本件トイレ内を便器に向かって右手で杖をつきながら歩き始めた。しかし、2、3歩歩いたところで突然杖がすべったことにより、横様に転倒し、右足の付け根付近を強く床に打ち付けた。診断名は右大腿骨頸部内側骨折。平成15年1月24日、X要介護4の認定を受ける。
<裁判所の判断>
@ 安全配慮義務違反
Y協会としては、通所介護契約上、介護サービスの提供を受ける者の心身の状態を的確に把握し、施設利用に伴う転倒等の事故を防止する安全配慮義務を負うというべきである。Xはその当時転倒したことがあり、転倒して左大腿部を骨折したこともあった。下肢の状態も悪く、歩行が不安定であった。主治医の意見書「介護に当たっては歩行時の転倒には注意すべき」とされており、Xは、本件事故当時、杖をついての歩行が可能であったとはいえ、転倒する危険が極めて高い状態であり、本件施設の職員はそれを認識しあるいは認識しうべきであった。従ってY協会は、通所介護契約上の安全配慮義務として、送迎時やXが本件施設内にいる間、Xが転倒することを防止するため、Xの歩行時において、安全の確保がされている場合等特段の事情のない限り、常に歩行介護をする義務を負っていた。本件トイレの構造(入り口から便器までの距離、横幅、手すりがない)からすると、]が本件トイレの入り口から便器まで杖を使って歩行する場合、転倒する危険があることは十分予想しうるところであり、また、転倒した場合にはXの年齢や健康状態から大きな結果が生じることも予想しうる。そうであれば、Aとしては、Xが拒絶したからといって直ちにXを一人で歩かせるのではなく、Xを説得して、Xが便器まで歩くのを介護する義務があったというべきであり、これをすることなくXを一人で歩かせたことについては、安全配慮義務違反があったといわざるを得ない。
A 過失相殺
介助を拒否したXの過失割合は3割。
<考察>
@ 意思能力に問題のない要介護者による介添拒否の場合、介護義務を免れるか
「介護拒絶が示された場合であっても、介護の専門知識を有すべき介護義務者においては、要介護者に対し、介護を受けない場合と、その危険を回避するための介護の必要性とを専門的見地から意を尽くして説明し、説得すべきであり、それでもなお要介護者が真摯な介護拒絶の態度を示したというような場合でなければ、介護義務を免れることにはならないというべきである。」→専門職としての高度な注意義務
A 過失相殺
高齢者においては、自己が介助を必要としている状態にあることを認識しておりながら助力をもとめなかった場合には過失相殺がされる。
本件以外にも
ア 東京高判平成15年9月29日 判時1843号69頁
患者が付き添いを断ったことから8割の過失相殺。
イ 東京地判平成13年12月27日 判時1798号94頁
著しく歩行能力が劣り、介助をうけなければ安全に通過できない可能性があることを認識しながら漫然と一人で通行を開始した点につき原告にも過失があったとして7割を過失相殺。
5 福岡地判平成15年8 月27日
通所介護サービスを受けていた高齢者が、昼寝から目覚めた後に転倒して右大腿骨骨折を負った事故につき、介護サービス施設の債務不履行責任を認めた事例。裁判所は請求を一部認容し470万円の支払いを命じた。
<当事者>
被害者は、当時95歳で、ケアプランでは要介護状態区分4に認定されていた。Xは脚力が低下していることが認められ、横たわった状態から自力で立ち上がることは出来なかった。
<裁判所の判断>
通所介護契約の利用者は「高齢等で、精神的、肉体的に障害を有し、自宅で自立した生活を営むことが困難な者を予定しており、事業者は、そのような利用者の状況を把握し、自立した日常生活を営むことが出来るよう介護を提供するとともに、事業者が認識した利用者の障害を前提に、安全に介護を施す義務があるというべきである。Xが歩行に困難を来すとともに転倒の危険があることは、契約締結時に示された居宅サービス計画書や、娘からの書面で知らされていた。また、Yにおける52回にわたる利用状況からYはXの活動状況を把握していた。よって、Xが昼寝の最中に起きあがり、移動することは予見可能であった。さらに、「Xは視力障害があり、痴呆もあったのだから、静養室入口の段差から転落するおそれもあった」点についても、予見可能であった。本件事故は、Yが、Xの動静を見守った上で、昼寝から目覚めた際に必要な介護を怠った過失により発生したといわざるを得ず、Yには、本件事故によりXに発生した損害を賠償する責任がある。
6 福島地裁白河支部判決平成15年6月3日
汚物処理場での転倒事故について一部認容し537万円の支払いを命じた。
<当事者>
被告Yは、介護老人保健施設を営む社会福祉法人。原告Xは、Yに入所していた95歳の女性である。
<事故の概要>
Xは、本件事故発生10日前の時点で、介護保険等級において「要介護2」の認定が為されており、日中はトイレに赴くものの、夜間は居室に設置されたポータブルトイレを使用していた。Yにおいてはポータブルトイレの清掃を朝と夕方の一日2回行うことになっていた。ところが事故発生当日の清掃記録によると、午前5時の時点では処理が行われたものの、午後4時(事故の2時間前)には確認が行われず処理も為されていなかった。午後6時頃、Xが夕食を済ませて自室に戻ったところ、ポータブルトイレが清掃されていないことに気づき、自分で処理を行うことにした。トイレで排泄物を捨てた後、容器を洗おうとして隣接する汚物処理場に入ろうとしたところ、出入り口に存在していた高さ87ミリ×幅95ミリのコンクリート製凸状仕切りに足を引っかけて転倒した。この事故により、Xは右大腿骨頸部骨折の傷害を負い、入院加療68日間、通院加療31日間を要した。
<裁判所の判断>
Yの債務不履行責任につき、「居室内に置かれたポータブルトイレの中身が破棄・清掃されないままであれば、不自由な体であれ、老人がこれを運んで処理・清掃したいと考えるのは当然であるから、ポータブルトイレの清掃を定時に行うべき義務と本件事故との間に相当因果関係が認められる」。
過失相殺については、Yは、介護要員に連絡して処理をしてもらうことが出来たと主張するが、「介護マニュアルの定めが遵守されていなかった本件施設の現状においては、Xら入所者がポータブルトイレの清掃を頼んだ場合に、本件施設職員が、直ちにかつ快く、その求めに応じて処理していたかどうかは不明である」。したがって、「本件において、原告に過失相殺を認めるべき事情はない」。
工作物責任についても、「現に入所者が出入りすることがある本件処理場の出入り口に本件仕切りが存在するところ、その構造は、下肢の機能の低下している要介護老人の出入りに際して転倒等の危険を生じさせる形状の設備であるといわなければならない」として、民法717条による損害賠償責任も肯定。
7 仙台地方裁判所平成21年7月10日判決
一部認容し440万円の損害賠償を認める
<当事者>
被害者は80歳代女性。介護施設は短期生活介護事業所を設置する医療法人
<事案の概要>
被害者Xは、平成18年4月脳梗塞、加齢によるアルツハイマー型の認知症と診断。同年10月に介護保険の要介護度が2から5に変更。同年10月4日から10月6日まで被告施設で1回目のショートステイの利用申込書には、「重度認知症」、「精神状態は日常生活に支障をきたすような症状」、「意思疎通困難が頻繁にあり常時介護を必要とする」、「左耳聞こえない」と記載。1回目ショートステイの介護記録には徘徊、帰宅行動、他室侵入など多数の問題行動が記載。10月28日からの2回目のショートステイでも同様の問題行動が頻発。10月31日7時ころ居室においてで転倒しているところを発見。右大腿骨転子部骨折と診断。
<原告の主張>
Xは短期入所した時点で、重度認知症であり、その精神状態は日常生活に支障をきたすような症状、意志疎通困難が頻繁にあり常時介護を必要とする状態にあった。介護記録を見ると、他居室侵入、深夜徘徊、帰宅願望、クローゼットなどでのもの探しなどの問題行動を頻回に起こしていた。重症認知症患者の介護施設における事故で最も多いのは転倒及びベッド、いす等からの転落事故である。従って入所中の重症認知症患者に顕著な問題行動が認められた場合には、居室内を含む施設内での転倒、転落が予見されるのであるから、それを防止する処置を講ずべき義務がある。具体的には歩行時の見守り、居室への頻回の訪室、椅子等に上ろうとしないように手の届かない場所に所持品をおかないなどの予防措置が必要であった。
そして施設としてなしうる通常の予防処置をとってもなお転倒、転落などが予想されるような問題行動が認められる場合には、そのことを家族などに知らせて引取りを要請すべきだった。
<裁判所の判断>
上記判決では原告の主張をほぼ認め440万円の損害賠償を命じた。被告は控訴せず判決は確定した。
<考察>
重度の認知症の場合には介護事故を完全に防ぐのは難しいかもしれない。しかし具体的な問題行動を認識し、かつ当該施設で対応が困難と判断される場合には家族にそのことを告げて引き取りを求める義務がある。また施設に受け入れるに当たっては、当該施設で対応可能かについて慎重に検討しなければならず、対応が困難な場合にはそもそも受け入れるべきではないと思われる。
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