第1 当事者
1 原告○○は、○○短期生活介護事業所に入所中に転倒・骨折し、その後訴外○○病院において平成18年○月○日に死亡した故○○の次女、同○○はその三女である。
原告らは、故○○の損害賠償請求権をそれぞれ3分の1ずつ相続した。
2 被告は、○○において、○○短期生活介護事業所を設置管理する医療法人である。
第2 転倒・骨折にいたる経過及びその後の経過
1 ○○は、平成18年1月、インフルエンザ、肺炎で○○に入院したころから認知症の症状が出始めた。
退院後○○医院の訪問介護を受けるようになった。
2 同年3月から4月にかけて○○で検査を受けたところ、脳梗塞、加齢によるアルツハイマー型の認知症と診断された。
3 同年8月後半から脱水症状となり訪問介護で点滴治療を受けた。点滴治療は回復後も1日1本を継続していた。
4 同年10月に介護保険の要介護度が2から5に変更となった。
5 同年10月3日、○○におけるショートステイのため○○談員による訪問調査(健康状態、生活サイクルなど)がなされた。
6 同年10月4日から10月6日まで○○において1回目のショートステイをした。10月3日記入の利用申込書には、「重度認知症」、「精神状態は日常生活に支障をきたすような症状」、「意思疎通困難が頻繁にあり常時介護を必要とする」、「左耳聞こえない」と記載されている。
退所時において○○らは目立った問題などの報告はなかった。ただ2〜3日のステイでは慣れ始めたころに帰宅することとなるので次回からは最低1週間くらいのステイにしてほしいと要望された。しかし後日、当時の介護記録を見たところ次のとおりさまざまな問題行動があったことが記録されている。
7 10月4日の介護記録
出入り口探し、トビラをあけている。落ち着きなし。食後にタクシーやバスで帰りますと話す。他居室に入る。様子を見に行くと507号室で寝ている。507号室施錠。その後他利用者の対応していると今度はH様の居室で寝ているところを発見。全室施錠する。廊下を何度も歩かれ声がけするが意志疎通できない。所在確認強化。廊下を10往復。誰もいないじゃない帰るからと帰宅願望あり。再び廊下往復、階段前で立ち止まり下に行きたいといわれる。パーテーション持ってきて目隠しする。つかず離れず廊下歩行を見守る。ヨロッとすること多く、所在確認様子見強化。立ち上がって廊下歩いては食堂に戻るの繰り返し。一つずつの部屋の扉をあけようとする。
8 10月5日の介護記録
廊下を歩かれてトイレを探されたり、外靴を探されたりしている。家族が来て居室で談笑。家族が帰られるとさびしそう。家族から何の連絡もないと何度も話される。話をそらすがそのことしか頭にないみたい。他利用者510号室に入っているところ発見。非常階段のドアを開けようとしている。声かけるが全く頭に入らない。一つ一つドアを確認。512号室、511号室、510号室の居室を開けようとしている。0時に入眠。1時覚醒し徘徊。パニック気味
。
9 10月6日の介護記録
何々がないとの訴えが多い。物を探したり娘様たちのことを口にする。他利用者と話すが落ち着きなし。クローゼット等の中の物探し。もうこんな時間なのになんで娘たちは来ないの。16時退所。
10 10月28日の介護記録
2回目のショートステイ開始。506号室入所。
夜間トイレにおきてトイレから出た後居室と車椅子用トイレを間違う。
11 10月29日の介護記録
廊下をウロウロされ自分の居室わからなくなっていた様子。部屋の中の荷物をまとめている。帰りますとのこと。508号室で物を探している。22時30分に入眠確認。時折トイレに起きる。居室へその都度誘導。
12 10月30日の介護記録
帰宅願望、居室で荷物をまとめている。落ち着きなく部屋と食堂を行き来している。食堂に下着姿で来るがトイレ誘導後は居室に戻り入眠。廊下へ出てきたところで睡眠剤内服。その後動き多く、他利用者対応でいない隙に廊下のいすを動かして屋上へ行っている。2回繰り返したためパーテーションで目隠しする。1時まで徘徊。
13 10月31日
7時ころ居室でドンという物音。入り口付近(洗面所の前?)で転倒しているところを発見。今日家に帰る準備していたら押入れ(タンス)から落ちてしまったとのこと。腰痛、大腿部痛の訴えあり。
14時30分、○○整形外科受診、右大腿骨転子部骨折と診断。○○整形外科で手術予定されるが、空き部屋ないため11月2日まで○○にいることになる。
14 11月2日9時30分、○○退所し、○○整形外科入院。11月6日ころに手術予定。院長の説明では目標は歩くまで行かないが杖歩行まででもできるようにしたいとのこと。
11月○日0時50分ころ呼吸困難、心停止、11月○日1時49分死亡。
解剖せず、死因は未確定。脳幹部梗塞と推測された。
15 ○○死亡後の○○施設長、事務局長(以下それぞれ「施設長」「事務局長」という)の対応について
(1)11月12日、施設長、事務局長が原告宅を訪問した。原告らから事故時に責任者としてどのような指示を出したのか問われると「当時の転倒事故について職員から報告を受けていなかった」との返答に終始し、すべて現場の職員に任せ、自分たちに責任はないという態度だった。結局次回の訪問までに事故原因の調査をし、報告する旨約束した。
(2)11月15日、2度目の訪問があった。
施設長らは今回の事故についての施設側の責任を検討もせず、「そちら(原告ら)も当然弁護士を立てているだろうから、訴訟云々になったら受けます」「前回の訪問は、家族の性格を見るためのものにすぎない」「○○、○○両相談員がした謝罪は個人的なことで、私が謝罪したのではない」「職員がついているときに転倒したのなら責任があるが、そうではないので勝手に転んだ本人が悪い」「転倒事故について報告を受けていないと前回の訪問の際言ったが、本当は報告を受けていた」等と話した。
遺族である原告らは、前回の訪問に引き続きこのような態度をとられ、○○に対する不信感、同施設に故妙子を預けてしまったことに対する自責の念を強めた。
(3)その後も、原告らは○○の施設長、事務局長や行政と何度か話をしたが、原告らの納得のいく回答は得られず、むしろ不信感ややりきれなさ、失望を強めるばかりだった。故妙子の死亡による悲しみだけでなく、○○の上記のような対応によって原告らの精神的苦痛は強まるばかりだった。
16 そのため平成19年5月29日、仙台弁護士会に対して和解あっせんを申し立て、その後相手方(被告)代理人の希望により同申し立てを取り下げ代理人間での話し合いを行った。
しかし、被告側からの回答は過失責任を認めがたいとのことであり、かつ金額の上でも原告提案額との開きが大きかったため、本訴に及んだものである。
第3 過失(見守り、頻回の訪室、転落防止、問題行動報告義務違反)
1 ○○は、○○に短期入所した時点で、重度認知症であり、その精神状態は日常生活に支障をきたすような症状、意志疎通困難が頻繁にあり常時介護を必要とする状態にあった。そして介護記録を見ると上記のとおり、他居室侵入、深夜徘徊、帰宅願望、クローゼットなどでのもの探しなどの問題行動を頻回に起こしていた。そのために○○においても所在確認強化、様子観察強化の対応をしていた。
重症認知症患者の介護施設における事故で最も多いのは転倒及びベッド、いす等からの転落事故である。従って入所中の重症認知症患者に顕著な問題行動が認められた場合には、居室内を含む施設内での転倒、転落が予見されるのであるから、それを防ぐための処置を講じるべき義務がある。
具体的には歩行時の見守り、居室への頻回の訪室、椅子等に上ろうとしないように手の届かない場所に所持品をおかないなどの予防措置が必要であった。そして施設としてなしうる通常の予防処置をとってもなお転倒、転落などが予想されるような問題行動が認められる場合には、そのことを家族などに知らせて引取りを要請すべきだった。
2 本件では具体的にどのような歩行時の見守り、居室への訪室がなされていたのか詳らかではないが、知らない間に屋上に上がっていたり、他の居室に頻回に侵入したことが介護記録に記載されておりこれらが十分であったとは認めがたい。また妙子は帰宅願望が強く、荷物をまとめたり、靴を探すなどの行動をしている。本件転落はクローゼット内の手の届かない場所にある荷物を取ろうとして引き出しを手前に引き、それに乗った際に転落したものと考えられる。このように帰宅願望が強く、そのための物探しをするような重症認知症患者の場合にはそのような行動をとることは十分予見しうるのであるから手荷物はむしろ手の届く低い場所に置くなどの配慮をすべきだった。○○を設置管理する被告にはこれらの転倒、転落を防止する義務に違反した過失がある。
また、これらの問題行動に照らせば、施錠も身体拘束もしない居室内でのショートステイでの対応では限界があり、転倒、転落を十分防止し得ないことが予見されるのであるから、そのことを家族に告げて引取りを要請すべき義務があった。しかし被告は10月6日に1回目のショートステイ終了に際して上記問題行動を家族になんら説明せず、家族としてはそのような危険な行動をしているとは認識しないままに2回目のショートステイをさせて本件転落事故につながったのであるから、この点でも被告には過失がある。
第4 因果関係
1 本件において○○は転落事故によって右大腿骨転子部を骨折し、手術したとしても自力歩行は困難な状態となった。従って、この損害と前期過失との間には相当因果関係がある。
2 なお、本件ではその後○○は○○整形外科に入院中に急変して脳梗塞と推測される原因で死亡している。解剖されていないので死因を確定することはできず、本件骨折事故が○○の死亡に関係するのか否かは医学的には証明できない事柄である。よって原告らはその点について相手方の責任を追及するものではない。ただ○○が本件事故によって歩行不能の後遺障害を残した以上、その後に○○が死亡したことは、この後遺障害についての損害賠償請求を妨げるものではない。
第5 損害 660万円
1 本件では骨折に対する手術が行われる前に死亡しているので、手術が成功したかどうか、成功したとしてどの程度まで回復し得たかどうか確定することは困難である。ただ訴外○○整形でも指摘されているようにリハビリをしたとしても自力歩行は困難でせいぜい杖歩行のレベルにしか回復しなかったと推測される。年齢及び重症認知症であることを考えればリハビリができるとは考えがたく、車椅子生活を余儀なくされた可能性も相当程度になる。これによるクオリティ・オブ・ライフの低下が後遺障害慰謝料として算定されるべきである。
2 後遺症慰謝料 900万円(両原告相続分合計600万円)
○○は右大腿骨転子部を骨折し、手術したとしても自力歩行は困難な状態となった。この状態は、機能障害により1下肢に偽関節を残し、著しい運動障害を残すものに準じて考えることができ、後遺障害別等級表7級の10に該当する。この場合の慰謝料は、900万円が妥当である。
そして原告両名はそれぞれ3分の1ずつ上記損害を相続した。
3 弁護士費用 60万円
本件不法行為と相当因果関係を有する弁護士費用としては原告ら請求の損害額の10%が相当である。
コメント(増加する介護事故)
上記判決では原告の主張をほぼ認め440万円の損害賠償を命じた。被告は控訴せず判決は確定した。重度の認知症の場合には介護事故を完全に防ぐのは難しいかもしれない。しかし具体的な問題行動を認識し、かつ当該施設で対応が困難と判断される場合には家族にそのことを告げて引き取りを求める義務がある。また施設に受け入れるに当たっては、当該施設で対応可能かについて慎重に検討しなければならず、対応が困難な場合にはそもそも受け入れるべきではない。
介護保健法施行後、医療法人が、介護保険施設(介護老人福祉施設、介護老人保健施設)を開設したり、居宅療養介護や短期入所療養介護などの居宅サービス事業を行うケースが増加している。それに伴って施設内での介護事故や訪問介護の際の事故も増加している。
特に多いのは歩行時の転倒、ベットから車椅子への移乗の際の落下、入浴介助時の事故、食事介助時の誤嚥である。高齢者でかつ要介護者であるから必要な注意義務を尽くしたとしても発生を防止できない場合もある。しかし施設の構造上の不備や職員に対する指導・訓練の不備、医療機関との連携の不備によるものも少なくない。介護事故防止のためのマニュアル整備、職員に対する指導監督をより徹底する必要がある。それと同時に事故が起きてしまった場合の相談窓口を整備し、事例を収集・分析して事故防止に役立てると同時に、裁判によらない簡易迅速な被害回復が図られる必要がある。