第1 医療事件の特徴
1 カルテ・看護記録の形で事実経過が経時的に記録
証拠保全手続きによる事実上のディスカバリー
共通の証拠、共通の医学的知見に基づく攻防→高い科学性、論理性→弁護士の医学知識と論理的思考力が問われる
2 担当医師は最良の証拠方法→医師尋問の重要性→弁護士の尋問技術が問われる
3 専門家の助力の必要性→文献だけでは限界がある、協力医は必須
4 医師賠償責任保険→勝てば必ず回収できる
第2 医療事件の流れ(提訴まで)
1 相談
ア 事前準備
事前に調査カードを送って事案の概要を確認
今日の診療プレミアム(医学事典を含む13冊の教科書的文献を収載し、キーワードで横断的に検索できる電子ブック)で関連する疾患を全て調べる。ポイントは@症状、A検査方法、B診断基準、C治療方法、D治療効果(予後)
イ 聴取事項
例えば肝癌発見時既に積極的治療が不能であったという相談であれば
@肝機能値異常はあったか(あればウイルス抗体検査必要)、AB型肝炎、C型肝炎の抗体検査を受けているか(肝細胞癌の圧倒的多数はウイルス性肝炎が発症因子だから)、B抗体陽性だとしてキャリアか、慢性肝炎か、肝硬変か(どの段階にあるかで検査方法が異なるから)、Cどのような検査を行っていて、その結果はどうか(ウイルス性慢性肝炎であれば肝機能だけではなく定期的な腫瘍マーカーの測定と画像検査が必須だから)、D発見時の腫瘍径、個数(治療方法が異なるから)、E発見前の受診状況(6ヶ月以上前に受診歴なければ早期発見は不可能→見落としがあっても因果関係はないから)等を聞く。
2 受任するかどうかの判断
上記@〜Dについては聞き取りはするが、カルテを見ないことには正確には分からないので、過誤の可能性がある限り基本的に受任する。
しかし例えば上記の例で定期健診も受けておらず肝癌発見3ヶ月前に初めて受診したということであれば救命可能性はないから受任しない。
3 受任方法
診療記録の開示を未だ受けていない場合には原則として全件証拠保全+調査で受任する。
例外的に聞き取りだけで過誤の可能性がかなり低いと判断される場合や過誤があったとしても賠償額が少額にとどまることが明らかな場合は、本人に開示請求させた上で調査のみ受任する。但し証拠保全が原則であることは説明する。
本人が既に診療記録の開示を受けている場合は調査として受任する。この場合全ての診療記録が開示されているとは限らないことに注意。未開示部分がある疑いが出たら改めて証拠保全する。
なお本人が後遺症などで行為能力がない場合には成年後見の手続きは取らずに家族から委任を受けるようにしている。調査は何の問題もないし、証拠保全も重篤な後遺症なら家族固有の慰謝料請求を保全債権とすればよい。事故とは別原因で行為能力がない場合には原則通り成年後見の手続きをとるべき。
4 証拠保全
様々なノウハウがあるので本を読んでよく勉強する。とにかく漏れがないようにする。心電図や分娩監視記録はカルテと別保管になっていることが少なくないので注意。
5 診療記録の翻訳
医療事故情報センターの正会員になればセンターに頼める。分量によるが5〜10万で2ヶ月程度で翻訳してくれる。
本当に翻訳が必要なのは医師の記載部分程度。時間と費用が無駄だから一冊丸投げはしない。医学辞書と略語辞書があれば自分でもできる。自分で分からない頁だけを翻訳に出している。
6 調査・検討
相談のところで述べた聴取事項を中心に入手した診療記録を精査する。
より詳しい文献が必要になるが、かなりのものはネットで入手可能(私のホームページにリンク集があります。これ以外でも学会のホームページには宝の山というものもある。)。学会で診療ガイドラインが作成されている場合は必ず入手してガイドラインにそった検査・治療がされているか確認。ガイドラインのある疾患の場合、8割方これで勝敗が決まる。
当然のことながら判例検索を行う。医療訴訟については最高裁の重要判例が多数あるのでその理解は不可欠。
診療行為自体に過失を問えない場合でも説明義務違反を問える場合が少なくないので、この観点からの検討を忘れないように。例えば他の治療方法の存在についての説明義務、危険性についての説明義務、癌の告知義務などがある。
7 協力医にコメント依頼
自分で検討を終えたら原則として協力医に匿名のコメントを求める。例外はガイドラインに明白に違反している場合など過誤が明らかな場合。
協力医は医療事故情報センターの正会員になれば紹介してくれる。費用は面談のみ5万円程度、書面でのコメントは7万円程度。但し必ず紹介してくれるわけではない。あらゆるつてを辿って自分で確保する努力が必要。面識無くとも文献の著者にいきなり手紙で頼むという方法は以外に成功する。
診療記録の丸投げはしない。自分で診療経過一覧を作り、具体的な質問項目を10項目程度作って何を知りたいのかを明確にして依頼する。
8 責任追及に進かどうかの判断
原則として自分で過失有りと判断した事項が協力医のコメントで裏付けられたら責任追及可能と判断。但し微妙なケースも少なくない。70%程度以上勝訴の心証が得られれば責任追及を勧めるが、50%程度の場合は本人次第。本人次第の場合は敗訴の可能性をよくよく説明する。50%以下なら基本的に調査結果を報告して終了とする(受任のハードルはかなり高くしている)。
例外的に協力医が無理と言っても受任する場合はある。被害が深刻で文献的裏付けが一定程度ある場合は受任することもある。
なお協力医のコメントは決して盲信しない。特に協力医が自分が過失有りと判断した事項と異なる事項について有責のコメントをする場合があるが、その場合つい自分で詳しい検討をしないで乗っかってしまい、提訴後立ち往生することがある。
9 依頼者への説明
調査結果を詳しく本人に説明する。責任追及を勧める場合も難しいので終了とする場合もそのような結論に至った論理過程が分かるように説明する。何も見ないで説明できないようでは実際は検討が不十分で分かっていない証拠。
責任追及が難しいということを本人に説明するのが一番難しい。逆恨みされないよう説得はしない。同じ説明を2時間くらい繰り返すことも希ではない。最後に必ずセカンドオピニオンを受けるよう話をすることにしている。
10 催告書の送付
訴状と同程度の詳しいものを作って送る。反論があれば詳しく書いて欲しいとお願いする。
普通は医療機関に弁護士がついて2ヶ月くらい待って欲しいと言われる。
反論が来たら検討して再反論の書面を送る。もっともな反論が来てその時点で過失の構成を変えたり、請求額を減額したり、時には責任追及を諦める場合もある。
書面の交換で話が煮詰まれば示談で解決できることも少なくない。50%位は示談で解決している。
11 提訴
無責の回答が来たり、示談が進展しない場合は速やかに提訴する。
開業医の場合には日医の審査会の結論が出ない限り示談はできない。通常半年、長いと1年位待たされるし、ほとんどの場合無責の回答が来る。有責の可能性が高い場合を除き結果を待たずに提訴する。
12 調停、ADRの選択
損害額のみが争点の場合、因果関係の証明が困難な場合は調停を利用することもある。
請求額が少ない場合はADRを利用している。
第3 一般法律相談における相談の留意点
1 事前準備のない医療事故相談は不可能
疾患概念や症状・治療方法などが分からなければ何を聞き取ってよいのかも分からない。従って一般法律相談で実質的な医療事件の相談を行うのは不可能。不可能と言うより弁護過誤の危険性があるのでやるべきではないと考えている。
2 事実経過の聴取
これは継続相談ないし他の弁護士への相談を勧めるべきかどうかを判断するという限度で必要。原因となった疾患名と治療経過の確認程度。
3 説明すべき事項
内容に立ち入った相談は事前準備が必要なこと。
ある程度経験のある弁護士でないと適切な相談は期待できないこと。
弁護士会の法律相談センターで弁護士紹介を受けて相談した方がよいこと(センターでは事実上経験のある弁護士を紹介している)。
医師の責任を追及できるのは、医師に過失があり患者がそれを立証できた場合であること。
過失があるかどうかは診療記録を精査しないと判断できないこと。
入手方法としてカルテ開示の制度はあるが改竄・廃棄の可能性があるので証拠保全を行う必要があること。
証拠保全手続きの概要。
先ずは医師に十分な説明を求めること。その際カルテの改竄・廃棄を防ぐため追求するような聞き方をしないこと。
裁判以外でも示談交渉、調停、ADRで解決できる場合が多いこと(裁判まではしたくないという相談者は多いので聞かれなくても説明する)。
分娩事故の場合には産科補償制度の存在(無過失でも重度の脳性麻痺が生じた場合は一時金として600万円、児が20歳になるまで月額10万円の合計3000万円が給付される制度。詳しくは財団法人医療機能評価機構のホームページ参照と言う)。
医薬品の投与が問題となる場合は、医薬品副作用被害救済制度の存在(医薬品の副作用による健康被害で医師が無過失の場合に医療費、障害年金、遺族一時金などが給付される制度。詳しくは独立行政法人医薬品医療機器総合機構のホームページ参照と言う)。
現在治療中だが助かる見込みがないという場合には、必ず剖検(病理解剖)を依頼するように言うこと。これをやらないと死因不明の抗弁で逃げられる。
4 一般法律相談の段階では言って欲しくないこと
医療過誤は難しい(確かに難しいのは事実だが、証拠が偏在し、証人確保も難しい一般事件と比較すれば、やりやすいという見方もできる。いずれにせよ内容を検討もしないで抽象的に難しいと言うことは泣き寝入りを助長するようなもので慎むべきだと考える)。
医療訴訟の勝訴率は低い(そのとおりだがこれは受任の時点でよくよく説明すべきこと)。
5 医師の説明や対応に関する相談
県の医療整備課と各保健所に「医療何でも相談」という窓口があること、仙台市にも医療相談コーナーがあること(特に何をしてくれるわけでもないが、場合によっては苦情の内容を医療機関に伝えることもある)。
特定機能病院などには医療相談室があり医療ソーシャルワーカーが患者の相談を受けていること(病院長かどうかは知らないが上に報告が上がるのでそれなりに効果ある)。
参考文献
1 医療訴訟(民事法研究会) 患者側、医療側双方の弁護士が共同で執筆しており実践的。
2 実務医療過誤訴訟(民事法研究会) 医療過誤の特色がよく理解できる
3 今日の診療プレミアム(医学書院) 便利この上ない、一度使ったら手放せない。但し継続購読でも4万円と高い。交通事故にも使えるので買って損はしないと思う。
4 最高裁・医療事故判決の動向と活用可能性(医療事故情報センター)
5 医療事故の法律相談(学陽書房)