坂野法律事務所 医療安全調査委員会   仙台弁護士会 弁護士坂野智憲 ツイートする

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医療安全調査委員会構想について

                                     平成21年5月31日
                                       弁護士 坂野智憲
1  現在医療事故についてその死因や事故原因を究明する制度として、医療安全調査委員会の法案化が検討されています。
   実は私はこの構想には懐疑的です。この構想は死因や事故原因の究明が目的とされているようですが、元々の発想は、異常死について警察に届け出義務のある現在の制度では、異常死の捉え方や警察の姿勢いかんでは医療過誤の刑事事件化が進みかねない。そこで医療安全調査委員会を作ってそこに届け出させ、調査を行った上で一定の要件を満たすものについて委員会から警察に届け出るという方式に変えようという構想のようです。私は基本的に医療過誤の刑事事件化には反対なので、その意味ではこのような構想は理解できます。しかし、医療過誤被害者の救済という観点からは次に述べるような懸念があります。
2  まず調査の範囲についてですが、この構想では死亡事故しか調査対象とされません。しかし、重度の後遺症を残した方、特に分娩事故で脳性麻痺の後遺症を残した事案が調査の対象外というのでは被害者救済という意味では極めて不十分です。
3  次に委員の構成が医療従事者偏重となっていることの問題性です。構想では病理医1〜2名、臨床医5名位、法律家その他の有識者1〜2名のようです。ところで、調査に当たっては当該医療行為を行った医療従事者から事情を聴取するわけですが、民事裁判での証人尋問と異なり、おそらく医療従事者の言い分はよほど不合理でない限りそのような事実があったという前提で検討が進められると思われます。つまりカルテに書いてなくとも調査の段階で「実際にはこういうことをした」、「患者の状態はこうであった」と医療従事者が言えば事実認定の専門化でない医療従事者の委員はそれを前提にしてしまうと思われます。
   また医療事故の原因を究明するには、不適切な医療行為があったかどうかだけではなく、そのことと死亡との因果関係が問われることになります。しかし特に不作為型の医療事故の場合(医師がなすべき医療行為をしなかった場合)には、なすべき医療行為がなされていれば死亡を回避できたかが問題とされます。しかし実際には行われてない仮定の問題ですから、純粋に医学的に証明することは極めて困難です。そうなると不作為型(医療過誤のかなりの部分を占めます)の場合には「不適切な医療行為がなされたが、そのことと死亡との因果関係は明らかではない」という報告書が大多数を占めることになると思われます。
   しかし専門的知見を当てはめる前提事実の取捨選択に誤りがあるなら正しい結論は導けないし、また因果関係の認定は医学的知見を基礎としながらも通常人の経験則によって判断されるべきものです。ですから医療従事者だけでは正しい結論を導けるとは限りません。むしろ医師の裁量や治療効果の不確実性が重視されることが予想されます。
  ところがこのような公的な委員会ができれば、その報告書は民事裁判において絶大な証拠価値を持つことになります。病理解剖の上専門家である調査委員が合議の上下した結論だということになれば、それに反する判決はおそらく書けないでしょう。そうなると、結局現在の民事訴訟による救済よりも被害者救済が後退することになりかねません。もちろん調査では死因や事故の原因についての医学的な解明が求められるのですから、医療従事者が委員会の中心になることは当然です。しかし既に述べた理由から、医療について専門性を持った複数の法律専門家が委員として加わることが不可欠です。
4  次に法律家その他の有識者1〜2名のその中身が問題です。私の予想ではおそらく元裁判官、元検察官、法学部の大学教授が多数委員として選任されると思われます。しかしそれでは意味がありません。医療事故は特殊な分野であり単に法律家や有識者であれば誰でも適切な意見を言えるというものではありません。実際に患者側、医療機関側で多数の事件を経験している弁護士でなければ医師である他の委員と対等の議論などできるはずがありません(経験のある弁護士であっても難しいことですが)。
   ですから委員には必ず患者側、医療機関側それぞれ1名ずつ経験ある弁護士が参加する体制にするべきです。その際は適任者を得るために弁護士会に推薦を求めるべきでしょう。
5  次に一定の場合に警察への届け出を義務づけている点も問題です。私は医療過誤に刑事免責を与えよとまでは言いませんが、医療行為は常に人の生死と隣り合わせで行われるものであり、刑事責任の追及は謙抑的でなければならないと思っています。全く無経験の治療を指導を受けずに行った場合とか、一般に承認されていない実験的治療を患者の承諾なく行った場合とか、診察可能なのに故意に長時間放置した場合など、よほど極端な場合を除き刑事責任は問うべきでないと思います。その意味では現在の医師法が定める異常死についての届け出義務も再検討されるべきです。
6  さらにこの構想では国立大学法人などに調査を委託できるとされていますが、委員は必ず別々の大学ないし医療機関から選任されるべきです。
7  以上のようにこの構想は運用いかんでは医療過誤の免罪符になりうるものであり、委員の構成や運営方法について詰めた議論が必要です。
  現在特的機能病院の場合には死亡事故に限らず医療事故が発生した場合に院内に調査委員会を作って検討・報告することが義務づけられています。しかし現状では外部委員が入らないか、入ったとしても関連病院の医師が多く公正さに疑問があります。調査委員会に弁護士会推薦の医療機関側、患者側弁護士1名づつを必ず加え、かつ委員の過半数を他の医療機関から選任するようするだけでかなり実効的な医療事故調査体制ができると思います。医療安全調査委員会構想の検討と同時に、現在の院内医療事故調査委員会の改善を図る必要があると考えています。

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