医療過誤訴訟における過失と因果関係
ある地裁で医療過誤事件の判決があった。母児間輸血症候群で出生後脳性麻痺となった事案である。平成19年の提訴なので丸5年かかった。
判決は「被告は臨床実務上の判断としてNST記録に基づき急速遂娩を決定するのは困難であったと主張するが、具体的に上記の時点においてどのような検討考慮をした上で困難であると判断したかについては何らの主張もしない。証拠によると原告母に対して本件NST3を行った看護師は、その所見として何度も刺激するが一過性頻脈がなく、子宮収縮は2回あり、1回は心拍数が130まで下がって遅発一過性徐脈様の波形が見られ、基線細変動はあるが、胎動は午前中より全くないと看護記録に記載し、自宅で待機しているO医師に同日午後9時頃電話で報告したこと、これに対し、O医師は、その際遅発一過性徐脈があるとは聞いていないという記憶であり、看護師に本件NST2と比較してどうかと尋ね、看護師が同じようですと答えたのに対し、準夜勤の時間帯にもう一度NSTをとって朝相談して決めましょうと述べ、急に状態が悪くなった時に備えて念のため帝王切開ができるよう原告母に禁飲食と伝えるよう指示したが、実際に被告病院に赴き本件NST3の所見を確認することも原告母を診察することもしなかったことが認められる。NST記録からnon−reactiveと判定される場合に疑陽性の場合が多いことは被告の主張するとおりであるが、本件NST1から本件NST3へと異常所見の頻度が増えており、所見が経時的に悪化していることも上記のとおりであって、これらの所見が疑陽性であるか否かを検討するため有効であるとされるBPPや体位変換など容易にすることができる検査などについてもO医師は行っておらず、単にNSTを繰り返すことの指示しかしていない上、本件NST3の記録に至ってはこれを確認することもしていないのであるから、NST所見の悪化の原因についてそもそも疑陽性との鑑別を含めその原因究明も急速遂娩が必要な事態の存否に関する判断もしていないと言わざるを得ず、急速遂娩に係る臨床実務上の判断以前の問題である。そして本件NST3の所見から急速遂娩を決定すべきであったことは上記のとおりであり、O医師にとってその判断が困難であった事情は見当たらない。従って被告の上記主張は採用できない。」と判示して過失を認めた。判決の指摘する本件NST3の所見とは基線細変動の消失を伴った遅発一過性徐脈のことである。
ここまで読むと勝訴判決かと思いきや結果は請求棄却。
裁判所が過失を認めた時点が6月18日午後8時32分、実際の娩出は翌6月19日午後3時18分(出生時のアプガースコアは3点)。19時間近くの前の時点で急速遂娩すべきとしながら、仮にその時点で急速遂娩していたとしても重度の後遺症を残さなかった高度の蓋然性があったとは言えないという論理である。既に6月18日午後8時32分の時点では胎児の出血は高度で中枢神経の不可逆的障害が生じていたから急速遂娩しても無駄という判断だ。
原告は、もしそうならその後出血が持続しているのに何故19時間もの間子宮内胎児死亡を免れてアプガースコア3点で生児を得られたのか説明できないと主張したが、裁判所はこの疑問には何ら答えるところがない。鑑定結果がそう言っているからでおしまい。
超音波で胎児の脳血流を測定していればある程度の推測は可能かもしれないがそれが行われていない限り、娩出から19時間前の時点で胎児が不可逆的な中枢神経障害を起こしていなかったことを医学的に証明することは不可能である。そんなことは鼻からできるはずのないことは明らかだ。不可能なことができないから因果関係なし、請求棄却というのが日本の医療裁判の現実である。19時間も前に娩出していたら後遺症の程度が遙かに軽く済んだであろうことは医学的証明以前の常識の問題だと思うが。
証明可能なことが証明できないから敗訴というなら弁護士の力不足であろうが、証明できないことについて立証責任を負担させられて敗訴では打つ手がない。かつて医療過誤裁判の主戦場は過失論であった。過失の立証に成功すれば因果関係の厳密な医学的証明ができない場合でも有責を前提とした和解による解決がなされていた。しかし最近は医療機関側で徹底的に因果関係を争ってむしろそこを主戦場にする傾向があるように思う。特に不作為の医療過誤でそれをやられると患者側としてはお手上げの状態になることが多い。実際にやっていないから過失なのだが、では実際にやるべきことをやっていたら結果が変わったかどうか医学的に証明しろと言われていも、やってもいない仮定の話について厳密な医学的証明などできるはずがない。
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