医療過誤事例報告
敗血症(セプシス)に対する診断及び適切な処置を怠ったために敗血症性ショックで死亡した事例
仙台弁護士会 弁護士 坂野智憲
仙台地裁平成23年(ワ)第213号損害賠償請求事件
原 告 ○○
被 告 大崎市
<原告の主張>
第1 当事者
1 原告は、本件医療被害を被った○○の妻である。
2 被告は、大崎市民病院(以下、「被告病院」という)を設置管理するものである。
第2 事実経過
1 患者は、昭和××年×月生まれ(本件当時56歳)。
2 平成××年×月×日朝 職場での朝礼中、会社でうずくまっているのを発見される。後頭部痛、嘔吐を訴えたため救急要請。救急車にて当院救急外来へ搬送された。
<来院時現症、検査所見>
頭部CT:小脳左側優位に出血あり。緊急に脳血管撮影を行った結果、左上小脳動脈をfeederとする脳幹背側部のAVM(※脳動静脈奇形)の所見。JCS200の脳ヘルニア切迫状態であるが、AVMの根治術はすぐには不可能と判断し、緊急に脳内血腫除去のみを行った。血腫はほぼ全摘出されたが、術後徐々に水頭症の進行あり。
同月16日 疼痛刺激を加えると何とか開眼するようになる。
同月17日 気切、脳室ドレナージも施行
同月18日 意識も自発的に開眼するくらいまで改善しているが、まだほとんど目閉じたまま。
同月19日 抜鉤
同月22日 本日酸素5lトラキへ変更。その後もSpo2低下なく、ABG(※動脈血液ガス)上酸素化良候。肺air入りは弱め 呼名にてうっすら開眼あり 従命あり 本日加療目的にてセ3Fへ転出となる
同月29日 hydrocephalus(※正常圧水頭症)の悪化なし。ドレーン抜去とした。他頭部と気切部すべて抜糸。髄液漏れてないことを確認した。
<CT>出血拡大(―)水頭症(―)
3 同年×月6日 本日嘔吐あり。その後39.0台の熱発。
WBC 16800、CRP 5.56、尿check→WBC2+、サイキン3+
<フローシート上の記録>
8゜)嘔吐中等量あり。
9゜)KT39.1℃ 嘔吐あり Dr報告する
14゜)KT39.3℃
16゜)KT39.4℃ BP111/68 Spo2 95%
セフメタゾール開始
同月7日 発熱持続 やや頻呼吸
(※なお、この日の朝以降はモニター監視が中止されている。)
<フローシート上の記録>
16゜)KT39.5℃
18゜)KT39.8℃
20゜)発熱継続中KT↑にてDr報告 3点クーリング続ける Hr汚い
同月8日 朝回診時 CPA(※心肺機能停止)に 心拍再開まで約15分朝回診前まで発熱39℃台持続 UTI(※尿路感染症)によるsepsis(※敗血症)shockによるCPAにてICUへ
<看護記録>
9゜3´)訪室時、呼吸停止している、顔色不良なり頚動脈ふれず
アンビュー 心マッサージ開始
9゜4´)Dr来室 HR0
9゜7´)HR出現するもVT(※心室頻脈)なり 瞳孔散大なり
9゜17´)レスピレーター装着す 心マ中止
同月11日 朝よりBP60台
同月12日 AM0:03死亡確認 剖検は行われず
第2 本件において前提となる医学的知見
1 「尿路感染症」について
(1)「尿路感染症」の定義
尿路感染症とは、尿路に生じた非特異的炎症のことである。一般細菌の上行性感染によって起こることがほとんどであり、単純性尿路感染症と複雑性尿路感染症に分類される。単純性は尿路に明らかな基礎疾患を有していない場合、複雑性は尿路に感染を起こしやすくなる基礎疾患を有する場合に起こったものである。また、上部尿路感染症と下部尿路感染症に分けられ、その代表的なものに腎盂腎炎や膀胱炎などがある。
(2)「尿路感染症」の症状及び診断方法
ア)上部尿路感染症(腎盂腎炎)
悪寒、戦慄を伴う高熱が急激に出現する。側腹部痛や背部痛を訴え、腎や肋骨脊柱角に圧痛を認める。また、悪心、嘔吐、下痢などの消化器症状を伴うこともある。ときに菌血症や敗血症になることもあるので注意が必要とされている。
イ)下部尿路感染症(膀胱炎、前立腺炎、尿道炎)
膀胱炎、尿道炎による全身症状は通常軽微であるが、急性前立腺炎の初期は、排尿痛や頻尿とともに微熱が出現する。炎症が進行すると排尿痛もなくなり、悪寒、戦慄を伴う高熱を発するようになる。悪寒、戦慄を伴う高熱が出現すれば、上部尿路感染症の合併を考える必要がある。前立腺炎から敗血症になることもあるので注意が必要とされている。
ウ)尿所見(膿尿、細菌尿、血尿)
尿路感染症の診断上最も重要な診断方法とされる。膿尿、細菌尿とともに白血球円柱を認めるときは、上部尿路感染症(腎盂腎炎)を疑う。
また、尿の塗抹標本を顕微鏡で調べ、1視野に1個以上の細菌を認めれば、尿1mlで105個以上の細菌が存在すると考えてよい。尿培養で105個以上の細菌が証明されれば、これを起炎菌と考えてよい。
なお、尿路感染症から敗血症の疑いがあると考えられる場合には、血液培養検査を行う。
(3)「尿路感染症」の治療方法
ア)化学療法
尿路感染症の起炎菌を同定し、感受性試験の良好な薬剤のなかから組織移行性が高く臓器毒性の少ないものを選択して、膀胱炎であれば3〜7日間、腎盂腎炎であれば14日間前後投与する。なお、重症感染症であれば静脈内投与を第1選択とする。
イ)全身療法
悪寒、戦慄とともに高熱を認める場合には敗血症の可能性があり、入院治療が必要とされている。脱水を補正し、十分な尿量を得る必要がある。摂取水分量を増やすとともに、必要であれば輸液を行う。
(4)長期尿道留置カテーテル患者のケア
長期に尿道カテーテルを留置することは、尿路感染などのリスクからみて好ましいものではない。カテーテルは体内に留置された異物と認識すべきであり、留置後1カ月経過するとほぼ100%に尿路感染が発生するとされている。
2 「敗血症」(セプシス)について
(1)「敗血症」(セプシス)の定義及び症状
「敗血症」とは、体内の感染病巣から細菌などの微生物あるいはその代謝産物が血液中に流入することにより引き起こされる重篤な全身症状を呈する臨床症候群のことである。進行すると敗血症性ショックに至り、播種性血管内凝固、成人呼吸促迫症候群、多臓器機能低下症候群などを併発し予後不良となる。敗血症を疑わせる臨床症状の例としては、急激な発熱(38.5度以上)、悪寒・戦慄等が挙げられている。
現在では、全身性炎症反応症候群(SIRS)という概念が使用されるが、敗血症はSIRSのうち、感染症を原因とするものを指す。なお、SIRSの診断基準としては、@発熱38℃超、または低体温36℃以下、A心拍数90/分以上、B呼吸数20/分以上、C白血球数12,000/mm3
以上または4,000/mm3 以下の4条件のうち2項目以上をみたす場合である。
(2)「敗血症」の診断方法
血液中への侵入門戸・原発感染病巣としては、尿路(腎盂腎炎など)、呼吸器(肺炎、膿胸など)などが多い。また、抜糸、尿道カテーテル操作、内視鏡検査などの粘膜の機械的損傷も細菌が血液へ侵入する誘因となる。
敗血症による合併症の有無は予後を大きく左右する。敗血症性ショック、DIC、ARDS、腎不全等のMODS(※多臓器不全)が重要であり、血圧をはじめとするバイタルサインを経時的にモニタリングし、合併症を早期に察知し、迅速な対応をとることが大切である。
重症感染症が疑われる高熱患者に対しては、敗血症の可能性を考慮して積極的に血液培養を行い、直接診断を試みる。さらに詳細な病歴の聴取、丹念な全身の診察、種々の検査を行って速やかに原発巣を見つけ出し、可能な限りそこから検体を採取し細菌学的検査を行って、原因菌を早期に推定できるよう努める。
(3)「敗血症」の治療方法
原発感染病巣の検索とそれに対する対策、推定される原因菌に対する適切な抗菌化学療法、基礎疾患と合併症に対する対策など患者の病態に応じた総合的な対策が必要である。
敗血症の原因と考えられる尿道カテーテルなどの体内の異物あるいは化膿巣は、可能な限り抜去、切開排膿、ドレナージなどを行って、原因の除去に努める。
血液培養および適切な検体の採取後、早期から広域スペクトルを有する殺菌性抗菌薬によるEmpiric Therapy(※起炎菌不明時の経験的投与法)を開始する。投与量は投与可能な最大量を用い、投与間隔も半減期を考慮して必要回数を、経静脈的に投与する。
原因菌が明らかな場合は、その感受性に基づき抗菌薬を投与する。原因菌が判明する前に抗菌化学療法を開始しなければならない場合は、患者の病態から推定される感染病巣の原因菌として多い菌をカバーする抗菌薬を選択する。重症例、複数菌感染が疑われる例では、相乗効果や抗菌スペクトルをカバーする目的で併用投与を行う。
(4)敗血症の予後
敗血症はすぐれた抗菌薬の開発により救命しうる疾患となったが、対応が遅れると多臓器機能低下症候群を合併し、不幸な転機をとる。早期に敗血症を診断し、迅速に集約的な治療を開始することにより、臓器障害に至る合併症を防いで全身状態を改善することが重要である。
第3 過失
1 尿路感染症に対する診断及び適切な処置を怠った過失
患者は、脳動静脈奇形による小脳出血による入院中に尿路感染症を発症、それに起因した敗血症性ショックにより心肺停止に陥り、これによる低酸素脳症により死亡している。
患者は、入院当日から死亡に至るまで約1ヶ月間、導尿のための尿道カテーテルを留置されていた。一般的に尿道カテーテルを1ヶ月留置した場合、100パーセントの確率で尿路感染症が発症するとされており、本件においても尿路感染症の発症は十分に予想される状況にあった。
尿路感染症、特に上部尿路感染症の場合には、悪寒・戦慄を伴う高熱が急激に出現するとされているところ、富男は平成××年×月×日の早朝から9度台の熱を発症している。また、現に同日の尿検査において、WBC(2+)、細菌(3+)との結果を得ているし、尿路感染症の一般的症状のひとつとされる嘔吐も見られる。
したがって、この時点で十分に尿路感染症の診断は可能であったのであるから、尿路感染症の基本的診断・治療方法である尿所見による起炎菌の同定、起炎菌の種類に応じた化学療法、全身療法を適切かつ速やかに行うべきであった。
2 敗血症に対する診断及び適切な処置を怠った過失
1)敗血症の診断を怠った過失
尿路感染症は、敗血症へ進展する可能性のある代表的な感染症の一つとされている。
また、上記のとおり、@発熱38℃超、または低体温36℃以下、A心拍数90/分以上、B呼吸数20/分以上、C白血球数12,000/mm3
以上または4,000/mm3 以下という4つの基準のうち2つ以上を満たす場合にはSIRSと診断される。
上記診断基準に本件を照らすと、
@ ×月×日以降、39度台の熱発が継続的に見られる。
A 同日以降、HR(※心拍数)は継続的に100以上である。
B 呼吸数の詳細については不明であるが、7日のカルテには「やや頻呼吸」との記載がある。
C WBC(※白血球数)は同日16,800/mm3との検査結果がでている。
したがって、×月×日の段階において、上記SIRSの診断基準のすべてを満たしているということができるのであるから、この時点でSIRSであるとの診断を速やかにすべきであった。
2)適切な抗菌薬投与を行わなかった過失
上記のとおり、「敗血症には感染臓器を特定するために迅速・十分な診療を必要とし、原因菌が未だ判明していない段階においても、広域抗菌薬の強力投与が行われるべき」とされている。
しかし、本件では×月×日に1回、7日に2回セフメタゾールを投与されたのみである。セフメタゾールの使用量は、尿路感染症の場合には1gを6〜8時間毎、中程度以上の感染症の場合には1g、4時間毎あるいは2g、6〜8時間ごと静注(最大量3g 6時間毎)とされている。本件では単なる尿路感染症だけではなく、重篤なSIRSが疑われる事案である。したがって、本件における投与量は不適切である。
3)速やかに血液培養検査を行わなかった過失
上記のとおり、「重症感染症が疑われる高熱患者に対しては、敗血症の可能性を考慮して積極的に血液培養を行い、直接診断を試みるべき」とされている。しかし、本件においては、8日に至るまで何らの培養検査は行われていない。
4)患者の全身状態について継続的モニター監視を行わなかった過失
上記のとおり、「敗血症による合併症の有無は予後を大きく左右することから、血圧をはじめとするバイタルサインを経時的にモニタリングし、合併症を早期に察知し、迅速な対応をとることが大切である」とされている。しかし、本件においては×日以降、モニターによる監視がなされていない。
5)小括
以上のとおり、本件では×月×日の段階において敗血症であるとの診断が速やかになされるべきであった。そして、抗菌薬投与等のSIRSに対する適正な処置や継続的モニター監視を行うべき義務があったところ、担当医師はこれを行っていない。この点において担当医師には過失が認められる。
第4 因果関係
尿路感染症は長期カテーテル留置者にはよく見られる症例であり、抗生剤の適正な投与により十分な回復が見込まれる症例である。したがって、本件でも、患者の尿路感染症発症に対して早期に適正な抗生剤の投与が行われていれば、その後の敗血症発症ひいては敗血症ショックによる心肺停止、その後の低酸素脳症を回避できた蓋然性は高い。
また、敗血症も現在では優れた抗菌薬の開発によって十分救命できる病態であることからすれば、早期に敗血症に対する治療が行われれば、当然その後に起こりうる多臓器不全等の重篤な症状も回避された蓋然性が高い。
さらに、継続的な監視状態のもとに心肺停止後直ちに発見され、すぐに蘇生処置が行われれば脳の低酸素状態も短時間に留めることができ、低酸素脳症の発症も当然回避することができた。敗血症性ショックによる不可逆的な低酸素脳症の発症がなければ、血液培養によって特定された起炎菌に対する適切な抗菌療法によって敗血症を治癒することは十分可能であった。
以上からすれば、仮に前記注意義務が果たされていれば本件損害が生じなかった高度の蓋然性があり、過失と損害には相当因果関係がある。
第5 損害 5216万5160円
1 死亡慰謝料 2600万円
患者は妻と同居しており、一家の精神的支柱であった。その死亡による精神的苦痛を慰謝するには妻の分も併せて2600万円が相当である。
2 逸失利益 2616万5160円
患者は死亡時56歳である。
平成×、×年度の患者の給与総額はおよそ450万円である。ライプニッツ係数は8.3064、生活費控除は30%が相当である。
4,500,000×8.3064×0.7=26,165,160
<争点>
1 心肺停止の原因は何か(原告が敗血症性ショックを主張したのに対し、被告は原因不明だが不整脈などの心疾患が考えられると主張)
2 敗血症に対する治療の適否。特に抗生剤の使用方法の適否。
3 敗血症患者のモニタリング義務の存否
4 救命の蓋然性
<鑑定結果>
本件では原告から私的鑑定書を提出したが、裁判所の強い要望で3名の鑑定人による正式鑑定が行われた。鑑定結果は三者三様で一致しなかった。一名は心肺停止の原因として敗血症性ショックの可能性が高いとし、かつ抗生剤の使用方法が必ずしも適切ではないとした。一名は心肺停止の原因は脱水で敗血症は無関係とした。一名は敗血症はそれほど重篤なものではなく、抗生剤の使用方法も適切とした。
<和解勧告>
鑑定結果を踏まえて、裁判所は過失のある可能性は否定できないが、仮に過失を肯定したとしても救命の蓋然性はについては消極的と考えているとの心証が示され。200万円での和解が勧告された。原告としてもこの鑑定結果では敗訴もあり得ると考えて200万円での和解に応じた。
鑑定は極力避けるべきというのが本件の教訓であった。
|