第11部 約束の地なき旅路



 ノボシビルスク市発。ロイター通信。

  ロシアのソコロフ特命大臣とシベリア自治政府の渉外委員チュイコフ氏の会談が現地時間
 20日午後に行われると双方の代表団が発表した。シベリア側はこれを「最後の交渉」と
 位置づけており、大幅な譲歩がなされなければ決裂する可能性が極めて高い情勢である。



 イルクーツク市発。AP通信。

  自由シベリア党党首ヴィツェンスキー氏は支持者の集会で演説し、21世紀へと繋がる
 繁栄のためにはいかなる手段も留保しないと言明。これは内戦をも辞さない態度を示す
 ことでシベリア内の地歩を安定させる目的であると思われるが、この強硬姿勢にロシア
 共和国政府からは大きな反発が出ている。
  シベリア自治政府の本拠地となっている当市内では自由シベリア党の若者の手によって
 反モスクワのスローガンが至る所に張り出されている。市民の反応は冷静ではあるが、
 ソ連崩壊以来衰退の一途を辿った経済の悪影響を最も被った地域だけに、ロシアへ
 「はっきりものを言う」ヴィツェンツキー党首への支持は強まっている。



 サハ共和国発。CNN。

  シベリア中央部のサハ共和国でも、モスクワのボス支配に抗議する大規模なデモ行進が
 行われています。警察も独立派が多数を占めておりデモを制圧するようなことはなく、暴走
 させないよう慎重に進行方向を指示しています。かつてはモスクワ寄りの候補者でなければ
 当選できなかった共和国議会でも自由シベリア党が第一党となっており、市民ははっきりと
 ロシア共和国に背を向けています。



 ワシントン発。NBC放送。

  ホワイトハウスのニークロ報道官は19日、シベリアの独立は国際的な手順に従っておら
 ず、地域に大きな不安定と損失をもたらすものとしたこれまでの見解を協調し、大統領は
 シベリア独立勢力が武装闘争に出る場合に備え、東シナ海に展開していた第七艦隊を
 北上させサハリン沖に配置するよう命じたと発表した。
  第七艦隊は旗艦ブルーリッジと空母セオドア・ルーズベルトを中心とする8隻で編成されて
 いるが、海兵隊所属の強襲揚陸艦は随伴しないと海軍筋は語っている。



 北京発。新華社通信。

  中華人民共和国政府は国境を接するシベリア地域での騒擾に深い憂慮を抱いているが、
 これはロシア共和国の内政問題であり中国政府としては平和的な解決が為されることを
 強く希望している。



 東京発。日報新聞。

  政府は20日の閣議でシベリア問題への不干渉政策を再確認した。来週にも招集される
 国連安保理でのシベリア非難決議にも、双方の対立を激化されることに繋がるとの判断
 から棄権する可能性を否定せず、現在進行中の露ーシ交渉が決裂した場合、総理自らが
 東京に和平交渉の場を設けたいとの発言も出た。
  アメリカの強い働きかけを受けた斉藤外務大臣は安保理での賛成投票実現のために
 懸命の説得を図っているが、これまでのところ官邸の意志は固く、直前までぎりぎりの
 交渉が続くと見込まれている。



 国際政治学者。栗林淳二氏。

  交渉が妥結する可能性は低いと見なさねばなりません。現在シベリア側は本来のロシア
 共和国領の半分、ウラル山脈の東にある土地の8割を支配下に置いています。人口密度と
 いう点では希薄な地域であるためヨーロッパロシアとは生産力の面で大きな格差があります
 が、広大なシベリアは多くの地下資源を有しており、ロシアが交渉でこの地域の支配権を失う
 ような譲歩をすることはありえません。もしそのような妥協をすれば既にチェチェン侵攻で
 失点を重ねた現大統領は退陣するほかなく、ヨーロッパロシアは唯一の外貨獲得源である
 原油生産拠点の多くを手放し、貧困は飢餓へとエスカレートします。
  シベリアには地下資源のみならず漁業・林業など国家財政の根本である第一次産業も
 集中していますから、いくらロシア軍の士気の低下が深刻なものであっても、この結果を
 予測すれば実力行使という手段を取るでしょう。
  一方シベリア独立勢力ですが、当初は自治権の拡大という限定的かつ穏当な要求を下
 敷きに交渉へと入ったにも関わらず、細部にこだわって長期化させ、突如としてシベリア
 新議会を設立し独立宣言を提議したのは密かな計画に従ったもののように思われます。
  シベリアの住人は多くが人種的にはロシア人であり、タタール人やモンゴル人といった
 非白人は少数派にすぎませんが、反モスクワの精神は民族の差異を超えて市民を団結
 させています。これまでロシアの政治を支配してきたヨーロッパロシア勢力に対する反発は
 根強く、ソ連崩壊後にむしろ激化した搾取がこれに拍車をかけています。ですからロシアから
 見れば反乱兵の寄せ集めにすぎない自由シベリア軍の士気は決して低くなく、いざ開戦と
 なれば泥沼のゲリラ戦が長引くでしょう。
  最終的にはロシア側が優勢勝ちになると私は見ています。同じ武器を使っている両軍の
 地上戦は拮抗するでしょうが、ロシア支持のアメリカ軍が後背のオホーツク海からシベリアの
 数少ない兵站拠点である沿海州を空爆すればシベリアの経戦能力は絶たれるしかありま
 せん。半年ほどでなんらかの交渉が持たれ、政治決着が図られることになるでしょう。



 ワシントン発。国家安全保障チーム筋からのコメント。

  世界地図の向きを少し変えればおわかりでしょうが、シベリアはアメリカ合衆国領土である
 アラスカとロシアを分断する位置にあります。つまりシベリアはアメリカと細いベーリング海峡
 でしか隔てられていない隣家なのです。ここに反米政権が生まれるのはメキシコやカナダが
 キューバ化するのに等しく、武力行使という奥の手を使ってまでもクロフォード大統領がシベ
 リア独立を阻止しようとするのは国益上当然のことです。
  問題は、自由シベリア党に主導される東シベリアがいかなる対米政策を取るか不明朗な
 点にあります。当初合衆国は彼らをようやく台頭してきた健全な野党勢力として歓迎する
 向きが強かった。党首ヴィツェンスキー氏は善隣外交を唱え、旧ソ連から独立した共和国との
 関係改善などを訴えていましたからね。
  しかし去年ぐらいから目立ちはじめた独立志向はモスクワだけではなくワシントンにも警戒
 感を抱かせました。ここに核保有国が誕生することはアメリカの安全保障上重大な問題で
 あり、対立から協調へと向かおうとしている米ロ関係にも悪影響があるからです。
  同時にこれはチャンスでもあります。ここでアメリカの手によりシベリアがロシアに戻ることに
 なれば、一世代では返しきれないほどの大きな貸しを作れます。唯一の超大国アメリカの
 威信は更に高まり、ロシアはアメリカの衛星国に等しい地位に降格することになるでしょう。



 ロンドン発。「ジェーン軍事年鑑」編集部長ライエル・キーガン。

  ロシアとシベリアの軍事力に、大きな実力差はありません。兵員数でロシア側が圧倒して
 いるように見えますが、冷戦時代より80万人を削減しており、NATOを睨むポーランド国境や
 チェチェン方面にも部隊を駐留させなくてはならないため、東方の戦線に送れる兵員は限られ
 ます。通常兵器の保有量も10倍を越えますが、かなりの部分がブレジネフ時代の遺物で
 信頼性・効果ともに乏しいものです。
  一方シベリア軍はかつて米中を威嚇するために強化され国境紛争での実戦経験もある
 極東軍管区配備部隊を基幹にしており、志願兵を含めればほぼ拮抗する兵員を揃えて
 います。パイロットにはウラル西方出身者が多かったため新鋭機をあまり確保できなかった
 シベリア空軍は守勢を余儀なくれるでしょうが、対空ミサイル部隊はかなりの実力があり
 昼の制空権を激しく争うことになると予測されます。

  内戦が始まれば、ロシア軍はシベリア鉄道沿いに地上軍を送り込むというのが基本戦略に
 なります。シベリアはゲリラ戦術で攪乱するに止まらず、背後を突いて分断包囲作戦を取る
 こともできます。有利なはずのロシア軍ですが進撃ルートが一本に限られるというのは軍事
 的に極めて危険であり、かつて1994年、英軍がドイツからのオランダ解放を目的として
 行った「マーケット・ガーデン作戦」のように両側面からの圧迫で敗北する可能性もあります。
  この内戦に決着をつけるのは双方の持つ核兵器でも通常兵器でもなく、米軍の空爆になる
 でしょう。シベリア軍には兵器生産力に加え長期戦に耐えるだけの兵站能力に欠けており、
 沿海州の生産拠点が破壊されれば兵士が飢え継戦能力を失うからです。シベリア防空軍
 では米海空軍の攻撃機を効果的に撃墜することは不可能で、最終的にこの点が彼らの
 敗因になると思われます。






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