第9部 罪と呼ばれしもの



 「止めて下さい!」

 室内に飛びこんできたのは、ターニャだった。

 小走りで小柄な体をぶつけるように薫とセリザワの間に割り込み、激しく首を振りながら、
セリザワの右手を白い手で覆って庇う。
「薫さん、止めて下さい。こんなこと、してはいけません」
 薫は軽い溜息をもらす。
「あなたがそう言うのはわかっていたから、見張りに出ていてもらったのよ。でも、止めるわけ
にはいかないの。由子を見たでしょう? このままこいつを野放しにしていたら、あなたも私も
もっとひどいことになるの。十中八九、殺されてしまう。そんなのは御免だわ。
 その手をどかしなさい」
 最後は叱責になった。しかしターニャは話さない。
「違うんです・・・・・違うんです・・・・・」
「なにも違わないわ。こいつは私たち全員を裏切って売り飛ばした悪党。すぐにはっきりするわ」
「違うんです・・・・・。私が、私のせいなんです・・・・・」
 繰り返すターニャ。
「そんなことを聞いている暇はないわ。あなたがいなければ、確かに私たちはこの件に関わる
ことはなかったでしょうけれど、それが何だって言うの? みんな自分の意思であなたを助け
ようとしたの。その気持ちをこいつが踏みにじった。自分を責めるより、危うく死にかけた由子の
ことを考えなさい」
 椎名薫には忸怩たる後悔があった。
 セリザワの言動に不審を抱きながらも決定的な対応まで踏みこまずにいたせいで、由子が
凶弾を受けてしまった。
 もうこんなことは起こさない。
 その決意が、医師の知識を悪用することになってでもセリザワの口を割らせようとさせていた。
 
「薫」
 開いたままのドアから、かけられる声。
「由子。寝てないとだめよ」
 夜着姿の桜町由子がそこにいた。琴梨に肩を借りながらベッドを離れたのだ。
「もう体力は戻ってきたから、少しぐらい平気。それより、ターニャ、言いたいことがあるみたい
だよ。聞いてやらない?」
 幾分血色の戻ってきた頬を懸命に緩ませて言う。
「ターニャが?」
「うん。セリザワはそのままでいいからさ、少し、聞こうよ」
 
 由子はセリザワの拉致についても訊問についても、一切聞かされていなかった。養生回復に
専心してもらいたいという薫たちの考えだったが、大の男を大勢で担いで縛り上げる様子が
隣室に伝わらないわけがない。自分に付き添っている琴梨の憂えた表情と壁越しに伝わる
言葉だけで、ついに薫が始めたことを推知できた。

 やらねばならないことだとはわかっている。
 自分が怪我をしたことはまだいい。
 だが、このままでは全員の命がわけもわからずに奪われてしまう。
 はっきりさせなくては。
 
 他に方法がありさえすればいいのだけど。
 
 一瞬、どこに視線を置いていいのかわからずにいる琴梨と目が合う。すぐに俯いてしまう
彼女も、同じように思っているのだろう。苦悶の喘ぎがいつここまで届くのかと。なにか避ける
術はないのだろうかと。
 
 すると、階段を乱暴に駆け下りてくる足音。
 見張りをしていたターニャなのは間違いない。なにか見たのだろうか。
 琴梨がドアを開けると、隣室での薫とターニャのやりとりが鮮明に聞こえてくる。必死で薫を
止めようとしているターニャと、妥協するつもりなどまったくない薫。


 違うんです・・・・・違うんです・・・・・
 違うんです・・・・・ 私が、私のせいなんです・・・・・

 別室にいて、拘束されたセリザワと拷問吏と化した薫の異様な雰囲気に囚われることが
なかったからだろう。由子はターニャの切迫した口調の中に、これまでの彼女にはなかった
率直さのようなものを感じた。

 「琴梨ちゃん。お願い、立つの手伝って」
 「でもそんな、体に障ります。起きたら・・・・・」
 「平気だよ。それより、薫を止めよう。なんか、ターニャの様子が違う。みんな気付いてないよ。
行かないと」 
 
 
 ひとまず、尋問は中断されることになった。
 昨夜葉野香たちが使った布団に由子を横たえ、琴梨も空いていた椅子に腰掛ける。
セリザワは椅子に拘束されたままである。猿轡も解かれず、手足の縛めを外したりしないように
薫が近くで挙動を監視する。
「そうだ、見張りはどうしようか。私が行ってる?」
 ターニャが下に来たことで見張り番がいなくなる。そう気付いた琴梨が名乗り出たが、
ターニャが制した。
「今夜はなにもないはずです」と確信を持って。
「それより、私の話を聞いてください。お願いです」

 この頃には由子以外にもターニャ・リピンスキーの様子が変わっていることが明瞭にわかって
いた。いつもの彼女にある一歩引いたような姿勢がない。全員の強い注目を浴びているのに、
呼吸一つ乱すこともなくて。
 室内が静まり、舞台が整う。
 ターニャは左から右へ、1人1人の瞳を見つめていった。

 桜町由子さん。
 春野琴梨さん。
 春野陽子さん。
 里中梢さん。
 左京葉野香さん。
 川原鮎さん。
 椎名薫さん。
 スティーブ・J・セリザワさん。

 私の罪を、裁いてください。
 
 
 「昨日、皆さんが襲われたのは、私のせいなんです。私が、皆さんの居場所を伝えたから・・・・・」
 一瞬の絶句。
 「はあっ?!」
梢がこれまでの人生で一番不可解な表示をつくって声を上げた。耳を疑ったのは葉野香たちも
同じである。ありったけの疑問符を眼差しに乗せてターニャに注ぐ。
 続く彼女の口調は平板で、だが決然としたものだった。
 「私は、命令で、いつもみなさんの予定を知らせなければなりませんでした。どこにいて、何を
するかを、知る限り全て」
 セリザワを救うための嘘じゃない。
 それが全員にわかった。

「私は、スパイなんです。私が皆さんを騙していたんです」
「わけわかんないよ。ターニャ、何言ってるんだ?」
 そう葉野香が口を挟んだのは、このまま彼女の話を聞き続けることへの畏怖、怯えのせい
だった。
 スパイだって?
 騙していたって?
 そんなこと、あるはずないじゃないか。

「ソヴィエト連邦のスパイとして育てられ、入国し、国を捨てて日本のスパイになったのが、
私なんです。日本政府の、内閣情報調査室の第4部というところが、私を管理しています」



 彼女、ターニャ・パーヴェリカヤ・リピンスカヤは、ナホトカで産まれたのではない。東シベリア
上北部、サハ共和国の深い針葉樹林の奥に造成された村、ミールヌイ#17、通称ツガルと
呼ばれた村が彼女の故郷だった。
 ミールヌイというのは地図にも掲載されているシベリアの都市であるが、「ミールヌイ#17」と
いう地名も、そこへ至る唯一の道路もかつてどんな詳細な地図にも記されたことがない。そこは、
ICBMのサイロ以上の手段を取られて隠蔽された村なのだ。

 アメリカの人工衛星からはロシアの大地に無数に存在する小村にしか見えないこの村は、
地上から見ることのできた僅かな人物にとって奇異な代物であった。
 映画のセットのように、シベリアのど真ん中に日本の町が再現されているのだから。

 1941年、ソ連軍の参謀本部第4部に属しながらドイツ人ジャーナリストを偽装していた日本
入国していたスパイ、リヒャルト・ゾルゲを運用し、日本軍が満州からシベリアへと侵攻しないと
いう情報を掴んでいたのだが、スターリンがこの情報を無視したことで、ドイツ軍の猛攻に対抗
するために極東駐留軍をなかなか動かすことができなかった。
 これによりソ連はモスクワもレニングラードも失陥寸前まで追い込まれ、共産主義体制は
風前の灯に晒された。結果的にはドイツの戦略ミスにより、翌年のスターリングラード攻防戦か
攻勢に転じてナチス・ドイツを降伏させることができたが、2000万という莫大な人的資源を
費やさなくてはならなかった。

 戦後、ソ連最高指導者スターリンはアメリカとの対決を睨み、共産主義勢力の伝播に国力を
注いだ。欧州を分断した鉄のカーテンがそうであり、中国の共産化も成功例である。
 もちろん日本にも彼は視線を注いでいた。だからこそ千島列島の
一部を強奪し、一時は北海道全域を占領することも考慮していたという。だが、直接の侵攻は
日本を占領するアメリカとの対決姿勢が明確になりすぎ、大祖国戦争からの復興も急務であっ
ソ連は、日本政府の共産化・傀儡化を第一の目標とした。
 同時に、スターリンとKGBの前身組織NKDVの支配者ベリヤは暗号名「オットー」すなわち
ゾルゲからの情報の扱いを失敗していことからも学ぶべきところを学んでいた(対外的には
2人とも生涯一度も過ちを犯していないことになっていたが)。日本内部に、しっかりとした
諜報網を構築しなくてはならない。それも信頼できるソ連人による組織でなくてはならないと。
 ベリヤは腹心の部下に、対日工作の基盤となる作戦の作成を命じた。やがて彼のデスクに
届けられたのは、冷徹で感情など母親の胎内に忘れてきたというベリヤをすら唸らせるもので
あった。

 当時のシベリアには、ソ連軍が大戦終了の直前に満州に侵攻した際に捕虜とした関東軍の
兵士が抑留されていた。その数は20万とも50万とも言われ、未だに実数が確定しないにせよ、
膨大な数である。彼らは捕虜に適用されるジュネーブ協定など完全に無視され、奴隷労働力と
して使役され、少なくとも5万人以上が死亡、帰還者の多くが凍傷で手足を欠損していた。
 その計画の骨子は、これら抑留者の知識と労働力を使い、シベリア内に日本をの町を再現
させ、言葉や習慣を工作員に習得させ、日本の社会に浸透しやすくして送り込もうというもの
だった。
 管理は共産党の剣と楯として発足したKGBが一切を行う。忠実な共産主義者を家族ごと
移住させ、長期にわたって日本国内で必要とされる知識や技能を学び、成人前の警戒されな
年齢のうちにきれいな経歴を付けて入国させる。そして市民社会に溶け込んでから、情報
活動に従事させる。
 
 外国人を基本的に信用しないスターリンやベリヤにとって、多いに満足できる計画であった。
早速にシベリア抑留者から大工などが選抜され、人里から遠く離れた無人の地にて極秘の
うちに建設活動が行われた。やがて町は完成し、KGBの中でも熱心な共産主義者が工作員
予備軍として入居して、計画は動き始めた。
 ミールヌイ#17が「ツガル」と呼ばれるようになったのは、町の南にある山の形が津軽富士に
似たシルエットであったことから、抑留者たちが自然発生的に命名したためらしい。彼らへ
日本社会の実状を教えたのは、シベリア抑留中に共産主義に洗脳された転向者が監督する
抑留者だった。嘘を教えたりすれば同胞からの容赦ない弾圧がなされた。微妙な日本語の
ニュアンスから左側通行の道路の渡り方まで、こと細かに学んだロシア人は、密かに、少数
ずつが第三国を経由して日本へ入国していった。

 やがてスターリンが死に、シベリア抑留者は度重なる日本からの帰還要求に応じて帰国の
途についた。しかし、この作戦に関わって日本の土を踏んだものはひとりもいない。

 それからも、「ツガル」の運用は続いた。アメリカが偵察衛星を打ち上げたことで、無害な村に
見せかけるために町の規模を縮小しはしたが、KGBでも議長と直接に対外工作を掌握する
第一管理本部の部長だけが知る極秘施設として扱われ、数人置かれている副議長などには
一切知らされることもなく、現場の指揮官が直接部長にのみ報告することになっていた。

 社会環境の変化に対応するため、10年ほどで送り込んだ工作員を帰国させ情報を更新
させることも怠らず、日本人からの視点で施設をチェックさせるために、当時友好関係にあった
北朝鮮が拉致した日本人を連れてこさせ、意見を言わせることもあった。
 利用した後は、当然ながら最も簡便な機密保持の処置がなされた。

 そして、1978年の12月。ターニャが生を享ける。






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