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京都小紀行9

私は月一度、京都へいきます。伏見稲荷へ御参りするためです。帰りみち、時間があれば京の名所を見物してまわります。楽しい寄り道です。このコーナーは行った所の紹介や自分なりに感じたこと、また時より読む短歌などをのせてゆきたいとおもっております。

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平成25年6月1日

行程 伏見稲荷→京阪三条→山とみ(昼食)→市バス京阪三条10系統→市バス千本丸太町→徒歩→こぬか薬師→布袋薬師→加茂川土手→京阪五条→帰阪

同行 芝坂氏(稲荷と昼食) 井川君(昼食のみ)

ひさしぶりに材木屋の仲間で友人の芝坂氏がお稲荷さん参りにおつき合いくださった。芝坂氏はついさきごろ永年やってこられた材木屋を円満に廃業されてお世話になったお稲荷さんへ報告いたしたいという意向で今回の御同行となった。井川君のほうはもともとお稲荷さん参りは二の次であるため昼からおつき合いということになった。芝坂氏は最初から昼過ぎまでという予定であったが井川君は昼ビールを飲んだあと歩くのはしんどいといって芝坂氏と一緒に帰ってしまった。それで残された私は独りで京都を散策することになった。とりあえず行き先は決めずに川端通り三条でたまたま来たバスにのってみた。行き先はわからなかったがある程度のっていると二条城についたのであまり遠くはなれると帰るのが大変なので下車した。二条城の門前を歩きながら「通称寺巡拝の栞」をみてこぬか薬師さんと布袋薬師さんにいくことをきめた。こぬか薬師さんでは巡拝のシールと御住職手作りの小さな陶器を300円にて購入、布袋薬師さんへむかった。

布袋薬師さんは昨日まで改築中で本日まさに再開された日であった。ほんとうに偶然でありすごくラッキーであった。ここでは御住職の奥様が丁寧に御説明くださりさらに表にて写真をとってくださったうえ中で御一緒に写真におさまってくださった。このあたりのお寺は宮中のほんの近くにあり薬師如来を御まつりして京の疫病からお上(天皇)をお守りしただろうことは容易に想像できる。帰ってからわかったことであるが私は十数年まえここにきてシールをいただいていた。前の栞にシールがすでにはっておりそのことがわかったのである。なにかがまたみちびいてくれたのであろうか、さらにそのときどなたからシールをいただいたのであろうかおもいだせない。奥様はきれいなお方ですが、個人情報の保護のため不本意ながら顔はぼかしました。

健康に 過ごせる日々を ねがいつつ 薬師如来に 祈る諸人

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成23年5月3日

行程 伏見稲荷→ぬりこべ地蔵→石峰寺→宝塔寺→瑞光寺(元政庵)→嘉祥寺(深草聖天)→十二帝陵→藤森神社→墨染寺→京阪丹波橋駅→京阪香里園駅→大型銭湯「ねや寿」夕食お好み焼き→京阪寝屋川駅

同行 井川君

ゴールデンウィークまっただ中であるため、混雑をさけるため、同伴の井川君の意見をとりあげ稲荷より歩ける藤の森方面にむかった。なんども訪れているぬりこべ地蔵さんではそばの番小屋で線香とろうそく売りのおばあさんと参拝にこられたおばあさんがなかですわっておしゃべりをしておられた。昔ガイドブックでここの由来を読んだことがあったが、忘れてしまっていたのでここにおられるおばあさんにきいてみた。もちろんおばあさんなどと失礼なことはいわずに「奥さん」といって聞いた。さすがに「おねえさん」というには抵抗がある。ここのお地蔵さんは歯痛をぬりこめてやわらげてくださることから広義に解釈して人生の苦痛をぬりこめて取り除いてくださる、霊験あらたかなお地蔵様として広く信仰を集めていらっしゃるということであった。なにかの御縁なので一緒に写真におさまってくださった。

石峰寺は伊藤若沖がデザインした五百羅漢さんがあるので有名で若沖のお墓もある。拝観料は300円である。

次ぎの宝塔寺日蓮宗の大寺で拝観寺ではないが境内は自由にはいることができ、すべてまわるには20分をようする。立派な仁王門と重文の多宝塔があり、その他みるべきところも多く、無料で散策できるのはうれしい。

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平成22年11月7日(日)くもり

行程 伏見稲荷一の峯→伏見稲荷薬力社→山越え→山科→大石神社→昼食うどん→京阪バス→醍醐バスターミナル→タクシー→醍醐寺→徒歩→地下鉄醍醐→京阪三条→京阪清水五条→六波羅密寺→建仁寺塔頭禅居庵→えびす神社→建仁寺境内→祇園→三条→夕食先斗町歌舞練場前お好み焼

同行 井川君

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成22年10月2日(土)晴れ 行楽日和
行程 伏見稲荷一の峯→伏見稲荷薬力社→沢ぞいの道→祟徳天皇皇后聖子月輪南陵→仲恭天皇九條陵→幕末維新尊王攘夷派烈士の墓→東福寺→京阪東福寺→京阪丸太町→下御霊神社→革堂(行願寺)→六角堂(頂法寺)→京都文化博物館→加茂川河川敷→京阪丸太町→京阪香里園→ねや寿の湯

同行 井川君

小中高と同級生だった井川から久しぶりに電話があって10月の伏見稲荷には是非つれていってくれとのことであり、もちろんこちらには依存があるわけはなく同伴が決まった。会ったとき急に京歩きに来たくなった理由を聞いてみると最近西国三十三ケ所めぐりをはじめてもう16ケ所めぐったとのこと。今日も革堂と六角堂にいきたいので協力してくれとのことであった。あとでしらべてみるとこの2ケ所は私はもう来ていたがそのことはそのときはわすれてしまっていた。

特に六角堂の敷地は池坊専永が住職の六角堂と最先端の池坊のビルが同じ場所にあるので、20年前とはあまりにもかわっていたのでおもいだせなかった。ここへ来るまえ東福寺の東に天皇陵がありその陵を護るように幕末維新尊王攘夷派烈士の墓が広い敷地な整然とならんでいる。いま坂本竜馬が注目されて高台寺近辺はにぎわっているがこちらのほうは男の人を二人ほどみかけただけでほとんどの時間我々二人だけであった。竜馬と主義主張はちがったかもしれないが憂国の思いで幕末の激動の時代に散った人々にすこしでも多くの日本人が来て手をあわせてくれることをのぞむばかりである。

この奥に御陵と志士の墓があります

今日は帰りに井川の家の近くにある大型銭湯に立ち寄って露天風呂でのんびりすることができた。

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成22年9月5日(日)晴れ 記録的な酷暑

行程 伏見稲荷→JR東福寺→京都駅→京都タワー食堂街(昼食中華)→市バス102系統特急バス→京都会館美術館前→平安神宮→神苑→本妙寺(赤穂義士の寺)→満足稲荷神社→市バス→四条河原町→阪急京都線

同行 新田氏

ちょうど去年9月宝ケ池に二人でいった以来1年ぶりに新田氏がおつきあいくださった。今回は氏の中国人の義理の妹さんが御夫婦ではじめて日本をおとずれるということで京都を案内するシュミレーションをかねていた。彼がかんがえた今の構想ではまず三十三間堂とその周辺あとバスで清水寺から高台寺そして平安神宮、最後金閣寺というコースである。最も観光客の多い嵐山はかなりあるくことになるので今回はパスということになった。さて今日であるが稲荷頂上より薬力からまた直接東福寺方面にでた。本来人っ子一人歩かない道を若い女性がカメラで周囲をかなり先でとっておられた、我々が来たので前を歩き出されたが普通に歩いても追いついてしまった。そこがまた一人あるくのがやっとのせまいところだったので、おいこせなくてきまずかったので、「こんなとこ一人でこわくないの」と声をかけた。おいついてきたあんたらが恐いんだという顔はしなかったが、さっき女性にあったのでほっとしたとのこと。彼女も東福寺駅にあるいていくところであったが、我々おっさん二人は東福寺境内に少しよってみた。お昼は京都駅でといってみたが駅ビルもポルタもどこの店もすべて満員で表で何人も待っている状態であった。新田氏はまってもよいという感じであったが私はゆっくり食事をしたかったのでさびれていそうな京都タワーを提案した。いってみると案の定ほとんどの店が空席がめだった。そこでゆっくり食事することができた。味をうるさくいわねば京都タワー食堂街は穴場である。平安神宮は何度もおとずれているが、その庭園である神苑ははじめてであった。ここはすばらしいというほどではないが、デートコースではある。しかし退屈であるため始めてのデートのカップルには不向きである。

平安神宮をあとにしてかえる途中にある本妙寺へたちよった。ここは赤穂義士の吉田忠左衛門の一族の墓があるので有名で御住職の奥様に墓に案内していただきお線香をあげさせていただきました。

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成21年5月3日(日)快晴

行程 伏見稲荷→鳥羽街道→京阪七条→養源院→松明殿稲荷神社→粟嶋堂→京都駅

同行 なし

昼御飯は鳥羽街道にある『土佐っ子』というちょっとかわったようでかわらないお店に何年かぶりでたちよった。以前はここのとなりにあった『おたふく』というお好み焼き屋さんを京都歩きの昼御飯のベースにしていた。さきほど ちょっとかわってかわらないとわけのわからないことを書いたがかわらないのは御主人が出前もするしあいそもいいしふつうの食堂であるということであるが、ちょっとかわっているのはそのメニューの豊富さと店内の狭さである。メニューは大食堂でテーブルは二つしかない。したがって普段のお昼時ははいれない。時間をずらしていっても2時半で終わり。夜はやっていない。さて今日も一人だったのであまり遠くへ行く気になれなかったので、かねてから機会のなかった養源院だけをめざしあとはきのむくままときめておいた。養源院は私が京歩きをしかけた頃は拝観が予約制であったので、気ままな旅の私にとってはしきいがたかかった。いまはいついっても拝観できるようになっている。ここ養源院は洛北の源光庵とおなじ伏見城落城の際の鳥居元忠とその家来の自刃のあとがのこった床板を天井にして供養していることで有名である。

養源院をあとにして七条通りをまっすぐ西にむかって京都駅をめざした。途中 加茂川を渡ったすぐ松明殿稲荷神社がある。ここは小さくてうっかりとおりすぎることが多いとおもうが一度ぐらいたちよってみていただきたい。京都駅を左にみながらとおりすぎたあたりに女性の守神である粟嶋堂がある ここは私は男なのに2回目のおまいりである、京都駅からすぐ近くなのでいきやすい。ここの粟嶋堂は紀伊の国から宝徳年間に僧南慶が粟嶋明神を勧請し開創された。

徳川の 繁栄築く その裏に 犠牲となりたる 武人の姿

粟嶋堂

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成21年6月7日(日)晴れ

行程 伏見稲荷→鳥羽街道→十条通→近鉄十条駅→近鉄竹田駅→北向山不動院→白河天皇陵→城南宮→近鉄竹田駅→近鉄丹波橋→京阪丹波橋→淀屋橋

同行 なし

今回も昼御飯は『土佐っ子』御主人とは年代が近いので落ち着く。出てそのまま十条通りをまっすぐ西へむかう。一般の町並みで京都らしさにはかけるが工事中で1部完成している稲荷山トンネルをみることができた。ここをとおると山科まですぐである。ただし車であるが。城南宮までは歩けない距離ではないが近鉄にのるのもいいとおもい2駅だけのってみた。竹田駅をおりて城南宮まではすぐであるが途中北向山不動院という寺院がある。

法話看板

はいってみると住職がかかれたであろう法話の看板などあって意外におもしろい。しかしそのあとの道中はいささかびっくりした。ラブホテルがおそらく十数軒あるであろう一角がある。ひとりであるいていても絶えず車が出入りしている時々男一人で乗った車がでてくるのはなぜ? 

ホテル街

城南宮では時間切れで曲水の宴で有名な楽水苑ははいれなかった。

城南宮

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平成21年7月5日(日)くもり

行程 伏見稲荷→出町柳→知恩寺

同行 寺崎氏

伏見稲荷のお山に本社からの出張所といえる御膳谷という場所があるが、そこから30メートルほどおりたところに眼力社がある。この神様は目をわずらった人や商売の先行きを見通せる目をさずかろうという参拝者でいつもにぎわっている。

同行の寺崎氏のお知り合いがいつもこられるということで、寺崎氏同行のおりは参拝のあといつも門前のお供えものをうっておられる服部さんのところにたちよる。写真はここの店主の服部さんで彼女はここでお生まれとのこと。ホームページがあるので一度のぞいてみてください。
http://ganrikisya.com/

今日は寺崎氏が3時に出町柳でお友達とお待ち合わせとのことで、出町柳から歩いてすぐの知恩寺へいくことにした。浄土宗の総本山知恩院とよく似た寺名であるが、内様もおなじで法然上人がまつられている。永いこと京都をあるいているが始めてであったので、また新鮮であった。本堂にてお線香を買わせていただいた。

知恩寺山門

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成21年8月2日(日)晴れときどきくもり

行程 伏見稲荷→鳥羽街道土佐っ子→京阪鳥羽街道→京阪三条→市バス12系統→大徳寺→塔頭大仙院→今宮神社→市バス46系統→四条河原町→阪急京都線→梅田

同行 芝坂御夫妻

この日は雨の降る確率の高い予報であったので芝坂氏は傘をもってこられた。私は降らないという個人的予想で傘はおいてきた。結果雨はふらなっかったので、負け惜しみの強い芝坂氏は杖になって楽だとか、女性のように日傘にしてみたりとかいろいろ抵抗しておられた。いつもながらおもしろいおかただ。それがいいところであろう。さて大徳寺は私は以前3回きているとおもう。いつも一人であった。こんかいは拝観がまだであった大仙院に御夫妻も同意してくださったので、いってみた。大仙院は何人かお客があつまると不定期にガイドがついて分かりやすく説明してくれる方式になっているらしい、しかしよく観察してみるとガイドによって説明の時間もポイントもすこしちがっているようであった。我々が受けたガイドさんはちょっと簡略なほうだったかもしれないがおもしろいおばさんでガイドの途中ここの御住職が若いとき都蝶々さんとテレビ出演をしておられたときの写真をみせたあと、おわりにその御住職本人がまちうけている場所につれていった。そこは土産物売り場であったがそこで御住職みずからが御自分が執筆した本や色紙をうっておられたようにみえたのでちょっとびっくりした。やはり気の弱いわれわれはつい買ってしまった。しかし買った品物には御住職の尾関宗園師みずからわれわれの名前をかいてくれてその横に花押をかいてわたしてくれたのでただの売店の坊さんやおばさんから買うのと違ってよき一期一会をいただき買ってよかったというきもちになった。これってのせられたのだろうか?いやいや何も買わなかったほうが後悔したとおもう。

一首

大仙院 なにをみたかと たづぬれば 思い出すのは 坊主の頭 

そのあとすぐ北にある今宮神社参拝のあと名物『あぶり餅』を「一和」にていただいた。ここは芝坂奥様(フルネームはやめておきます)が20代前半にお友達とおとずれて以来 ん十年ぶりとのことで、なつかしがっておられた。

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成21年9月6日(日)晴れときどきくもり

行程 伏見稲荷→祢ざめ屋(食)→京阪三条→地下鉄東西線→烏丸御池→地下鉄烏丸線国際会館前→宝ケ池→深泥池→地下鉄烏丸線北山→阪急四条烏丸→梅田

同行 新田氏

伏見稲荷は御存じの方も多いとおもいますが、神主さんが集中しているいわゆる本社というのが東山山麓に広く展開して多くの参拝客を集めているのであるが、本来の伏見稲荷は稲荷山頂上付近にあって昔の人はみんなお山に登って参拝していた。いつからかしらないがそれでは参拝が大変であるとのことでいま本社とよばれるところに拝殿をつくりここに稲荷の神をお祭りしたわけである。ときいた。その本来のお山に数ある神のなかで薬力社という薬力大神を中心にまつっている場所がある。ここは以前にも「おせきさん」という神様を紹介したことがあったが、そこで夏限定のかわいらしい水車がまわってその水で商品を冷やして販売している。写真はちょっとわかりにくいがその水車とここの御主人の木村氏。

今日は稲荷のあと大原の奥の古知谷へいこうと京都国際会館前のバス停留所に着いたが3分くるのがおくれでバスがでてしまっていた、あとのバスは40分後だということだったので古知谷は今回あきらめてこのへんの散策をすることにきめた。宝ケ池は人出こそすくなかったがボートにのる家族づれやジョギングする人などでゆっくりした時間が流れていた。写真は地下鉄駅から宝ケ池までのあいだにある高級住宅前の公園。

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成22年4月4日(日)晴れ

行程 伏見稲荷薬力社→沢ぞいの道→東福寺塔頭同聚院→東福寺→昼食弁慶食堂→京阪鳥羽街道

同行 なし

稲荷頂上からおりてきて薬力社のお店の下角を右におりる階段がある。うかっとしていたら通り過ぎる細い道であるが薬力亭の奥様に聞くと東福寺へ通じているとのことであったので、いってみることにした。5分ぐらいあるくと稲荷のお社はとぎれて沢ぞいのほそい山道となった。あとでわかったことであるがこの道は京都1周トレイルのコースになっていた。道は人陰はなくお会いしたのは神主さん一人と一組の父子合計3名だけであった。約10分強おりてくるといきなり人里となる。このギャップにはいささかおどろく。途中日吉が丘高校の満開の桜をみながら、東福寺近辺に到着した。東福寺はなんどもおとずれているので今回はパスして、ガイドブックにありながらまだいけてなかった「同聚院」にいってみた。ここ同聚院には関白藤原道長公が丈六の五大明王を建立したうちの不動明王が幾多の災厄をまぬがれ今日に伝えられている。この不動明王はじゅうまん不動明王とよばれ像高265センチの堂々たるお不動さんである。このお不動さんをまじかで拝観するには200円の拝観料が必要である。もちろんはらってまじかに拝ませていただいた。

沢沿いの道

高校の満開の桜

同聚院

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成22年5月3日(日)晴れ 

行程 伏見稲荷薬力社→沢ぞいの道→東福寺→京阪東福寺→地下鉄山科→インド料理店RAJU→毘沙門堂→山科聖天→JR山科

同行 芝坂氏御夫妻

今月はうれしいことに芝坂氏御夫妻が同行してくださった。一人だと最近歳のせいか根気が続かずお稲荷さんのあとの京歩きをとりやめることが多い。先月薬力社から始めての道を東福寺まであるいたので今回同じ道をお二人を案内することにした。1回目は気付かなかったが、しらずに清滝の側近くをあるいていた。なぜ気付かなかったかというと、私は20年ほど前清滝に今歩いている道とちがう御膳谷からつづく参道からいっている。その時はお供えものを売るお店がありけっこうにぎわっていたので今、目の前にある清滝の風景が店もしめ参拝客の姿もなかったので同じ場所とはおもえなかったからである。寂しい風景はまことに残念である。時代の流れか伏見稲荷も観光客は年々増加しているようにかんじるが、反面信心の気持ちで参拝する人が歳をとり、あとをついでお参りするひとが減っているということであろう。

稲荷山 裾野にひろがる神々の 祠(ほこら)に偲ぶ 往時のすがた

よい気候の5月、お天気にも恵まれ、写真の東福寺についたころは心地よい汗をかいて気分も上々であった。東福寺のあとおとずれた山科毘沙門堂は不思議の襖絵をほんとうはお坊さんの解説がほしかったが、あいにくしてもらえなかったので、3回目のわたしができるだけ芝坂さん以外の観光客にもおせっかいで解説してみた。山科聖天さんにては京都通称寺巡拝のしおりを芝坂さんがもとめられ今後、私とおなじように巡拝されるとおもう。

なおあとでわかったことであるがお昼御飯でたまたまはいったインド料理店RAJUはうちの娘が山科に住んでいたころときどき利用していたということであった、

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