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京都小紀行 8

平成20年3月2日 平成20年4月6日 平成20年5月3日 平成20年6月1日
平成20年7月6日 平成20年8月3日 平成20年9月8日 平成20年10月5日
平成20年11月2日 平成21年2月1日 平成21年3月1日 平成21年4月5日

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成20年3月2日(日)晴れ

行程 伏見稲荷→京阪丹波橋→明治天皇陵→昭憲皇太后陵→乃木神社→桃山城→桓武天皇陵→御香宮神社→伏見酒倉街→長建寺→京阪中書島→大阪新世界

同行 木村氏  御同行いただいた木村氏は令和1年5月10日御病気によりお亡くなりになりました。謹んで御冥福をお祈りもうしあげます。

今回も木村氏と二人前回の山科歩きに劣らずタフな行程を歩いた。余談であるが私が22歳のとき当時24歳の木村氏と二人私の愛車トヨペットコロナで遷宮中の伊勢神宮に1泊とまりでお参りしたことがあった。伊勢神宮はあれから2回目の遷宮をおこなおうとしている。考えれば木村氏とは永いおつきあいである。二人で行動していてもストレスがない。氏が私にあわせてくれているおかげだとおもう。さて今回天皇陵をおとずれてみてその広大さにあらためておどろかされるが、いにしえの仁徳天皇陵と近代の明治天皇陵がほとんど形式がかわらないのはさすが大日本国宮内庁である。明治天皇陵のすぐそばに天皇崩御と同時に殉死された乃木希典(のぎまれすけ)大将を祭神としてお祭りしている乃木神社がある。旧来の神社は本殿と社務所と稲荷社そしてまれに能舞台がそなわっているというのが一般の形式であるがここの神社の祭神は明治の終わりまで生きておられたかたであることで普通とはちがい資料館という色が濃厚である、そのため色々みるところがあり多くの勉強をさせていただける。一部紹介すると乃木大将の育った旧邸(写真)、乃木大将が日露戦争で司令部としてつかっていた満州に民家(これは現地からばらばらにして移築されたもので本物である)この民家は自由にはいることができてなかに資料が展示されている。その他にも見どころが多い神社である。その後おとずれた桃山城と御香宮神社ではお城の天守閣のなかにはいれないのはざんねんであったが御香宮神社のなかにある桃山天満宮では三分咲きの梅がそのかれんな姿をたのしませてくれた。

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平成20年4月6日(日)晴れ

 行程 伏見稲荷→お好み焼き→京阪五条→世継地蔵(上徳寺)→西本願寺→京都駅

 同行 なし

以前「薬力社」のなかにある「おせきさん」を紹介したことがあったが、その薬力社の中心に鎮座されるのが写真の薬力大神である。ここはその名が示すとおり、病気になったとき回復の手助けをしてくれる薬の力をお祀りしており、おおくの参拝者をあつめている。ここにある「薬力の滝」は数多くある稲荷の行場の滝のなかでも行者が行をしている最中以外はもっとも一般参拝者にそのちかくで拝礼することを可能にしており、稲荷参拝に来たひとは多くがここに立ち寄る。

さて、今回は桜満開の季節であり稲荷でもその美しい彩りはあちらこちらでみられた。この季節の一人旅は桜の名所ではかえってさびしさを増すこともあり、意識的にそこをさけてあるいてみた。五条駅から清水寺とは逆の方向にすこしいくと塩竃山上徳寺というお寺がある。ここは慶長8年徳川家康によって建立されたが、なかにある地蔵堂に安置されたお地蔵さんが世間に『世継地蔵』として広くしられている。ここは縁日には世継として立派な子がさずかり家運長久をねがう多くの人々でにぎわう。

我が家の 絶ゆることなき 長久を いつの世にても 願う人々

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成20年5月3日(土)快晴

行程 伏見稲荷→JR稲荷→JR向日→阪急バス66系統→善峰寺

同行 新田氏

ゴールデンウィークまっただ中、京都の名所はどこへいっても満員であろうと予想された。困った時の西ノ京ではないがこの方面はいつもすいている。今回は最初、三ヶ寺まわる予定であったが、バス終点の善峰寺へ2時35分に到着したが、これでは三ヶ寺まわるにはおそすぎた。善峰寺は西国20番札所で写真の樹齢600年の遊竜の松で名高い。ここは広い敷地を有しておりすべてみてまわるには4〜50分を費やする。京をみおろす眺望もすばらしく、いってみてがっかりすることはないであろう。

一首

幾時代 枝を伸ばせし 五葉松 札所めぐりの 憩いとならん

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成20年6月1日(日) 

行程 伏見稲荷→昼食祢ざめ屋→京阪稲荷→京阪丸太町→京都御苑寺町御門→蛤御門→楽美術館→地下鉄烏丸線今出川→地下鉄東西線小野→随心院門跡→京阪バス24系統小野→JR山科→JR東海道本線線各駅停車(高槻より快速)→JR大阪

同行 芝坂氏御夫妻

今回はおしどり夫婦の芝坂氏御夫妻が2度目の御同行。この御夫婦は仲がいいので京につきあっていただいて私は本当に気持ちのよい旅をさせていただける。写真の楽美術館に来る途中京都御苑で写真を撮ったが肩などだいておられた。私など女房以外の女性の肩ならだけるが夫婦ではなかなかこの歳になると恥ずかしくてだめである。彼は筋のとおった日本男子であるが、この点は白人風である。さて彼のたっての御要望で楽美術館にはじめていくことができた。かねてからいきたかったところであったので、どのようなところか興味深く入館した。私は陶磁器は大好きである。値の張るものは買えないが作家の息づかいが聞こえる作品は好きである。しかし、どうも陶磁器の善し悪しがわからない。なにをもってして名品と駄作とわかれるのであろうか。美術館の展示をみてもさっぱりわからないのである。名のある陶芸家の作品がよいというのはあまりに単純であるし、古いからよいというのもありえない。ただの土のかたまりを何十万何百万というのはあまりにばかげている。

1首

おおげさに 格式あたえし 陶磁器も 落とせば割れる ただのお茶碗 

このあと地下鉄で小野小町ゆかりの山科随心院へ足をのばしたが、本堂にすわって見る庭は1日の疲れをいやすに十分な美しさであり、世界3大美女を想像するひとときの時間を楽しむことができた。ここにかぎらず小町の像はとしとってからのものばかりであるが、これは有名な百人1首の[花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに]と詠んだ小町にちなんでのことであろうと想像できるがそれにくわえ絶世の美女をあらわせるほど人間の技量はないからでもあろう。

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平成20年7月6日 晴れ 無風

行程 伏見稲荷→昼食祢ざめ屋→京阪稲荷→京阪三条→市バス三条(市バス10系統)→市バス等持院口→嵐電「等持院駅」→嵐電「妙心寺駅」→妙心寺→JR嵯峨野線「花園駅」→JR京都→JR大阪

同行 寺崎氏

今回は寺崎氏が2度目のおつきあいをしてくださった。前回は新田氏をふくめて3人旅であったが、今回は二人旅でどういう印象をもたれたであろうか。今日は氏が夕方、いとこ会がおありで4時頃には大阪にかえらねばならないという時間的制約があったため、妙心寺のみにとどまった。ここはまえにこのHPに掲載して記事にしているが、2度めの案内付拝観を経験した。そこであらためて狩野探幽雲龍の図をみて感動し、戦国時代の高級浴室にその時代の空気を感じ徒然草にうたわれたそのものの鐘をすぐそばに観賞することができて、500円の拝観料はやすいものであった。

禅宗に 深く帰依せし 天皇の 力の象徴 いまここにあり

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成20年8月3日 晴れ

行程 伏見稲荷→うどん屋→京阪稲荷→京阪東福寺→即成院(那須の与市さん)→戒光寺(丈六さん)→今熊野観音寺→皇室の御寺泉涌寺→京阪東福寺

同行 寺崎氏

今回も同行の寺崎氏が4時に大阪にかえらねばならないということで稲荷参りのあと移動に時間がかからないところにした。目的の皇室の御寺(みてら)泉涌寺にいくまでその塔頭の即成院 戒光寺 今熊野観音寺 に立ち寄った。それぞれ特徴をもった寺社で即成院は源平の戦いの屋島において平家の舟の扇にみごと矢を命中させた那須の与市の墓があり、戒光寺は台座から光背までふくめると10メートルにおよぶ釈迦如来座像を安置してある。このあたりは私一人で17年前におとずれたことがあるが、戒光寺はその時屋根修復の瓦の寄進をつのっていたがいまもやっていた。残念なことに17年まえに仏様の説明をしてくださったおばあさんはもう亡くなっておられた。今熊野観音寺は西国三十三カ所の15番札所になっており最も参拝者が多い。

泉涌寺は幾代にわたって皇室の御陵がいとなまれており現在まで皇室の御寺として宮内庁の管理下にある。ここは仏殿からお庭まで拝観するには2度の拝観料が必要であるがゆっくりするには庭も是非いってもらいたい。

静寂が 時の流れを とどめおく お上の眠る 京の奥庭

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成20年9月8日(日)晴れ一時雨(叡山電鉄に乗っている時だけ雨)

行程 伏見稲荷→出町柳→叡山電鉄→八瀬比叡山口駅→わらび亭(昼食)→叡山ケーブル→叡山ロープウェイ→比叡山山頂→山道参道徒歩→山王院堂→受付(拝観料)→阿弥陀堂→灌頂堂→戒壇院→大講堂→鐘楼→根本中堂→文殊楼→ケーブル延暦寺駅→坂本→日吉大社受付(拝観料)→徒歩→JR坂本

同行 寺崎氏 芝坂氏

比叡山はもう6回ぐらい登っている。登っているという表現はケーブルや車をつかっていたので、正しい表現ではないだろう。ただしくは「来た」といういいかたになる。あらためて比叡山をかたることはないが、我々のように山頂駅から山中の参道を歩いて来るものはほとんどいない、山頂の周回バス乗り場からも見えるが旧参道をあるいている途中、大原の里が一望できするばらしいビュースポットにであえる(写真)。コンクリートのバス乗り場からみるのとぜんぜん違った気分があじわえるのである。おおくの人が直接交通機関を使って延暦寺にきているのはせっかく比叡山にきてその魅力の半分しかあじわえないことでもったいないことをしているようにおもう。今回は坂本におりたあと、日吉大社にも参拝できて、充実した京歩きができたが、日吉大社の入り口で入山料300円が必要だったのは少しおどろいた、一般に寺院は拝観料がいるとことは多いのにくらべ、神社ではほとんど境内自由となっているのがふつうだからである。神社は仏教伝来以前から日本人の心のよりどころであったので、お金がいらないと信じていたのでこれからはその考えを改めなければ成らない時代になったのであろうか。

わずかでも 山を歩きて 聖域の 清き自然に 触れしよろこび

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成20年10月5日(日)くもりときどき小雨

行程 伏見稲荷→京阪三条→京都バス61系統→大覚寺→大沢池→京都バス61系統→阪急四条河原町

同行 寺崎氏

大覚寺は10月に縁があるようである。この前おとずれたのは平成13年であるから7年前である。歳はとりたくないが確実に歳とっている。今回はお天気はあいにくであったが傘はほとんどさす必要もなかったためかんがえようによってはこの空模様は古刹にふさわしい落ち着いた雰囲気をかもしだしてロマンチックな気分にしばしひきこんでくれた。大覚寺は昔の御所だけあって、普通のお寺にくらべて、また違った感慨をおぼえる。写真に女性が写っているがこのかたは仙台からの一人旅で明日お仕事の関係のあつまりがあるためはじめて京都へこられたとのことであった。独身の寺崎氏が親しく声をかけられたのにはすこし驚いたが彼女もそれにこたえていらした。彼女はこのあと京都定期観光バスの夜コースの予約があるといって大覚寺をあとにされたが、我々はそのあと男二人でいたって不粋であるが大沢池のほとりをしばし散策した。私は大覚寺へきてはじめて池のほとりを散策したがよい雰囲気でとりわけ数百年生きているであろう椎の木はすばらしいものでここへこられたら時間に余裕をもたせてざひ池のほとりの散策も 是非プランにくわえていただきたい。

 時すぎて 京都の旅を おもうとき 小雨にけむる 大沢の池

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成20年11月2日(日)くもり

行程 伏見稲荷→京阪三条→京阪石山線→京阪石山→石山寺→京阪バス→JR石山駅→大阪

同行 新田氏

滋賀の石山寺は世間よりはやく木々の色付きがみられた。私は五十数年ぶりにここに来たがもちろん当時のことはおぼえていない。いま源氏物語がブームであるがこの石山寺もすくなからず縁があるので、それにちなんだ催しがおこなわれていた。

瀬田川に 紫式部の息遣い 紅そまる 近江石山

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成21年2月1日(日)くもり一時小雨

行程 伏見稲荷→京阪清水五条→耳塚→豊国神社→方広寺鐘楼→河井寛次郎記念館→茶わん坂→清水寺→清水坂→三年坂(産寧坂)→二年坂→石塀小路→八坂神社→阪急四条河原町

同行 寺崎氏 芝坂氏

河井寛次郎記念館は20年前に訪ねたことがあって今回は2回目であった。その時とくらべて遠くからわかるように縦書きの看板がかけられただけでそのほかはかわってなかったようにおもう。おつきあいくださったお二人はここは始めてで河井寛次郎にふれられてよかったであろうと私がかってにおもっている。20年前は清水の陶芸家とだけの印象であったが今回あらためて作品を拝見しかれは陶芸家というよりも総合芸術家といってよい存在であったとを知りかれがデザインした家具や自作の木彫など興味深い作品がわれわれを彼の精神世界へひきこんでいってくれた。

名工の 身体にみゆる 登り窯 駄作許さぬ 炎の精神 

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平成21年3月1日(日)

行程 伏見稲荷→京阪三条→市バス→北野天満宮→千本釈迦堂

同行 木村氏 寺崎氏 酒井氏御夫妻(稲荷にて合流)

酒井氏御夫妻ははじめての登場であるが、稲荷にてたまたま合流し一緒にお昼からあるくことになった。北野天満宮は何回も来ているが梅の季節は2回目である。やはりさすがであった。

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成21年4月5日(日)晴れ

行程 伏見稲荷→JR稲荷→玉水駅→井出町桜祭り→綺原神社(かんばらじんじゃ)→蟹満寺→湧出宮→棚倉駅→新今宮

同行 なし

玉川をおとずれたのは3度、ひとりでは2度目、今回も桜のトンネルは私を美しい世界へみちびいてくれた。しかし今日は蟹満寺へゆくことが目的であったので桜のトンネルとは早々におわかれし一路国道24号線沿いを歩いて蟹満寺へ向かった。蟹満寺へついてみると残念ながら本堂建築中で拝観はできなかった。しかし蟹満寺までの道のりとそれからの棚倉駅までの道が途中不動川などここも見事な桜が堤防ぞいに植わってあるなどみどころも多く春を満喫できる行程であった。

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