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| 平成19年10月2日 | 平成19年11月4日 | 平成19年12月2日 |
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行程 伏見稲荷→京阪出町柳→叡電三宅八幡→蓮華寺→崇道神社
同行 なし
伏見稲荷奥社からお山するための道に少しはいったところに松の御神木が祭られている。この木自体はすでに枯れてしまっているが、写真のように奇妙な形に地上からでた幹が今はコンクリートでこのように補強(というかもうほとんどコンクリート)されていまも以前の姿をなくさないようにたもたれている。この幹をトンネルのようにしてくぐりぬけると足腰がいつまでも達者でおれるらしい。先月であったおばさん3人組は3回まわらねばならないといってらしたが、どうおまいりするかきまったことがあるかはしらない。
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今月は紅葉もみごろとなっており、有名なもみじの名所はおそらく、人であふれかえっているだろうしそうかといってもみじはみたいしなどと考え、また叡電にのってしまった。蓮華寺に到着して、私の考えはまちがっていなかったとほっとした。というのも紅葉はすばらしく、観光客も少なすぎず多すぎず、ゆっくり観賞しようとおもえばいくらでもゆっくりできそうな雰囲気でとくに部屋の奥からながめられるように敷物がしいてありそこからながめる池泉回遊式庭園と紅葉はまことにすばらしいものであったからである。
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もみじの蓮華寺のすぐ東よりのところに崇道神社がある。ここも参道がカエデのトンネルで有名であるらしいが今回いってみて参道がものすごく暗くて無気味ささえおぼえ、カエデがあったかどうかということはおぼえていない。その参道の途中に写真のように大きな木があり『良縁双樹』と書いた立て看板があった。みればわかるように大きな木がそばの細い木をうででつつむようにいだいている。おたがいの木にとっていいのかどうかは木にきいてみなければわからないことであるが見た人が良縁を感じればそれでいいのかもしれない。崇道神社の創建の由緒は桓武天皇の実弟、早良親王が藤原種継暗殺事件の首謀者の疑いをかけられ、乙訓寺幽閉ののち淡路に流される途中大山崎にて無実をさけびながら絶食死なされた。親王の死のあと、天皇家や都に不吉なことがつづき、早良親王の祟りをおそれた桓武天皇は親王を崇道天皇と追号しここに墓をつくって祭祀した。となりの蓮華寺は多数の観光客でにぎわうなか、ここをおとずれていたのはこの時間私ひとりであったのはまことにさびしいものであった。できれば近くの三宅八幡や蓮華寺にくればすこし脚をのばして、無念のうちにおかくれになった崇道天皇に手をあわせていただきたいとおもう。
えん罪を 死をもて糺せし 大君の 無念のおもい やすらかなれしと
行程 伏見稲荷→京阪三条→京都バス41系→出町柳→市バス4系→上賀茂神社→社家の道→藤木社→大田神社→深泥池→地下鉄北山→京都駅東広場→JR大阪
同行 芝坂氏御夫妻
もう15〜6年前になるだろうか。2月1日に大雪が降ったことがあった。その時は伏見稲荷から東福寺まで徒歩でたずねたが、雪の東福寺で私とおなじひとりあるきの男性とすこし言葉をかわしたのをおぼえている。当時にくらべたら今年はどうなっているのだろう本来極寒であるべき2月が小春日和の陽気がつづいている。今日はすこしばかり冬らしく気温も低めであったが、お天気は雲一つない快晴にめぐまれた。稲荷頂上までいくにあたって低めの気温はありがたいことであった。今回はときどきおつきあいくださる芝静木材社長の芝坂氏が奥さんを御同伴なされた。はじめて御参加の奥様にとってこの快晴はなによりのよきことであった。今日は最初の予定では上賀茂から叡電の木野まであるくはずであったが、私のミスでバスの乗り継ぎがうまくゆかず30分ほどロスし後半は後日のたのしみとした。写真の社家の道はみじかいがおおきなお屋敷とその前をながれる清流がわれわれの気持ちをしばし豊かにしてくれた。目的の一つ西村家は3月からの拝観となっておりしまっていたのが少々残念であったが、道の終わりにある藤木社(ふじのきのやしろ)の樹齢500年におよぶ楠は当時のこのあたりを想像するにかっこうの材料となっていた。10年くらいまえに深泥池(みどろがいけ)のまえにたったときなにか不気味さをおぼえたがなぜだろうといつも考えていたが今回ふたたびきてみてその理由がやっとわかった。
深泥池はわれわれがたっているところとその水面の高さがほとんどかわらないのである。つまり堤防がない。ということは大雨が降っても水があふれることはないらしい。これはただの池ではない。おそらくこの池は京の伏流水の一部が表面にあらわれているにすぎない、だからここに沈むと京都市の中心部までながされて二度と浮き上がってこられないのでないか。まさに底なし沼ではないのか。私は前回意味もなく不気味さを感じたのはまさにそのせいであったようにおもう。
写真は深泥池をバックに芝坂氏御夫妻
一首
澄みきれる 空の青さを うつしだす 清き水面に 群れる 水鳥
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行程 伏見稲荷→京阪三条→市バス10系統北野白梅町→椿寺(地蔵院)→大将軍八神社→妖怪ストリート→丸太町七本松→京都バス→四条河原町→阪急梅田
同行 なし
今日は暑くてたまらなかった、と言うと7月か8月のようにおもえるが実際は3月である。それも初旬。下の稲荷本社でTシャツとシャツの2枚になり、頂上につくころはTシャツ1枚になっていた。真夏とズボンの厚さがちがうだけでほとんどかわらない。落語か漫才に8月がこれだけ暑いのだから12月になるとどんなに暑いのだろう という話しがあるがこれは季節を考えないことで笑い話にしている。しかしこのところは季節にあっているから3月の暑さは笑えない。さて稲荷奥社入り口から5〜6分お山にのぼったところに熊鷹社がある。そのまえに新池があるがこの池もまたなにか不思議さをおぼえる。急な上り坂を登り詰めたところにパッと池がひろがるからである。ミニダムという感じである。
この池の前の熊鷹社はいつも大勢の参拝者でにぎわっているが、この池のおかげかもしれない。私はむかしから水のたまった場所はなにか強い霊力が発生するようにおもっている。
今日は通称寺の一つ椿寺にいってみた。残念ながら通称のいわれとなった豊臣秀吉の「五色八重散椿」は枯れていまは樹齢100年の2世にかわっていたが境内自由ということもあって、この椿の撮影やら本来のお地蔵様をお参りするため小さな寺ににあわず多くの人がおとずれていた。ここからすこしいったところに大将軍八神社があり毎月第一日曜日におこなわれる「1の市」でにぎわっているらしい。らしいとかいたのは私がいったときはもうお店がほとんどかたずけられており残っていたのは梅干しの店と外人さんのアクセサリーの店だけだった。この神社の前の一条通りは「妖怪ストリート」と名付けられ、スピーカーからいつもなにかながれていた。
一首
妖怪も 出る時期迷う この暑さ 一つ目小僧の 目も二つ
行程 伏見稲荷→三条→京阪京津線山科→毘沙門堂→山科聖天→山科疎水→地下鉄東西線御陵→京阪三条→淀屋橋→天王寺ルシアスビル「がんこ」
同行 林氏
桜が満開まであとすこしといったところであったが、今回は季節がいいということを理由にむりやり林氏をつきあわせてしまった。結果的に稲荷山頂往復にくわえ山科から疎水沿いを御陵まで歩くといった強行軍になってしまい75歳になられる林氏にはかなりきつかったかと思い反省している。毘沙門堂と山科聖天さんは平成14年5月4日にきて以来2度目であるが桜の季節ははじめてであり、来てみて観光客の人数もちょうどいいいといったところで、桜の花見にはここも穴場といったところか。
写真は山科聖天(双林院)
疎水沿いの道は季節にしてはすこし寂しすぎると感じるほど観光客もなく土地の人が犬を散歩させていたり、ただふつうにあるいているだけであったりときょろきょろまわりの景色をみながらあるいているのはよくみるとわれわれ二人だけであったようにおもう。残念に感じたのは7〜8寸もあろうかとおもわれる材木を贅沢に剥ぎあわせてつくられた野外ベンチやテーブルがそのほとんどがみじめに朽ちていたことであった。最初のイメージでつくるにはつくったがあと野ざらしでどうなるかといったことはまったく考慮されていなかったみたいで、これも作った時さえよければいいといったお役所仕事をおもわせた。下の写真に朽ちたベンチが写っているがこれが多数放置されせっかくの景観をこわしているのが哀れをさそっている。まるでとしおいた老人が見捨てられている状態を想像させるのは考えすぎか。疎水沿いをずーっとあるいていくとちょうど御陵あたりでトンネルのなかに川がすいこまれていき、疎水ぞいの道もここでおわってしまうが、ここにきてこの川が人間によってつくられたことがあらためて認識させられる。
美しき 桜の花の かたすみに 座るものなき 高級ベンチ
行程 伏見稲荷→昼食(稲荷セット)→京阪三条→京都バス23系統→岩倉実相院→岩倉具視幽棲旧宅→山住神社→喫茶『マックさんの家』→妙満寺→映電木野駅→出町柳→北浜→恵比須町→飛田本通中華「山王園」
同行 芝坂氏
二度目の実相院(最初の写真)は5月の新緑の季節。門をはいったばかりのところに写真のもみじがみずみずしい緑をみせてくれる。常緑の松の木の根元にみごとに紅葉(こうよう)するであろうもみじを配置したのはすばらしい秋の季節を想像させるに十分である。この実相院を拝観中いきなりの雷鳴とともににわか雨がおちてきてここにすこしばかり足留めをくらったが、歩いている最中でなかったことが、幸運であったし名園の軒先きでの雨宿りはそうそうできるものではない良い経験であった。
ここで一句
新緑に 雷ひびく 岩倉の里
30分かからず雨がやみここをでてすぐのところにある、岩倉具視幽棲旧宅(次の写真)へ。ここでは幕末の勤王の志士たちの討幕の密議がかわされたという歴史の事実を想像ししばしのあいだ自分をその時代において、夢のなかに浸る時間をもつことに価値を感じて拝観するのがよく、ただみるだけではすぐにおわってしまう。妙満寺(最後の写真)はこれまで幾度となくきているが、拝観料300円と安いわりにはゆったりとした時間をもてて恋人どうしのカップルにはとくにおすすめである。安珍清姫の鐘と雪月花のうちの雪の庭が拝観の目玉。
今月の一首
国ひらく 時代の夜明け 願いつつ つどいしものの 夢の枕辺
行程 伏見稲荷→京阪三条→地下鉄東西線蹴上→琵琶湖疎水記念館→地下鉄東西線東山→京阪三条
同行 なし
伏見稲荷本社から20分登ったところで稲荷山の尾根にでる。ここから頂上の一の峰までは尾根づたいにあるくことになる。しかし尾根づたいの参道がずーっと鳥居にみちびかれているため実際の感覚はふつうの道のようで、よくみないと両側が谷になっていることに気付かない。はじめの写真は山はだをのぼりつめたところで京都市内が一望できる。
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二枚目の写真はここから右に、さあもうひと踏ん張りといったところ、本来左から右まわりを神社側は推奨しているが、めざす祠につくまでに寄り道したくないので私はいつも右から行く。
今日はいつも前を歩きながら一度も立ち寄ったことがなかった琵琶湖疎水記念館にいってみた。なぜいままでいかなかったかというと、ここが入場無料ということでたいしたことがないだろうという思い込みであった。がしかし訪れてみてそのおもいは完全にくつがえされた。琵琶湖疎水がことこまかに写真や模型さらに当時使われていた実物まで数多く展示されていて拝観料なしとはおもえないくらい充実している。おまけに入り口にはいったところで自由におとりくださいとかかれたパンフをいただいていると職員室から50歳すぎのかたがでてこられ、手帳のようなものをくだされた。先々月琵琶湖疎水ぞいを歩いたよしを話すとこんどは「蹴上げまであるいてください」とおっしゃって地図をくだされた。さきほどくださったものは家であけてみると手帳ではなく小さくファスナーでおりこめられた布袋であった。うちわもただでもちかえってもいいことになっており、すごくうれしい気分になれたのである。琵琶湖疎水は京都に市電をはしらすもととなった電気と京都市民の飲料水をもたらし、そのうえ当時の滋賀と京都の物流を画期的に改善することになった。古いものばかり大事にしている印象の京都が当時としては先進の技術を駆使して運河をつくりまた発電所をつくったことはあらたな京の一面をみたかんじがする。残念ながらインクラインはいま文化財として保存されてはいるが実際には機能していない。もう一度船をびわこと京都の蹴上げまでの間、こんどは観光客をのせて運行すれば保津川くだりみたいに観光の目玉になることは十分期待できる。私が京都知事ならそうする。
灯をともす 流れる水と 鉄の道 我らも学ばん 明治の気概
行程 伏見稲荷→京阪三条→地下鉄東西線東山→京都市動物園→地下鉄東西線東山→京阪三条
同行 なし
伏見稲荷大社本殿から30分ひたすら石階段を2000段以上登り詰めたところでやっとめざす一の峰上社に到着である。ここは末広大神を中心にお祀りして、そのまわりに数多くの神々が鎮座されており参拝者はそれぞれの家が信奉している神様にお参りすることになる。もともとこの一の峰上の社と二の峰中の社さらに三の峰下の社が本来の神の降臨された場所で伏見稲荷の本体であるらしい。のちに大勢の人がお参りしやすいように下に本社をかまえたとのことである。
じつは先月、朝のうちは動物園にもいってみようとおもっていたが時間がなかったのでいけなかった。今日こそはと気持ちを強くして(そんなおおげさなことかいな)実行した。地下鉄東西線東山でおりてのんびり勝手しった町並みをぬけ平安神宮の大鳥居に到着。ここでわざと京都市美術館の庭園を横断して動物園入り口へ。おっさんひとりで入園料500円をはらって切符を買う時やはりすこし気恥ずかしさをおぼえた。けど男二人ではいるよりはましか。園内にはいるとそこには昔なつかしい光景がひろがっていた。私は子供の頃もっぱら天王寺動物園にかよっていたが、最近の動物園はより自然にちかづけようとサファリ形式がふえているらしいがここはちがって古き時代のにおいを色濃くのこしていた。子供のころの気持ちにかえってすなおに動物を観察しようとこころみたが、いまはつい狭い場所にとじこめられ年がら年じゅう同じ景色をみることをよぎなくされた動物たちをあわれにおもって「がんばれよ 人間の勝手をゆるしてくれよ」といっている自分に気付く。ひととおおりみてからすこし疲れたのでベンチでアイスクリームをたべているとその周りを小学校低学年の男の子たちがつかまえられそうでつかまえられない鳩を一生懸命おいかけているのが印象的であった。こどもにとっては檻の動物よりふれあいのできるなんでもない動物に興味をそそられるようであった。しかし生きたどうぶつたちに歓声をあげるちいさな子供たちをみて、おおきくなってパソコンのなかで死んでもいきかえるバーチャルな動物とあそぶようにいつまでもなってほしくないとおもってしまう。
デジタルな 時代を生きる 子供達 学んでほしい 自然の気持ち
行程 伏見稲荷→徒歩→芬陀院(雪舟寺)→JR東福寺駅
同行 なし
1の峰末広大神から3分ぐらいおりたあたりに春繁大神(春繁さん)がまつられている。十数年まえここを通ったときすれちがいのみしらぬおかたが歯の神様だとおっしゃっていたので単純にそれを信じて、歯の神様としていままで手をあわせてきている。よく御神体の岩をみると歯のようにもみえる。ここの前には稲荷で一番高所の井戸がある。それはいまだに使用されているもようである。今回は久しぶりにお一日(おついたち)参りをおこなった。日曜日とちがって、おついたちは信心されているかたの「おやま」が主流でおちついた雰囲気をもっている。季節がきびしいのと一人なのでおまいりのあとの京散策もあまりむりしないようにすぐそばで、徒歩にていける東福寺の塔頭の「芬陀院」別名雪舟寺にいくことを大阪からきめていた。自分自信はじめておとずれたつもりであったが拝観料をはらってパンフレットをいただいたとき、やっと2度目であることにきがついた。稲荷から近いので40歳そこそこのとき来ていたらしい。それにしても十数年パンフレットをかえていないのもめずらしいかもしれない。
雪舟寺は皇室にゆかりの深い寺で一室には明治天皇と皇太后の御影がかざられている。ここで有名なのは雪舟禅師の作とつたえられる京都最古とされる枯山水庭でそこには雪舟作の亀石があるがこれはあまりにすばらしい出来でで夜な夜な命をえてうごきまわって住職をこまらせたらしい。この石はいまはその作者雪舟によって住職の要請で動かないようにされている。特筆されるのは部屋から丸い窓と半開きの障子越しに見える雪舟の「東庭」。これは雪舟が意図したかどうかわからないが、庭の緑と障子の白、そのまわりにひろがる黒い闇と色彩の美しさに見る人の気持ちをつかんではなさない魅力をかんじる。
ねずみの絵 涙と足で 描かれし 雪舟禅師と ともに座らん
行程 伏見稲荷→京阪五条→若宮八幡宮→大谷本廟→茶わん坂→京阪五条
同行 なし
稲荷山を頂上までのぼり、ぐるっと1周すると約1時間すこしかかるがこの間にかぞえきれないぐらいの祠と鳥居がある。私は人がここをあるくと悪霊払いつまり除霊ができると思っている。稲荷山だけではなく大峰山や高野山さらに比叡山などいわゆる修験道のおやまはすべてその力がそなわっているようにおもう。私も若いころ大峰山の行を経験したがまさに六根清浄 懺悔懺悔(ろっこんしょうじょうざんげざんげ)ととなえて夜中の12時から明け方まで行場をまわった。さて写真の祠は先月の春繁さんからものの1分下ったところに御祀りされてある「御剱社」(みつるぎしゃ)である。ここは名前がしめすように鉄に関係した人々に広く信仰されているようである。私もここでは材木を切る鋸で怪我などしないようにお願いしている。金属からカネというイメージがあるのかどうかここは別名「長者社」ともいわれている。
9月になってもまだまだ暑くおやまをするとまさに酷暑である。稲荷山は蝉の種類がおおく今年も盛夏のミンミンゼミと初秋のツクツクボウシが一緒になかよくないていた。世界陸上の女子マラソンをテレビでのんびりみていて大阪をかなりおそくでてきたので今日は清水近辺をすこしだけあるくのにとどまった。京阪五条から国道1号線ぞいにあるくと『ここから五条坂』と書いた看板がある。そこからすこしいったところに若宮八幡宮という神社がひっそり鎮座されている。なにげなく通り過ぎてしまいそうだが駅から清水寺まで歩くのであれば是非たちよることをあすすめする。ここにはまた「縁結びの木」があるのである。別々に生えた木が途中でひとつになっている。参拝者がほとんどいなくて神様のおぼえがいいかもしれないのでたとえ片思いでもお願いすればいいとおもう。その木の横には天皇の植えられた木やおおきなクスノキの御神木もある。さらにおもしろいのは本殿の左前に「蓬来の奇石」といわれる亀のような石がその由来とともにおかれている。奇妙な石をただ(本殿にさい銭ぐらいはあげましょう)でじっくりみることができるのは得をした気分になれる。写真は「蓬来の奇石」と「縁結びの木」。
片想い 願う心の 清らかさ 潮時知るも 男なりけり
行程 伏見稲荷→JR稲荷→JR京都→東本願寺→風俗博物館→西本願寺→JR京都
同行 なし
10月にはいったがまず下のほうではツクツクボウシにむかえられた、さらにいつもおどろくことであるがおやま深くはいったあたりでまだミンミンゼミががんばっていた。しかしその声は盛夏の時とくらべれば3割ていどのもので寒くなってもまだ彼女をもとめている蝉の姿に今年もまた、いとおしさをおぼえる。
先月紹介した御剱社から急な石段を1分ぐらい下ったところに薬力社がある。その神々の中に「おせき大神」がいらっしゃる。ここは親しくおせきさんとよばれ数多くの参拝者に広く信心されている。おおくの参拝客があるにはそれだけのわけがある。この「おせきさん」はとくに胸の病や咳の出る病にすごく霊験あらたかで、参拝者のお礼の手紙がたえることがないのである。
さて今月は日曜でもお一日(おついたち)でもなかったので稲荷も参拝者はまばらで時を選ばない外人さんの姿がやたらめだっていた。
今月ものんびり一人旅であるため、京都駅周辺をすこし散策。うちの宗派は西本願寺であるが、もともと本願寺は西も東もなく同じ門徒。東から西にあるいてみることにする。どちらもいま大工事中でその荘厳な姿の半分しかみることはできないが、こういう工事中もなかなかないきかいなのでこれまたいいかもしれない。
東から西にあるく途中西本願寺のななめ向かいに風俗博物館というのがある。現在風俗という言葉は性風俗をさすことがおおいがこの博物館のばあいの風俗というと平安時代の源氏物語にでてくる貴族の生活をさしている。はいってみるまでわからないが<平安風俗博物館>となづけたほうがよりしんせつかもしれない。内容はじっくりみればおもしろいかもしれないが興味がうすいと2部屋だけなのですぐ見終わってしまって拝観料400円は割高かもしれない。平安貴族は四季に応じた色合いで衣の重ね着をたのしんだもようであるが、いくら生地に工夫したとはいえさぞ暑かったのではなかろうか。貴族の女性が暑い暑いといって寝間着姿ですごしていたこともあったかどうかしりたい。
陰謀の 渦巻く社会に身をおきて みやびなすがた いかにとどめん
行程 伏見稲荷→昼食祢ざめ屋→JR稲荷→JR宇治→宇治橋通商店街→平等院参道→中の島→宇治神社→宇治上神社→源氏物語ミュージアム→東屋観音石像→京阪宇治
同行 寺崎氏 新田氏
今日はかなりまえから男3人旅の予定ができており、御一緒して下さる方のためにもお天気が晴れることをいのっていたが、幸いにもこれほどはのぞむべくもないくらい心地よい秋晴れにめぐまれた。今回はかなり久しぶりに新田氏が御同行され、これでもおどろきであるのに、最初の写真のむかって右にうつっておられる寺崎氏がはじめて御同行くださった。氏は稲荷は2回目であるらしいが頂上の一の峰までははじめてでたのしみにしておられた。今日はせっかくの秋晴れのよき季節であるので、おもに歩くことを中心に考えていたが、たまたま宇治で無料スタンプラリーをやっていることを知りそれに乗っかることにした。JR宇治駅前の観光案内所にてスタンプ帳と宇治イラストマップをいただいていざ出発、コースは約1時間半をようする源氏物語の宇治十帖にゆかりの場所をあつめた基本コースとそのコースをふくめ宇治全体の名所をくわえた4時間半の健脚コースの2種類あったが、われわれはかなりおそくからの出発であったので、おせるところだけでいいという乗りではじめて結局スタンプ6個おすことができた。すこしのあいだではあったが普段接することのない源氏物語にほんのすこしでもその世界にしたしめたのはほんとうに有意義であった。イラストマップとスタンプ帳をもっておとなも子供も無邪気にポイントをさがしているすがたははたからみていてもほのぼのとしたあたたかさをかんじた。さらに世界文化遺産に登録された宇治上神社ではわれわれ3人のためにボランティアの案内ガイドの年配の男性が丁寧に解説してくださりきてよかったと感じるひとときであった。
大君(おおいきみ) 面影うつす 浮舟の 恋ぞかなしき 宇治川の秋
行程 伏見稲荷→稲荷山越え徒歩→カフェレストラン再会(昼食)→徒歩→山科横断→牛尾観音(法厳寺)→大津市追分→京阪追分駅
同行 木村氏
今回はいままでの伏見参りしてからの京都歩きのなかではもっとも長い距離をあるいたのではなかろうか。10時に京阪伏見駅をおり立ってから夕方5時まで食事をふくめ1時間ぐらいをのぞいて乗り物にのらずあるきっぱなし。それも平地ばかりではなく稲荷山頂上と音羽山中腹にのぼってのことである。写真はちょうど稲荷山から山科におりて食事をしたあと音羽山にむかって山科の町を横断しているところである。今日はそもそも紅葉の穴場を見に行こうということであったが私が巡拝している通称寺のうちに牛尾観音があったのでそこにいくことにきめた。いってみると最寄りのバス停から1時間かかるとかいてあったとおり、タフな道程であった。しかし音羽川沿いの道は途中 弘法大師おすわりの岩や経岩,音羽の滝,夫婦和合の滝などつぎつぎに景色があらわれ単調な思いをせずにすんだ。こういう山岳寺院には下からあるいてのぼることが到着したときのよろこびが数倍にのぼり行程そのものが参拝の一部であるととらえられる。牛尾観音では本堂の修理中の音がしていていままでの静寂と相対して不快ではないが俗世を感じ少し安心感をおぼえたのは自分でも不思議であった。お掃除中の少しこわそうなおじさんに声をかけたところその方はここの御住職であられ、今年のもみじは色がもうひとつであるとおっしゃっていた。
我が足で 歩き来れり 諸人に よろこびあたゆる 牛尾観音
前出写真の御住職(まちがいでなければ田中祥雲師)があがってお茶を飲んでいってくださいといってくだされ、寺務所にあげていただいてコーヒーをごちそうになった。そのおりここのいわれなど詳しくおうかがいした。ひとつだけのべておくとここは清水寺の基となった寺院で清水寺の奥の院といわれている
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