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行程 伏見稲荷→京阪三条→地下鉄東山三条→京都国立近代美術館
同行 なし
朝からあいにくの雨模様で、おまけにこの日から気温が下がって、京都歩きにはあまり良い状況ではなかった。今日もひとりのよていであったためさむいこともあって朝ゆっくり出発しあまりうろうろしないときめていた。
ここで一句 寒い日は 暖房もとめて 美術館
以前 「暑い日は うろうろせずに 博物館」 とひねってみましたがそれにかけてます。
京都国立近代美術館はいままでおとずれたことがなかったので、一度いってみることにしたが たまたま先々月のルーブル美術の作品にすこしは影響をうけたであろう日本の油彩画家 須田国太郎の24年ぶりの展覧会にめぐりあえた。絵を鑑賞しての私の感想はえらそうに言わしていただくとよくわからなかった。簡単にいうと目の前の素材をいったんかれのなかでかみかみして中途半端にはきだしたようなかんじであった。つまり写実主義でもなく完全な印象派でもないといったふうで、わるくいえば、へたともいえるが、良く解釈すれば彼独自の感性の画風を確立しているともいえる。今日はこれぐらいで帰途についた。
絵を見ても 作者の想い 我がなかに 解釈できず もどかしきかな
行程 伏見稲荷→京阪三条(昼食 「 VIETNAM FROG」ベトナム料理)→京都バス63系統→苔寺停留所→かぐや姫竹御殿→鈴虫寺→地蔵院(竹の寺)→月讀神社→松尾大社→阪急松尾駅→阪急淡路→天下茶屋→夕食焼肉「一龍」
同行 芝坂氏
気持ちよく晴れたこの日は阪南高校後輩で材木仲間の芝坂氏がつきあってくれた。彼は稲荷で私が立ち寄るところは必ず拝んでおられるがその他のところは一切いかない。別に好きに拝めばいいのであるがおもしろいおかたである。ひさしぶりに連れがあったので、気持ちよく遠出してみようと考え、かつて大覚寺へいこうとおもって間違えてバスにのり近くまで行ってあわててタクシーでひきかえした鈴虫寺周辺にむかった。さすが三条からは遠くてバスに50分ゆられて苔寺に到着。苔寺は事前にはがきでの申し込みをおこない拝観券を取得しなければいけないしくみになっているので、なかなかいくことができない。バスをおりてすぐ前にかぐや姫竹御殿がありまずそこへ。そこは10分ぐらいで拝観を終え鈴虫寺へむかうが、事前の知識なしにいってみたが凄くラッキーであったらしい。門前で5分くらい並んでまったが、普段の休日は1時間以上まつことはざらにあるらしい。さすがに人気のあるだけあって御住職のお話はすごくおもしろくついつい鳴いている鈴虫の声がきこえなくなるほどであった。ぜひみなさんいってみてください。私はもう一度いきたい。人込みの鈴虫寺をあとにして、すぐそばの地蔵院(竹の寺)へむかったがここはほんとうにさきほどの場所に近いのかとおもわれるほど拝観者は少なく、ほとんどの時間われわれ二人きりであった。苔寺の苔は有名なのはいうまでもないがここの庭園の苔も劣らず立派であり、穴場として絶対おすすめである。写真は地蔵院の入り口であるがバックにみごとな竹の林があるのがうつっています。
鈴虫の 声に融け行く 住職の 法話とすごす 常秋の部屋
行程 伏見稲荷上ノ社→薬力社→山科への道→大石良雄氏隠れ家あとのとなり神社あと→新大石街道→花山稲荷バス停→タクシー→四宮
同行 なし
今回は天気にめぐまれたが、私自身がカゼをひいており、おまけに花粉症が加味されてすこぶる体調がわるかったため、午後3時半に娘に会うだけのためにでかけてきたので、昼からの稲荷参りとなった。いつもながら気楽な姿勢の神さん参りである。当初は稲荷より京阪三条にでて地下鉄で山科に向かう予定であったが、のんびりでてきて時間がなくなり、急遽、山越えを決意した。山へはいってみると、想像以上に荒れた道であったがそれはいいとしてひとがいないのでこんなとこでひとり怪我したらえらいことになるとおもい慎重にあるかざるをえなかった。伏見稲荷薬力社から山科までの間、一人の男性とおあいした。結果としてすれちがったのはその人だけであったが、お会いした場所が、道がすこし分岐したところであったため本音は非常にたすかった。むこうから「こんにちは」と声をかけてくださり、これから山科へいくというとこちらですと左のほうをさしてくださった。ひとりではまちがっていたかもしれない。そのかたは以前山科から東福寺へ行こうとして泉涌寺へでてしまい。今回はリベンジにきたとのこと。途中大石良雄氏が隠れ家としていたところの前を通り、となりにまつられた「神社あと」にお賽銭をおいて、山科の街にでた。
うれしきや 見知らぬ道を 行きしとき 道標となる 人ぞあらわる
行程 伏見稲荷→京阪三条→市バス12系統 建勲神社前→大徳寺塔頭(黄梅院)→大徳寺塔頭(興臨院)→今宮神社→あぶり餅「かざりや」→市バス46系統今宮神社前→阪急四条大宮
同行 なし
桜もまだまだの3分咲き。そのうえあいにくの雨であったがだんだん空も回復するという予報であったのと、冷たい雨ではなかったので、さほど気になる気候ではなかった。むしろ花粉症の私にとっては、雨によるほこりのない空気は快適であったし、休日にしては人出の少ない京都は一人旅の私にとっては幸いであった。今日は当初は公開している大徳寺4塔頭のうち唯一おとずれていない瑞峰院に行く予定であったがいってみると普段公開していない黄梅院と興臨院が春の特別公開中であったので予定変更。どちらも普段公開してないだけあって、おちついた雰囲気と清潔感がかんじられた。両院とも蓬莱山から大洋に流れ出る川を表現した枯山水庭園をもち、明日をもしれぬ戦いをくりかえしていた戦国時代のトップにたつ武将が心の平安をもとめた様がうかがえます。われわれも室町から桃山時代にかけての武家文化をすこし味わうことができるとおもいます。不満を感じたのは解説者がいてかえってじっくり座ることができる場所がないことでした。
1句 きよらかな 空気みちびく 春の雨
行程 伏見稲荷→日野家昼食→京阪三条→鴨川沿い→河合神社→糺の森→下鴨神社→半木の道→上賀茂神社→市バス46系統→四条大宮→西成花園魯山
同行 木村氏
今回は平成13年4月1日以来5年1ヶ月ぶりに木村氏がおつきあいくださった。氏は私が京都歩きをしはじめてから最も早くからおつきあいくださるようになり、十数年まえは年に何回かきてくださっていた。仕事を変わられてお休みの曜日があわなくなり、ここ数年はなかなか御一緒できなかった。今日は、拝観料を払って寺社をめぐるというより、気候も最高によい季節であるため、もっぱら、あるいて散策をすることを目的にした。京阪三条駅より加茂川沿いに下鴨神社から半木の道をぬけ上賀茂神社にかけてのみちは心地よい気温とさわやかな加茂川の流れからくるそよ風とがあわさり、かけねなしで気持ちよいものであった。写真の上賀茂神社では紅枝垂の「斎王桜」がこの時期でもまだなごりの花をつけていてその息のながさにはおどろかされた。
一首
やわらかな 日ざしとともに ゆく道に そよ風くわわる 幸せの時
行程 伏見稲荷→J伏見→JR京都→東本願寺→渉成園(枳穀邸)→文子天満宮→JR京都
同行 なし
京歩きを始めて20年弱、洛中ど真ん中にありながら、まだ1度も行ったことがなかった渉成園 通称「枳穀邸」にいってみた。ここは以前は拝観しようとおもえばまずその歩いて3分のところにある真宗大谷派総本山「東本願寺」の参拝所にて許可を得る必要があった。私はいまでもそうだとおもいまず東本願寺へ伺ったがもう直接いってもよいと受付のお坊さんにいわれた。このお坊さんはおそらく末寺の跡取り娘さんであろう綺麗な若いお嬢さんであった。この枳穀邸はもっとはやくきていればよかったとおもうはど、広大で美しく心洗える時間を過ごせるすばらしい場所であった。京の玄関口からとても歩いて10分とはおもえない別世界に私をみちびいてくれた。疲れたとき ふと雑踏からすぐ近くにあるこの場所にきて自分をみつめなおしてみてはいかがであろう。園は池あり川あり橋あり小庵ありとバラエティにとみ多くの植物にもその名がわかるように配慮されている、園の小川では3羽の鴨がさかんになにかをあさってたべておりこちらが1メートルぐらいにちかずいてもまったく意にかえさないと言った感じで、すごく親しみをかんじた。すぐそばから写真を撮ったのでのせてみます。ここでの残念なことはどの建物にも立ち入ることができないようになっていることと、座る場所(ベンチなど)がなく、その点、ひとつところにとどまりにくいしくみになっており、歩きつかれてここにくると、さらに疲れる可能性もある。なお入園料は決まってなく志。
1句 鴨遊ぶ 都会の園に 初夏の風
行程 阪急梅田→長岡天神駅→開田城土塁→八条ヶ池→長岡天満宮→乙訓寺→阪急バス20系統→光明寺→昼食光明寺門前手打うどん→西山公園グリーンハウス→長法寺→長岡京市埋蔵文化財センター→阪急バス→JR長岡京駅→勝竜寺城公園→勝龍寺→神足神社→JR長岡京駅→JR大阪駅→土佐料理「司」
同行 新田氏
久しぶりに新田氏と京都をあるくことになった。伏見稲荷は今月は一日に私ひとりで詣ってきたので、どこへいくかは決めずに阪急電車に乗り込んだ。協議の結果西山方面に決定。長岡天神駅でおりたところ、駅前観光案内所に左のようにスタンプラリーをやっていた。気の向くままの旅なので今回はこれにのっかることにした。ここに書かれている場所のうち7ケ所まわると確認印をもらえて、商品の抽選に参加できるというのでとりあえず7ケ所を目標に出発。日曜日ではあるが、京中心からはなれているせいで、観光客はそれぞれの場所でほとんどみかけず、男ふたりほんとうにのんびりあるくことができた。今回はどこをどうみるというより先月同様のんびり歩くことに意義をかんじた。訪れたところはいずれも大型観光名所ではないのでいずれも地味ではあったが、がっかりすることはなかった。特に光明寺は青々としたもみじのトンネルが長く続きさぞかし秋は美しいであろうと想像された。西山公園グリーンハウスは中で自由に本が読め外では子供が水遊びしたり芝生のうえで弁当をひろげることができるなど小さい子供をお持ちの御家族は是非一度いってみることをおすすめします。
写真は光明寺での新田氏 と西山グリーンハウス
1首
スタンプを 求めて歩く 西の京 今思い出す 遠足気分
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行程 伏見稲荷→昼食稲荷参集殿→JR京都→京都駅ビル→急行バス→清水坂バス停→二年坂→庚申堂→竹久夢二屋敷跡→高台寺→石塀小路→八坂神社→目疾地蔵→京阪四条→京橋庄屋どん
同行 林氏
今日もほんとうにラッキーであった。京阪電車に乗っている時これ以上ないような吹き降りで今回の京都歩きはどうなるかとおもったが、伏見におりた時はほとんど雨はあがっていた。これ以降夕方の4時ぐらいに通り雨にみまわれるまで、太陽が照りつけ快晴。おかげでもっていった傘をバスにわすれてしまった。当初は嵯峨野方面を予定していたが同行の林氏が京都駅ビルを御存じなかったので見学でうろうろしているうち時間を費やし近場に変更した。ねねの高台寺は私は2回目であったが、前回は一人であったため、今回の二人のときはまた違った印象をおぼえた。拝観スポットは何ケ所かありそれぞれにミニ解説をするかわいい女の子がいてなかなか好い印象。たびたびの火災をまぬがれたおおくの重要文化財は桃山当時そのままで、まして霊屋(みたまや)とよばれる秀吉とねねをお祀りしている建物の地下にはいまも『北政所』が埋葬されていると聞き400年の時の流れが一気になくなったようなふしぎな感覚をおぼえた。ここで通り雨にあったが天然の打ち水をしてくれたあとすぐに止み、その後歩いた石塀小路の石畳をその打ち水がなんともいえない風情を演出していた。天下をとった秀吉の妻であり秀吉なきあとも力強く生き抜いたねね。彼女が夫の菩提をとむらいながら余生をおくった場所は洛中を遠くに離れた場所ではなく、加茂川すぐちかくおまけに祇園のとなりという、おそらく当時でもはなやかであったろうところにつくられたのは彼女の性格を想像するにまことに興味深いものがある。
1首
はなやかな 祇園ちかくに 居をかもう 負け犬ぎらいの 女の生きざま
行程 伏見稲荷→京阪四条→八坂神社→石塀小路→霊山観音→維新の道→霊山護国神社→護国神社墓域→安井金比羅宮→祇園→京阪四条
同行 なし
猛暑と覚悟して大阪をでてきたせいか、気温38度というほどには暑さをかんじなかった。これは体がなれてしまったことと、おそらく湿度がひくかったせいかもしれない。そうは言っても昼にはいったうどん屋さんで客が私ひとりだったので汗でずぶぬれのTシャツを席で着替えさせていただいた。さて、今日ははからずも一人旅になってしまったので、遠出する気になれず先月歩いた近くを確認するようにあるいてみることにした。高台寺からすこしはなれたところに山門があれはてて残っており今はじめて『ねねの寺』が当時はすごくおおきな境内を有していたことに気付きあらためてその力におどろかされた。今日来た霊山観音ももともとは高台寺のなかにつくられたとのことであった。霊山観音さまの体のなかにはいらせていただいたあと、以前15年ぐらいまえにそのときもひとりおとずれた明治維新の志士たちが眠る霊山護国神社の墓域にむかった。そこには維新の志士たちをふくむ1356名の御霊がねむっておられる。今日はそのなかで、坂本竜馬、中岡慎太郎、桂小五郎、幾松、高杉晋作、吉村寅太郎 各氏のお墓に手をあわせてきた。印象的であったのは坂本竜馬、中岡慎太郎、、高杉晋作、吉村寅太郎 かたがたの墓がみな同じように小さなのであるにくらべ桂小五郎(のちの木戸孝允)、芸者幾松(のちの木戸孝允の妻)、の墓は墓域 墓石 ともに数段立派であったことである。やはり志半ばでたおれたものと維新を達成し成功したものとの差はおおきなものであったが、現在の人気は墓の大きさと反対であるのがおもしろいところである。海外列強の侵略の危機のなかで真剣に命をかけてこの国の将来のために戦った人たちの前にたってあらためて彼等の思いを想像するにつけ現在の日本を今生きているものがちゃんと操縦していかなけれがならないと感じた。
こころざし 半ば倒れし 志士達に いまの日本 いかにうつらん
行程 伏見稲荷→出町柳→叡山電車八瀬比叡山口駅→昼食「わらび亭」→叡山ケーブル→叡山ロープウェイ→比叡山頂→徒歩→山王院堂→浄土院→阿弥陀堂→戒壇院→大講堂→根本中堂→比叡山坂本ケーブル延暦寺駅→ケーブル坂本駅→江若交通バス→JR坂本
同行 林氏
先々月におつきあいくださった林氏が御同行くださった。私は比叡山は4回目であるが叡山は広いので半日ではすべてまわることはできないので、前回とはちがったコースであるが、一度歩いたコースでもある。お天気は申し分なく、ロープウエイをおりてから山王院堂までの山道は人かげもまばらで写真の場所からは大原の里が眼下にくっきり見通せ、みわたすかぎり山また山ですがすがしい壮大な気分があじわえた。各お堂ではわれらのように歩くものと車で移動するひとがあわさりにぎわいをみせていたが、夕方で売店も店じまいをはじめており、ケーブルの終電もけっこうはやく、なにかときぜわしさをおぼえた。
あらためて 山国日本 おもいしる 京に鬼門の 比叡の山みち
行程 伏見稲荷→出町柳→叡山電鉄一乗寺→昼食ラーメン→一乗寺下り松(武蔵決闘の地)→詩仙堂→八大神社→蔓殊院門跡→叡山電鉄一乗寺→京阪淀屋橋
同行 芝坂氏
今日は同行の芝坂氏が大阪の住吉大社におついたちのお参りに朝早くいかれたので、大阪を1時間おくれの10時に出発。お天気もあいにくの雨であったが、今年の4月の雨とほとんど同じようで量はすくなくおまけにあまり冷たい雨ではなかったので、京都歩きにはかえって情緒を増幅させる効果があり、あるいていてもなかなかここちよいものであった。今回の白川通り沿いにかんしてはもうかなりの数あるいたようにおもうが、芝坂氏がほとんど御存じなかったこともあり、定番のコースをあるいてみた。詩仙堂はもう3回目であるが、たしかに庭はなかなかのものとみとめるが、建物じたいたいしたものではないので、なぜこのように人気があるのかわからない。ただ私の勉強不足によるひとりよがりかもしれないが。そのあとおとずれた蔓殊院はそれにくらべてさすが門跡寺院だけあって、詩仙堂にくらべられないほど立派で建物自体みるべきところがおおく大変満足できるものであった。そのうえ今回は70歳ぐらいの男性がたばかりの団体客といっしょになったことではからずもそこについておられるお坊さんの解説を聞くことができたのはラッキーであった。観光客が詩仙堂にいってもそのうえにある八大神社はたちよる人がすくないようであるがここには宮本武蔵と吉岡一門の決闘をじかにみた松の木がそのままガラスケース越しにおがむことができるのでぜひお参りしていただくことをおすすめする。
室町の 決闘みつめし 松の木に 武蔵のすがた 想い浮かべん
行程 伏見稲荷→京阪出町柳→叡電修学院→北山通り→白雲稲荷神社→松ヶ崎大黒天(妙円寺)→叡電修学院→出町柳
同行 なし
伏見稲荷大社の本社から5分くらい歩いたところに奥社がある。その拝殿の右に『おもかる石』というのがある。これは灯ろうのてっぺんにある石を願いごとをしてからもちあげるとその人がおもったより軽く感じたら願いがかなうというものである。私もときどきもちあげてみる。その結果は内緒にしている。
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一句
重い石 軽い軽いと 独り言
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今日はゆっくり大阪をでてきたので、あまり時間のよゆうがなかったので、通称寺のひとつ「松ヶ崎 大黒天」だけいってみた。ここは北山通りの東の端を北へ少しはいったところにある北山通りからは「五山の送り火」でゆうめいな「妙法」の法の字がえがかれているのでそれを目標にすれば大黒天の看板が目にはいってくる。この大黒天は伝教大師作と伝えられ、開運招福の福神で都七福神としてひろく京都人にしられている。しかしいつもおもうことであるが京都のなかでも北山通りは新しい道だけあって、ここは独特のセンスとおちついた若さがかんじられ、私は大好きな道である。
1首
田舎より 都会にかわる北山を 千年ながめる 京の大黒
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