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行程 伏見稲荷→JR稲荷→JR京都→JRバス高雄→神護寺→硯石亭→栂の尾→JRバス臨時便→四条大宮→阪急十三
同行 小松原氏 窪野さん 浅成さん 日高さん
今回は以前一度御参加の日高さん68歳が二度目のおめみえ。平地では紅葉がまだはやいみたいなので、周山街道にいってみることにする バスで1時間かかるところであり、昼からでは帰りの時間のこともあり 一ケ所いくのがやっとといったところ。さすが神護寺、紅葉は今の時期としては立派であった。もちろんみんなで有名なかわらけ投げにも挑戦しました。しかしながら 車社会の観光客にとっては、密教寺院の参道のながさはかなりこたえるらしくお年寄りのなかには途中まできて引き返す方もおられました。
緑なす 北山杉の ふるさとに ひときわ映ゆる 紅の木々
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行程 伏見稲荷→JR稲荷→JR京都→市バス206系統千本中立売→京都子供文化会館エンゼルハウス(京都府立大学合唱団定期演奏会)→市バス51系統上七軒→四条河原町→阪急十三
同行 林氏 岩寺氏(稲荷のみ)
今日からお天気は回復したが 気温は急激に低くなり、こよみどおりの冬の空。稲荷山頂までは登りで30分かかるので、このぐらいが丁度よいかなとおもったが、それでも上までのあいだにはジャンパーをぬがねばならなかった。今回も昨年の同時期とおなじくうちの子のクラブの定演を観賞することになり同行の林氏にもおつきあいをおねがいした。岩寺氏は残念ながらご用があるとのことで稲荷門前の祢ざめ屋にて昼食のあとおかえりになった。うちの子をはじめ6名の団員が4回生であるため今回が最後の定期演奏会であるもようで第3ステージでは胸に紅い花をつけての演奏であったが、1回生から観に行っている私はいつもよりさびしいおもいをかんじて聞かしていただいた。
はじめあり 旅立ちありの 人生を バラの赤さが 寂しさつのらす
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行程 伏見稲荷→京阪伏見桃山→御香宮神社(薩摩藩屯所跡)→大黒寺(寺田屋騒動9烈士の墓)→玄忠寺→紀州藩邸跡(現月桂冠昭和庫)→材木小屋跡(坂本竜馬遭難小屋跡)→伏見三十石舟入の跡→寺田屋→東本願寺伏見別院(幕府と薩摩の交渉場)→伏見奉行跡(新撰組布陣)→魚三楼(砲弾キズ跡)→京阪伏見桃山駅→京橋
同行 新田氏 芝坂氏
昨日大阪知事選不在者投票を済まし今日は一日中京都。今回はNHKによって新撰組のブームがおこっていることもあり、幕末から鳥羽伏見の戦いの痕跡をめぐってみることに決定。今日唯一拝観料がかかったのは寺田屋であった。ここはそのときは坂本竜馬師の定宿であり有名な寺田屋騒動の舞台となったところでもある。今でも幕末の争乱のなまなましさがそのまま保存され、さらにおどろきは現在でも一般人が宿泊できることであった。ちなみに一泊朝食付きで7000円です。しかし9名もの烈士が切り殺されたところに宿泊するのは少し勇気がいるとおもいます。
権力に 犠牲となりし 九名の しるし受け継ぐ 柱の傷跡
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写真は御香宮神社にて
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行程 伏見稲荷→鳥羽街道→出町柳→市バス203系統北野天満宮前バス停→千本えんま堂(引接寺)→平野神社→市バス北野白梅町102系統→出町柳
同行 なし
今日は平日であり、ひとりだったこともあり、何度も行っておりながら入ったことのない北野天満宮の梅林にいきのんびり梅を観賞しようと考え 同時にそのそばにあるだろうと考えていた通称寺巡拝の千本えんま堂にも向かう。梅林を後回しにしてまず千本えんま堂をめざすが、道ばたの地図でバスをおりるのが1駅まちがっていたことに気付く。本当は203系統であれば千本今出川がベストであった。千本えんま堂は小さいながらも売店は充実しており境内自由ながら重文の紫式部供養塔もあり、おとずれてみて無駄にかんじることはない。そのあと住宅街を適当に歩いていたら、たまたま平野神社の正面にでた。いつもバスから見ている平野神社の鳥居は裏口であったことが判明。平野神社では御神木の楠木は一部枝をおとされて残念ではあるが大変りっぱなものであった。有名な桜苑にはいってみたがその規模から、花をつけた様はさぞかしすばらしいものであろうと想像できた。今日はこれまでで時間を費やし結局梅林にはいけなかった。写真は紫式部供養塔前
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いまはまだ 見上げる人の なき枝に まだ幾日かの 安息のとき
行程 伏見稲荷→出町柳→河合神社→糺の森→下鴨神社→半木の道(なからぎのみち)→上賀茂神社→市バス9系統→堀川四条(夕食)→阪急梅田
同行 林氏 松元氏 浅成さん
朝からあいにくの雨であったが、去年同時期に松尾神社方面にいったとき天気がよすぎて、渋滞でバスがうごかなかったことをふまえて、かえって雨のほうが人出がすくなくよいのではないかとおもって出発したが、結果はそのとおりであった。しかし期待していった半木の道は桜の木の根付きが悪く、花の勢いもみられずしょぼくれた桜がめだったのが残念といえば残念。それでも加茂川沿いの散策はいろいろな花に彩られ、雨で芝生にすわれなかったことをのぞいては気持ちのあらわれるすばらしいものであった。なお今回テニス仲間の松元氏がはじめて参加されました。
写真は伏見稲荷
お花見の 宴会こばむ 空模様 散策人(さんさくびと)には 雨もまたよし
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行程 伏見稲荷→東福寺→同聚院→泉涌寺→来迎院→喫茶エリゼ(京都パークホテル)→京阪七条→京阪四条→阪急四条河原町→十三
同行 浅成さん 窪野さん 日高さん 和久さん
午前中は汗ばむ快晴にめぐまれたが3時頃からは寒さを感じるくらいの気温の変化の中70歳から30歳までの女性4人のお供をしての旅。特に和久さんは来月出産予定にもかかわらずほんとうにがんばって歩かれたのにはただただ感服。今回はGWのため稲荷から遠くなると移動が大変になると予想し、稲荷から直接歩いていけるところにした。結果的にこれは正解で、GWの雑踏を感じることはまったくなくのんびりあるくことができた。いやそれ以上に人が少なく寂しく感じるほどであった。東福寺は私はもういままで3度きているが、通天橋からみる名物のもみじやその他の動植物が季節によりいろいろな顔をみせてくれて、飽きることはなかった。とくにもみじの青青としげれるさまと上手なうぐいすの鳴き声がくわわり人出のすくなさとあいまって、いちばんよい気候を満喫することができた。
くれないの 景色に変わる 秋を待つ 眼下にひろがる もみじ葉の海
写真は東福寺山門
御報告 出産予定だった和久さんがその後 元気な男の子をご出産されました。
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行程 伏見稲荷→京阪出町柳→叡山電鉄鞍馬→送迎バス→鞍馬温泉→徒歩鞍馬駅→京阪京橋
同行 新田氏 小松原氏
今日は天気予報が雨で、おまけに朝のうちかなりふっていたこともあり、淀屋橋でも稲荷でも人陰はまばらと言った表現があてはまるほどの日曜にもかかわらず人出がすくなかった。今回はとくに行き先はきめていなかったが私は京都文化博物館での「ザ新撰組」が5日より行われていることを知り行こうと提案したが入場料1100円ということで同行の二人に却下されてしまった。その後小松原氏が鞍馬にいったことがないとのことでとりあえず鞍馬温泉につかってかんがえることにしたが結局それで終わってしまった。わたしは鞍馬温泉は二回目であり、まえは新田さんとふたりだけの入浴であったため露天風呂で裸のまま写真撮影をした、しかし今回は10人以上の入浴客がおり、写真撮影は断念せざるをえなかった。入浴客のなかにドイツ人らしき人が4人おられ、私は白人と同じ湯槽につかったのははじめてであったので、場所が歴史ある京の奥座敷であることもふまえて、なんともいえない感動を覚えた。
国をこえ 裸になりし 露天風呂 平和の石杖 世界にひろめん
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行程 伏見稲荷→稲荷参集殿(食)→京阪三条→京都文化博物館
同行 なし
新田氏が同行してくれるということであったが、淀屋橋で30分まってもこず、しかたなくひとり旅となった。稲荷の途中で彼から電話がはいり、完全にわすれていたとのこと。彼と一緒の場合いろいろプランを考えていたが、ひとりだと、しゃべらないのでおのずとペースが早くなるのでいつも結構疲れることが多い。それで急遽、暑いし先月却下された新撰組展にいくことにする。入場料1100円 解説テープ500円にて拝観したが、今のブームを反映し、さらに日曜であることもかさなりかなりの混雑、つまり順路どおり並んでみていくと、ゆっくりのんびり解説を読む人のペースにあわせなければならないのでほとんどすすまず、そうかといって列をはなれてひとの肩ごしにみようとするとまず満足いくほどみえない。時間だけがながれ、疲れは倍増といったところである。しかし人より500円多くはらい解説テープを借りたのでこれは正解であった。だが、いまごろの新撰組ブームをみるにつけ我々の子供の頃とは全くちがったとらえかたであるのにはおどろかされる。昔はとにかく正義の味方は勤皇の志士を助ける架空の人物「鞍馬天狗」であり新撰組は無頼の悪役であった。いつのまにか恐い近藤勇がスマップのかっこよさをみにつけている。われわれの年代は複雑なおもいではないだろうか。この京都文化博物館へは今回で4回目であるが、いつも中にある阿蘭陀(オランダ)という喫茶店にいく。コーヒー600円と少々高いが、もう還暦をすぎたマスターと70歳をこえているであろうウェイターの雰囲気がまことに、情緒があり好きである。もちろんコーヒーの味は超一流だと思う。この喫茶店はこの博物館に入場料をはらってからでないとはいれないのでコーヒーがおいしいのにいつも空いている。休憩したあと常設展示をみようかともおもったが、気力がついていかなかった。
表に出ると天国から地獄の暑さであった
簡単に 善と悪とが 入れ替わる テレビ時代の 勝てば官軍
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行程 伏見稲荷→京阪三条→《京都バス60系》嵯峨釈迦堂前→清涼寺(嵯峨釈迦堂)→徒歩→天竜寺→嵐山渡月橋→阪急嵐山→十三
同行 新田氏 浅成さん
東から西に進んできた台風の常識を無視した10号が中国地方をぬけたあたりでまだその影響がのこっていてお天気は不安定であった。このときも清涼寺にて結構はげしい雨にみまわれたが、堂内拝観中であったり、境内にある料理屋でめずらしい豆腐アイスをいただいている最中であったりして、まともに雨にあわなかったのは幸いであった。清涼寺は嵯峨野にあっても人陰はまばらで、その後おとずれた天龍寺とはさほど距離がはなれていないにもかかわらず、都会と田舎ほどの感覚の違いをおぼえた。天龍寺はなかなかみどころが多く、借景をとりいれた庭園もすばらしく整備されていて、人気があるのもうなずけるという印象であった。しかし、今日は日曜日にもかかわらず、どこも人出は少なく、台風と真夏というのが影響したのであろうか。先の清涼寺は光源氏のモデルともいわれた嵯峨天皇第12王子源融公の別荘があったところであり、その別荘が現在阿弥陀堂にかわっている、そのためここには源融公の墓もある。さらに大阪城より出土した豊臣秀頼公の首をおさめた首塚もあり、訪れた際にはぜひ手をあわせていっていただきたいものである。
洛中を わずかはなれし 嵯峨の地に いまだただよう 男のロマン
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行程 伏見稲荷→京阪四条→徒歩→三条イタリアンレストラン トラットリアラ・ボッテ(昼食)→東山三条→青蓮院
同行 なし
今回は二人が同行してくれる予定であったが、直前にお体の調子をくずされ、他の人をさそうまもなく、しかたなく一人旅となった。最初はまだいったことのない、仁和寺へいこうかと考えていたが、バスに乗るのがおっくうになり、京阪沿線にあり10数年前にいったことのある、青蓮院をめざす。途中、すこしかっこいいイタリアンレストランにてコース料理をいただいた。稲荷では以前もそうであったとかいたことがあるが、真夏に多いミンミンゼミと晩夏にあらわれるツクツクボウシが同時にハーモニーを奏でており、毎回感動をおぼえる。青蓮院は入口の駐車場の横にある天然記念物のクスノキがことばではいいあらわせないくらいの立派さである。しかし、展示物はすくなく、庭がある程度定評があるというていどの、ところであり、少々ものたりなさを感じたが、のんびり落ち着いて庭をみながら友人や恋人どうしで語り合うにはむいているかもしれない。
稲荷山 こよみは秋に うつれども いく夏惜しむ せみ時雨かな
行程 伏見稲荷→京阪三条→先斗町歌舞練場前お好み焼き昼食→(市バス59系統)御室仁和寺(庭園と霊宝館)→(市バス59系統)河原町今出川→京阪出町柳
→JR天王寺→ちゃんこ「たちばな部屋」
同行 芝坂氏
すこし肌寒さを感じる曇り空のなか、材木屋仲間の芝坂氏が今年2月に新撰組の足跡をあるいていらいの10ヶ月ぶりにおつきあいくださった。当初の予定では仁和寺から妙心寺まで足をのばすよていであったが、お庭と霊宝館それぞれ別に500円づつ払ってゆっくりみていると妙心寺に行く時間がなくなってしまった。この仁和寺はおなじような広さの寺院のなかでも現代をおもわせるような建物やかんばんが少なく、時代劇のロケ地によくなるという話しにもうなずけるところである。霊宝館では坊主がひとりようもないようにみえるのにうろうろしており、いかにも監視しているという感じで不快であった。この旅でひとつおもしろいことがあった。仁和寺の表門あたりで、私と芝坂氏がいっしょに写真をとろうということになり、若い女性にシャッターをおしていただこうとおもい『写真をとっていただけませんか』とおねがいしたところ、私のとなりにならんでくださり、ポーズをとられた。私たちは勘違いだとわかったが、そのままひとりづつ、彼女とならんで写真におさまった。彼女はそのあとすぐ日本人ではないんですとこちらが聞いてないのに、いわれた。フィリピン系中国人とのこと。私はすこしはなれてボサっとたちすくんでいる彼女の彼に気づいて、そうそうに礼をいってはなれたが、芝坂氏は最後まで彼の存在に気付かなかったといっていた。結局 芝坂氏と私、ふたりならんでは表門では撮れなかった。また現像ができたら彼女の顔は隠してその写真をアップするつもりです。
やさしさに あふるるきもち つたわりて まちがいただす ことぞかなわず


フィルムで撮った写真ができました。そのやさしい中国人女性です。
顔はすこしぼやけさせましたが、清楚できれいな人でした。
行程 伏見稲荷→京阪三条→地下鉄東西線醍醐駅→徒歩→醍醐寺庭園→醍醐寺伽藍→地下鉄東西線→地下鉄烏丸線→阪急烏丸→十三
同行 小松原氏 新田氏 浅成さん 窪野さん 日高さん 鄭さん(新田夫人)
今回は写真のように総勢7名。私は前日からかぜぎみであったが、皆様私のおつきあいをしてくださるのであるからおやすみするわけにはいかず、少々最初はきつかった。写真で新田氏のとなりに若い女性がいらっしゃるが、彼女は新田氏が中国からつれてかえって奥さんにされたニュースコーナーで紹介した鄭さん。いま一生懸命日本になれようとがんばっておられるので、今日はあるていど旧い日本の文化をかんじていただいたらさいわいである。とくに同行が旧い人間ばかりでもあるし。醍醐寺は十数年前 お得意先で友人の木村氏と来たことがあったが、その間かなりかわったように感じる。どうかわったとしかといえないが庭園 伽藍 霊宝館 それぞれ600円という拝観料。山の中とかわらないような伽藍をみてあるくだけでお金がいるのはあまりにひどい。これだと近所のひとが簡単におまいりもできない。醍醐遊園地ということか。宗教の本質をわすれてしまっている。おまけに減る物でも無いのに庭園の写真もとれないケチさかげん。あちこちにおばさんがいて注意している。せっかくの庭園の景色も台無しであった。高いお金をとってお客に上からものをいう姿勢はなおしていただきたいものである。前に来た時は上醍醐までいったが今回は最初から予定はしなかった。絶対むりですからね なにしろ上までいったひとは御存じでしょうが気合いがなければいけません。
誰(た)がために 存在したる 大伽藍 人をいれずで 何を導く