daybyday2


12月26日
2011年をふり返る。
今年は、震災、大恐慌一歩手前の世界的な不況、個人的には、昨年12月に母が亡くなり、今年の12月、一周忌でどうにか
長男の務めをはたしました。
震災当日は、確か墓参りの相談か何かで実家の姉の処にで打ち合わせ、帰り支度の最中に地震。
そのまま帰ればよかったのにスーパーで買い物、その時に何度も大きな地震の揺れがあり、スーパーに足止め。
どうにか3時過ぎにスーパーから脱出。
道路は、渋滞・・ただまだ渋滞がはじまったばかり。
裏道を右に左に、どうにか自宅まで帰還。
テレビのニュースに唖然としました。
5月ごろ、姉が健康診断で子宮がんが見つかり、入院手術。
いつもの年とは全然違う、重苦しい一年でした。

秋の台風で大好きな忍野の桂川上流が大増水。
金田一橋も流され、森の木も何本も倒れ、川は激流。
台風の雨が原因で、富士山の地下水を押し上げ、いたるところから水がわき上がってきたようです。
現在も、増水はおさまっていないようです。
一年中、水温も安定したスプリングクリーク、来年の春はどんな川になっているのか今も心配です。

新しい釣り竿。
今年の春にロッドビルダーの井上さんから、自作のバンブーロッドをいただき、試し釣り。
夏には、新たに完成した4番の竿もお借りして、バンブーロッドのフライフィッシング。
20年以上前にアメリカで手に入れた、ポールヤングのミッジもひさしぶりに使いました。
ブリテッシュアクションのフライロッドを試したくなり、ハーディのパラコナ・バンブーロッド・3番・7.7を購入。
生まれた場所の違いなのか、どのロッドも全く違った個性を持っています。
現在、井上さんが、日本の竹、真竹ロッドを制作中。
来年の春ごろに完成予定だそうで、日本の竹の6角竿、今から楽しみです。



12月16日
フライロッドのガイドも凍る季節。
キャスティングでロッドを振るたびにガイドが凍りつき、ラインごと固まるのが冬のフライフィッシング。
その都度、水につけて、氷を溶かす。
どうにかキャスティングが出来ても、魚も、寒くてなかなか動かない。
フライまでが凍りついて、ロッドの先端に張り付くなんてことだって。
氷男になって、温かいコーヒーで心も体も溶かす、この時のしょうもないないおかしさが釣り人。
オーパのように、ストレートのウィスキーで乾杯は、なかなか手ごわい。

12月11日
冬の晴天は、やさしい気持ちになる。
きっと、昼前後の短い時間だからだと思う。
その時間に、いそがしく働く、夕暮は、コートの襟を立て急ぎ足。
それでも、昼の名残りか気持ちは穏やかだ。

12月9日
もういくつ寝るとお正月。
もうそんな季節になった。
震災の被災地のはじめてのお正月だ。
冬は、まだ始まったばかり。
がんばれ日本・そんな声が聞こえてくるような気がした。

12月7日
秋の台風以降の、忍野の桂川上流の大増水は、濁りは取れたが相変わらず水量は多い。
以前の忍野の穏やかな流れの姿は今はない。
水門は開けられ、普段はほとんど流れのない場所も、かなりの水かさがある。

メディアの情報によれば、富士山全体の休火山帯自体にの何らかの変化がある可能性までささやかれている。

スプリングクリーク。
スプリングクリークの多くが湧水の水量、水温も安定した、穏やかな川。

フライフィッシング自体がスプリングクリークによって育てられ、川の自然とのライフスタイルを作りだしたと思う。
イギリスなどのスプリングクリークのフライフィッシングスクールは、自然との生活の豊かさを教えてくれる場所のように感じる。


12月6日
今年のクリスマスのイラストを描きました。

今年も、素敵なクリスマスの鐘を鳴らしましょう。

12月1日
地球防衛軍、災害救助隊などは、昔からヒーロだ。
銀行、投資家、大蔵省みたいなところはどちらかと言えば、正義の味方にはなれそうにない。
ところが、最近の経済危機や貧困、環境問題などは、そうした経済系のヒーローを必要としている気がする。
まさに今朝の新聞の日本も参加する日銀の支援なんかもそうだし、マイクロソフト、ビルゲイツ氏や投資家バフェット氏
などの活動もそうだ。
バブルの時代には、あまり目立たなかった、こうした変化は、なんとなく魅力的に感じる。
当然、世界征服をたくらむ連中や、お金にどろ臭い悪のイメージも変わってくるのかもしれない。
そんなヒーローがNGOみたいなところから現れるのだろうか。


11月29日
高価なバンブーロッド
確かに、バンブーロッドのアンティークや有名なビルダーの作品は、目の飛び出るほど高価だ。
1万ドル以上するものもある。
ブランド品のロッドで2500ドルから3000ドル。
個人のビルダーが小さな工房で作っているロッドは、カーボンの上級クラスの価格とさほど変わらない。
ただ、注文生産がほとんどで、多少時間がかかる。
オーダーは、ビルダーのオリジナルか、長さ、アクション、デザインなど注文する事も出来る。
注文するには、自分のお気に入りのロッドを参考にするのもいいと思う。
カーボンとバンブーの違いは、自然素材の個性と工業製品の一部の狂いもない製品。
ロッドの個性を引き出すような使い方が必要になる。
現在のカーボンロッドは、ほとんど誰にでも使いやすい。
趣味でバンブーのロッドを作って楽しむアングラーもたくさんいる。
その為のキットになったものも販売せれているが模型飛行機と同じようなものと考えた方がいいようだ。
カーボンロッドに比べて、バンブーロッドを扱うお店が極端に少ない、置いてあってもビルダーの委託のロッドが多く、数えるほどの数しかない。
カーボンロッドのように手にとってアクションを確かめながらロッドを選ぶ事が出来ない。
年に何回か、ビルダーが集まる企画などがあり、それに参加する事が出来れば、多くの作品を手にする事も出来、
その中から、自分がほしい内容の注文をする事が出来る。
オリジナルのロッドが手元に届くまでに半年ぐらいかかるのが普通だ。

アンテークロッド。
ブランド品のアンテークロッドは、現在の釣りのスタイルでは、使いにくいロッドもたくさんある。
重かったり、ものすごくスローだったり、ラインの指定が違っていたり。
確かにロッドが作られた当時の釣り方、使い方などの楽しみ方も出来るとは思うが、自分にあった釣り方で選ぶ事が必要だ。
雑誌やネットなど情報を集めて、時間をかけて手に入れる事が一番良いと思う。

それでも何時かは、バンブーロッド。
バンブーロッドでのフライフィッシングは、時間が変わるような感覚がある。
バンブーロッドの釣りは、出会う時間が変わる。
不思議な魔法の杖なのかもしれません。

11月28日
今年は、バンブーロッドビルダーの友人が出来て、バンブーをプレゼントされた。
彼のロッドブランド名は、パラダイスロッド。
日本のヤマメや岩魚にちょうどいいロッド。
外国製のロッドに比べて、特にグリップが細めで日本人の小さめの手になじむ。
僕がいただいたロッドとお借りしたロッドは、どちらも中空。
中空のロッドは、とにかく軽い。
グラファイトなどのカーボン素材のようには、かたくない、ミディアムでもスロー気味になる。
渓流のヤマメ、岩魚は、大きくても尺。
それを考えると海外のロッドは、強すぎる場合がある。
特にカーボンロッドの9フィート前後の長さは、障害物多い渓流では、かえって使いずらい。
本流やニンフのみゃく釣り、ロングリーダーにロングティペットにはてきしている。
なんとなく管理釣り場用のロッドのように感じてします。
最近リバイバルのグラスロッドは、独特のスロー気味のアクションで面白い。
ただ、使いやすくはないと思う。
今のカーボンロッド3番、4番、8フィート前後の物は、軽くて繊細で、強い。
ほぼパーフェクトだと思うものもたくさんある。
バンブーロッドを使うとすれば、どんな釣りを、どんな場所で、どんな魚と遊ぶか、贅沢に楽しむための道具のような気がする。
海外の大きなトラウトやサーモンをターゲットとするならロッド自体の考え方も別のものになると思う。
日本の渓流には、日本の釣り方、日本人にあったロッドが一番だと思う。
最近流行のテンカラもアメリカのテンカラとして日本とは違った進化をするかもしれない、すでに湖や大きな川でのテンカラ釣りは、
竿の長さ、硬さなどの選び方も日本とは違うような話を聞いた。
ところ変われば品変わる、それがその土地に根付いて、その土地のオリジナルが作られるようになって、
日本のフライフィッシングと呼べるようになるような気がした。


11月27日
今年の酉の市のくまでも昨日ようやく3のとりで飾る事が出来ました。
先週、ノートンエキスパートの定期点検、その時のアドバイスでメモリーを増設する事にしました。
昨日、夕方、メモリーが到着。
何度か、コンピューターの裏ぶたをあけたりしめたり、付けたり外したり、3度目にようやく完了。
電球の交換でも感電がきになる、怖いというよりも無知なのです。
コンピューターの部品の交換、ドライバーで裏ぶたを開けること自体が僕には大変な仕事。
だいたい僕は何でも壊し癖がある、不器用。

コンピューターがこんなに快適に使えるなんて・・・。

11月15日
我が家の鍋は、何度も火災にあったような状態のものがほとんどだ。
火にかけたまま、イラストを描くのに夢中になり、気がつくのは、焦げたにおい。
一番悲惨なのが、煮込み料理に使うホウロウのお鍋、2つ破損した。
ステンレス製のソースパンもすでに火災の跡がついた。

冬は、シチュウーが食べたくなる。
日曜日に半日かけて、コトコトグツグツ、ワイン片手に時々チェック。
自分で作る料理がおいしく仕上がった時は、感激。

煮込み用の野菜とお肉と一緒に多少大きめの鍋を買いました。


11月8日

少しずつキャステイングも安定。
一番気になるのは、僕の手が小さい事、ロッドのグリップが太い。
どうしても、バックキャストのストップ時、手のひらで止まってくれない。
それでもだいぶ以前よりは改良。

口細ヤマベが連続ヒット。
フライは、24番のCDCミッジ。
そのまま流すとフライには反応するのですが、あわせがうまくいかない。
フライをキャスティング位置に引いてきた時に偶然ヒット。
今度は意図的に流れにあわせてリトリーブ気味に流すと、見事にヒット。
小指サイズから中指、薬指、人差し指と釣れました。
こんなに小さいのにちゃんと小さな口に針がかりしている。
キャスティング練習のおまけは、グリコキャラメル同様に元気が出ます。


11月7日
日本の坊さんは、どちらかと言えば粗食、表向きは質素、禁欲、殺生は罪。色即是空。
西洋の修道院は、ワインやビールのブランドなどもたくさんある。
フライフィッシングのイギリスで出版された最初の指南書を書いたのもイギリスの修道院の尼さん。
釣り竿の作り方から、色々な魚の釣り方、おいしいレシピもついています。
アイザックウオルトンの釣魚大全もこの指南書からいくつかのエピソードを紹介しています。
坊さんのライフスタイルがワインにグルメにフライフィッシング・・・西洋の坊さんに憧れます。
リバーランドスルーイットなんて映画にもなった、フライフィッシングの小説に登場する父親も
イギリスから移民してきたアメリカの宣教師。
教会の帰りに、教会の裏を流れる川でフライフィッシング、僕もそれなら毎週でも、教会のお説教を聞きに行くかもしれません。


11月4日
フライフィッシングの歴史や文化は、とても面白いとおもいます。
一つは、近代の歴史の中でリクリエーションのライフスタイルが提案されたこと。
歩く時代から、汽車から自動車、勝手に走る時代にかわる、そんな目の回る、とんでもなく忙しい都会の出現に、
釣りは、日曜日の教会、同様に休むことの大切な時間だったように感じます。
ただ、実際には、日曜日は安息日。釣りは、教会の教えでは禁止、出来なかったようです。
アメリカのフライフィッシングは、イギリスへのアメリカ製の釣り具の輸出、日本のバンダイ、ソニーみたいな感じだったのかもしれないと思います。
フライフィッシングで他の釣りにはまねが出来ない面白さは、やはりシングルハンドのキャスティング、スプリングクリークと渓流だと思います。
個人的な意見です。
バンブーフライロッドが、比較的ショートロッドが今も人気があるのは、当時の東海岸の歴史、文化の影響も残っているような気がします。

あまり難しい事を考えずに、竹の持つしなやかな感触を楽しみながら、魚の住む渓流に遊ぶ・・・最近のフライフィッシングのプロモーション映像の音楽、
やたらにフュージョン風の竹の笛・尺八・バンブーフルート・のサウンドが多い・・・僕は意外に苦手です。

僕は、バンジョーやマンドリン、フィドルなどをつかった多少モダンなアコーステックなサウンドが好きです。

自然の素材で作られた楽器、ミュージシャンの作る音楽・音楽が聞こえてくる場所。
自然素材で作る釣り竿、それを使い魚を釣る釣り人、一番大切なのは魚の住む豊かな自然。
早春の里川、人間と自然が仲良く暮らしている、その中での釣りは、とても気持ちがいい。
僕が好きな世界です。

11月3日
山里の暮らしとアウトドアスポーツ。
山里の生活を必要としない、僕たちリクリエーションを目的に訪れるアウトドアスポーツ。
たくさんの魚が釣れ、楽しいキャンプが出来、
温泉があり、美しい季節の変化を楽しむ。

ブランド品のロッドにリール、高価な外国製のマテリアルで巻いたフライ。
最新流行のアウトドアファッション、最新型の4WD。

もしかしたら、僕のフライフィッシングは、山里を知らないのかもしれない。

少しの時間、村の人と話をする。

山里の釣り・・・ふとその事を考える。

僕がよく使うフライにテンカラの毛バリによく似たウエットフライがある。
このフライを使うようになって、水面下の魚の動きを少しだけ、見る事が出来るようになった。
魚の動きに自然に合わせを入れる、どの動きがフライをくわえた動きなのかは、そこまでは僕にはまだ区別がつかない。

10月20日
運動の秋の、キャスティング練習が続いています。今回は意外に粘り強く、がんばっています。

キャスティングの本も2冊も買い、まもなくDVDも着く予定。
キャスティングで釣りがうまくなる・・・・・これはむずかしい問題、魚に聞いてみないと何とも言えません。
魚がいなければ、聞く事も出来ない。本を読んで、近所の河原でキャスティング、フライで釣れる魚は・・・・鯉・・・・アカハラ・・・
最近はバスも住みついたらしい・・・そんな釣りが目的ではない。
キャスティングは、それ自体がフライフィッシング。
野球少年の素振り、キャッチボール、そんな楽しさがあるのです。
こんなに難しくて、楽しいフライフィッシング・・・・・いやはや本当にやればやるほど奥が深いキャスティング。
春までには、少しはうまくなりたいと思います。


10月7日
本日キャスティングトレーニング。
フライフィッシングをはじめたころに少し、キャスティングの練習をした。
ただそれよりも先に魚が釣りたかった、そのためか、キャスト自体は当時とさほど変わらない。
キャストが下手でも魚は釣れる、渓流釣りの場合は、キャストする距離よりも、何処を流すか、比較的至近距離の場合が多い。
動物的感を頼りに、とにかく川に通い、無手勝流でフライをキャストし、魚を釣った。
意外にそれでも魚は釣れたんです。
毛ばり作りも同様で、きれいな毛バリは作れない、なんとなく虫らしいフライ。
でたらめかというわけではない。
特にこだわったのが、沈んでも浮いても釣れる毛ばり。

愛用のロッドが壊れた時、フライを続けるには、
もう少し、ちゃんとキャスティングが出来るようになろう。そう決めました。
そこで、キャスティングの本も買って、一からはじめる、本日も練習。
上流側には、フナを釣るおじさん、下流には、アユの転がし釣り。
そのちょうど真ん中でロールキャストの練習。
なかなか手ごわい。

10月5日
今年の釣りは、いつもの年とは少し違っていました。
解禁は、大震災の前後、震災当日に偶然に満タン給油。
そのおかげで16日に解禁2日目の計画停電の中の忍野まで出かけました。
釣り人の数は数えるほどしかいない、ポカポカ陽気。気分は少し罪深い。
解禁の純な魚があいて、釣れて当たり前。
午前中の釣りをして、お昼御飯に出かけると、
なぜか忍野では、ガソリンスタンドが営業している。
忍野で満タン給油して帰りました。

東京では、ご近所の営業中のガソリンスタンドは長蛇の列、国道沿いも休業中がほとんど・・・・
明日はガソリンを入れに、午前中釣りに出かけるか。朝の5時から、高速を走って忍野へ。
うかない顔の地元のフライショップ店長と、長い長い停電中のお話。
魚は当然のように釣れましたが、今思うにあまり記憶がない。
欲望のアドレナリンが出るよりも先に素直な魚が釣れてしまうからだと思います。
午後は自宅に戻って、やっぱり東京は、シーンと静まり返っている。
我が家の計画停電を心配になって、大工センターへ、みんな同じ事を考える、欲しいものはみんな売り切れ。
電池もクーラーボックスも保冷剤も、そこで目に飛び込んだのが、電動アシスト自転車。
ちゃんとした、ライトもついてる。
ガソリンなしで買い物もスイスい。
ちょっと高いが、この際・・・色々見ているとバギータイプやスポーツタイプの新型もある。
これだと決めて即購入。

自転車にのるのは20年ぶり、電動アシスト付きならとご近所の坂道に挑戦、どうにか上り、
足は棒のようにかたまり、曲がった腰もずきずき。
買い物の帰りにおばさん自転車に追い越され、よたよたしながら帰宅。

春の釣りは、あまり心に響くものが少なかった。、
大きなブラウンも、ヤマメも、ニジマスも、みんながうぶで僕の方がすれていた。
友人が作ってくれたバンブーロッドが活躍したのが一番楽しい思い出。
渓流で転んだ時にスネークガイドを損傷、6月作者に返却。
彼から別の7フィートのバンブーを借りて夏の釣りに出かける。
最近はほとんどやらない、夕方の釣りをフライショップの店長に勧められて、色気を出して、暗くなるのを待つ。
何が起こったのか、アドレナリンは最高点で沸騰、ティペットは切れ、つなぐにも暗すぎる、リーダーに直接フライを結び、
キャスト、フライは、沈んで、ほぼ見えない。
衝撃の連続、7フィートの短めの竿のおかげで比較的乱暴なランディングでもネットに収まる大きなヤマメ、ブラウン、レインボー・・・・
最後の最後まで、ライズを繰り返した正面の流れの魚に脱帽して、夏の世の夢が開幕・・・・・かと思い・・その日は、竿納め。

さおをしまう時に3本つなぎのフェルループ、留め金の処の絹糸が破損。

ビルダーの友人に連絡すると、かえのテップがあるとのことで、すぐに送ってくれた。
いざ、出陣。
暗くなるのを待つ。
今度は何を流しても全然釣れない、毛ばりをよけて、大きなライズ。
もうだめかと思いながらも、全く反応のない場所にキャスト、しっかりとした手ごお耐え、
釣り上げたのは、大ヤマメ。
それにつられて、連続ヒット。
暗くなって川は静かなもとの渓流に戻り、3本つなぎの・・・同じところの別のティプの絹糸が破損。

夏の夜の夢でした。

夏の終わりの富士山の火祭りの夕方。
御盆明けの釣り、今までに経験した事がない不思議な釣りをしました。
魚の方から、どうしていいのかわからないくらいに釣れてくるのです。
それも大きな魚。
釣り納めて、車に帰ると、雨が降り出し。
車に乗り込むころには、大粒の雨。土砂降り。
富士山の火祭りで道路は通行止め、どしゃぶりの山道を迂回して、高速に乗り、3時間以上もかけて、帰宅。
その釣りが、忍野の今年の釣り収めだと思います。
台風15号、一週間が過ぎ、川の状況を見に出かけ、濁流の土色の忍野の流れを見たとき、何かが変わったような気がしました。
その後の台風で、金田一の橋が流されたのは、フライショップのブログで。
忍野の川、金田一橋を見たとき・・川が生きているような気がしました。
昔通った管理釣り場、鶴が池の様子を見によると、オーナーが、後かたずけ、フライかと聞かれて、ちょっと様子を見に来たと、池を見ると、
魚がライズをしています。
管理人のじいさんは元気ですかと聞くと、今年94歳、今買い物に出かけてる、もうすぐ帰ってくるとのこと。
4,5年前の冬に来た時に青い藻が水位面を覆っていた。
じいさんが釣れるよと言う・・あれ以来。
釣り券を買って、誰もいない池にフライ遊び。
面白いように釣れる。
50本釣った事にしようと思います。
帰りにじいさんに、いつものように「釣れたよ」と一声。
じいさんは嬉しそう…奥からオーナーの「また来てください」声だけが聞こえました。

帰り道に忍野の川によると、悲しい顔のフライショップの釣りバカ大将。
その場で立ち話、多少水が引き、魚は釣れるとのこと。
「忍野ノート」DVDを予約して帰宅。
9月30日、明日からは禁漁。
忍野ノートが入荷、釣りが出来なくても、忍野に出発。
ケースから釣り竿を出すと、リールシートが取れてしまっていた。
10年ぐらい、ずっと使い込んだ7フィート11のロッド。

何かが終わったのかもしれない。
でもまだそのことを認めたくはない。
新しい高価なロッドを買う・・・7フィート7インチ3番・ハーディのバンブーロッド・・・。

壊れた竿も自分で直して、使えなくなったら、その時に釣り収め。
それでもまだ釣りがしたいかもしれない。

今年、破損したバンブーロッドがもう一本、釣りをはじめて教えてくれた、高橋さんから譲り受けた
オービスのバティンケル6番。
20年以上も前のロッド、スネークガイドを止めている絹の意図が破損、ガイドが一つ取れた。
今は、あまり使っていない大きな番手の8フィート。
この竿で、岸からキャスティングして、芦ノ湖のレィンボーを何匹か、釣った。
今考えると、夢みたいな話だ。
イナガキフライショップに修理を依頼。

壊れた物をそのままにしているのはよくない、修理して使うか、新しくするか。

さて、もう少し欲を出し、頑張って仕事をしようと思う。

9月30日
そろそろと秋。
夏のシメ台風に秋の台風のダブルパンチ。
渓流は、今年もまもなく禁漁。
忍野の通称「金田一」橋が流された。
金田一さんの別荘のためにつくられた橋だったらしい。
森の中に赤いペンキで塗られたアーチ型の汽車の鉄橋のような小さな橋。
その橋の流れにはいつもヤマメや、ニジマスがフライを追っかけていた。
不思議な森の中の忘れもののような橋。。
増水、濁った強い流れ。
水草も魚も何も見えない。
最初の台風の後は、まだ橋は健在だった。
その橋を渡って、いつもの場所で、いつもはあまり使わない、ニンフを岸際にそっと流して、
どうにかニジマスを一匹釣りあげた。
その後の台風、地元のフライショップのホームページに無残に流された、金田一の橋の写真が載っていた。

震災と原発の計画停電に始まった、今年の解禁。
夏の終わりの富士山の火祭りの日の夕方、
ライズする魚を釣った、釣り終わる頃から降りだした雨。
今年は、雨。
9月3日
秋の台風。
台風のニュースは、人一倍気になる。
川の増水のニュース。
がけ崩れ。
台風の進路。

そして、いつものように魚の事が気になりだす。


8月12日
お盆休みがはじまりました。
今年の春は、震災復興に原発問題、省エネ、温暖化、円高、いやはやかなりみんな疲れてるようです。
お盆休みはみんなで脱出。
なぜか僕は仕事をしています。

お盆前の、釣り収めは、なかなか渋い夕方の釣りでした。
暗くなる前のライズは、18番のドライフライを素直にくわえる、あまりにも素直なのでこんなものかと思うと、寄せてくるとちゅうで針が外れる、
今度こそで、魚は飛び出るのに針がかりしない、かかったと思うとまた外れる。
そのうちライズもなくなり、全然釣れない。
まさかと思ううちに暗くなりはじめる。
大きなカディスを上流にキャスト、、大きなニジマスが思い切り飛び出る、またもやヒットしない、まさか、まさかで何度キャストしても反応はない。
フライは重くなって沈んで、あたりも取りづらい。
ゴツンというあたり、それも3回連続それでもヒットしない。
あきらめモードになりかけた瞬間、出ました。
大きさはまあまあだけどとにかく元気、上流下流に走られ、ブッシュのわきでようやくネットイン。
それならと少し欲を出して、もう一度別の場所にキャスト、婚姻色に赤く染まった大ヤマメが釣れました。

ご先祖様ありがとう。

8月10日
地球温暖化は、とまらない。
毎年気温が少しずつ上がっている。
もうじき、東京の夏はハワイや沖縄のように暑くなるのかもしれない。
盆踊りのおしゃれは、浴衣にするかハワイのアロハにするか、いい夏の風景だ。
気取った麻のサマースーツにパナマ帽、なんとなく村長さん。
じいさんの浴衣に股引も様になる。
派手な木流しの浴衣は、イタリア風モミアゲ男。

省エネの夏、ご近所の縁日の夜は、オシャレにくりだそう。


8月4日
釣魚大全の時代のスコットランド釣行記の中にネス湖の話が出てくる。
ネス湖で釣り、幻の恐竜を釣る話かと思ったら、恐竜ではなく、人魚が紹介されていた。
恐竜と人魚、どちらもファンタステックな未確認生物だ。
もしかしたら、1600年代当時は、まだネス湖の恐竜は、出没していなかったのかもしれない。

この本の釣り人の目的は、ネス湖の大きなブラウントラウト。釣りに出かけたくなるお話でした。

7月9日
キャンアンドリリースされた魚は、釣り人に感謝はしない。
釣り人もプロのアングラーに感謝などすべきではない。
アングラー気取りの釣具屋、アングラーなんて呼び方がいけない、ただの釣りキチ。
道具屋は、道具にこだわったお店がいい。
アングラーなんて必要はない、プロの道具屋、釣りがうまいに越したことはないけど、
ロングティペットに長竿、やたらにうんちく釣り技法では、釣りがまずくなる。
釣りが楽しくて仕方がないのは、魚遊びが天然だからだ。
なかなか天然の楽しみ方は、奥が深い。
天然育ちの魚は、釣られてびっくり、田舎者でひょうきんだったりする。
ただ、都会に隣接する環境に住む魚は、知的で警戒心が強く人見知り、好き嫌い、偏食。
それはそれで、同じ都会に住む人間もお互い様。
粋な遊びの一つに、道具遊び。
道具は、みれんの塊みたいなものかもしれない。
幸田露伴の幻談を思い出した。
骨董品か古道具かは、みれんのなれの果てに決まる。
使って古道具、墓場まで持っていきたいのが骨董品。
葬式の釣り談義は、道具の話よりも釣れた話がいい。

7月4日
夏日、夕方、多摩川に散歩に出かける。
アユ釣りの人が川に立ちこんでいる。
川に釣り人、夏の景色だ。
いまだに呼び鈴をつけた鯉釣りは、好きになれない。
最近は、食パンをポケットいっぱいに入れ、それをまき餌にしながら、発泡スチロールなどで作った疑似バリで
鯉のフライフィッシング・・疑似餌で釣る鯉は、海外・イギリスやフランスなどのフライフィッシングにもあるようだ。
パンのまき餌は、疑似餌釣りのルールから考えても、邪道のような気がする。
それでも釣れれば、楽しいような。
昨日は、野川で少年の釣り師の竿が弓なりに曲がっていた。
背中は黒く、腹はオレンジ色、平べったく、30センチのだ円形。
見事な亀・・・・・。
歯が鋭いらしくラインを噛み切られて、ばらしてしまった。
「亀か」僕の問いに、ハイと答える、悔しそうな表情が楽しい。

7月2日
最近、見てはいけないものを見てしまった。
夕方の川で、70センチもありそうなブラウントラウトが目の前でライズした。
僕の太ももぐらいありそうな魚体が水面を割って飛び出した。
多摩川の鯉みたいに。
一瞬の出来事にアドレナリンも間に合わない、ただ呆然。
同じ流れに何度かフライを流してみる。

4番ロッドに6Xのリーダーにティペット、18番のフライ。

何度目かに勢いよくヤマメが出た。
26センチ立派なサイズのきれいなヤマメ。

それで十分満足だった、ラインからフライをはずして、竿をしまった。

20年以上も前、同じ川、、真っ暗やみの中で、フレっグスライトの光を頼りに4Xのリーダーに直接つけた10番のカディス。
季節は秋だったような気がする、8時を回って、大きなライズの音だけが繰り返し聞こえていた。
音のする流れにフライを流す。
ドラッグした白いカディスのフライが岸際に消えた瞬間、ものすごい力で竿が曲がった。
50センチのブラウントラウトだった。

あの頃は、どうしても釣りたかった、釣りあげても、まだ釣りたかった。
もっと大きく、沢山の魚を釣りたかった。

震災の後、家中さがして見つけたフレッグスライトの中から発掘された、白い砂になった乾電池の残骸。

遠い昔、そして今も大きな鱒が飛んでいた。

6月26日
風力発電の地方自治体や民間企業の投資のコストの問題が新聞記事になっていた。
メンテナンスト、思ったような発電量が得られない、発電は出来ても買い手が少なく無駄になる。
粗大ごみになった風車は、確かに景観が悪い、風車が避雷針になったケースもあるらしい。

僕は、扇風機にあたりながら、腕組みをして、考え込む。
今は、そんな時期なのかもしれない。

6月25日
道に迷わないように小さなペンライトを買った。
最近よく聞く、LEDの明るさルーメンという表示のライトだ。
小型で、単4を2個、防水という処がひかれた。
明るい方にすると100ルーメン、かなりの距離も照らせそうだ。

不安定な中東情勢のせいなのかガソリンが高騰している。
今年の夏は、色々な意味で、次の時代の始まりのような気がする。


6月24日
今週、いきなり暑くなった、夏だ。
夏は、スイカと夏ミカン。
酸っぱい夏ミカンが食べたいと思った。
スーパーには、一年中色々な柑橘系の果物が並んでいる。
その中で、夏ミカンのような夏ミカンではないような夏ミカンまが沢山ある事に気がついた。
夏ミカンにはお砂糖をかけて、親父は、ウィスキーやブランデーをスプーンに一杯トッピングしてもいい。
グレープフルーツでは、酸っぱくて顔がくしゃくしゃにならない。
酸っぱくない夏ミカンは、夏ミカンではない。
田舎の夏のビタミンC、懐かしい味の記憶だ。



6月22日
仕事でファッション誌にイラストを描く、その為もあってかなりたくさんの洋服を持っている。
結果、着てない服も、はいてない靴もたくさんある。
ただそれが必要だったと自覚している。
今年も春先にダブルの紺のブレザーを作って、一度も着てない。
その後、3月11日があって、ほとんど洋服を買ってない。
今年ほしい服がないわけではない、でも我慢することの方がいいと思った。
それも僕流のおしゃれ、自己満足。
今までのレギラーのファッション誌から、あまり仕事が来ない事も当然影響している。
最近は、人物の表情やしぐさの方を描くのが面白い。
ただ極端な表現よりも自然に笑えるように描けるように努力している。


6月19日
梅雨らしい、日曜日。
車のデザインの中で猫顔が多い。
僕の車もかなりかわいい猫顔、図体は大きい。
獰猛系は、ドイツ車に多い。
日本の車にも猫顔が多数。
日本車の猫顔は、目(ライト)がつり上がって、硬派な感じがする。
そんな車にのっているのは、ミニチュア系の犬が圧倒的に多いい。
猫顔の車にのる家族、ハンドルを握るのは、キティちゃんママ、後部座席にお姫様と小型犬。
もちろんパパは、スヌーピー、お留守番。
なぜかミッキーが出てこない。
ミッキーは、独身だからかもしれない、ミッキーは、オープンカーにミニーを載せた紳士みたいな感じだ。
お天気のせいか、つまらない事を考えた。



6月18日
今週で高速料金の週末1000円が打ち切りになるらしい。
東北道が無料化になる。
今までは、消費者のリクリエーションへの料金値下げだった、その影響もあって各インターは、ファミリー向けに
リニュアル、コンビニも増えた。
今回の無料化は、東北地方に限定され、一般のリクリエーション気分では、なんとなく使いにくい。
被災地を持つ東北の観光地にとっては、歓迎すべきだとは思う、ただどうしていま、週末の1000円が打ち切りで、
その地方だけが無料化なのかがわかりづらい気がする。
週末の高速料金の効果は、料金以上に日本全国の観光には大きなプラスだったと思う。
特に今年の夏の省エネ対策、例年よりも長くなりそうな夏休みなどを考えると、週末や、夏休みの高速料金値下げは必要な気がする。

毎日、暗くて辛いニュースが多い。
明日の事が、今よりも暗いのは、出口がないトンネルのような感じだ。
東北道の無料化の中にも何か希望が必要なのかもしれない。

6月17日
贅沢には大きく分けると2つあるような気がしてきた。
モノがない時から、物を持てる事の贅沢。
物は必要なだけあればよく、自分が、欲しい物を手に入れる贅沢。
なんとなくそんな感じだ。
モノがない時代は、どんどん欲しいものが増えて、手当たり次第に手に入れては喜ぶ。
必要なだけのものがあればいいというのは、それ自体が贅沢だ。
好き嫌いとか、偏食みたいなわがままかもしれない。
わがままのなれの果てに欲しいもの。
見果てぬ夢ならいいけど、ただの贅沢の場合は、若旦那の習いごととか若かりし日の革命家なんて感じかもしれない。
そのせいかロックには、メッセージが付き物だ。
最近のエネルギー問題の討論番組を見ていると、贅沢な意見ばかりのように感じる。
自分に降りかかった火の子は、自分で消さなくてはいけない、まずはそれが先だろうなんて気がした。

6月16日
ロッドビルダー井上さんのホームページの制作にイラストで参加することになった。
ロッドビルダーを絵にしようと思って描き始めたら、いきなりヤマメが眼鏡をかけた変なキャラクターを書いた。
竿で釣るか、餌で釣るかは、魚に聞け。
釣りは、腕試し、一本勝負。

釣りは、道楽贅沢遊び。
釣り道具は、もちろん魚が釣れて当たり前。
魚が惚れるようなそんな釣りがしてみたい。
姿の良い釣り。
贅沢な毛バリを巻いて贅沢な道具で贅沢な魚を釣る。


6月12日
金曜日に一年ぶりに、ロッドビルダー・井上さんと忍野詣でをした。
今回は、昨年いただいた竹竿の一年間の使用後の検品と新しい井上さんの作品の試し釣り、そんな趣向だ。
一年使い込んだ、3番の7.6、ガイドが多少変形していたり・ころんだ時の傷だろうか…グリップは、年季が入っている。
使い込んだ竿には、新しい竿にはない表情がある。
しぶいのだ。
新しい竿と比べると、新しい竿の方が若く、生きがいい。
ただ使ってみないとその性格まではわからない。
一年間使って、使う側の癖が加わって、その竿の個性になるようだ。
それぞれの竿に作り手の意図があり、創意がある。
それを少しずつ感じ取り、その竿の釣り方を楽しむ。
3番の竿は、つの字を縦に書いたように曲る、魚とのやり取りが楽しい。
新しい竿は2本・中空3つなぎ7フィート・2つなぎの7フィート、4番指定。
3本つなぎの竹ざお、はじめての感触、この竿で釣りをする事にした。
つなぎの重さと、つなぎ自体が竿の芯の役目をしているような感じがする。
竹の弾力のあるしなりがその影響なのか抑えられている。
まっすぐで力のある竿。
川でキャスティングしてみる、思ったよりも早く、ちょうどいい飛距離にフライが着水する。
竿が短いのとその分曲がりが少ない、魚とのやり取りも全く違う。
竹の竿の弾力ある曲がりは、竿先の反発力で魚を浮き上がらせる。
今度の竿にはそれがあまりない、魚の力がダイレクトに伝わってくる。
大きい三角定規と正三角形の定規、今回のは、正三角形の感じだ。
初心は、無心で縁起が良かったのかいきなり40センチクラスのニジマスを釣った。
対岸のルアーグループの観客の見ている前でどうにかランディング。
結局、昨年の竿は、井上さんが修理してくれることになり、新しい竿は、お借りすることになった。
「竹の丈くらべ。」つぎの釣りは、9月の約束をした。


5月29日
今朝の新聞に福島原発の影響でアユの解禁が延期される事が書いてあった。
複数の川や、湖の魚からセシウムなどが検出された。
常磐道の浜道りから東北道の白河あたりまでの広い範囲だ。
アユ、ヤマメ、ハヤ、岩魚・・・・それに遡上するしゃけ、桜ますも被害が出そうだ。
下流部から中流域が山岳形相で上流部は比較的落差が少ない、景色も美しく、
たくさんの川で魚が釣れる。
川、湖にたまったセシウムなどは、かなり長い間は、影響があるらしい、
川虫や、こけなどを食べる魚たちも当然のように汚染される。

復興には、自然も大切な財産だ。
地元の人が釣りを楽しめるようになったころ、僕も釣りに出かけたいと思う。。

5月26日
親父の贅沢病に自慢話も最近は飽きた。
そのせいかモテナイ親父が増えているような気もする。
先の事を考える事が必要な時代なのかもしれない。


5月25日
ヨーロッパの偉い人が集まった会議で日本は、自然エネルギーにかじを取る事を国際公約とした。
節電、電気はみんなが必要としている大切だ。
昔のかわら屋根の代わりに太陽光パネル、日本の屋根らしくて、いいかもしれない。
僕の子供のころから原子力はあったけど、太陽光発電や、LEDは、まだなかった。
新しモノ好き、でもすぐ飽きる、僕のような日本人には今は楽しい話題だ。

僕は、国の責任で進めるエネルギー政策としては、風力発電がいいように思った。
効率的に作れる場所が北海道や北陸などに限定され、送電のコストがかかる。。
海には、灯台がある、同じように風の強い海上に風力発電機はなんとなく魅力的。
作るのにもメンテナンスにもお金はかかるかもしれないけど、個別単位の利害がない、たくさんの人や企業が参加する投資の対象にもなる。
台風や津波、地震、竜巻などで風力発電機が壊れる事があるかもしれない、ただ、みんなが投資すれば、復旧は出来る。

太陽光発電。
蓄電池、太陽パネルは、日本の技術力が高い。
個人の発電、電気の買い上げなどに特典が付くとすれば、個別単位での損得勘定になる。
地域格差、地元の利害などややっこしい事がおこりそうだ。

老朽化や、メンテナンス、災害などでの発電の障害は、
個人所有の太陽光パネルにリスクがあるような気がする。

技術は新しいものを作れると思うけど、それを買い替えて使う人は、個人だ。
電気を必要としているのは個人だけではない。

休耕地の太陽光発電、発電する田舎、これは、悪くない。
発電機となりに温室ビニールハウス、牛が寝ていたりする、ご近所の散歩には日焼け止めクリームとサングラスが必要、
おしゃれなカントリー・ファッションが生まれて、そのスタイルが流行するかもしれない。
イノシシやシカ、カラスの感電死なんてことはあると思う。

色々変な機械で故郷の景観を汚した分だけ、山や川などの環境は、大切に出来るといいと思う。
僕は、たくさんの自動車などの乗り入れ制限をした自然公園が出来たらいいなって思う。
シーズンバス、電気自転車、地元の電気タクシー自動車などがあれば、今よりも面白い自然の公園はたくさん出来ると思う。
ただ人間のための自然公園は、動物たちの住む場所でもあるから、そんなに簡単に出来ても困るような気もする。

大切なのは、僕らにも必要で、つぎの世代、そのつぎ世代も使うものだと思う。

所詮は、僕が考える事だから、個人的で欲張りでした。

5月23日
今年の夏用には、トップサイダーのスニカーを買った。
僕が学生時代に流行した靴。
今はメイドイン中だったけど、デザインは変わっていないようだ。
ケッズも中国製になっていた。
リーバイスには、メイドインアメリカなんて高級品がある。
でも、何処か昔の庶民派のブルージーンのかんじがしない、高級イタリアジーンズと同じ匂いがする。
ボタンダウンのシャツもアメリカ製は高価だ。
お店でオーダーした方が得かもしれない。
オーダーシャツは、採寸なども自分用に出来る。
僕の場合、ネクタイを締めるためのドレスシャツは、ネックサイズで腕の長さ、ウエストなどが決まるため、規制のシャツ
だとオーバーサイズのシャツになる。
スポーツシャツなどは、ネクタイを結ぶ事がほとんどないので既製品の方がトレンドの柄から選べて楽しい。
メイドインアメリカは、少ないです。

5月22日
電気自転車と電動アシスト自転車、この二つの違い・・・同じような自転車と勘違いしていた。
一つは、電気モーターで走る自転車式のバイク、もう一つは、人力の自転車の補助動力として電気式のモーターがついた自転車だ。
同じようでものすごく違う。
電気自転車は、歩道は走行できない、ヘルメット着用、原付免許も必要。
時速40キロ50キロ程度まで出るものもあるらしい。
自転車の形をした原付バイクの電気版だ。
電動アシスト自転車は、基本は、自転車。
走行状態をギヤだけでなく電動モーターで走行を助ける。
免許の必要もヘルメットの着用の必要もない。
僕は電動アシスト自転車の発明にモノすごく感動した。
全部、機械がやってくれる事が、便利そうで不便だと思う。
使う側が選ぶ面白い道具だからだ。
何でも全自動、そうなれば普通の人間は手も足も出ない。
足を使えば健康にいい、自分が走っている事が一番素晴らしい事だと思う。
ブレーキも自分の足で出来る。
子供二人を前後ろに乗せて走る電動アシスト自転車のお母さんは、カッコいい。
親父が、おしゃれに電動自転車・・・いいじゃありませんか親父の健康です。

5月17日
東京は、初夏のように温暖化。
朝夕は、今が一番ちょうどいい。
今の時期が生活には、節電いらずなのかもしれないなんて思う。
そうは言ってもテレビを見るのも、コンピューターも電動アシスト自転車も
みんな電気。
電化生活の始まり、昭和に比べると今は、生活の電化製品がやたらに増えている。
こんなとこまで電気、昭和の人がそう感じるのは、オシュレットではないかと思う。
今は、これこそが必需品、やはり昭和には戻れそうもない。
なるべく電気に頼らない、そう考える。
いまさら、電気のいらない生活なんて考えても仕方がない。
温室の育ちの果物、野菜、波の出るプールで育ったホンマグロ、僕らも同じ。
地球がおかしくなるのもうなずけます。


5月10日
クールビズの正義。
Tシャツに半ズボンで仕事をする。
節電対策、節電貢献がテレビのニュースになる。
熱いから、下着で仕事。合理的で無駄がない。どんなのだろう。
ネクタイやスーツは、国やメディアから敵視されているように映る。
熱くても下着が恥ずかしいと思う人もいる、文化の違いかもしれない。
一方的なメディアのコマーシャルなコミニュケーション・・
もう少し自分で考える事の出来る楽しみがほしい。僕はそう思います。

5月6日
ゴールデンウィーク中に国会はクールビズになったらしい。
ダークスーツに白いワイシャツ、ノンネクタイ、ボタンをはづす。
何処かテレビの昔の刑事を思い出す。
センスを持てばなおさらいいと思う。
なかには、ブルーのボタンダウン、案の定、経済評論家のタレント議員さんだ。
半袖シャツ、様々な色や形、ネクタイもおしゃれだと思う、麻のベストなんてのも
素敵だ、もっと、おしゃれを楽しめる余裕が必要な気がした。

4月24日
テレビのバラエティは、ほとんど見ない。
震災以前とまったく変わらない、バラエティは、お笑いにもならない。
なぜか野球とサッカーは、以前よりも緊張感がある、意外に面白い。
ゆっくりと震災後がはじまっているような気がする。


4月23日
震災後の事を災後と表現した文章を読んだ。
戦後と同じ意味だ。
この震災は、日本の災害だ。
もしかしたら、世界の深刻な出来事になるのかもしれない。
原子力災害は、今の僕たちの価値観、付加価値ライフスタイル、
使い放題のエネルギーそうしたライフスタイルに黄色信号を出したと思う。
ネオンサインで見えなくなった、夜空の星。
電気を暗くして、灯りを見つける。
僕は少し変わろうと考えている。




4月15日
今月号の中央公論に福島原発の事故の事が書かれていた。
原子炉の冷却機能が停止、燃料棒が溶解。
地震津波による、外部電源の停電、緊急時のディーゼル発電機が起動後すぐに止まってしまった、交流、直流の問題でディーゼル発電車が使えなかった。
報道規制なのかパニックになる事を恐れたのか、マスコミへのかなり慎重な事故に関しての報道。
海外の反応、アメリカ、フランスなどは、早い時期に事故による原子炉の状態を把握していた、日本に働きかけもあった。

原子炉の安全対策、見落とされた原子炉の周りの周辺施設の配置設計、特に津波対策、4メートル規模の津波用の堤防、想定を超える14メートルの津波。

原子炉内の汚染した気体の外部放出、海水による冷却作業、冷却が不十分で、溶けだした燃料棒、冷却が一定の効果を与えられるまでの間、汚染物質は、
外部に漏れ続けた。

その時、被災地の中の汚染地域に閉じ込められた人々の恐怖。

ベンシャーン・アメリカの画家イラストレーターが描いた、核実験で被爆した、焼津の漁船の本を思い出した。
アーサー・ビナード構成・文・絵ベン・シャーン
「ここが家だ」ベンシャーンの第五福竜丸・出版集英社

この記事の最後には、今回の福島原子力発電所自体の安全に対する設計段階と現在の安全設計の違いが紹介されています。
新たな発電所が、必要なのかが一番の問題のような気がします。
原子力が必要かどうかの前に電力エネルギーを使いすぎる今の社会の見直しが必要だと感じます。

今、僕に出来る事、はまずは、節電から。
坂道の多い我が家周辺、電気自転車も省エネモード。


4月13日
昨夜、巨人対ヤクルト戦を少しだけ見た。
僕の散歩コースにもたくさんの野球のグラウンドがある、そこにないのは、観客席。
でも土曜日、日曜日は、少年野球や小さな社会人野球の関係者家族でグラウンドのまわりはいっぱい。
お弁当を広げたり、日がさおさしたり、駐車場も駐輪スペースもいっぱいになる。
草野球は、家族の運動会だ。
巨人の星のイメージはあまり僕には感じられない。
みんなどんぐりの背比べに見えて、それが楽しい。
でも、親たち、本人は、明日の巨人の星を夢見ているのかもしれない。
プロ野球が、草野球のような球場でシーズン開幕、自粛。
花火大会も桜見の照明もみんな自粛。
今は、しかたがないと思う、でもあまりにも元気が出ない日本もよくない気がする。
自粛の反動、暴走がはじまると大変だ。
こんな時は、腕枕に猫とにらめっこが一番いいのかもしれない。


4月11日
関東大地震、第二次世界大戦などとの今回の地震津波との大きな違いは、国際社会の中の経済大国に起きた最大級の災害だという事のような気がします。
とくに日本の経済は、自国だけでなく世界への影響が大きい。
国内生産の落ち込み国内消費の低迷、観光やサービス産業などへの影響、ただ国内の事を考えれば、どうにかなりそうな気もします。
ただ海外の事はわからない、とくに世界は不安定な時代。
様々な紛争、エネルギー危機、環境問題、経済破たん、発展途上国の台頭、人口、飢餓。
そうした現実は、今回の災害とは関係なく何も変わっていない。
日本がそうした世界の中で重要な国である事も変わらない。
エネルギーの問題にしても石油依存から環境にやさしいクリーンエネルギー、なかなかハードルは高い。
この時代の、生活、暮らし、生き方。
考えてもはじめなければ仕方ない。
さて、何からはじめよう。



4月10日
日本の大地震の影響は、イタリアファッション業界をはじめ世界のファッションビジネスには大きなダメージ。
地震の直後の原発事故、フランス、イタリアなどブランド関係者は、すぐに関西ににげだしたらしい。
ヨーロッパは地続き、原発に対する危機管理は、かなり進んでいるらしい。
イタリア人は、フランス人よりも早く東京に戻った事を自慢げに語る。
ブラジルのサッカー選手が退団。
観光地のホテルは、海外からツアーキャンセル。
地震後の原発の定期的なテレビの記者会見を見ていても僕も不安になる。
世界中が日本のニュースには敏感だ。
ポルトガルが財政破綻、中東、アフリカの不安定。
世界への大きな影響力を持つ日本、もう少し世界の中の日本の表現力をつけてほしいと思う。

4月8日
学習する遺伝子
今年の忍野の春の釣りは、いよいよ疑似餌を魚が見分けるようになった。
解禁当初は釣れた魚が1週間もすると疑似餌には見向きもしなくなる。
毎年新たに放流された魚が釣れなくなる、魚は、疑似餌を学習しているように感じる。
ある種の学習による、進化のように僕は感じている。
忍野の魚たちは、メダカの学校で学習し、年を追うごとにどんどん賢くなっているのだ。
ただ、毎年放流される魚の遺伝子の中に疑似餌の知識がどれくらい蓄積されているのか、忍野に生き残った魚たちが次世代をどうやって教育しているのか
、何かのがおこっている。
なぜなら、年々、疑似餌に対する魚の見分け方は進化しつづけているからだ。
日中は、ほとんどえさを食べない魚、断食魚、水面のフライには全く反応しなくなったグルメ魚、限られた水生昆虫しか食べない好き嫌い魚など。
魚だけではなく忍野全体の環境も変わった。
アスファルトの文化的な公園や文化施設、温暖化と白アリ、釣り人の被害に森の木は激減、森に餌がなくなって鹿の親子が公園に出没する。
観光からは見向きもされない、都市化した都留、大月周辺の下流部の桂川では、春の疑似餌でやまめ、ニジマス、岩魚、楽しい釣りができるらしい。

僕は自然と仲良く暮らしてきた、いまさらフライをやめようとは思わない、出来るだけ長く続けたい。
年をとる事の中で足の衰えが一番怖い、そのためにも自転車散歩とフライフィッシングは大切だ。

4月7日
我が家の省エネ計画実施中。
計画停電は、今月で中止。
結局、我が家は一度も計画停電はなかった。
計画停電の夜のために押入れからガスランタンとバーナーが発掘され、ランタンのマントルの交換もどうにか成功、
懐中電灯は、単1の乾電池が手に入らずそのまま、ここまではそれなりの出来事。
ハーブ用のろうそくを見つけて、ハーブオイルを久しぶりに炊いて、癒され、和ハッカとレオンバームのオイルと30個入りのろうそくを購入。
アマゾンからの非常用グッズのメール・・計画停電中止のニュースを見る1時間前にろうそく用のヨット使用のランタンを衝動買い、ニュースを聞いた後
虫よけのろうそくを追加購入。
我が家の夏の省エネ計画、仕事の後の夜は、ハーブに虫よけランタン、ジャズによく冷えたビール。
なるべくテレビは節電、見たい番組ニュースにスポーツ。
さて、紙不足の新聞をどうするかが検討中の問題。
ネットで新聞を読む・アイパッドなどにするのも書籍も読めるからベスト。
そんな今風のモダンなライフスタイルに僕自身が適応できるか・・・まだまだつづく。

4月5日
今年初めて、春のカツオのお刺身をたまり醤油のずけにして食べました。
お米は、地震前に偶然、スーパーの今月のおすすめで買った、宮城産のササニシキ。

とってもおいしかった。ご馳走さま。ありがとう。

気持ちよい春の三ツ星でした。

4月2日
桜の季節、桜の宴会の自粛。
たしかに今年は桜のバカ騒ぎは自粛した方がいいと僕も思う。
でも、それを呼び掛ける看板は、どうも好きになれない。
同じように釣り、夜遊びも自粛ムードだ。
テレビのコマーシャルで、それ必要ですか、消費者への自粛が呼び掛けられる。
デパート、自動車など売り上げが落ち込んでいる。
経済問題が新聞記事にのっていた。
確かに必要以上に買いだめするのはよくない、確かに贅沢や遊びも自粛、控えるべきだとも思う。
ただ、今回の被災は、かなり長い時間が必要だ。
そう、もう少し元気に楽しむ事も必要な気がする。
みんなで暗い気持ちになるのはかえってマイナスだ。


4月1日
エイプリルフールだ。
特別に嘘をついてもいいなんて日。
復興支援、原子力、ほんとに大変な原子力。
こんな時に鉄腕アトムがいてくれたら、東京電力の高価なロボットは、メンテナンスが必要で使い物にならないらしい。
アメリカとフランスのロボットが復旧に活躍する。
これはほんとの話だから、エイプリルフールにはふさわしくないか。

3月22日
連休明け、すごく寒い、忍野のフライショップのブログを開くと雪が積もっていました。
今年は、解禁から、釣り人は数えるばかりらしい。
養沢川のフライフィッシングエリアは、今週平日は、閉鎖。
釣りのブログはどこも記入なし。
へそ曲がりの僕は、ネットで色々調べて、日本経済を心配したり。
ウオーレンバフェット・世界的なアメリカ投資家、以前、雑誌で似顔絵のイラストを描きました。
日本の株への投資に好発言。
これからはじまる国家的な、復興支援、それに今の日本全体の緊張感、僕もすごいなって感じてます。
心配は、リビア、中東。
ねじれみたいなものが何処かで複雑にこじれると大変だ。
今は静かな北朝鮮も12年にむけて動き出す。
今、それどころではない、愛することで何ができるかってこと、一生懸命に生きること。
明日のカードはハートのエースとはかぎらない。

3月21日
今回の大地震は、今までの地震とは規模も被害の大きさもそれに原子力発電所の事故、
東京電力の停電、日本全体が被災地になったような気がします。
友人の飲食店もフライフィッシングのお店も、洋服屋さん、デザイナーの仕事仲間もみんな肩を落としています。
何ができるかを考えても、答えが見つからない。
何処かですごくさみしくて、悲しくて、怖い。
停電は、仕事も出来ない、ただ時間が止まったまま動かないような感じです。
仕事が出来なくては、復旧だって出来ない。
毎日届く新聞、テレビ、ネットのニュースを確認する。
ニュースは、一人一人の出来事ではなく、事件のような大きさの情報です。
街に出て、小さなお店で買い物、お客は僕だけ、お店の人は、すごくうれしそう。
いつもよりみんなが人懐こく暖かい。
本日は雨、被災地は、少し考えて。


3月20日
大地震で自分の生活も仕事も、停電してしまったような感じがします。
今回の地震、福島県の浜道り地区は、何度か渓流釣りに行きました。
夏井川、支流の好間川、中流域が山岳形相で上流部は、伊豆のようなおだやかな流れ。
小さな川のわりには、意外にかたの良いヤマメが釣れたのを思い出します。
4月1日が解禁、確かその後すぐだった。




2月17日
気がつけば、春だ。
冬のつぎの日にふと春を見つける。
12月15日
12月は、師走と忠臣蔵。
忠臣蔵は、年越し蕎麦を思い出す。
蕎麦屋というのがなかなかよく出来てると思う。
坂本竜馬の池田屋の方が色っぽい。
京都と江戸の違いだろうか。



12月10日
僕が生まれたころに朝鮮戦争があった。
僕には記憶がないのは当たり前だけど、その後の日本は、戦後と呼ばれ、
高度成長、贅沢なお金持ちの新興国になった。
新興国・・・僕はそう感じる。
日本の戦後は、新興国の日本と旧日本の共存だったような気もする。
僕が好きなのは、モダンな日本人。
ポールランドのデザインにも魅力を感じ、
ヘンリームーアの彫刻、ピカソのデッサンなども好きだ。
ロックやサイケのデザインが嫌いなわけではないけどあのリアルさが耐えられない。
僕が好きなものは、おおらかさだ。
絵や彫刻、家具、食器、音楽様々なモノの表現の中に生き生きとしたおおらかなひらめきが感じられるものがいい。
漫画にしても僕のアート表現として、おおらかでありたい。
おおらかは、贅沢だ。
笑いは、時に皮肉な表現の時もある、ニヒルな現実のリアルな笑い、僕にはそれは耐えられない。
おおらかに素直に、贅沢に、それが僕らしさかもしれない。



11月23日
一晩中雨が降っていた。
寝ているので時々雨音を確かめる、夢だったのかもしれない。
朝、目覚めると青空が出ている。
隣の猫が、庭の窓からこちらの様子をうかがっていた。
庭が濡れていたから夢ではなかった。

11月19日
来年のフライを作る。
色々な色のハックルを購入した。
新しいハックルで贅沢に新しい毛ばりを作ろう。
毎年同じように繰り返した、毛ばり作り。
来年の毛バリは、もう少し自分の毛バリだと、魚たちにえばりたい。
もちろん釣れた後に。

10月26日
夜行列車。
中央公論のこんな特集。
尖閣列島、円高不況、北朝鮮問題、アメリカの中間選挙、高齢化、やれやれ、こんな事ばかり、読んでいるとテレビの見過ぎ、同様に
日本沈没、誰かのせいで、政治が悪いか官僚が悪い、自分はいやしが欲しいとやたらに何かを買いまくったり、最近の自分は変だと気がつく、
そう日本人は少し変なのかもしれない。
そんな中央公論の中にきらりと光る、夜行列車の特集。
いやはや演歌だ。
読んでみると演歌でもなく、夜行列車の時代を遊んでいたり、その時代から今をのぞいてみたり、
なかなか楽しい。
何でも世紀末が終わったと思ったら、環境問題に飢餓、戦争、高齢化・・・・だんだん電気が暗くなって、しまいには電球がショートして、真っ暗やみ。
それでも朝になれば夜行列車は、駅に着く。
飛行機なら、あっという間に羽田着。
羽田は、国際線線の運航開始で24時間フル稼働。
一日に3本しか出来ない、日本製の高価なブルージーンズ、こんな既製品に目から鱗が落ちる・・まさか。
アメリカの労働者や、チープな不良の若者がはいていたジーンズ、それにあこがれた日本人がジーンズを日本製で作って、神棚に祭る。
どこがカッコいいのか・・・まさにその値段とこだわりのラベルの復刻だったりする。
欲しい人には宝物。
日本は、かつては、ガリバーが探し求めた宝島、今は、浦島太郎の島だった。



10月25日
ファッション、得体のしれない人間の変身願望かな…カメレオン・・・猫の毛ズクロイ・・・オスライオンの道楽・・クジャクの求愛・・・。
美しくありたいと思う、美しくなりたいと思う、同じようでものすごく違う。
狡猾なキツネやタヌキ、イタチ。
カラスは黒に紫。
雪うさぎの白。
縞馬の縞。
舞う蝶。
羽を広げたクジャク。
僕のおしゃれは、自分を表現する遊び。
当然のように価値観も自己流で、高級だから、どこどこのブランドよりも、その時の思い込みが大切なような気がする。
えてして、高級仕立て屋の服がダサい時も。僕の見方勉強不足かもしれないけど。
所詮は、何も知らないカワハギの一言。

10月24日
今朝の新聞に戦争からの帰還という記事が出ていた。
ベトナムとアフガン戦争、二つの戦争が終わり、帰還した兵士たち。
僕は、ふと日本の戦後の帰還兵の「国敗れても山河あり」を思い出した。
国が敗れても、ふるさとの自然はそこにある、そこが帰る場所だ。
その言葉を教えてくれた人は釣りをした。
同じような小説があった、ヘミングウェイの「心臓の二つある川」、この小説では、山火事で焼けた故郷の川に戻り、
昔の思い出を回想、小さなマスを釣り、ふるさとの川に返す。
新しい命が生まれてくる。その場所がふるさとの自然。ふとそんな事を思い出した。

10月24日
僕のイラストは、何処かでファッションに捕まった。
ただそれは、アメリカの音楽を理解する、とくにジャズを理解するのにはすごく楽しい事だった。
何処まで行っても日本のIVYやファッション関係の人とはコミニュケーション出来ない。
なぜなら、僕は、音楽の印象からファッションを理解し、ファッションから音楽に帰っていく、そんな旅をしてきたからだ。
僕のファッションは、チープな既製服とそのためにパターン化、デザインされた服の中からジャズの音楽を見つけることだ。
大統領も作家も出てはこない。
ハリウッド映画もさほど魅力的ではない。
ただ、のこされたデザインの記憶を、たどり、音楽を理解して行く事だからだ。
夢の中の僕だけの冒険は、モダンジャズのミュージシャンの音に何かを感じ、不思議な迷路をさまよう。
出口・・きっと僕は出口があることを期待しなくなっているような気もする。
ただ、僕の出口はあった。
ハリウッドのカントリーウエスタンではない出口。
ビックバンドのジャズスタンダードではない出口。
ただそれは、僕が住む日本の日本人の出口だったのかは疑問だ。
観光ポスターや宗教の介入のための音楽ではない。
白でも黒でもない、ごく普通の日々の祈りと生活の中の音楽。それが出口だ。
出口で僕はためらい。
もう少し、都会のジャズを聞いて、さまよいたいと思う。

10月21日
中国の反日デモ。
中国の民主化が現実はどんなものなのか、悲しい現実を見ているような気がする。
日本政府と中国政府のとげの刺さった言い争い。
もう少し二つの国の関係を何処かで、話し合った方がいいように感じる。
憎しみは、個人の中に刷り込まれ、理由なく傷つけあうようになる気がする。
正義について義について考えて見ようと思った。

10月19日
日本を取り巻くアジア。
ロシア、韓国、北朝鮮、中国、台湾。
日本と同じような、民主主義国は、韓国だけだ。
中国と北朝鮮は、新しい権力構造に移行しようとしている。
二つの国とロシアは、巨大な軍事力を持ち、日本とは政治的な考え方もまるで違う。
中国での反日の暴動、何処か僕には、僕らの時代の安保反対、ロック、全共闘を思い出す。
今は、ネットで、学生だけでなく多くの市民がデモに参加し、とくに暴力的に見えるのは学生たちだ、
彼らの敵は富裕層の国日本。あこがれと、暴動。僕らはアメリカだった。
日本は戦後、高度成長の中の学生運動、幻想の革命ごっこ、今も同じように明治維新の幻想、テクノ革命、コンセプトばかりが先導する。
今は、もっと、この国の形がはっきりと見えるようになるといいなと感じる。
高齢化の現実は、僕自身も含め、この国の国としての夢や希望、責任、義務、それは、革命ではなく地道な積み重ねで、
作り出されていくように感じる。

STEAL AWAY・チャーリーヘーデンとハンクジョーンズのゴスペルなどアメリカのフォークソングを中心に集めたアルバム。
スタンダードやポピラーなジャズではないので、かなり地味なアルバムだ。
ベースと、ピアノ、二人のシンプルな音楽が素晴らしい。
これが僕のたどり着いたアメリカの音楽。

10月19日
ファッション屋が考えるアウトドアとスポーツ屋が考えるアウトドアがある。
スポーツ屋は、常に機能性をデザインの基本に、常に最先端のデザインを志向してきたように思う。
アウトドア用の保温、重量、通気性あらゆる意味で自然素材だけでは作る事の出来なかった科学的な進歩したものになった。
ただ僕には、その機能性の追求によって失ったものがあるような気がする。
一つは民族衣装に代表される、文化的な装飾性だ。
民族衣装は、少数民族の限られた文化に目を奪われがちだ。
僕たちの住む街にも自然は生きている。
4季の色彩の変化、動物たち、様々な出来事が、僕の感覚を刺激し、その中で感じた物の中にも、かつて民族衣装に表現された色
のかけらが混ざり合っているように思いたい。
生活様式も違い環境も違うけど、春の川辺に立って、フライロッドでその年の始まりを感じる時、
僕はそんな楽天的な自然の中での民族衣装を着ているように感じる。

10月18日
僕の若いころにアウトドアという言葉が流行した。
今も、アウトドアファッションは、一つのジャンルになっている。
僕の若いころのアウトドア派、バックパッカーと呼ばれた。
ベトナム戦争に反対した多くの若者が、自然に癒しを求め、放浪した。
その時にトラディショナルなカントリーライフのウエアやスポーツウエア、ハードなワークウエアを彼らのファッションにした。
彼らは、ボンドストリートや、マディソン街のヤッピーの保守派を嫌い。シングルソールのオックスホードを履かない。
都会に出たフォークシンガーは、風に吹かれ、東から西へ旅に出る。
日本では、学生運動が、アウトドアとロック・フォークを彼らのファッションや音楽にした。
IVY・ジャズは保守的なアメリカ文化支持派になった。
アウトドア、ロックその後70年代は、ファッション革命、何でも革命の時代。

2010年、派手な赤の国民服を着て、テクノロボットがコマーシャルでエコを訴えている。
僕は、モダンジャズとボサノバ、カントリーを聞く。
テクノと、ダンスミュージックは、ほとんど聞かない。
街にカントリーライフを見つける。
ヘリンボーンの段返しジャケット・ダブルソールのフルブロックのオックスホード。
かつてモダンジャズミュージシャンのトレードマークがカントリースタイルであった事を発見する。
15年ほど前に、ザバンド・ジャニスのプロデューサージョンサイモンをブルーノートで聞いた。
彼は、段返しのシアサッカーのスーツで登場した。
今思い返すと、それがニューヨーク、ウッドストックのメッセージだった事に気がつく。
都会の中で暮らしやすい、自然なカントリーなライフスタイル。
僕は時々、フライロッドをもって故郷の山河に帰る。

9月30日
今年の渓流釣りも終了。
明日からは禁漁。
昨日、忍野で今年の釣り収めをしました。
ドラマは、40センチのニジマスを見事に井上さんの作ったバンブーロッドで釣りあげた。
みんながイマージャが全然反応がない。そこで、10番のモンカゲのドライ・・・意外にこの手のフライが効果的。
思い出になる、瞬間。
僕は、いったいどんな顔してたんだろう・・・楽しいシーズンでした。

9月25日
今年の渓流釣りもクライマックス。
どんな年だったのだろう。
ロンドンに語学の勉強のために留学、友人と夕方近くまで釣りをした、知人のオリジナルの3番中空バンブーロッドで
遊んだ、偶然に、フライを教えてくれた友人に川岸で出会ったり。
釣れた魚の事は、そうだな・・・・・少し考えて、春のはじめての釣りで最初のヤマメ、ネットに収まり安どの気持ち。
釣りをするとき一人になれるのが楽しく、人と出会える事がうれしい。
そんなよい年だったと記憶しています。

9月19日
スーツを着るという事が、その人の身分や職業、ライフスタイルを表現するものだった。
そうした社会が、その価値観を見失いそうになっているような気がする。
僕は、イラストレーターだから、スーツなんて着る必要もない。
ただ最近、自分が、いつも人に見られている存在として、身だしなみに気を使う事が多い。
きちんとしている方が楽だし、自分らしい遊びを一味加わるとなんとすごく楽しい。

9月13日
モノの時代の次に来る時代。
先日発売された中公に正義についての特集があった。
昨日テレビ番組で、自爆テロとアメリカの無人ロボット兵器のドキメントを見た。
ロボットの操作は、アメリカの基地からでも可能らしい。
高性能カメラがテロリストを識別、ピンポイントでミサイルを的中させる。
モノとモノ、ただその片方は、僕と同じ人間。
どちらの兵器も人間がコントロールしている。
正義について、僕は、考えようと思っている。


9月9日
ぞろ目。
99は、100に1足りない。
シャレで読むと、救急とかきゅうくつな感じがする。
おしゃれなイラストを描いて、鏡に映った自分を見る。
やれやれ、気取った鼻高のおやじの絵より、もう少し素敵な事を描いた方がいい。
粋がって年をとる必要もない。
別の事を考えよう。


9月8日
今年の冬用のスポーツコート・2着が出来上がった。
今年はベーシック、茶色のヘリンボーンとブルーのツイード、
茶の方は、ストレートなアメリカ風、ブルーは、イギリスのカントリー風を多少意識したカジュアルな感じだ。
どちらも、すごくトラディショナル。
こんなに大人は、久しぶり。

早く涼しくなって、どう着こなすかが待ちどうしい。


9月5日
秋なのにとにかく暑い。
夏よりも暑い秋。
それでも6時過ぎには日が暮れる。
秋の夜長・虫の声・・・今年は蒸し暑い。


8月30日
天気予報が気になるのは小学生の宿題のようだ。
僕は毎日、天気が気になる。
自分のこと以上に魚のために気になる。
水温の上昇、生態系の変化色々と難しい事も考える。
要するに頭の中に魚が住んでいる、それが釣れるかどうかが気にかかる。

8月28日
昨日は忍野。
朝一番に久しぶりに春の釣り場ポイントをのぞく。
一面に水草が生い茂り、春とは全然違う姿。
例年なら、ライズも少ない、水草の上に出た大きなニジマスやブラウンが堂々とコカゲロウや、ミッジを捕食している。
釣り人の姿はない。
さては、このライズはかなり手ごわい。
恐る恐る、20番のコカゲのドライをキャスト。
いきなりのアタック、あわせが遅れる。
今度こそ、50センチクラスが、フッキング・・・・・バーブレス20番・・・・残念。
数回キャストして、相変わらずライズはあるけど僕の毛バリに反応はなし。
あきらめて、次のポイントに・・・・。
ライズする魚、釣り人は、誰もいない・・・謎は謎を呼ぶ。


8月24日
ネットの時代の前の円高は、その日に影響を感じることはほとんどなかった。
今は、アマゾンをはじめ海外の品物の価格が、いきなり変わる。
ディスカウントのセール、アウトレットは、いきなり値下げ。
プロパーで売るブランドのお店は、日本価格のまま、ものすごく割高だ。
結局、お店では、価格が高すぎて買う事が出来なくなる。
すごく買い物が不安になる。
お店の事が心配になる。
昔は1万円は、1万円、今は、1万円の価値が、いきなり変わる。
このお金いくらなんて事になってます。


8月23日
熱い・でも秋。
今年はスイカはあまり食べてない。
そんな夏だった。
夏がセミの声の遠吠えのように午後の日差しは強い、夕暮は、早くなった。
夏の名残りはやっぱり釣りだ。
ぼろぼろになったフライボックスにぼろぼろの毛バリ。
この季節はいつも、毛ばりをまくのが面倒になる。
残り物には福があるなんて勝手に考えながらの釣り。
それでも毎回の最初の一匹は、ほっとした感動だ。


8月22日
最近、カジュアル老人が増えた。
普段着になった元サラリーマンの老人もサザンオールスターズに帰ったのかもしれない。
ハッピーエンドや吉田卓郎なんて老人も、テクノの老人もいる。
みんな少年の老人。
メイドの旅の前に自分探しの旅に出るとこのような気もする。
でも、昔に戻るのは僕はごめんだ。
自分らしい老人になりたい。
僕の好きな、素敵な老人になりたい。
バブアーを着て、春の散歩や、釣りに出かける。
いつも身だしなみは、きちんとしていたい。
ちゃんとした靴を選びたい。
別にスーツを着たくはないけど、スポーツコートは好きだ。
キャラクターティシャツは着たくない。
読みかけの本の扉を開けて、今度は一気に読む。
次に読む本をさがす。
自分の絵を描く時間、音楽が聞こえる。

8月18日
お盆が明けた。
新聞を開くと、世界が、大不況と終わることのできない戦争、たくさんの事件、脅迫するような、
いやらしい週刊誌の広告などの活字情報が僕の脳に飛び込んでくる。
釣り竿を振る時は新聞の事は忘れる。
そうだ、釣りに行こう。
釣りは漢方薬のような感じ。

8月16日
僕もイラストで参加した出石尚三さんの「スーツの百科辞典」、色々物議になっている。
そもそものスーツ論。色々ある、ややっこしい、。
スーツを着るのは、ビジネスマンが多く、出石さんのおしゃれなスーツの話が今一つ絡み合いにくいようだ。
ビジネスマンのスーツが守る側、出石さんは、高い鼻で打ち返す。
イラストで参加した僕も本が出来上がるまで、本文は読んでいない。
確かに、ビジネスマンたちの言うセンスの違いはすごく当然だと思う。
フィリップマーロウにトムウルフが登場する、ファッションコラムに黒に紺がスーツの基本なんて、
考え方のビジネスマンが喜ぶ話が書いてあるはずがない。
ファッションを楽しむのにもう少し開放的でもいいような気がする。
その方がおしゃれだと思う。

8月11日
マンガ、カトゥーン、カリカッチャーどう違うのか。
風刺画から生まれた、線画、デッサンなんて言い方で説明になりますか。
アマゾンなどで、カトゥーンで検索すると、スーパーマン、バットマンなどにコミックが出てくる事が多い。
マンガだと、日本のフィギヤ風の漫画、アニメが埋めつくす。
カリカッチャーだと、比較的この言葉最近は使われる事が少ないらしく、ニューヨーカー、ポスターなどの風刺画イラストなども出てくる。
僕が子供のころは、今の漫画はほとんど少年少女漫画というジャンルだった。
アトムとサザエさんは、大人と子供、読む対象が違っていたのだと思う。
新聞の挿絵も風刺漫画がたくさん使われてきた。
最近の新聞は、かわいい漫画イラストに変わって、風刺がなくなって広告と変わらなくなった。
なんとなく、みんな良い子でPOPになった。
これには疑問を感じる。
音楽も、にこにこ良い子の、ハッピネスはどうも今一聞く気にもならない。
教育テレビのみんなの歌は、意外に好きだったりはする。
自分が描いたモテル親父も、正直、良い子の裏返しだったように感じる。
何処かで何かに疑問を持つことは、大切なことだ、日常の中に風刺がある、メディアってそんな井戸端会議だったように思う。
僕の漫画は、何色なんだろう…。

8月10日
いきなり台風が沖縄上陸。
中国では土石流。
昨日は愛知で大雨。
ロシアは、異常気象で小麦が不作。
毎年、この季節になると地球環境、人類絶滅、なんて事を考える。
ニュースのばんそうこうが頭にこびりついてなかなかはがれない、そんな感じ。

久しぶりに音楽のイラストを大量に描いた。
青山学院裏のパピエドールに展示する。
今回のイラストは、青山に展示する事に僕なりの意味がある。
アイビーの時代、チャックベリーが登場する少し前。
モダンジャズが街の音楽だった時代。
まだ僕は中学生、ジャズなんて聞いた事もなかった。
カリカッチャー・新聞漫画の風刺似顔絵風に描いた。
絵の中に僕が聞いた、音が聞こえてくるといいな。


8月5日
毎日猛暑。
夕涼みも汗だく。
さすがに釣りも朝一番勝負か6時も過ぎた夕方の暗くなるまで待て。
自分の都合では出来ないのが釣りだ。
悟るほどの事でもないのでお盆は、例年竿休め。
絵でも描こう。

7月30日
スーツの百科事典が発売になった。
その中で70年代のファッションのスーツの話も出てくる。
スーツがビジネスマンのためのユニホームではなくファッションになったのはこの時代だと感じる。
最近のモードのスーツも同じようにユニホームとしてのスーツではなくファッションとしてのスーツだ。
21世紀のスーツを楽しむ、本だと思います。

7月26日
エコは、物を捨てるべきなのか、大切にすべきなのか、意外に難しい。
古くなっても大切に使うべきなのか、低酸素社会向けの新製品に変えるべきなのか。
捨てたごみの処理を考えると、いちがいに買いかえればすむとも思えられない。
ファッションは、どんどん買ってどんどん買い替え、どんどん捨てる。
そのわりにヨーロッパの街の建物は変わらない。
太陽光発電のパネルの寿命が10年少し、ハイブリット車の電池の寿命が約2年、そう考えるとデザイン
の寿命の長さ、ライフスタイルの寿命の長さが大切だと感じる。
何でもテクノ神話、テクノから始まったではいけないような気がする。
ジョンケージが作曲した教会の鐘、この作品はすごく面白い、何十年に一度、少しずつ音楽が進行する。
スペインのガウディの教会は、歴史になる長い時間で完成する。
物を大切にするには手間暇がかかる。
たとえば、ヨーロッパの築200年のアパート、今でも使える、デザインは、もちろんカッコいい。
何でもデザインのイタリア人も住む家は、イタリア建築の古い建物だったりする。
スニーカーか皮靴かまずはデザイン、一概に同じようには比べられない。
でも、修理に出せる靴は、いい顔している。
靴を売るだけのディスカウントショップ、お客の顔なんて覚えていないと思う。
靴の修理屋さんは、一人一人の顔を覚えているような気がする。
靴屋に靴の修理屋、二つも職業があるのもいい。
時代が変わっていく、価値観も変わっていく、人も変わっていく。
美しい街、ライフスタイルの使い捨てではないデザインが生まれてくることに期待しています。
フライフィッシングとビルエバンス僕は好きです。

7月25日
夏は、花火見物。
花火は、なんとなく色っぽい。
盆踊りは、いまひとつ、踊りのおっしょさんが高齢なのが気にかかる。
東京音頭などのヒット歌謡の盆踊り音楽も今一進歩がない。
ブラジル風の盆踊り大会もあるようだけど酔っ払いの野外ダンスイベント。
インドアのディスコや、クラブは、怪しい雰囲気がエロい。
それにくらべるとやはり盆踊りは、エロくない。
それでも、最近は、ハワイアンおばさんたちが盆踊りでげんきに踊って腰を振る。
親父は、子供と、たこ焼きの列に並ぶ。
余計な事は考えないで、鼻歌ボサノバ。

7月23日
フライフィッシングは、毛ばり釣りと翻訳されている。
最近その毛バリも動物の羽や毛ではなく、チューブ、ナイロンの毛、虫に似せ成型のプラスチック・管理釣り場攻略法など
毛ばり釣りではなくフィギヤ釣りに変わる勢いだ。
コンピューターに携帯電話、デジタルで環境の音を表現する時代、人間が、生活の中から見つけた遊びも様変わり。
生活が変われば価値観も変わり、その中から発明されるのだろう。
ただ、何が正しいかではなく、文化として、伝えていくものがあるのかないのかを考えてみる。
僕は、あまり人に何かを伝えたいとか残したいとか基本的にあまりない。
自分が描いたイラストも自分が描く事が好き、出来上がったイラストを見て、楽しければそれが一番だ。
フライに関しても同様で、今の人工的なマテリアルは駄目というわけではない、ただ、アナログで遊ぶことが大切だ。
魚とフェアプレイで遊びたい。自分のルールで、いまだにストマックは使いません。
魚に尊厳を感じる、当然使う道具も自分なりに価値がある。
いけすのような管理釣り場は、100パーセント行かない。放流、現状の環境には一定のルールが守られれば、必要だ。
魚を食べるために釣りをするわけではない、ここには多少自分なりの解釈がある。
釣魚大全の旅人と釣り師、旅人は、魚釣りをするために旅に出たわけではなく、自然を理解するスポーツとしてフライフィッシングに出会う。
食べることで魚の味は理解できる、お料理の達人ならそうするだろう、鉄鍋を持って旅をするかもしれない、
もっと単純に魚が釣れる事、魚を知ることが、自然を理解すること自然に興味がわき、自然が好きになる。
別に大袈裟にアウトドアだ、ライフスタイルだ、なんてことはアメリカ的なヒッピーカルチャーのファッションビジネスのように感じる
ロックと似ている。
フライで釣る事、釣れた魚お美味しくいただく事を鉄鍋フライフィッシング、単純にダサイ、別々に考えればいい事を一つにしてしまった結果、
紳士のスポーツ、学ぶものが持つべき品格が失われ、脱サラ遊び人ライフの見本。現実以外の想像力を感じない。
その挙句の果てが人口素材の毛バリもどき、このフライ釣れます、釣り技法に新素材の道具、管理釣り場大作戦の大売り出し。
これはこれで、フライフィッシングもどきの誕生に他ならない。
もどきが何時かフライフィッシングになるかもしれない。
ヨーロッパで始まった、ワールドフライフィッシング選手権を見ていてふとそう思った。
昆虫のありに興味を持った少年が、大人になり生物学者になる・ウィルソン・色々言われる人だけど、僕は好き。
ハックルベリーみたいな感覚が好きだ。
人間は、どんな人間になるかは、はわからない。色々な人間がいるからこそ、人間になることは大切だ。
人間はおしゃれをする、おしゃれはすごく大切だと思う。

7月22日
昨日は、猛暑の中、忍野にバンブーロッドビルダーの井上さんと出かけた。
井上さんがロッドビルドを秋丸さんの処に修業に出たころに偶然に知り合った。
その彼の作品をイラストレーターの僕に試してほしいとのこと。
8フィートのバンブーを手にして、バンブー独特のラインコントロール、グラファイトになれた僕にはすごくスローで
重たく感じる。
リバーランドスルーイットの最初の言葉、10時と1時のタイミングだ。
そのタイムに入れば、重さもラインのコントロールも自然にできるはず・・・グラファイトのシャープで機能的なスピード感とは全然違う、
別のものを道具の中にある懐かしい時間だ。
昔使い込んだ僕のバンブーロッド、そのころにはそんな事は何も感じなかった、自分の釣り道具、ただそれで魚が釣れればうれしかった、
大切に使ったとは言えない、傷だらけ、でも井上さんのロッドを手にして、バンブーロッドの事が少しだけ自分の言葉になる。
自分が意識もせずに使っていた道具が、ちゃんと自分に何かを伝えてくれていた。
釣り終わって、用意された僕用の4番8フィートではなく3番の7.6を使ってみることにした。
ミッジとしては少し長い、張りもある、おもりを使ったニンフもコントロールできる。
忍野でも十分使える。
ロングリーダーの流行、グラファイトの9フィートの長い4番が登場したころ、日本の渓流釣りは駄目になると思った。
管理釣り場と本流の釣り、桜ます、海外ののレインボー・大岩魚・本流のハイパーヤマメ、多摩川の鯉・・・。
最近、キャッチアンドリリースエリアが出来て、フライフィッシングらしい釣り場も少しは出来ているらしい。
いや、今でもどこでもちゃんと日本の渓流のフライフィッシングは面白いはずだ。
僕が釣り歩いた頃が今より魚が多いわけでもなく、川の状態も悪かった。
昔はよかったなんてことはない。
ただ、管理釣り場、放流のキャッチアンドリリースみたいにいつでも釣れはしない。
釣れるのは、ほんとに春の一瞬だったり、大雨の後、夕立の後ヤマメ・日暮れだったり。
でも、それは、フライマンだけの私の秘密。それを知ってる連中のあいさつは、にやりと笑える。

何でもそうだけど流行る売れる、その仕掛け人がカリスマ、正しい。
いつの時代もこうやって歴史が出来てきた。
日本の昔話にフライフィッシングは出てこない。
ついこないだ流行したのがロングリーダーロングティペット・・・・そのために作られた9フィートの3番・4番。
この釣り竿は、バンブーロッドではまず考えられない。長くなれば重くなりバランスも悪くなる。
グラファイトが可能にした。
それに誰にでも釣れる管理釣り場にインストラクターのキャスティング技術。
バックは十分に取れ、渓流のような岩が作る複雑な流れもない、足場もいい、流した後の釣りいとの絡んだりする障害物がない。
スポーツ・プロの誕生だ。
これはコマーシャルになる、釣り具屋は大喝さい。
みんな、渓流に一度は行ったと思う。釣れる前に川に入るためのブッシュや木の枝、長い竿は、5本つなぎのパックロッドに進化する。
いざキャスティング、一つ先のふちまで十分に届きそうな長いリーダーにティペット、目の前のポイントにはフライを流すのは至難の業。
木に絡み岩に絡み、川のポイントを歩き回る。
短い釣り竿なんて聞いた事もない。日本の川は釣れない。日本はダサい。
大きな魚に大きな川、それをドライで釣る。釣り道具屋に雇われたプロのアングラーと雑誌メディアが作った夢。
北海道、海外に行こう。
夢は枯野を駆け巡り、気がつけば、たんすの肥やしになってフライロッドは、眠っている。


7月19日
セミの声はまだ聞こえてこない。
セミは、8月か・・・。
僕の夏の印象は強い光と、影。
川音、じっと動かない対岸のえぐれの岩魚。

その姿が見えるようになったのは、いつ頃からだろう。

7月17日
昨日は、ようやく届いたカングーにのって夜明けから、釣りに出かけた。
僕の愛用している長靴は、おしゃれな女性にも人気のハンター。
ただ僕がはいているハンターは、とにかく汚い、汚れている。
天然ゴムに川のよごれが染み付いている。
よごれがハンターなんだなんて、粋がってみても、みるたびに長靴に申し訳ないような気持ちになる。
洗っても、落ちない頑固な汚れだ。
長靴自体の機能は、靴底も含めて全く問題がない。
新しい長靴がほしいとは思うけど、それ自体が、ハンターを傷つかせるようで後ろめたい気分になる。
もう少し物を大切に出来たら、ハンターを見て暮らし方を考える。

7月11日
選挙だ。
今回の選挙は、景気の問題に興味がある。
何でいきなり消費税なんてびっくり箱があいた。
今の日本はお金持ちのラグジェアリーナの高級車が当たり前にエコで走る、その横を前後ろに子供を乗せた自転車が走り抜け、
介護用の電気モーターの車いす、二子のベビカートがつづく。
みんなが、還付金。
誰も払う必要がないのか税金、気がつけばそれは国債・・。
EU、アメリカも経済は不安がいっぱい。
みんなが、お金のデジタル神話に群がっているのかもしれない、いけすの魚みたいに。
僕も、その中でイラストを描いている。
子供のころから絵を描いている、今も描いている、幸せな気分になる。
これが僕だ、僕の人生だ。
もう一つあるとすればフライフィッシング。
魚と遊んだ思い出。
今はそう思う。
さて、投票に出かけます。


7月10日
昨日、新しい車が納車された。
今回は、シトロエンのC5からルノーのカングー。
ラグジェアリーなシトロエンからいきなり商業車カングー。
ところが、カングーには、色々な発見がある。
車内は、小さな部屋みたいで、とにかく集能力がある。
天井がすごく高くて家の屋根みたい。
天井裏みたいなところに色々なものがおけたり、確かに椅子、ステレオは、商業車・・・後部座席の窓もあかない。
新型は空きますが、3ナンバーですごく大きい。
フランスの車らしい個性的なデザインは、新型も僕の旧型もどちらもいい感じ。
旧型の方が新型よりも都会的な気もする。
シトロエン、プジョーが未来志向なのにカングーは、パリのアパートに帰ってきたみたいでかえって新鮮。
年かな・・ラグジェアリーにはなれなかったしなじめなかった。
普段着の小さな夢の方が、なんとなくしっくりくる。


7月7日
七夕だというのに曇り時々雨。
最近、高級セレブのファッションが元気がないらしい。
景気が悪い、贅沢は出来ない、格差社会の象徴のように高級ブランドで着飾るのは、
どう考えてもかっこ悪い。
僕たちは、感覚で色々な事を感じて、暮らしてる。
ファッションが売れないのはライフスタイルのデザインに合わなくなったからのような気がする。
流行に敏感な人がファッションリーダー、その流行が変わったのかもしれない。
僕は、街に出かけると、みんなおしゃれが好き、ファッションが好きなんだと思う。
ただそこにいる人たちは、セレブなファッションリーダーや芸能人ではない。
やっぱりそんな人たちがほしがるファッションがたくさんあるのだと思う。
モテルやつのファッションは、やっぱりかっこいい。

7月4日
僕のイラスト稼業、意外にファッションのイラストが多い。
753の晴れ着にツィードのダブルのスーツ、いまだに僕のファッションは、753だ。
きちんとしたファッションの事は、ほとんど知らない。
スノッブな気取り屋の洒脱なおしゃれを漫画にして描く。
それなら、ファッションのうんちくを説明するより、おしゃれを気取る人物の表情が面白い。
そんな僕が、紳士服の単行本のイラストを描いた。7月末に発売になる。
僕以外のイラストレーターは、日本を代表するファッションイラストレーターの巨匠。
いやはや冷や汗ものの仕事でした。

6月22日
音楽CDが売れないらしい。
ネット配信で購入、携帯電話で好きな曲をダウンロードして、保存する。
聞かなくなったら、消してしまう。
自分が好きな音楽は、ネットの中で探す。
確かに便利だけど、コミニュケーションの場所がネット場、メディアだったりする。
なんとなく街のジャズ喫茶が懐かしくなる。
今のテクノなDJは、自分で選曲しアレンジ、ミュージシャンのような存在だし、音楽評論家は、カリスマ化して
自分の好きな音楽の布教活動。
ミュージシャンは、自分のサイトを作り、そこで音楽ソフトとして配信販売する。
音楽が出会う場、音楽好きが出会う場、ミュージシャンが出会う場、色々な場所が街にはあった、
色々な場所には仕事もあったし、いろんな人が集まった、色々な意見もあった、色々な音楽が生まれた。
確かにそれがお宅とつながって、ネットの中の空間に変わったのだろう。


6月16日
梅雨に入って、庭は、各種のハーブで足の踏み場もない。
手入れもしないのに、この季節になると、いきなり目を覚ましたように生えてくる。
毛はえ薬もハーブにヒントがあるかもしれない。
車が故障、我が家は陸の孤島、かなり不便。
夜はワールドカップの観戦、一日が長くなった。
長い一日、さて、何を絵にするかな。

6月14日
今朝の新聞に渋谷のHMVが閉店する記事が出ていた。
街から消え、ネットの中に。
なんか街がゴーストタウン化してきた感じがする。

姿の見えない世界が何となく怖くなる。


6月9日
日本のリーダーって、総理大臣なのだろうか。
すぐに変わってしまう。リーダーらしくない気もしてくる。
確かにアメリカ、フランス、中国、ロシアは、国のリーダーがはっきり見える。
それは、政治の話。
日本は変な国だ。
もうじきワールドカップ。
やっぱり、応援したい。
とにかく1点でもいいから、ゴール。

6月3日
IPADが発明なのか、進歩なのか、文化なのか・・・。
何かテレビはやたら大騒ぎで、いつもの大好きな革命なんて感じ。
音楽を聞くのに、僕は相変わらずスピーカーにアンプ、CDプレイヤー。
本を読むのはもちろん本。
コンピューターは、仕事も含めて必需品。
メールも、買い物もホームページもコンピューター。
街に出かけると携帯電話症候群で多くの人がうつむいて、前も見ずに歩いている。
そのせいか、最近人物をデッサンすると、うつむきポーズになる。
電車でゲームをする人の方が漫画を読む人よりも多くなった。
携帯でメールを読んでいる人が一番、多い。
確かに私たちの秘密なんて感じだし、007みたいだし、かっこいい、楽しい、おしゃれだ。
直接の電話よりメールの方がやさしい気もする。
IPADは、やはり大きい。
家で使うのにはいいかもしれない。
カフェで使うのも便利だ。
ながらには、どこにいても自分用のBGM、ゲーム、ネット、様々なものが必需品。
新しい時代のコミニュケーションのツール、デザインの発明、それが答えのようです。


6月1日
6月、梅雨の季節、夏の始まりだ。
今年の春は、不安定な天気にモヤモヤが残った。
いつ春が来たのかなんとなく記憶が薄い。
確かに桜は、かなり長く咲いてはいたけどパッと咲いてパッと散る、
桜がまだ咲いてるなんて変な感じで、雪まで降った。
短いより長いほうが楽しいけどどうも印象が薄い。
決めが弱いのかな。
芝居なんかでも、だらだら同じことを繰り返されるとイライラしたりするのと同じかもしれない。
最近の政治家のニュース芝居もそんなイライラが残る。

5月30日
日米、沖縄基地とIPADの発売が同時に起きた。
やはり黒船が来たなんて感じがした。


5月29日
アイパッドが発売された。
僕も少し時間をおいて買いやすくなったら使ってみようと思う。
毎日、使えそうなのがその理由だ。
その結果、新聞が必要なくなるかもしれない。
便利だとかではなく、自由で、頭が軽くなれそうな感じがする。
まだまだ沢山、読みたい本もある。
物が増えるのが限界にきた生活環境には、アイパッドはやさしい気がする。
なんと言っても読んだ後、使った後の、新聞、ペットボトル、食料品のトレイは、一番不便だと感る。
使えなくなったものを捨てるのが一番大変な生活だ。
写真集、絵本、読みかけの小説、自分の部屋の本棚は、やはり必要だ、インテリアとして重要。
もちろん洋服ダンスのおしゃれコレクションも、CDの山も捨てません。

5月28日
夏に中目黒のカフェレストラン・COCCINELLAで10数点イラストを展示する事になりました。
額そうがどうしても高額なので、印刷ポスターのような価格には出来ませんが販売もします。
イラストは今回のためにすべて新作です。
女性オーナー料理研究家パンチェッタ貴久子のお店なので、女性の作品も頑張って描きました。
カジュアルなお店、素敵なお料理です。


5月26日
ロックは、ある面では、ギターサウンドだったと思う。
ジャズの時代にギターは、主役になる事は、意外に少なかった気がする。
アメリカのギターは、カントリーとブルース。
エレキになったのがロック。
最近ジャズのギターサウンドを良く聞く。
ロックを聞いて育った世代のギターリストが、ジャズを新しい解釈でロックとは違う音楽を作り始めている。
素直にそれがジャズなのかというと、ある面ではイエス、でもジャズと言えばジャズそんな感じがする作品も多い。
ECMの音も音楽ジャンルでは、ジャズらしいからジャズなのだろう。
モンクの新解釈が多くのギターアルバムで録音されている。
それぞれ個性的で楽しい。
仕事をしながらのながらリスニングには、最適だ。
やっぱりブルースは、仕事のノリなのかもしれない。


5月24日
ベンシャーンの子供の言葉遊びの本がアマゾンから届いた。
今朝注文して、夕方には届く。
確かに便利だ。ただ癖になる。つい、夕飯のおかずを買うように本、CDを買ってしまう。
ベンシャーンの竹を削ったペンで描くモノクロのイラストは、なんであんなに頑固で無口なのだろう。
木彫などの版画と違うのは、生きた線の動きだ。
生き生きした絵の力、表紙に書かれているのは3人のブルースハープ・ハーモニカを吹く少年。
ガツンとくる素敵な本です。

5月23日
最近ジャズを聞いていてふと思ったこと。
洗練、素朴、土着、造形。
洗練と土着は、なかなか相性が悪い時もある。
素朴はシンプルという意味では、洗練された質素さのような感じに思う。
造形は、素材、形、デザイン、印象、視覚的な言葉だと思う。
僕は、物の存在を意識して生活している、音楽を聞くのもそのためだ。
物を美しいと思うのも、お料理をおいしいと感じるのも、きっと僕が意識していることだと思う。
洗練が、素朴や土着を嫌うのは、科学などがそれだと思う。
印象というあいまいな世界が味であったり記憶であったり、きっと意識の先にある。
意外に僕はそれが好きなのだと思う。


5月21日
北朝鮮と戦争。
僕が生まれたころ、アメリカは、朝鮮戦争で中国北朝鮮と戦争をしていた。
日本が太平洋戦争から、戦後の復興にかじを切れたのもこの戦争のおかげみたいなとこがある。
意識の中にも太平洋戦争の敵国アメリカから同盟国アメリカに変わった。
ただ、沖縄の事は僕らにはわからない。
沖縄は、太平洋戦争の戦場となり、多くの人がなくなり、占領軍が、そのまま主権者として沖縄を支配下に置いた。
日本に返還された後も、アメリカの戦争と深くかかわってきた。

38度線と沖縄は、僕の知らない戦争の地図に記されている。
僕ら戦後生まれの、本土の日本人は、戦争を知らない。

ギリシャ、北朝鮮、中東、タイ・・・・・。

生命・・・アメリカで人工生命が作られたらしい。
科学が、たんぱく質に命を与えた。
命・・・不思議。

5月18日
口蹄疫
恐ろしい家畜の伝染病。
人間に直接に感染することはない。
ただそれは、現在のウィルスの話だ。
牧畜、肉食の歴史は、ヨーロッパが参考になる。
イギリスの牛の殺処分は、伝染病の恐ろしさから考えれば仕方がないことのような気がする。
狂牛病やエイズ、狂犬病など同様に伝染病ウィルスは、いつその遺伝子が突然変異して、人間にも影響するようになるかはわからない。
つぎからつぎに恐ろしい事がおこる、国ごとお祓いをした方がいい。
宮崎のメロンを食べよう。
獣医ヘリオット先生のお話に口蹄疫の話が出てきます。


5月18日
今日もソニーステットのCDが届いた。
天国から、届けられるような気持ちになる。
ジャズだけでなく僕の好きな音楽は、時代遅れ。
音楽に言葉のようにはっきりした意味があれば。
抽象的でいい、言葉のように意味になったら、音楽でなくなってしまうかもしれない。
いやはや勝手な自分。
これが今年の勝手にしやがれだ。


5月17日
今年の夏は、ソールなジャズで始まり。
BOBBY HUTCHERSONは、以前から好きなミュージシャン。
でもジャケットのアフロヘアーがどうしても今一で買わなかったアルバムがTOTAL ECLIPSE
オヤジ臭いアフロヘアーどう考えても洗練された感じはしない。
いざ聞いてみると、2曲目のタイトル曲、チックコリアのピアノが最高。
夏にちょうどいいアルバムです。


5月16日
最近60年代のジャズの迷走なんて感じを楽しんでいます。
黒の人権、ベトナム、キューバ、ビートルズ、チャックベリー、ボサノバ、ヌーベルバーグ、ウエストコーストジャズ。
様々な事が60年代に始まり、70年代にポップスの世界でさまざまにサウンド、レーベルとして新しい時代がはじまった。
50年代から60年代の初頭までは、モダンジャズの時代でした。
モダンジャズがブラックな方向とフリージャズ抽象的なアートの方向へ、その中でモンクのは、モンクのジャズ。
壊れた美しいもの言葉にない、音のひずみのような世界かもしれない。
最近のモンクの曲や、モンクをテーマにしたアルバムがいくつか発売されています。
意外に好きです。
60年代のブラックなジャズは、日本ではきっとジャズ喫茶の真っ黒なコーヒーだったのかな。
日本人はジャズが好きでした、IVYなどの学生、サラリーマン、マイルスやコルトレーン、チャーリーパーカー。
でもソールジャズなどと呼ばれるファンキーなものは軽薄に聞こえたような気もします。
フリージャズの迷走は、ロックやリズムアンドブルースに新しいポップスの時代にかすんでいました。
日本人が苦いコーヒーと煙草の煙の中であこがれた地下室のジャズ。
ふと迷い込んだ、バーは、親父たちの青春の光と影の世界。
もし、地下室のカフェテーブルがサンジェルマンデプレだったら、マイルスのトーンはもっと別の音に聞こえ、
ボリスビアンと出合っていたかもしれないと思います。
今はそんな事にはあまり興味はないのですが、ただふと立ち止まって、
ビートルズって知ってる、イギリスのアイドルグループ、なんて話がしたい。
キースジャレットとチャーリーヘーデン、ジャスミンは、すごくシンプルな二人のジャズミュージシャンの思い出のようでした。



5月15日
昨夜、テレビで「チャーリーとチョコレート工場」映画を見た。
工場、大量生産の場所、チャップリンの独裁者も工場のシーンがあった、
ポップアートはアートの工場、アンディウォーホルは独裁者かもしれない。
工場に招かれた5人の子供と付き添いの家族、次々に制裁がおこなわれる。このへんはかなりの残酷でサドマゾ。
わがままな子供が制裁を受ける、快楽なのか・・・そのくせ経営者の過去も抑圧された、歯科医の息子の過去。
歯医者にチョコレート・・ポリフェノールは歯にはやさしいけど糖分は敵だ。
矯正具が象徴する矯正強制された子供時代。
家族なんてコンセプトでハッピーエンドになるのは、アメリカ的な気もして意外に許せる。
おとぎ話なのか、ただのハリウッドの娯楽映画なのか、見た後に、覚めた目線の自分に気がつく、音楽がつまらなかった。

5月14日
ファンキーとはご機嫌。
スタンリータレンタインを聞いていて、ふとそう思った。
太陽の光がまぶしい、
夏が来たんだ。

5月11日
連休の間にいくつかの音楽イラストを描いた。
連休が終わって、見直してみると、良い面とすごくストイックな内向きすぎる面があるように感じた。
仕事ではないから、その時の自分が出ればそれでいいのだがやはり・漫画アーティスト・そう名乗ることにした・
何処かでなごみたい。
コーヒーでも、そんなイラストをかけたらいい。


5月8日
坂本竜馬、明治維新がブーム。
そのせいかちょんまげつけた侍がロックな感覚で流行している。
ハリウッド製も含め、何でもありのリアルな嘘が面白い。
ただ坂本竜馬のブームが、明治維新だとか政権交代だとかとかさなるとすごくうさん臭くなる。
そろそろみんな、世直しごっこに飽きてきたのかもしれない。

世直しごっこの今一つ好きになれないとこが、世のため人のため。
もちろんそれが自分のためなのはよくわかる。
世のためになることは、人に言わなくても、いい。
大声張り上げて、世のためROCKの狼中年も急増しているような気がします。


5月6日
ゴールデンウィークが終わった。
アイルランドの火山の噴火、メキシコ湾の原油の流失、ナシュビルの大雨。
世界で連続して起こる災害の大きさに戸惑う。
すべてが現実だということ以外に理解しようがない。
上海万博とギリシャの金融危機、タイの政変、こちらは人間様のやらかした出来事だ。
日本では普天間問題、はじめて総理が沖縄入り。
世界で考えれば小さな小さな出来事かもしれない。
もっと小さな私事、歯科衛生士の姉が定年退職、近頃、夜泣きのうるさいポジ、入院中に母は、今月で91歳になる。
連休は、絵を描いていた。
音楽イラスト、今回は、ラブソングとラブバラードがヒントになった。
久しぶりにイラストを雑誌仲間の中目黒にある、奥様のお店「コチネッラ」に7月展示する予定。
いつかは個展なんて事もやってはみたい。
でもまだまだ、時々ライブハウスみたいに友達のお店にイラストを飾ったり、インクスポットで公開したり、で頑張ろうと思います。
青山の「パピエ」の山口さんのゴールデンウィーク連休のフランス旅行もイラストに出来たら、お店にかざる予定、こちらは、もう少し先の話になりそうです。
山口さんのお店には、イギリスの雑誌モノクルで描いた、パリニューヨークのアパートメントの暮らしのイラストが展示されています。
青山パピエンドールで検索してみてください。
広尾の隠れ家BAR「フレスコ」榎本さんのカウンターを中心にした、お店。
ずっと以前に描いたインクスポットの音楽イラストなどが飾ってあります。
中目黒のジェラートと夜はバー。
ピンク色の怪しいお店、タニ・バッチ、イタリア語でもっとキスなんて意味らしい。
中目黒らしく健康的なジェラートのお店に、レオンの創刊当時にかいたモテル親父のイラスト。
時々気分で模様替えするので、最近はどうなっているのかは不明です。

さて、初夏、今夜はスイカでも食べようか。


5月2日
僕たちの国、日本には、世界の様々な事が、日本のサッカーとか日本語のロックとか日本の背広とか冠がついた表現がたくさんある。
日本のサッカーとは、ボールの代わりに毬をけっているわけでもない。まりもボールも表現の違いだ。
日本語のロックはすごく難しい、日本のジャズは、日本人のジャズだから日本のサッカーとそんなに違いがないような気がする。
日本ではなく日本語のロックだからややっこしい。
英語のロックとの違いは、言語、意味、日本人、文化なんてことになるのだと思う。
英語のロックとは違うものなのだ。
日本に住んでいると何でもかんでもが、日本の、日本語の、なんて表現になっている。
よく考えるとこの国は、コピーからオリジナルを発明する国のような気がしてくる。
最近、中国のコピー著作権の問題が話題になった、日本では、コピーしたものを日本の、日本語の、に転換してオリジナルする。
そのままコピーしたものは、日本のものにはならない。
日本人には、この日本の、日本語の、物の方が人気があり、使いやすい。
ただ、日本の財政は、日本そのもののの姿のように感じてしまう。
日本の背広は、すごくへん。
背広の語源の一つは、セビルロー、ロンドンのスーツの商店街の地名だ。
背中が広い、なんとなく羽織の感覚が残るようなしゃれた表現だ。
言葉が文字になり意味を持ち、オリジナルに、日本語になった、そんな感じがする。
それと比べると日本のサッカーも日本語のロックもなんとなく今一つだ。


4月24日
今年の春は、冬よりも寒い気がします。
春が遠いのではなく春が人見知りなんて感じ。
寒くても桜が咲き、新芽、黄緑とバイオレット。
山桜も、今が満開。
来週からはゴールデンウィーク、僕にはあまり関係はない。
休みの間は、じっと春ごもり。
連休が終わると、いきなり夏のような予感がする。
4季を楽しむにもそろそろ温暖化用のカレンダーが必要な気もします。

4月16日
僕らの地球がおかしい。
ハイチ、チリ、中国で地震・・・。アイスランドで火山が噴火。
ヨーロッパのいくつもの飛行場が使用できなくなった。
まもなく、5月、忍野では雪が積もったらしい。
恐竜が隕石の衝突による環境変化で、絶滅・・・。
僕らは地球人、地球から逃げ出すわけにもいかない。


4月15日
学習する魚たち。
メダカの学校。
最近、忍野でドライフライで魚を釣るのは至難の業になりつつある。
毎回の放流後の魚は簡単に釣られていく。
数日経てばかなり手ごわい。
年を追うごとに魚たちは利口になる、学習システムがあるようだ。
魚の寿命はせいぜい3年とか5年が普通だと思う。
その魚が環境に適応するため、世代を超えて学習教育されているような気がする。
ストマックと携帯電話で地元アングラーが賢い魚を釣る。
携帯電話にホームページに掲載されるその日の釣られた魚のストマックの写真。
翌日は、その情報をもとに巻かれた毛ばり。
最近は、ライズ自体が以前より少なくなった。
雨が降りだすとヤマメがライズしたり、雪の日のコカゲロウなど不思議な現象も。
それでも魚たちと釣り人の果たし合いは、楽しい。やれやれ。


4月13日
昨日は6度で一昨日は、22度、さて本日は、25度。
この不安定な気候で、春の野菜は、日照不足で、やたらにインフレ。
良いこと楽しい事と言えば、桜が散らない。
今も葉桜、花吹雪の散歩が楽しい。
小さなキャベツが半分で売っていたり、子玉ねぎのおねいさんみたいな中玉ねぎが、売っていたりする。
家庭菜園でも始めようか・・。


4月12日
どんより曇り。
昨日のことは忘れて、そんな時、僕は掃除をする。
机の引き出し、本棚からはみ出した本の山、ソファーに散らかった、読みかけの昨日の新聞。

4月11日
春満開の上天気。
昨日は、レオンをやめてロンドンに留学する森口さんの送別会。
大きなスタジオに駆け付けた森口さんのファンは、100人を超えて大盛況。


4月10日
テクノ、コンピューターが発明されて出来た言葉、文化・・・・なるべく僕は、文化とは、信じたくない。
テクノ・・・最近は、デジタルなのか何でもゲーム、僕の趣味のフライフィッシングも、毛バリもテクノ・・・・ポリウレタンのフローティングニンフ・・・。
賢い人間様の考える、遊べない話。

4月9日
約一年ぶりに森口さんと忍野に出かけた。
彼に貸した、僕のおんぼろフライロッド、ラインの番手を間違えたリールでまともなキャスティング、釣りが出来るわけがない。。
僕が振ってみればすぐに気がついたのに、気がついたときは、ライズの終盤。
僕も足を滑らせて、久しぶりに川の水が長靴にたまった。
森口さん、ちゃんとした自分のロッドでつぎは、大物をゲットしましょう。



3月28日
桜は咲いた、凍えながらの桜見。
いつもの年なら、砧公園の駐車場の入口が大渋滞のはずがすいている。
それもそのはず、冬のように寒い花冷え。
明日はもっと寒いらしい。


3月27日
昨日は、忍野に出かけた。
早朝の忍野は雪、積もるほどのふりかたではなく、おしろいのようにお化粧したような感じだ。
春の活性化、朝は楽しい釣りができた。
森の流れの中をのぞくと水面に移る巨大な魚の影。
まさか・・・80センチはある・・・・イトウ・・・・。
こんなところにイトウ、環境破壊の環境開発。
こんなところで釣りをしている僕も同じ。
一気にテンションが下がる、その後は、釣りもうまくいかない。
帰り道は、いつものように問題小僧になって、僕の頭の中で環境問題化したイトウ、管理された日本の観光開発、安全安心な
安物の自然・・・、自分も世代だなとため息一つ。

3月25日
今年の春夏のジャケットが出来上がってきた。
生地は、既製服用のウール100%、デザインは、オーソドックスなコンフォートスタイル。
既製服のサイズ39とほとんど変わらない。
オーダーフェア中なので既製服とさほど価格も変わらない。
どこが違うかと言えば、既製服は2つボタン、僕のは段返しの3つボタン。
僕は、3つボタンの2つ目のボタンをかけるのが好き。
2つボタンだとどうもおなかが気になる。
新しいうちは、肩パットが多少はって見えるのが気にはなるけど、着ているうちになじんでくる。
肩パットの芯がないものも最近は多い、新しいうちから落ち着いた着こなしができる。
仕立ての良いものはいいけど普通の既製服だとすぐに肩が落ちてしまうことがあるので注意も必要。
なかなかちょうどいいものを手に入れるのは難しい。

今年は多少ゴージャスな、シルクブレンドが人気があるようだ。
ウールにシルクと麻をブレンドした素材は、薄手の軽量化と通気性がいい。
それにウールにはない光沢感がある。
ウール100%は、しっとりとして色も落ち着いた感じ。
麻が入ると乾いた感触になりシルクをブレンドした時、ゴージャスな生地になる。
どれも好き好きだと思う。
僕は、昔からのウールにした。


3月24日
久しぶりに素敵な音楽CD。
BRAD MEHLDAU
PAUL MOTIAN

一つは砂漠のような広大な地平線のハイウエイを走り抜けている、一人ではなくみんなで色々な思い出を語り合っている。
もう一つは、すごく閉ざされた都会で大切にしてきたことを音楽にしたように僕には聞こえました。

3月20日
今日から連休、カーナビの普及で我が家の前の道は、休日は大渋滞。
なにかが便利になるとなにか不便な事がおきる。
我が家の駐車場が、道路に面している。
車を出すときにバックで車道に出なければならない、そのため、なかなか出られない。
何度も信号が変わって、何度目かにようやく道路に出る事ができる。
バス道路の渋滞なので、バスを使って駅まで行くのもものすごく時間がかかる。
歩くと2キロ少しあるから確かに健康にはいい。
これからの季節なら川沿いの遊歩道をのんびり歩くのが気持ちにも健康にもいい。
のんびり暮せということのようだ。

3月17日
先月、身体検査を受けて高血圧と診断され、ついに毎日薬を常用することになった。
毎朝、血圧を測り、食後に薬を2錠飲む。
いつかは高血圧、やれやれである。


3月16日
昨日は、忍野解禁に参加しました。
昨年、金田一の橋が閉鎖されて、富士急跡周辺は、地元のアングラーがほとんど、意外にすいていました。
おかげで、放流後禁漁期間に放し飼いされた魚たちを相手にかなりたくさんの釣れました。
とくに年越しのブラウン40センチの大物のファイトはすごかった、何度もジャンプして、流れの速い瀬を走りまわり、葦際にもぐりこむ、
ラインを出したり、巻き上げたりしてどうにかネットに収めました。
一週間もすると魚たちは、釣り糸を嫌うようになりフライを見分けるようになります。
ハッチする虫だけにライズ、それを手を変え品お変えで釣り上げる。
忍野の釣りの面白さだと思います。
渓流釣りは、通常は、釣り上がる釣り。
初めに選ぶ毛バリは見やすいフライを適当に選ぶことがほとんどです。
ポイントごとにとにかく毛バリを打ち込む、釣れる時も釣れない時も感と運。
一つの川に通うと魚と川の事が少しわかるようになるようです。
色々な川を釣り歩く旅の楽しさとは別に、季節を楽しむ、そんな釣りもなかなかいいものです。


3月7日
時々、昔は良かったなんて話になる。
自分の生きてきた時代の話ではなく、先祖の話なんて玉手箱が開けられる。
その先祖が、遺伝子だったりすると話はとたんにむずかしくなる。
お前の先祖はミミズだとか、タンパク質ののお化けだとか、地球外生物が登場したり、
神様もびっくりするような展開もよくある。
ファッションの話も意外にこの手の話と似た展開になることがある。
このデザインの服が好きだとから始まって、この靴、このスーツのデザインのルーツの話が始まり、
ライフスタイルだ文化だインテリジェンスだなんて、だんだんむずかしくなる。
二本の足に靴をはいたサルかイチジクのふんどしをつけたサル、どちらがルーツ。


3月1日
東京周辺解禁。
毛バリはどうにか、少しは準備できました。
解禁は、毎年お祭り。
参加することに意味がある・・・釣り・・・釣り人の数。
まだまだ今年は心の準備ができていない。
いきなり、チリの地震に津波。
なかなか春に浮かれていられない。

2月25日
梅は満開、今週は、4月の暖かさ。
マフラーも必要がない、春物のコートで春夏ウィンドショッピングに出かけた。
今年はどこのお店も春が遅い。
雑誌の仕事もなかなか動かない。
僕の方で痺れを切らしてイラストのプレゼンをしてみた。
意外に好評、少しだけ、気分が上向き。
春はパッと明るく、賑やか・・・春よ来い。


2月19日
オリンピック真っ最中。
スノーボードの不謹慎事件、僕は彼は、スノーボーダーだと感じた。
スノーボーダーの彼の美意識、価値観、それをオリンピックで問題にする。
姿三四郎のぼろぼろのはかま姿の風貌だって柔道がすべての生き方の美意識かもしれない。
美意識を否定してしまったら、スノーボーダーじゃなくなってしまう。
彼は、サラリーマンではない、官僚でも政治家でもない、スノーボーダー。
戦うことの前に侮辱されることに耐えなくてはならないのはかなりつらいことだと感じた。
国の代表と個人選手、色々難しい世界なのだと思う。


2月14日
田舎と都会がある。
洗練された田舎とダサイ都会。
何となく変だ。
でも最近すごくそんな感じがする。

2月12日
2010年の毛バリを準備。
3月の忍野を想定するとコカゲロウがメインになる。
一つのカゲロウを色々な毛バリに巻く。
昨年、金田一の橋が県の安全基準で渡れなくなった。
今年は、雪で川岸の木が2本も倒れたらしい。
今の忍野は、小さな渓流公園のようだ。
それでも、湧水の川の流れに心がなごむ。
水面にカゲロウが流れる、鱒がそれをめがけてライズする。


2月9日
2月いよいよ春到来。
渓流解禁の季節だ。
ユスリカ、コカゲロウでライズがあれば毛バリでも釣れる。
今の時期は、やはり沈めて流す餌釣りに分がある。
それでも温暖化、めげずに毛バリをまいて、竿を振る。
僕はまだ、毛バリをまいていません。
3月解禁かな…。

2月7日
アメリカのマス釣り
アメリカのフライフィッシング、よく考えるとLLBEENの広告みたいだ。
アメリカ人がフライフィッシング・・カントリーライフなんてアメリカ開拓史には出てこない。
ヘミングウエイの少年の密漁者・・・。
フィッジェラルドには出てこない。
ブルックスブラザースのウィンドディスプレイ。
トムソーヤは、大好きな釣り吉三平だけど、釣れた魚はキャットフィッシュのような気がする。
大統領のマス釣り。

日本の西洋かぶれが日本で西洋毛バリ釣り。
夏目漱石、先生。
島国の気取りのようなものとお考えください。
それが僕のフライフィッシングへの答えかもしれない。
旅の気休め、おぼえた遊びが西洋毛バリ、のんびり竿を振る。
モーニングジャケットは、やっぱりツィードのカントリー風が好きだ。



1月28日
最近新旧ジャズギターリストのアルバムよく聞いています。
なぜか自分の時代のジャズのフュージョンは一枚もなし。
ビルフリーゼルも参加したポールモチアンのビルエバンスへのアルバムは、
かなり好きです。
同じメンバーで昔ECMでポールモチアン名義のアルバム、これは夜明けまで聞いてしまいそうに素晴らしい。
今回のウィンターウィンターレーベルのアルバムは、トーンが明るくて洗練されてる。
ビルフリーゼルのカントリーフォーク路線でとは少し趣が違います。
カールローゼンウィンクルのモンクにこだわったアルバムは、少しけだるく、そうかといって深酔いはしない。
アダムロジャーと共通点もある気もします。
一番よく聞いているのは、ウエスモンゴメリー・・・ソールがいいです。
ミルトジャクソン・セルニアスモンク・ビブラホンとギターサウンド、ふわふわして心地がいいです。軽いわけではないので、無重力まではいきません。

1月27日
ハイチの地震。
アメリカでは、メディアもハリウッド、ロックスターも救済で盛り上がっている。
相変わらず賑やかな国アメリカ。
なんとなく、一昔前の地味なボランティアの募金活動、赤い羽根、そんな真面目さが
懐かしく感じてしまう。
派手になった世界は、自爆テロを発明した。
リアルな現実が誰かの脚本のように感じてしまう。
自分で考える静けさがほしい。
僕は釣りが好きなようだ。

1月23日
毎月24日、男性ファッション誌の日。
不況の影響なのか男性ファッション誌が極端に元気がない。
女性ファッション誌は、年齢、生活スタイルなど各種住み分け、相変わらず強くて元気。
確かに女性のファッションは、仕事に生活、恋愛、すべてに実用的だ。
男性ファッションは、実用になると冠婚葬祭と新年度の入社式用のスーツ、それに社交ゴルフ。
金ボタンに高級腕時計、高級車なんてことになる。
自由な実用男子は、男くさく、ラフなカジュアル、ヘアサロンに通う。
女性誌からみると実用男子は、あの女子の彼。
彼女のファッションの一部に見えてくる。

僕は、読書家男子、ポールオースターのトゥルー、ストーリーズをコートのポケットに入れて散歩に出かける。。

1月21日
今度は読書家
フィッジェラルド、チャンドラー長いお別れ、ポールオースターのリバイアサン。
人間は壊れるようにできている。
そんなことを感じます。
自分で壊れる。
なにかの原因があって壊れるのではなく壊れるように最初からできている。
人によっては、なにかの原因で自分は、壊れたと思いこむこともあるようです。
なぜ壊れるのかは謎です。


1月19日
今週は、春の陽気。
年が明けても、不安定な世相に不安な世界情勢に不況の世界・・・政治家の金の話より
もう少し景気のいい話が聞きたい。
年初めの景気刺激策に水彩紙を大量購入。
なにはなくても絵を描きたい。
山と積まれたスケッチブックは、自分らしい、自分の表現だ。

1月14日
雪が降ったり、木枯らしが吹いたり、冬らしい。
二子玉川は、ファイナルバーゲン。
昨年末からバーゲン、いよいよファイナル。
バーゲン期間の方がプロパーの販売期間より長い気がする。
バーゲンが終わると春。
春は短い、すぐに温暖化の夏がやってくる。
僕が一番好きな季節が、春と秋。
春先は、枯野に春の日差しが眩しい。
2月には、梅の花が咲く。
2月の梅は、ご近所に日向ぼっこの猫の散歩の気分で出かける。
3月は、春の解禁。
朝は、氷点下、釣り竿のガイドが氷つく。
気がつくと、朝の目覚めが春夏時間に変わっている。

1月5日
仕事始め。
今年も、がんばります。
正月は、ロング・グットバイ・レイモンドチャンドラー・村上春樹・訳
を読みました。
なんと言ってもかっこいいのが、フィリップマーロー・タフガイの私立探偵。
自分が気に入らないとギャラをもらわない。
謎を解くのは趣味・・・アートな探偵。

マーローは、パイプ煙草、カクテルは、ギムレット、どことなくイギリス趣味。
舞台になっているのがアメリカロスアンジェルスの上流社会。
フィッジェラルド風のアル中の小説家、お抱え医師の処方する麻薬、連続しておこる、謎の死。
アメリカンファッションのおいしいとこがなんと言っても魅力的な作品でした。

12月29日
今年もあと3日。
今年はどんな年だったのだろう。
そう考えると色々な事を思い出します。
腰通がなくなったのは、釣りの効用のような気がします。
一年も入院中の母の看病。
何度か危ない時もあって、どうにか年末に心臓の状態も安定したようで一安心。
今までの自分のイラストが何処か気に入らなくなって、好きなように描いてみようといろいろ試行錯誤。
部屋の片隅の、CDと翻訳小説の山。


12月23日
クリスマスの前日が天皇誕生日、我が家のクリスマスパーティの日なんて感じだ。
今年はコンサートのお誘いもなく、ひっそりと忘年会だけがどんちゃん。
不景気の影響で二次会はなし、みんな駅に急ぐ。
それでも本日の朝刊に雑誌で描いた僕のイラストがいくつか使われていた。
なんとなく今年は、ファッション誌のふろく別冊、地下鉄の車内広告、それに今日の朝刊の雑誌広告など
仕事仲間からのクリスマスプレゼントだったようだ。

ありがとう、感謝。クリスチャンではないのでそんな感じでした。

12月18日
秋もそろそろ名残り惜しい。
世界恐慌・・・政治救済ばかりがニュースになる。
自立したいと思える救済が必要な気がする。
今年は、贅沢ができないことが、かえって贅沢な気がした。
今月ファイルにした「僕の思い出紀行」は、依然大量に買ったワットマン水彩紙で描いた。
昨日、画材具屋に行くとワットマン製造中止の張り紙。ここにもデジタル不況の影響。
またいろいろな紙を試す事になります。
正月休みは、ホームページにイラストを描こうと思います。

12月15日
今年もあと半月。
半月・・・月形半平太の紋付みたいだ。
今年は、どんな年だったか、むずかしい年だった。
心臓病の母が2月に退院、ふらふらしながらも散歩していた、週に何回かは、お昼にお弁当のお寿司を食べた。
4月の終わりに転んで大腿骨を骨折。入院。
ここからが今年の始まりだ。
大腿骨の手術は無事成功。ところが、床ずれで、いくつかの場所に傷ができ、
これが治らない、リハビリも中止、傷口が化膿。
そのせいもあってまたしても心筋梗塞、意識不明。
どうにか、一応回復…。
このころから、彼女の記憶、認識力が低下した。
入院は6カ月、別の病院に引っ越し。
お見まいにきた、姉の娘の顔を忘れていた。
今はそのことを何度も話題にしているので、ちゃんと記憶。
新しい病院は、高齢者がほとんどの滞在型の病棟。
高齢者の生活をリハビリしているような感じもする。
再び心筋梗塞。
意識があるときの発作だったせいもあって、前回よりは安定している。

色々な事が起こる、色々な事を考えさせる。
何処かで自分に疑問を感じる。
今年の年末年始のお休みに自分の中の大掃除。

12月12日
不況なのだ。
今年は、年末が早い。
僕は読書家になった。
色々な物語。
午後は、入院中の母の病院に通う。
窓の外の景色の話をする。
90歳の母の会話は、毎日同じようにたくさんの屋根の景色。
彼女は毎日同じ病室で同じ話をする。
言葉は同じでも、毎日違った世界が見えているような気がする。
伝えられない会話の中で毎日が過ぎていく。

そのせか、僕は、散歩に出かけたり、買い物をしたり、小説を読んだり、
毎日が忙しい。

12月8日
僕の描くイラストの登場人物は、鼻がとがっていたり、大きな丸い鼻だったりする。
先日テレビで日本人は、とがった鼻や丸くて大きな鼻を見ると脳が拒絶反応をおこすなんて番組を見た。
確かに以前、最近は少なくなったけど、この鼻をどうにか描き直してほしいと何度か編集者に駄目だしされたことがあった。
それとは別に、男性ファッション誌の表紙が日本人だと本が売れないなんてことをデザイナーから聞いた。
どうりで僕が描くイラスト、ファッション誌の仕事が多い。
島国根性の根っこにあるのは、拒絶する西洋人になぜか憧れを持つ。
まさにミラーニューロンな国なのかもしれません。

12月4日
今年は、紅葉の当たり年。
砧公園を散歩した。
冬の光が作る木陰、陽だまり、ふと立ち止まって絵を描く目で景色に見とれる。
一歩でもその場を動くとその世界は消えてしまう。
携帯電話を取り出して写真に写す。
ファインダーの液晶画面は、僕の知らない別の世界だ。
いくつかの場所で立ち止まりなんとなくうなずく。
とても気持ちよく。

昨日は雨、堀川さんと待ち合わせ、新宿に演劇鑑賞。
中島さんたちの新しい劇団イキウメの芝居だ。
華やかな世界とは、違う扉の中の舞台に新しい役者が作る芝居。
おとぎ話の中で最後に若者の死で芝居は終わった。
少しイライラが残った。
悲しい気持ちも。

12月1日
アメリカのドルが急落して日本の円が急騰。
お湯を沸かしてコーヒーを入れれば…なんてわけにはいきそうにありませんが。
コーヒーを入れてクリスマスケーキをみんなで食べる。
そのうちにこの大事件も昔話になるような気がします。
それほど楽観的ではないようですが。
久しぶりにホームページを更新。
5年ほど前から春から秋まで、毎週のように同じ川に出かけ季節の釣りを楽しみました。
枯野に雪景色で始まる春、きらきらと春の光を集める川のせせらぎ。
暖かな昼に鱒がライズを始める。
かじかんだ手で毛バリを結び流れにキャストする。
春は、日一日華やかに姿を変えていきます。
初夏が、釣りの一番楽しい季節、朝から始まるコカゲロウのハッチ、赤マダラ、オオマダラ、夕方のカディス。
夏の炎天下、大きな岩魚が陸生の大型昆虫を狙う。
いきなり足元で50センチクラスの岩魚が水しぶきをあげてライズするなんてこともあります。
あり、バッタ、セミ、コガネムシ・・・・川ネズミなんてことも。
もちろん小さな魚も・・・・。
毛バリに食いついた魚を巨大なマスが追いかけてくるなんてことも本当の話です。
秋は婚姻色に染まった魚。
赤く肌を染める姿は、紅葉と同じ・・・それともお化粧・・・恥ずかしいわけではないと思います。
そして冬・・冬は春の始まりの準備、思い出でも含めて毛バリをまいたり、ウエーダーの修理をしたり、
オイルドのコートにとけた蝋をなじませる、意外に楽しい仕事です。
一回りしてフライフィッシャーの生活を振り返ってみると意外に規則正しいことに気がつきます。

11月29日
コーヒーの味。最近は、どこでも缶コーヒーの自動販売機があります。
そのせいかコーヒーを自分でいれるなんてことが出来なくなったような気がします。
渓流沿いの湧水をコーヒーに使えば美味しい。
渓流に缶コーヒーの空き缶、ペットボトルが流れてくる。
ペットボトルやお弁当の空き箱を野生の動物が食べて死んでしまう。
自然と、もっと贅沢に付き合う、森の中でもう一度コーヒーを入れてみようと思いました。

11月27日
今月発売のモテルオヤジで久しぶりに、別冊付録NOELで恋するコヤジなんて感じの小さなイラストを描きました。
モテル浮世のイタリア親父は、相変わらずおしゃれ。
そんなイラストを描くには、そろそろ無理がある年頃。
夢を描く・・そんな感じで仕上げました。
次号の発売がちょうど12月24日、それまでは本屋さんにおいてあると思います。
気がついたら見つけてください。

生物学者ドースキン先生の最新の本が出版されました。
近年、より過激になる神の不在。
生物の進化をドースキン先生が本にしたようです。
今は、分子生物学など遺伝子だけでなく生物の情報やシステムが科学されている。
何処か懐かしい感じもする、ドースキン先生の生物学、気お引き締めて読みたいと思っています。

ある時代にフィッジェラルドが生まれ、jazzエイジが記録されました。
村上春樹さんが新しい翻訳で、紹介するフィッジェラルド。
JAZZが懐かしい音楽になった時代に日本語で読むアメリカ。
読んだ記憶を何処かに隠しておきたい、静かに余韻を楽しんでいます。

11月13日
13日の金曜日・・・・。
12日が今年の酉の市。
毎年日にちが変わる、今年は、2の酉まで。
12が一つの周期だからすごく変則的だ。
それにその日の0時から24時までの市なんてとこも面白い。
神社にお参りに行く人のために吉原の堀を渡る橋の門をその日だけ24時間空けて自由に渡れるようにしたらしい。
江戸の吉原のお金持ちのご利益市だったようだ。
クリスマス、ハロゥインのイベントと比べてもかなり面白い。

11月3日
今年も・・・・あと少しだ。
今週の土曜日に、母の病院が変わる、今はすこぶる元気でいつも頑張っている。
生きようとしている彼女は僕にとって美しく見える。
時間なんて関係がない、その時に表現があってそれを感じ、答える。
センチメンタルな小僧がここにいる。

9月29日
今年の忍野渓流釣りも禁漁まであと2日。

藁ぶき屋根の民宿、水草の生い茂る忍野の川、吊り橋、金田一の残した赤い鋼鉄の橋、
金田一から、忍野八海までの懐かしい川の景色を思い出した。
今の忍野は、花に囲まれた富士の湧水の村。
観光客もフライ親父も住民もすごく増えたように感じる。

9月25日
昨日は、連休明け。
朝から釣りに出かけた。
すいてるはずが、釣りバカの考えることはみな同じ。
やれやれ、とは言っても平日の午前中、適当な混み方で自分の釣りはできました。

9月23日
連休のラスト・・・・5連休は、入院中の母を励まし、なんとなく退屈を紛らわせながらの毎日でした。
気がつけば9月も残りわずか。
10月には、全国津々浦々の渓流も禁漁。
毎年この季節になるとフライボックスがさみしくなる。
少しだけフライをまく。
夕方がメインになる季節、母の入院もあって夕方の釣りはしない。
朝に少し昼前に少し、活性の高い魚を探して釣りをする。
大きな魚、数釣りはこの時間ではあまり期待はできない。
それでも、その日の記憶に残る魚に出会え、満足する。

9月22日
5連休、アートのレセプション招待のイラストを頼まれて、なんとなく連休の退屈をを紛らわしました。
最近の休日は、高速道路の大渋滞、それを思うと、出かける気になれない。
かといって、街での買い物もめんどくさい。

最近、釣りも多少は枯れてきて、周囲を散策散歩したりする余裕が出てきた。
以前は、とにかく釣りたいだけで水面以外の記憶がない。
どこの川もさほどの景色の違いがなく、記憶もあいまい。
ところが、竿を休めて見えてくる景色には、季節の様々な色や、すがたがちりばめられている。
そのせいか、最近生け花もどきにはまっている。
オリーブ油の空き瓶、水差しなどに花を飾る。
自分のイメージの秋の景色、川辺の印象が重なる。

ようやく少し休みが取れる年になった、そんな贅沢なため息をひとつ。


9月17日
ライフスタイルの一コマ漫画。
僕がニューヨーカーの漫画に魅力を感じたのは、日本の漫画が、
少年少女向けのマンガから成人向けが生まれ、どうしてもグラフィックな意味でのアートとして魅力的ではなかったからだと思う。
日本の漫画は、日本独自の文学、映像、絵本などの総合的な芸術になったと思う。
日本の漫画がアニメ映画、ゲームソフト、テレビアニメ、コンピューターなどの中で世界のアートシーンを作り出した。
日本の漫画文化の可能性は、アートシーン、ファッションシーンなどにも広がっていく。
そんな中で、僕は、ニューヨーカーにこだわったのは、都会の暮らしがあったからだ。
一コマ漫画は、生活の中でのいたずら好きのアートかもしれない。
それが僕には、大切なものになったのだろう。

9.11のニューヨーカーの表紙は、消えた二つのビルの跡、廃墟になったニューヨークの写真、
それでも都会の生活には音楽や漫画、ファッションが必要。
新しいデザインで新しいビルがニューヨークの景色を変える、住む人の感覚も記憶も変わっていく。
新しく生まれてくる言葉、音楽、漫画、ファッション、デザイン。
何処かでそれが、つながっている。
僕は最近それが郷愁のように思う。
郷愁は、僕がどこから生まれてきたのか、その記憶のように感じたりする。
地球の上に住む僕たち、時の過ぎゆくままに。
僕は東京が好きだ。
ニューヨークの知らないニューヨーカーがこの街を作ったのかもしれないなんて思っている。
東京は浮世絵の時代からつながっているのかもしれない。

9月12日
JAZZとマンガ
アメリカの漫画は、僕にとっては、音楽と共通している。
二グロ音楽と南部の漫画、ニューヨーカーとジャズ、ブロードウエイの似顔絵とミュージカル。
マンガが音楽と同じハートのサウンド響きを持っています。
音楽をあまり感じられないのが、スーパーヒーロー・コミックです。
ただこれも電気仕掛けのロックの登場と大量生産アート・ポップアートの象徴になりました。
フランシャー兄弟などのアニメーションはミュージカル仕立てになっていますが、
これは玉手箱の中の世界で、音楽も動画もマンガとは違うもののように感じます。
僕にとっては、音楽とマンガは大衆の表現手段、切っても切れないものだと思います。
時には汚い表現の場合もある、扉に隠れた世界かもしれない、ライブハウスの狭く暗い地下室への階段、
重いドアを開けると聞こえるグルーブのうねりかもしれない。
日本の漫画の中にも独特のサウンドを持った作品がたくさんあります。
日本の作品のサウンドは、言葉と絵を結ぶ間のように感じる時もあり、言葉と絵の距離のように感じる時もあります。
ポールモチアン、ビルフリーゼル、チャーリーヘーデンなどの独特のインストロメンタルの間の世界は、最近の僕の一番好きな居場所かもしれません。


9月11日
ニューヨークの日
マンガ家の好きなマンガ。
僕は、日本の漫画よりもアメリカ、フランスの漫画に強く影響された。
日本の漫画は、僕が子供の時代に少年漫画から、貸本屋の劇画が登場。
かわいいだけの漫画、お笑いの漫画から私小説的なマンガに、そして何でも漫画の時代になった。
僕の影響を受けた漫画。
サンペは、フランスの漫画・絵描きといった方がいいかもしれない。
マンガとしても彼の作品は、映画のようであったり一コマのエッセイのようであったりする。
高年の作品は、パリをスケッチしたり、その中に一コマの物語が描かれている。
ドアノーの写真にどこか共通しているように思う。
アメリカの僕が好きなマンガ家のほとんどが、ニューヨーカー。
ニューヨーカーのマンガ家は、サンペをはじめロナルドサールなどヨーロッパの漫画家もたくさんいる。
それぞれに個性はあるが、ニューヨーク生まれの漫画といえばピーターアルノーとジェームスサーバー、ウィリアムステイグだと思う。
アルノーはフィッツジェラルドの小説にも登場する、ジャズエイジのニューヨーカーの象徴だ。
資産家の出身の独身貴族、マンガに描かれた世界も彼の生活から生まれた作品でずばりニューヨークファッション。
遺作も、彼らしくプレイボーイ的な作品を残している。
同時代のマンガ家、ジェームスサーバは、屈折した個性の親父。
愛犬家で気難しく、小説家でもある。
ニューヨーカーの編集室の至る所に落書きを残した。
高年、失明状態でのマンガは大きな黒板に書いた落書きだったなんて神話も残っている。
ウィリアムステイグは、エスクアイヤーの創刊号にも登場している。
初期の作品は、保守的なアメリカ家族のライフスタイル。
戦後、全く違うピカソ的なアート、ラディカルで独特の世界を漫画で表現している。
同時に多くの童話絵本作家として活躍、今もたくさんの名作が世界中で読まれている。

ニューヨーカーの漫画の魅力は、都市生活の浮世離れしたマンガの持つライフスタイル表現のように感じる。
リアアーベンは、初代のニューヨーカーのアートディレクター兼マンガ家。
日本風の浮世絵をスタイルにしたイラストレーターマンガ家だ。
ニューヨークの生活、暮らし方が、当時の世界の都市化のシンボルであったようにも感じる。
都会に住む人たちのシャレ、クールなユーモア、贅沢な大衆たちの雑誌。
僕は、どこかにそれが日本文化との出合い、鎖国によって生まれた江戸に影響されていたように感じてしまう。
首の長い、シルクハットの片目がねの紳士、蝶を見るニューヨーカー創刊の表紙。
これは、ニューヨークで生まれた浮世絵・の始まりだったように感じる。
日本では、明治になり衰退した浮世絵が大正時代に挿絵や壮丁として復活、日本美術の中で好きな作品が多く、
大正の美意識が僕はとても好きだ。
大正は戦後の銀座になり果てて楽園を求めて今もさまよっているような気がする。

アメリカの漫画は、風刺漫画から二グロ、貧困層のブルースなど反社会的なアートとしての魅力を持つ。
もうひとつがコミックのスーパーヒローだ。
アメリカの二グロマンガは、アンチヒーロー、陰影が強く、不条理で
陰鬱でさえある。
パラダイスは、ここにあるのかもしれない。
方やスーパーヒーローは、超人、常に正義のために戦いつづける。

ニューヨーカーは、ある意味では、文芸雑誌。それに続いて登場したエスクアイヤーは、男性ファッション・ライフスタイルし誌。
面白いのが、ニューヨーカーが部数を伸ばしたのが、女性読者だったこと、対してエスクアイヤーは、マッチョなヘミングウエィにヨーロピアンな
純文学的な作家フィッツジェラルドなどを掲載し、アメリカンなかっこいい男の知性を刺激したことかもしれない。
60年代ごろまでのファッション誌たとえば、ハーパーズバザー、ボーグなど多くの作家文化人の小説やエッセイが掲載された。
カポーティの「ティファニーの朝食」などは、時代に苦しむ人気作家の読み物として今でも新鮮だ。
女性誌にはなかった男性雑誌独自の掲載がライフスタイルの漫画だ。
60年代に入って雑誌プレーボーイのバニーガールがアメリカの楽園を象徴する。
エスクアイヤーの同時代のアートディレクションはアメリカ的リアリズム、ポップな写真コラージュで最先端のオピニオンリーダーを次々に登場させた。

僕らの住む東京で活躍したピートハミルは、ニューヨーカーの編集人となり、ダウンタウンを出版している。

なんとなく紹介した様々な作家などの情報は、アマゾンなどで出版物の検索ができると思います。


9.11ニューヨークの日に考えたことを少し書きました。

9月9日
ぞろ目。
今週は月曜日に水道の水もれ、緊急水道工事。
火曜日は、知人の作った非日常的ご飯映画鑑賞。

秋冬のツィードのジャケットを作った。

自分で自分を装う。
自分の姿は、鏡にうつさなければ、自分では見えない。
鏡の中の自分は、左右がはんたい。
自分とは性格も個性も違うような感じがする。
それでも自分の姿の手がかりは鏡の中の自分。
仲良くしようと思う、今年のジャケットは10月の末に出来上がる。

9月4日
東京にないもの。
東京は、テクノなデザイン未来都市。
気がつくと、かわいいぬいぐるみから成型されたリアルな人形に変わっている。
カリスマたちはいつも新製品を装う。
世界中で、昔のない場所はここだけかもしれない。
独裁者たちがノスタルジアを破壊していく。

9月3日
朝6:30、忍野についた。
フライショップ・リバーズエッジの大将と朝の釣りのごあいさつ。
夕方ハッチする虫の状況、ストマック情報など、いつものようにそんな朝の会話だ。
お昼までのちょっと一休みの釣り。
いつもと変わらないゆっくりとした時間が始まる。
人それぞれのフライが水面を流れる。
様々なデザインの疑似餌。
魚たちは、どんな様子でそれを眺めているのだろう。

8月31日
8月も最終日、台風。
「動的平衡」分子生物学・福岡伸一さんのテレビ番組を見た。
分子生物学の福岡さんの脳死に対する提言がすごく印象に残った。
人、生命、生物が物としてあつかわれることへの疑問。
色々な意味で、すごく印象に残った。

8月24日
月と太陽の引力の作りだす地球の海の潮汐。
浅瀬のイソギンチャクは潮汐によって小魚を捕まえ、大潮に産卵する。
原始の海の景色。
湖の潮汐は、穏やかで月明かりが神秘的だ。
秋の月明かりの夜の湖の岸辺、産卵期の婚姻色のマス族が作る求愛行動の波。

今年は、夏日が比較的少ない曇りがちの8月。
すでに、川のマス族のペアリング産卵行動が始まっている。
産卵行動の前の魚はやたらに食いが立つ。
それを狙って、大きなテレスとリアル・陸生昆虫・大型の水生昆虫などの疑似餌で誘う。
勢いよく大型のマスが飛び出る。
秋になって、春より小型のコカゲロウが飛ぶ、小さめの黄色のフライに結び変えて、ライズする魚の波に毛バリを落とす。
今年の秋のヤマメを釣り上げる。
フライフィッシング生物学。


8月15日

生物の多様性。
僕がこの言葉を知ったのは、社会生物学の本でした。
自然環境の生物の多様性。
人為的な開発などで、多様な生態系をあっという間に壊してしまう。
人間には環境へのリスクが必要だとの提言も含まれていました。
地球環境の中での生物の共生、未来に必要なリスクについて僕も少し考えてみようと思っています。

レイチェルカーソンの「われらをめぐる海」海流がぶつかってできる深海の波で深海の魚が水面近くに押し流され、
それを様々な魚の群れが、餌食にする話が出ていました。
タンパク質とアミノ酸、炭水化物・・・・いやはや食のビジュアルは恐怖パニック映画・・・食べるとは恐ろしい。
深海の魚と南米アマゾンの魚は、なんであんなに恐ろしい容姿をしているのでしょう…世界の魚恐怖図鑑なんて見てみたい。

8月13日

ミラーニューロン、脳細胞の知覚、人間やサルは、擬似的な事にも知覚反応を起こすらしい。
サルの場合は目に見えないケースでも目に見えたと同じように知覚する程度だが、人間は、
言葉などにも現実の出来事と同じように知覚反応をおこす。
以前、生物学の本で、写真を見て性的興奮をするのは人間だけ。
隔離された環境で育った人間でも、独自に言語的な能力を学習するなんて話も面白かった。
ミラーニューロンのミラーは鏡、鏡に映った出来事も現実と同じように知覚する意味らしい。

いよいよお盆帰郷ラッシュ。
如何にか先日の地震の東名高速も復旧するらしい。
高速の渋滞中の車の総重量はどのくらいあるのだろう。
家族そろって、渋滞の車の中でお弁当を広げるなんてのも意外に楽しそうだ。
そんなお弁当は、コンビニのおにぎりではなく、夜明け前の手作り弁当。

8月12日
地震台風の翌日は、いきなりの猛暑。

夕方の夕涼みの散歩に浴衣を着ている人がふえているように感じる。
年齢がいったカップルのおそろいの浴衣姿、ご近所の景色が心地よい。

ゆかた姿は、色っぽい。
僕は肩の線が好きだ。
前のはだけた、酔っ払いのだらしないのだけはいただけない。
最近の元気な女の子は、大股で歩く、それでもどこかいつもより上品に見える。
いつもよりも目線を気にしたしぐさが美しい。

8月4日
今年の夏は、雲の上。
温暖化、猛暑かと思っていたら今年は冷夏。
なんとなく今一つ盛り上がらない。
夕方の雷雲がやたらに盛り上がっている。

8月1日
8月だというのに、いまだに梅雨のような天気。
そういえば、子どもたちは夏休み。
先日も養沢川で、川の水泳教室に遭遇した。
プールではなく川で遊ぶ夏の教室、たくさんの水着姿の子供たち、僕は胸まであるチェストハイウエーダーの長靴姿。
すごく対照的で、どこか懐かしかった。
先週久しぶりに忍野で釣り。
自衛隊橋で中型のニジマスがいきなり僕のフライに、フライをくわえた魚は、水草の下にいちもくさんに逃げ込んだ。
それを見ていた橋の上の、テニス教室の子供たちの歓声。
いきなり僕はスターになったみたいで照れくさい。
魚は、じっと動く気配がない。
何度もラインを出したり、下流上流に動いたが、全く動かない。
水草に絡まったか、諦めようかと・・・魚がようやく水草の下から顔を出した。
どうにか岸までランディング。
充実した一日。

BILL FRISELL DISFARMER
1メートルを超えるキャットフィッシュを釣り上げた若いカントリーマンのジャケット写真。
音楽が作り出すイマジネーションにふと迷いこむ。

7月27日
コンピュータの調子がおかしい。
OSを再入力・・・勇気がない。
10月になれば、新しいOSが発売になる。
それまで待って、2台で使う・・・贅沢、、、無駄・・・。
一番困るのがライセンスのソフト、スキャナー、フォトショップなどなど。
以前のコンピューターから今のコンピューターに買い替えた時もメーカの連絡などすごく苦労した。
筆グルメなどの住所録、ウィンドウズメールは、簡単に保管できそう。
面倒がらずに一つ一つクリアすればいいのですが始める前にイライラ、心配・・・自信がない・・やればどうにかなってきたわけで
・・自分のふがいない性格につきあう自分がすごく疲れる。
暑い季節に暑いトラブルだ。

7月25日
本日は、三日月。
先日、日蝕が見られなかった、僕のとっては、何となくうれしい景色です。
久しぶりにCDをまとめ買い。
結局全部ジャズ。
フリージャズは、自分に合わないのでそれ以外を物色。
時々車を運転しながら、独り言、

7月22日
昨日は、壊れる日でした。
朝からおなかを壊し、眼鏡が壊れ、コンピュータが起動しないトラブル、車のワイパーのゴムが切れたままの状態。
夕方からの母の医者との治療のミーティングも僕は行くことが出来ず姉にお願いしました。
腹痛は、いつもの正露丸で回復、眼鏡は、新しい携帯用の物を買い、コンピューターは、サポートに電話してハードディスクを調べるのに3時間、結局治らず、今朝、ソフトのサポートに入会、電話がつながるまで電源状態をチェック、なんと正常に起動しました、車は、ワイパーの入荷待ち。
壊れる日の翌日は、治る日で一安心。

7月20日

タンポポのお酒の続編を買って途中まで読んで本棚においてきぼりだったのを思い出して、
夏の始まりに・・・タンポポのお酒・ブラッドベリーを再読することにしました。
ダグラスの白のテニスシューズと靴屋の老人の革靴。
そう言えば僕も今は革靴を履いている。
木の影が夜を作っている。
レース模様の森。
キャリホルニア産のしば刈りのいらない芝。
忘れられた者が発明した幸福の機械は過去からも忘れられた未来を目指すのかもしれない。
一つ一つをエピソードを想像しながら僕自身の夏を思い出して、懐かしい。

7月18日
調布の花火大会が我が家から見える。
夏の始まりだ。
我が家の近くの花火大会は、夏の終わりの多摩川の花火大会。
昨年からは、東京側の花火大会も再開された。
ただ我が家の窓からは、見られない。
玄関を出るといきなり空一面に花火が咲いている。
夏の始まりと夏の終わり。
猫は花火の音に目を丸くして耳を逆立て、きょろきょろあたりの様子をうかがい、そそくさと秘密基地に退散する。

7月15日
梅雨が明けたようです。
真夏・・・太陽の季節・・。
子犬を連れた貴婦人・・・・避暑地の出来事・・・・フィッジェラルドの白のスーツ。
真夏の夜のジャズ・・・ロックフェスティバル・・・日本の夏・・・風鈴・・・浴衣・・・うちわ・・・蚊取り線香・・・
夏の渓流・・・白いペンキ・・・パナマハット・・・サングラス・・・マドラスチェック・・・海の家・・・スイカ・・・
そうめん・・・海水パンツ・・・・・・・・・。
夏のサンバ・・・熱い砂のニオイ・・・蜃気楼・・・日焼けした漁師・・・ビーチサンダル。

7月14日
ニジマス毒殺事件。
アメリカの在来種ブルックトラウトに対して、フライフィッシングのターゲットとして、ヨーロッパ産のブラウン、レインボーが
200年以上前にアメリカ各地の川に放流され、定着、在来種との交配、環境に適応して、様々なアメリカのニジマスが現存するようになった。
そんなニジマスを根こそぎ川から排除する、そんな事が今アメリカの一部地域で環境自然回帰の運動としておこなわれている。
その方法は、産卵期に上流から毒を流し、水量の多い中流域で中和させる。
確かに、今、自然環境回帰のようなことが環境問題への一つのメッセージ性を持っているとは思います。
ただ、上流から毒を流すのは、ニジマスだけではなくほとんどの水生生物に影響を与え、川の土壌などにもダメージがあるのではないでしょうか。
汚染された川の後遺症は10年50年100年たってももとの状態には戻らないかもしれない。
生物学者ウィルソンの本で読んだガイヤ、地球の生命の薄い膜。
環境へのダメージは、取り返しがきかない。
農薬散布など土壌汚染、環境破壊をレポートしたレイチェルカーソンの沈黙の春。
最近アメリカの西海岸の河川の環境悪化、ニジマスをはじめ、魚が激減、水生昆虫の生態系もものすごく変化、そんなニュースをよく耳にしています。
同じように、蜂がいなくなったことも環境の影響があるような気もする。
産卵期に根こそぎ殺戮・・・アメリカ的なのかあまりにも極端で暴力的、一方通行の正義。

在来種保護と環境保護、すごく難しい問題のように感じました。

日本でも、上流域でニジマスを排除して在来種の岩魚、ヤマメを放流することが知られています。
ニジマスは雑魚、渓流魚に指定されていない川もたくさんあります。
雑魚には禁漁がない。
ブラックバス、ブルーギル、アメリカザリガニなど駆除の対象になっている場所もあります。
ただ、駆除するために生態系そのものに危険がある毒流し・農薬散布と同じ様な事が行われるとしたら、やはりどこかおかしい気がしました。

7月13日
東京は、本日からお盆らしい、16日が送り火。
先月号から中央公論がリニュアルした。
内容も未来にシフトしている面がある。
世界的不況、環境シフト、内需拡大・・・・毎日のニュースを文字で読み一人が考える。
内需拡大には、太陽光発電、エコカー、省エネ家電などに政府のおまけがついている。
素直に欲しいものなのか考え込んでしまう。
バイオエタノールの幻想。
セレブなロハスライフ。
これがインテリジェンス・・・・国産大豆のお豆腐を食べながら考え込む。
インド人には、今欲しいものが山ほどある。
働いてお金を貯め、そのお金で欲しいものを買い、自分のライフスタイルを作て行く。
僕たちが、欲しいもの。
キャッチアンドリリースする魚かな・・・・・。


7月8日
最近忙しい。
仕事は、ぼちぼちなのに入院中の母の洗濯屋、おむつをはかない猫の世話。
おかげで毎日が充実している。
残念なのは、以前のように初夏の渓流には行けそうにない。
其のかわりが、忍野と養沢川。
養沢川は、自然の渓流に定期放流した管理釣り場。
7月になると村の小学校用の川遊び仮設プールが川に出来る。
大きなふちをロープで仕切っただけのこのプールに裸の子供がはしゃぎまわる。
釣りには、迷惑な話なのに、なぜか癒される。
ただ大人が泳ぐのは禁止されている。
子供たちの夏休みの忍野は、小さなアングラーが大きなマスを相手にフライを飛ばす。
かなりの達人もいる。
釣り上げた魚の胃の中の内容物を調べるストマックポンプの使い方も見事だ。
リリースもちゃんと魚の鰓に空気をためてから川にもどす。
いやはや勉強になります。

6月30日
今年の忍野は、ウシンバエ・福島ではそう呼ぶ・異常発生、このハエは、目の周りにまとわりつき、
眼の中の涙をなめにくる、目が痛くてたまったものではない。
眼球を傷めたり、目の病気になることもあるらしい。
対策としては、虫よけを帽子のつば、顔の一部に塗る。
時間がたつと薬が弱まってまた虫がたかってくる。
虫よけネットもかぶっては見たけど、釣りの邪魔になる。
サングラスをかけてもさほどの効果はない。
イライラばかりで釣りに集中が出来ない、要するに楽しくない。
魚と遊びたいのに虫に遊ばれる。

この虫は、忍野だけではなくいたるところの川で異常発生しているらしい。
朝の気温が上がる前は、比較的少ない。

7月にはいると一気に気温が上がり、日中は、陽炎が少なくなる。
日陰で、陸生昆虫を食べている大物、特に岩魚狙いにはチャンスがある。
もちろん夕方は、ヒゲナガ、モンカゲロウなど絶好調だと思う。
何年も夕方の釣りは遠慮している。
夕方は、夜になって釣り納め、どこかさみしいのが性に合わない。
同じような気持ちから、お盆の時期は、僕は釣りをしない。

春の朝の日差しの中で魚と遊ぶのが一番好きだ。

6月24日
朝から雨。
今日は午後、母の自宅でのケアマネージャーとの退院後のミーティング。
2か月ぶりの帰宅、夕方には病院に戻る。
多少は、不安がある。

6月23日
レオンのイラストは、7月にオープンする中目黒のカフェバーに。
ジェローラマさんと亀田さんそれニーノさんの3人が作るお店。
「もっとキスを」なんてシャレた名前のお店。
現在まで描いたレオンのイラストは、段ボール箱2つほどもあった。
なんとなく気持ちがいい。
猫踏んじゃったの方は、まだまだこれから、いろいろ試して、いろいろ描いてみたいと思っています。

6月21日
「猫踏んじゃった」なんてホームページで新作を描き始め、ていろいろな発見があります。
そこで、レオンの返却原稿の整理をしました。
勢いと無節操なイラストには、ものすごくパワーがある。
ヘタウマとアートが同居しておかしい。
きっと編集者もデザイナーも僕も、おバカではしゃいでいたのだと思います。
新作の猫踏んじゃったは、INKSPOTの初期のサンペに影響されていた頃の自分と今の自分を重ね合わせて表現しようと考えた作品です。
レオン的な仕事での勢いよりももう少し引いたところで絵を描いています。
着色、線画、モノトーンは、かなり技術的に考えて描いています。
描きたいテーマは、自分の中のたくさんの友達、特定の誰ではなく、僕の勝手な創作です。
まだ、お知らせもしていないのに下田さんが見てくれて、メールをくれました。
彼は、7月に個展をやる予定だそうです。
自分で自分に仕事をさせる作品作りは、すごくパワーが必要です。
さて、僕も頑張ろう。

6月15日
自分で描きたいイラストのテーマはやはり人物。
人物表現の中で、ミュージシャンの表情が好きだ。
どこかおしゃれで気取っている、自分と自分を演出する音楽の中のイメージ、現実世界の舞台役者みたいな気もする。
小説や舞台に登場する誇張された登場人物は、役者が、演じ、見せる存在だからかもしれない。
音楽の中にもポピラー音楽のように厚化粧なものもたくさんある。
僕が描こうとしているものは、ちょうどいい自分らしさかもしれない。

ミュージシャンを描いた、サンペの作品は、素晴らしい。
意識することはないけど、どうしても表現が似てきてしまう作品もある。
今は、自然に描けた作品なら、それでいいように思う。
自分が描いて、それを自分も楽しめれば、それが一番いい絵だ。

6月8日
今年も暑くなりました。
まだ5月が終わったばかりなのに夏の予感。
省エネも手伝って、涼しいなんて感覚がいい。
浴衣、花火、うちわ、冷やしたスイカにトマトに一つかみの塩。
夏は、涼しいのが一番いい。

6月3日
GMの国有化。
僕が思い出したのは、ニューヨーカーパリスケッチブックで読んだ、シトロエンの破産と国有化。
シトロエンは、シトロエン氏が破産状態で亡くなった後、世界で初めて国有化された自動車会社。
フランスを代表するシトロエンは、アメリカ的なカーライフ、ヨーロッパ的な個人主義、夏のバカンスなど、一つのライフスタイルの象徴だ。
サビニャックの広告を思い出す。
アメリカは、どう変わろうとしているのだろう。
国有化は、保護主義的な一面を持っているかもしれない。
グリーンニューディール、中東の戦争、核廃絶、中国の巨大市場、消えたミツバチ、分子生物学と核、貧困、地球環境。
何になりたいかと考えると、エコツアーのガイド。
僕に今出来るのは、自然の中で考えることかもしれない。


6月1日
一日にあまりにもたくさんの事が起きて、大変な一日でした。
昨夜の天気予報で一部で雷雨なんて・・・・・・。
週末仕事をしたので、月曜日によせばいいのにいつもの忍野フライ・・・ふらりフィッシング。
なんとなく釣れて、なんとなく今一つ満足できない、だらだらと時間が過ぎ、雨が降り出した。
これはチャンス。
その前に、ショキングな魚との出会いがありました。
背中を食べられたニジマスが毛バリにアタック。
ものすごいファイト、釣りあげて・・・・・・・・・・キャッチアンドリリース。
誰が食べたのか・・・・・・魚・・・・・・魚社会の現実。
雷も鳴り、土砂降り。
仕方なく車の所に戻って着替えを取りに戻り、駐車場のトイレで着替え、ここなら濡れない。
トイレの手洗い所の洗面台に着替えをおいて、長靴を脱ぐ…洗面台の水道はセンサー・・・・・。
着替えは、びしょぬれ、仕方なく脱いだ濡れたズボンを再びはいて、今日の釣りは終了。
帰り道のアウトレットで、シャツを買い家に帰還して。
他にもまだ色々な事が・・・・・いやはや、猫が道を横切り、右に曲がるときに脱輪、車は自動緊急停止、母の病院用にjジャケットの衝動買い、
母の退院後のリハビリの打ち合わせ。・・・・・・・・・・・大変な一日でした。

5月30日
母の90回目に誕生日。
ただ今、大腿骨を骨折、リハビリ入院中だ。
会うたびに元気になっている。
まだ歩けないのに自分ひとりでトイレに行こうとしたり、看護婦さんを困らせている。
誕生プレゼント……今回はパジャマ。
花瓶に姉が、花を飾った。

5月28日
今朝の朝刊には、GMが倒産するかもしれないなんて記事が一面にのっていた。
北朝鮮は、原爆にミサイル、どこと戦争をしたいのだろう。
戦争がそんなにもうかるのだろうか。
新型インフルエンザの感染は、見えない恐怖。
なんとなくさみしいニュースが多いい。

そろそろ、夏の小麦色のビールが美味しい。
ビールを飲みながら観戦した、サッカー全日本とチリ戦の4対0は、すごく元気が出た。

5月23日
このところの2,3日まるで夏のようだ。
湿度がない分、多少はすごしやすい。
今年は、ファッションの流行にかわって、新型インフルエンザが流行、これはいただけない。
予防用のマスクをおしゃれに…アラブ風、インド風なんてつまらない洒落を考える。

5月5日
端午の節句。
東京では、鯉のぼりはほとんど見られなくなった。
鯉のぼりの下で、新聞紙で作った兜をかぶって、チャンバラごっこ。
今は、スターウォーズごっこかな・・・。
連休は、どこまでもつづく渋滞だったようだ。
新型インフルエンザは、今のところ感染者は出ていない。
僕は、大腿骨を折って入院中の母のお見舞いに毎日病院通い。
5月30日が彼女の90歳の誕生日。
沖縄では、僕の描いたモテルオヤジ、GIROさんの楽園紀行が展示されている。
イベントプロデュサーの亀田さんに感謝。

いろいろな事が詰め込まれた、5月連休でした。

4月29日
ゴールデンウィークの始まり。
昨日、大急ぎで、連休前の釣りに出かけました。
すでに川は、連休モード。
いつもより多い釣り人、放流したばかりのうぶな魚。
午後は仕事。
そう言えば、僕の釣りは、のんびりした事がない。
最初は、魚がしんまいなので意外に簡単に釣れて、いろいろフライを試したら、これが間違いで今度は全然釣れなくなった。
ブッシュの影でブラウンがライズ。
水面には、おなし川ゲラ。
18番のドライフライを上流に投げて、ゆっくり流れにのせる、見事に大きな口のブラウンが・・・食いそこない・・・
すかさずニジマスがジャンピングライズしてフライをパクリ。
やたらに跳ねまくってブラウン他のライズは終了。
それでもネットに収まった魚わかわいい。
やさしくキャッチアンドリリースしました。

午後はちゃんと東京で日焼けした顔で仕事しました。

4月12日
今朝の朝刊に柳原さんのイラストを見つけた。
宇宙・・・柳原さんのイラストには宇宙時代の印象がある。
50年代から60年代、ソビエトとアメリカの宇宙技術の競争。
鉄腕アトムとサザエさん、日本人は、夢が好きだった、そんな気がする。

4月6日
桜が満開の入学式。
なんとなくいがぐり頭に半ズボンの小学生を連想する。
今時そんな子供はいるわけもない。
そう思いながら、何かが懐かしい。

4月2日
4月新年度になった。
季節も桜が咲き春らしくなった。
コカゲロウにオオマダラ、忍野の釣りも絶好調だ。
仕事の手を休めて出かける釣りは、どうしてもご近所にかぎられる。
そのおかげで、自然の移り変わりを楽しめる。
限られた時間で、限られた場所で一息入れるのも以外に心地がいい。

3月29日
先週の金曜日に忍野に今年2回目の毛ばり釣り。
お昼前後から、コカゲロウが流化をはじめ、ライズも多く、大小さまざまな魚にあうことが出来ました。
気がつけば3時、二コリ。
さて今日は初めての高速道路の1000円乗り放題の日曜日。
そのせいか、我が家の周辺は、車が少ない。
久しぶりのんびりゆっくり日曜日。


3月19日
僕が描く人物は、特定な人、人種などは気にしたことがない。
仕事でも、イタリア人、アングロサクソン、アフリカいろいろ描いた。
僕の記憶の人間たちが国際化したらしい。
風景にしても、日本風のお寺とかお城より都会の方が描きやすい。
最近気になっているのが、コンピューターグラフィックの登場以後の建築。
今までの建築とは別の構造を持っているものがたくさん出現している。
まるで火星のビルとか、蜂の巣、深海の結晶、宇宙船、ハリウッド映画・・・。
積み木やブロックで作られた建物ではなく創造された人工物そんな印象が魅力的に見える。
ただ、象徴的な記号のようで自分たちの生活との接点を感じない。
僕は、使い慣れた生活、街からなかなか抜け出せないようだ。

3月18日
高速道路の週末1000円でETCが売り切れたらしい。
大変なパニック、景気刺激策だ。
ただ全然、生活者の視点に立った形跡がないのに驚かされる。
みんなが週末にどれだけの距離を渋滞を我慢できるかそんな感じがする。
だれでも・・・・週末大作戦よりは、仕事が先だ。
やはりこの国はどこかおかしい。

3月16日
今年初めてのフライフィッシングに忍野に出かけました。
少しは雪があるのかと思ったら、富士山も5合目付近まで雪がない。
日中は、ぽかぽか陽気。
温暖化恐るべし。
それならさぞかしたくさんのカゲロウが飛ぶかと期待しましたが、ユスリカが少々、コカゲロウもあいさつ程度、
それなりに何匹か釣りあげて、午後2時に終了。
僕の、去年と今年と、昨日と今日とがチャンとつながっていました。


3月14日
13日の呪いの夜は、春の嵐。
どうにか14日の朝には風も収まった。
さて、久しぶりにタワーレコードに出かけた。
昨夜、アカンソー州のイラクに派遣された部隊のドキュメンタリー番組を見た。
ちょうど、2001年9月11日の後に書かれた、ピートハミルのダウンタウンを再読していた。
番組の後半、帰還が決まった、アメリカの兵隊がジェファーソンエアープレインの曲を歌う。
今の戦争が、アメリカだけの戦争ではないことを感じた。
タワーレコードで、なぜか久しぶりにアメリカの音楽を買った。
Buddy&Julie Miller.John Scofield/Piety Street.Bill Frisell/Folk Songs.Madeleine/Peyroux,
明日は、忍野も解禁、カントリーなアメリカの音楽を聞こう。
なぜか一枚イタリアのピアニストEnrico Pieranunzi/Dream Danceも買った。
このピアノトリオのベースMarc JohnsonのJohn Scofield・Bill Frisellとの3枚のアルバムも僕のお気に入りだ。
家のCDには、昨夜聞いていたEnrico Pieranunzi、Marc Johnson がセットされたままだった。

石油の戦争あとの世界のことを少しだけイメージしながら音楽を聞いている。

70年代の記憶は、アメリカの音楽だった。
今、アメリカの音楽は、遠い世界のどこか懐かしい音楽に聞こえる。
僕たちが変わってしまった。そんなことを感じる。

3月13日
2月13日の金曜日に3月13日も金曜日、映画で言えば、続編みたいな感じだ。
なぜか、天気予報の予想図までがそっくり。
曇り空に春の嵐、鼻の中は花粉まみれだ。
スーパーに買い物に行くと不況が目に見えるようになってきた。
昨日は、庭の草むしりと、仕事部屋の床のぞうきんがけ。
毛ばりも少しだけ巻いた。
ストリートが南北、アベニューが東西・ニューヨークの話。
それで街が出来た。
シンプルな話。でもちゃんと後でセントラルパークなどが追加されたらしい。
渦巻き型の街、一本道の街、迷路の街、どの街が住みやすいかは、住めば都なのだろう。

2月20日
ゲノムの23の物語・マイロストシテイ・フィッジェラルド・鶏の歯・グールド、3冊を並行して読んでいます。
どれも各章や短編、コラム、文章が短いので、雑誌を読んでいるような感じで読めます。
ゲノムの本のがんの遺伝子研究と治療、バイオビジネス、バイオ食品。
新聞で読む遺伝子関連の出来事がものすごく多いいことに驚かされます。
昨日は、人工受精卵の移植で受精卵を間違えて、その後、堕胎させた・・・・これは、事故とは言え、すごくショックな出来事です。
グールドの鶏の歯は、生物学を取り巻く様々な事件をコラムにしてあります。
アメリカの南部の州で、ダーウィンの進化論を教えることを禁じた法律が存在していたこと、
移民に対する知能テストの人種差別的実態、ねつぞうされた原始人。
フィッジェラルドは、アメリカの大恐慌の時代背景の中の上流社会の様々な人間が描かれています。
生活の優雅さ、そこにある光と影の印象が、すごく素敵です。

昨日は、散歩用の新しい靴を見つけました。
なんとなく、ノスタルジックな顔をしたフルブロックです。

2月16日
昨日、押し入れの空気清浄機を出した。
いよいよ花粉の季節だ。
2月だというのに朝から、シャツ一枚でちょうどいいなんて、やれやれ。
今読んでいるゲノムの23の物語によれば、花粉症には、寄生虫が効果があるらしい。
ただ、寄生虫を取るか花粉を取るか、考える必要もなく花粉を我慢するしかない。
花粉症が、遺伝による部分と現在の進んだ衛生環境が原因になっているらしい。
アトピーとかも同様で、原始人に帰れば改善される可能性が高いらしい。
僕には出来そうもないので、空気清浄機のスイッチをオンにした。

beyond the missouri sky charlie haden & pat metheny
最近ギターのインストロメンタルが好きだ。
その中でもこのアルバムはとくによく聞く。
秋から、冬は、ピアノ、春暖かくなるとギター・・・別にそんなわけでもない。

2月13日
やれやれ13日の金曜日、朝ゴミ捨て場が、カラスか野良猫化の襲撃でごみが散乱していた。
都会の野生生物の生存活動。
人間どもの秩序はあっけなく破壊される。
部屋に戻って、遺伝子の23の物語の続きを読む。
社会生物学と分子生物学の違いは、外の世界から、内側の世界に移り、アナログから、デジタルに変わったような感じ。
デジタルの世界は、見えなかったものが見える、そのかわりに見えたものが真実のように錯覚してしまうこともあるようだ。
最初に言葉があった。これは面白い。
遺伝子の中に生命の誕生の歴史が記されている。
読み進むうちに遺伝子の解明が、遺伝による個体差、遺伝による病気などより具体的な事実の解説になっていることがわかった。
社会生物学が見た生命の星地球。分子生物学からは、見えてこないような気がした。

2月11日
ブラビの新作が、フィッジェラルドの小説の映画化、久しぶりに村上春樹の翻訳フィッジェラルドを読み返してみた。
アメリカの光と影、ジャズエイジ。
アメリカの顔がそこにはあった。
新しい大統領のリンカーンの宣誓に使用した聖書の事をふと思い出した。
アメリカングラフティ、ロックンロール、ニューオリンズ。
僕は、ぼろ車でガールフレンドを迎えに行く方が好きだ。
村上春樹のフィッジェラルド「マイロスとシティ」には、日本版エスクアイヤー3号・月刊準備号で故人編集者山崎がアメリカで発見された、
未出版の原稿「失われた3時間」も新たに翻訳されている。
僕は、山崎に頼まれて、タイアップクライアントの洋服メーカーの服を使って、小説をビジアル化することを依頼され、カメラマンの故人追分さんにお願いした。
追分さんは、小説の中の時間を海辺の光で表現することを提案。
飛行場と住宅地の話の撮影をなぜか千葉の海岸に出かけて撮影した。
海で必要としたのは、光。女性のポートレイト、風景は一切必要ではなかった。
別のカットは、東京で撮影。
当時のエスクアイヤーのアートディレクター木村さんが追分さんが選んだ数点の写真を並べて、ビール飲みましょうで編集の仕事は完了した。
そんな事が何かが懐かしかった。


2月10日

ファッションそれともおしゃれ。
ファッションの発信地は、やはりヨーロッパを中心にしている。ニューヨークでも新参者だし、東京は、たくさん売れてもしょせんはおのぼりさん。
イタリアかぶれや、パリ狂おばさん。彼や彼女は、世界中にいる金持ちルックだ。
言いかえれば、マネキンを裸にしていく禿鷹ファッション族。
そのメッカが東京ブランドファッションだったりするわけだ。
おしゃれは、各国、各都市、各町、各村に存在してる。
ただ、文化的な伝統的民族衣装の話ではなく、その土地の人の美意識。
各個人の持つ感覚だ。
土地には、季節があり、その土地の人間の性格がある。
ただ、東京のような大きな都市は、そうした一人一人の個性をはぎ取る。
今の時代のファッションはまさに裸にされた人間に襲いかかる禿鷹ブランドファッションだ。
それでも、東京にも季節があり、へそ曲がりな都会の感覚がる。
おしゃれは、そのへそ曲がりな都会の住民感覚だと思う。
僕は、東京には、ものすごくおしゃれな個性があると思う。
それは、ロンドンにもニューヨークにもイタリアにないものだ。
東京ファッションとか言うと、文化服装のデザインごっこ、テクノやフィギヤ、エスノに間違えられるので、その言葉は使えない。
なんとなくこのもやもやを、僕なりに町の住民のマンガにしてみることにしました。
タイトルは、「TAR BEACH」このタイトル自体は、ニューヨーク出身のミュージシャン・ジョンセバスチャンのアルバムタイトルからの仮のものだ。
僕の個人的な印象から生まれたもの、自分なりに表現を楽しむための作品です。
ぜひご覧ください。



2月9日
欲しいもの探し。
不況でモノが売れないらしい。
消費者の買い控えなのか、お金がないのか、欲しいものがないのか。

最近格安商品が街中にあふれてる。
でもあまり欲しくない、欲しくさせてくれないから、欲しくない、欲しくないのは不況だからだ、それに不況だから安いのが当たり前、だから付加価値もなく、ただのぜいたくか無駄使いだから欲しくない。

仕事は、欲しくなるようにさせるイラストを頼まれる。
仕事は欲しい、ようやく欲しいものが見つかりました。

2月8日
お金持ちが正しい。
お金持ちの価値観を表現するのがファッション・アート。
バブルの業界はそんな感じがしました。

最近、フィッツジェラルドの小説が映画化されました。まだ見てません。
アメリカの上流社会の退廃、ジャズエイジ。
アメリカのチェンジは、アメリカ人の買う文化のチェンジなのかもしれないと最近思いました。
カードでローンで何でも買う、欲しいかどうかよりも、そんなの関係なく買う。
買ったら支払いがあるはずなのですがそれは考えられない。
考えられないのが今のアメリカ社会。
考えなくてもいい、それが経済評論家の答え。
お金の価値観が、使い捨てになった。
今変わらなくてはいけないのは、使い捨ての世界かもしれません。

政府通貨、無金利国債。
これはまさに返す必要がないお金使いほうだい大作戦。
ついに国も使い捨ての時代。
日本以外の国が日本を信用しなくなるだけのような内向きな発想のように僕には思えます。
金融資本主義の崩壊から、チェンジの方向とは反対向いてる感じです。
円天とどこかにた発想です。
お金を節約する、ためる、モノを大切にする、なんか悪いことを考えているような錯覚を起こします。
企業の経営の合理化の大リストラも、より深刻な不況に舵をきる原因の一つになる気がします。
グリーンニューディールの旗でもいい、たくさんの人が働ける環境にやさしいメッセージが必要な気が僕にはします。


2月7日
毎日のニュースは、不況。
車が売れない、デパートがもうからない、郵便局が危ない、たくさんの会社が経営危機、たくさんの人が職を失う、
環境は相変わらず良くならない。
君は何が今一番したい、何が一番欲しい、何を一番大切にしたい、今何をしよう、何を始めよう。
そう考えると、さて僕は、何をしたいかって、絵を描きたい、大好きな音楽を見つけたい、お気に入りの靴をはいて散歩に出かけたい。
以外にしたいことはたくさんあるようです。

2月2日
久しぶりに砧公園に散歩に出かけた。
梅の花がようやく咲き始めていました。
節分に立春、僕の一年ぶりの誕生日。


1月7日
今年は、年末からお正月に仕事で頼まれたイラスト、自分で描きたくなった漫画などずいぶんと部屋を散らかした。
仕事のイラスト以外は、年賀状だけを仕上げて、あとは、いつものように引出しにしまう。
描くことが楽しく、作品まではなかなかたどりつかない。
そのうち、そんないたずら書きをインクスポットに掲載します。

1月3日
今年も多少慣れてきたのか、3日。
その年にはその年の乗りがある。
今年は、景気が悪い、そんな乗り切れない乗りに合わせるのが必要。
乗れないとき、乗り切れないとき、無理に乗るよりも、
冷静に落ち着いて一息入れる必要がるような気がします。
今年は、無理をしない年のようです。

1月1日
夜明け前の初詣から我が家に帰還、ただいま午前2時30分。
昨夜は去年.
ワインの残りを一口。
ジムホールとパットメセニー。
このCDも昨日午後に届いたもの。
先日発売された、ジムホールとビルフリーゼルが気に入って、ジムホールが僕のブームになっている。
ギターが伴奏とリード、話し手と聞き手のように演奏される。
ピアノ、サックス、トランペット、バイオリンなどでは決して作れない音楽のように思う。
ギターは、体の一部でハートの楽器なのかと思って楽しい。


12月18日
仕事、働く。そのことが意味を持っているように感じる。
芸術家のような仕事、労働ではない。
お金を得るために働く仕事だ。
作り出されたものには、たいした価値もない。
ただ、その仕事が僕の仕事で、働くことで僕が生きている。
芸術家は、笑うかもしれない。
僕が生きている仕事。
僕にとって働くこと。

12月17日
今年は、不況の中のクリスマス。
例年より、ケーキを小さくしたり、プレゼントを控えたり、そんな気分になる。
なんでクリスマスはこんなに派手なお祭りなのか、ご利益は何なのだろう。
救い主の誕生日、不況の救世主になってほしいとお祈りしました。


12月9日
師走、なぜか急ぎ足になる。
3年かけて、スニーカーのふだん履きをやめて大人の革靴にした。
理由は、いつも普段着でいるよりも外出の時は多少気取って、緊張感を持とうと考えたからだ。
きちんとした自分が楽しめるのがいい。
最初は、スニーカーの軽さが抜けなかったけど最近は踵のある靴も意外に心地よい。
特にお気に入りは、チャッカーブーツ、履くときと脱ぐときが大変だけど歩きやすい。
靴をいろいろ履き替えて、多様性を楽しむのも心地よい。


12月8日
ニュースは、不安な記事ばかり。
それでも毎朝、新聞を開き、テレビニュースを見る。
3万人のリストラ、壊れていくモノ、人、時間。
最近感じるのは、ニュースを伝えるメデイアが作るメディアに変わったように感じる。


12月5日
やれやれ、もう師走。
今年は、久しぶりに冬らしい12月。
駅で偶然、友達の音楽プロデューサーに会って、なんとなく昔話。
音楽通のファッションブランドのディレクターの話が出た。
家に帰って、メールを見ると、イギリスの雑誌の編集長のパーティのお誘い。
パーティに噂のファッションブランドのディレクターも参加していました。
偶然なのか不思議な出会いの日でした。



11月22日
2009年の毎年同じデザインのカレンダーを買った。
5年前から、使っている、文字だけのカレンダー。
シンプルなのが使いやすい。
新しいカレンダーを見ると、真っ白でまだ何も始まっていない時間に
少しだけワクワクする。


11月16日
僕の散歩道には、カワセミや鷺の道案内が住んでいます。
そんな散歩道の土手が河川工事ではぎとられた。
僕が、ニューオリンズなんて呼んでいた柳の木も無くなった。
カワセミや鷺の住む土手はどうなるのだろう。

9月29日
いよいよ渓流禁猟。
28日に朝から出かけました。
前日が雨だったせいで、釣り人が少なかったと見えて、やたらに反応がよく、いきなり連続で釣れました。
昼過ぎに、すこし大きめの魚を極小の毛鉤でかけて、岸際でばらし・・・魚は、ちゃんと足元におとなしくしていました。
なんとなく引き分けみたいな感じで、今年の渓流つりは終了。
生きていることのつかの間の夢、フトそんな事を感じて・・・・・・つづく。

9月25日
もうじき今年も渓流が禁猟になる。
今年の釣りは、なんとなくの釣りだった。
朝から、午後の紅茶の時間までの釣り。
夕方の魚のディナータイムは、気がすすまないので一度も竿を出さなかった。
だんだん勝手な能書きをつけて、楽な釣りをするようになってきたのかもしれない。

9月16日
我が家の庭の猫は、お隣と動物愛護協会それに僕も参加して、みんな虚勢手術を済ませている。
其のせいか、数年前から、猫の子一匹増えていない。
外からの放浪猫、ぶちのオスが、たまに来る、こいつは特別ゲスト。

所が昨日、飼い猫状態に近い庭猫に混じって黒のチビ猫が仲良く夕食を食べている。
いきなりの登場に、新しい時代の風を感じた。多少大げさカナ。
子猫ってどうしてあんなに可愛いのだろう。

9月14日
松井が、帰って来た。
ベースボールの世界に帰ってきた。
松井の55番が、ニューヨーカーしてた。
ポールオースターの小説スモークの中のベースボールの話を思い出した。
うれしかった。

9月13日
雨。
雨と言えば、傘。
おしゃれな傘は、イギリス風のこうもり傘とシェルブールの傘。
それとはぜんぜん違う便利な傘が、
無地で、機能的、無駄の無い透明ビニール傘と折り畳み傘。

雨の日のおしゃれは、どっち。

とは言っても、どうも傘はいまいち好きになれない。

レインコートは、好き。
ただ雨の日に着ると、さあ大変。
いざ脱ごうとすると、体に張り付いて、なかなか脱げない。
濡れないでいた、ズボンジャケットは、結局水浸し、さて脱いだ後のレインコートをどこに。
まさか洋服ダンスにはしまえない、お風呂場にハンガー、シャワーは後にすることにして、ビールを一口。
やはり、雨の日は、何でもいいから傘が、必要なようです。

9月12日
9月11日から5年。
最近仕事で、飛行機のイラストをいくつか描いた。
飛行機は、チャント離陸できるか。
アルカイダは乗っていないか。
スチワーデスは美人か。
ビジネスクラスは乗った事があるけど、ファーストクラスは、どんな感じなのだろう。

描きながら思いつく色々な事が楽しい。

9月10日
洋服ダンスには、夏の終わりと去年の秋冬が同居している。
秋らしく装いたいと思っても、まだまだ昼は暑くて、秋を着るのはむずかしい。
散歩に、麻のシャツを着て出かけた、麻はやはり夏だ。
なんとなく浮かない日の散歩、家に帰って、一休み。


9月の風は、秋のニオイ。
秋のニオイにも色々、七輪で焼く秋刀魚、土瓶蒸のマツタケ、炊き立てのひめじご飯、
枯葉を焼くニオイ、畑の野焼きのニオイ、おろしたての大根の目がしみるようなニオイ、
箪笥のウールのニオイ。
フレグランスな秋のニオイ・・・僕にはなじみが無い・残念。


9月7日
秋を感じるのは、夕方の事が多いような気がする。
夏は、日が暮れると夜になっている。
秋は、午後の日差しが、夕焼けになって、ちょうどおなかがすく時間に夜になる。
子供の頃の夕ご飯は、今よりずっと早い時間だった、8時には、お風呂に入っていた。
秋刀魚を焼くニオイは、夕方日の落ちる時間がベストタイムだ。

9月2日
一年ぶりのインクスポット更新、いろんな仲良しから、メールが届きました。
何処かで、自分の描いたものを見てくれてる、本当にうれしい事です。
素敵な友達に感謝です。

夏がなんとなく懐かしいそんな感じで秋の始まりです。
昨日、秋刀魚食べました。

9月1日
釣りの事で、色々考えて疲れた。
楽しくないのはすれた魚ばかりを相手にしているせいかも知れない。

8月30日
4年間、忍野にシーズンをとうして通った。
川も森も、魚も、人もどんどんぼろぼろになっていくように感じる。
勝手に木の枝は切る、枝に刺さった針を取るために枝を折る、雨が降ると、工事の土砂が流れ込んで、川が埋まり、クレソンが茶色に変色、早朝必ず、家庭ごみが流れる、川岸に釣り道具のパッケージが捨てられ、釣り人の数は増え、放流日を教えろと漁協につめより、釣れないから、入漁料返せと騒ぎ出す、
釣ったら食べたい人のために、キャッチリリース区間を限定、魚の持ち帰り制限数が増えた。
釣り雑誌に載っているのは、攻略法、釣れる毛鉤・ルアーの紹介。
放流したばかりの大きなレインボーを釣上げた釣りのプロの写真。
美しい忍野の川、わらぶき屋根の民家、富士の絶景・・・・何時からこんなになったんだろう・・・。
新しいリールは、まだ見つかっていない。

8月29日
我が家のつりの本を、忍野のフライフィッシングの釣り道具屋さんに寄付しました。
毎日朝夕、お店の営業をかねて、川の巡回をしているおじさんだ。
もっとたくさん釣れるように僕も祈ってます。

いつか日本でも美しい本来の景観を楽しみながら、ゆっくりとした時間の流れる渓流で、小さな毛鉤に春の山女が、
・・・・・・。
なっポジそう思うだろ。ポジに関しては、「ポジとら」ご覧ください。

8月21日
イギリス生まれの、フライフィッシング、フランクソーヤという川の管理人がいます。
個人の所有する、川のエリアの管理人。
川の魚、自然環境を常にベストな状態(生態系を維持管理)にするのが彼の仕事。
仕事の合間に彼は、主人からもらった釣り竿で、主人とはちがった、ニンフなる沈めて使うフライで魚を釣りました。
ニンフ毛鉤の出現は、川の管理人である彼が、毎日の川の観察によって、理論化した事が始まり。
クラブは、彼の理論を学説として認め、それまでは認められていなかった餌釣り同様のニンフ釣りをフライフィッシングとして認めました。
フライフィッシングの伝統、フライフィッシャーの彼らのプライド、ジェントルマンたちが認めたわけです。
日本の管理釣り場の様々な変な毛鉤は、フライフィッシングでは認められていないかもしれません。
フランクソーヤのフライフィッシングは、アウトドアよりもガーデニングなどのライフスタイルの楽しみに近いような気がします。
4季を楽しむ、釣りとガーデニングは、イギリスの美しい文化的な遊びのようです。
紅茶の入れ方もお忘れなく。

リール探し・・・
川のますを釣る道具としてのリールは、軽くて、ドラグが多少きいていれば、どれも大差はない、
高価なアンテックリールは、重くて、ドラグの利きもいまいち、しかし実に美しい、其の誘惑・・・・
なぜか男は美しいと思うリールや、釣竿、女性はまったくそうは感じないようです。

日本の管理釣り場は、養殖場の大きな生簀の魚釣り。
牧場のバーベキューと何処かにて、魚を釣ると、おいしそう・・・・。
パチンコ同様によく出るがよく釣れる、放流が人気の秘訣。
管理釣り場、攻略法をメディアで紹介するプロの理論派釣り人。

日本のフライフィッシングを卒業して、日本の川でイギリスの鱒釣りを始めませんか。

注・フランクソーヤー以前から、ウエットフライ、中層を流して釣るフライ、其の中に重りを使う、ニンフフライもあります。
でも、ニンフの生態、魚の捕食行動などを川の観察から、理論化したのがフランクソーヤーさん。
彼の釣りは、川の環境を管理する仕事の一部だったようです。
最近知ったのですが、彼の名前が入った、バンブー竿・6番もあります。

8月20日
魚を餌に、釣り人を釣る、管理釣り場。
釣れなくても出来る、豪華な道具の旦那遊び。
この二つをクリアーすると、次のステージ。
放流自慢のふるさと渓流。
釣れる毛鉤教えます、カリスマ毛鉤。
これも簡単にクリアーしてさて第3ステージに。
生態系に環境問題。
もう一度、初めての釣れた、あの日に帰りたい。

8月26日
フライフィッシングには、ドライとウエットの釣りがあります。
やはり一番面白いのはドライ、浮かせた毛鉤で魚を釣る事だと思います。
いきなり魚が、水面から飛び出す、あの瞬間です。
ただ、ドライのベストシーズン、ベストタイムは、ものすごく限られていて、
それ以外の時にいくら、毛鉤を流してもうんともすんとも言いません。
釣れなくても、ドライにこだわる、ドライで釣りたい、
それが、フライフィッシングのようです。

*釣れないときは、いろいろな物や事のせいにできる、
たまに釣れたら名人。すごく都合のいい所がこの釣りの一番楽しいとこです。

8月25日
使い慣れたフライフィッシングのリールを壊して、どうもいまいち釣りに行く気になれない。
もやもや気分で、決算処分品の高級ステレオを買ってしまいました。
音楽で癒されて、一時釣りを忘れて・・・・・・・・・。
欲しいものを我慢すると、つい別の無駄ずかいをする/////。
リールは、とりあえず別のを使って、禁猟までの秋の釣りに出かけよう・・・・・・。
いまだ欲しいリールが見つからず、もやもやは  つづく。

8月15日
僕が好きな音楽は、世代的にちょいワル。
思春期のJAZZ,ROCKの影響が今でも卒業できない。
僕の描く漫画イラストは、何処か、不真面目。
もって生まれた性格なのかもしれない。

8月13日
菜種油のディーゼル油、エタノール、石油の高騰で、色々な新しい燃料が注目されてる。
畑で作るエネルギーは、原子力発電で作る水素燃料よりは、なんとなくいい感じがする。

8月12日
お盆休みで、東京は、静かになったような気がする。
そう言えば、今年はまだ、せみの声は、一度しか聞いていない。
クーラーの室外機のうなるような音が、余計に暑くなるようで、気に障る。
最近、気に障る事が多くなったのは、年を取って、わがままになった証拠。

中東の戦争は、どれぐらい続くのだろう、30年、100年。
石油がかれるまで続くのか、それでも終わらないのかもしれない。

8月4日
雨が上がったら、猛暑・・・・・・。
2台のうち一台クーラーが壊れた。
壊れていない方のクーラーのある部屋に、仕事道具を持って汗だくで、引越し。
いつもと違う机で、描くイラストは、意外と新鮮な気がした。
ここは、クーラーがきいているせいかもしれない。

8月3日
我が家の庭の垣根のところが、猫専用道路。
庭の草がのびて、通り道をふさいでいる。
それでも、回り道はいやなようで、草を掻き分け、草を踏み分け、猫が通る。
高速道路の、補修工事と同じようなことかもしれません。

8月2日
ボクシングは、かっこ悪い、・・・TBSの世界チャンピオン番組。
スポーツメディアとして、ボクシングは、もうだめだ。

どちらにしても、あの試合の再放送はないだろう。

7月31日
毎日ニュースを見て、孤独になる。
感じたり考えたりしている事が、答えにならない。
今夜は、ポジが静かだ。
ポジに関しては、「ポジとら」ご覧ください。


7月29日
僕の庭のコンセプトは、はらっぱ。
自分で作る庭だから、勝手にはえた雑草では作った事にならない。
そこで、ラベンダー、ミント、タイム、カモミールなどハーブを植え、其の他、季節の花を鉢植えで足したりして
いる。
小さな景色になるので意外と楽しい。

7月26日
石油に代わる燃料が、注目されてる。それを作るために必要な石油、燃料を作るときに出る二酸化炭素。
広葉樹に襲い掛かる、キクイムシ。
猛暑と洪水、戦争、・・・・・夏休みは、何かあまりこだわらずにほのぼののんびり物忘れ。

7月25日
今年も、伸びすぎた観葉植物の植え替えをしました。
窓際族の観葉植物は、日が当たる方だけが極端に成長する。
極端に伸びた枝から、別の枝が出て、どんどんアンバランスな、姿になっる。
やはりこいつらはエイリアンらしい。

7月20日
今年は、露がなかなか終わらない、このまま台風の季節に突入なんて事になったら、大変だ。
増水した川は何処かに怒りみたいな印象を受ける。

7月10日
ワールドカップ、イタリアが優勝。
ジダンが退場は、流れ者のガンマンみたいでかっこよかった。
優勝トロフィの輝きが印象的でした。

7月5日
イタリアがドイツをやぶり決勝進出を決めた。

祝砲ならいいのだが、試合の最中に北朝鮮が、ミサイルを発射。
人が楽しんでいるときにホントに迷惑なやつらだ。

ブラジルが、フランスに勝てない、ドイツがイタリアに勝てない、
そろそろジンクスになりそな結果でした。

7月2日
イングランド、ブラジルが負けてしまいました。
深夜のサッカーファン・・・。
釣りの朝4時、サッカーのTV観戦の朝4時。
釣れたり釣れなかったり、結果は体験してみなくてはわからない、そんな感じです。


6月28日
ワールドカップの8強が決まった。
朝の4時からの試合も2試合見た。
一日がすごく長い。
多少ばて気味、試合を見る選手になったようだ。

6月24日
試合が終われば、監督選手の責任問題。
不平不満の捌け口なのでしょうがないけど、勝負事には勝ち負けはつき物。
日本文化は、勝てば官軍負ければ賊軍。
でも、自分たちの選んだ指揮官、選手への、魔女狩りのようなメディア攻撃は趣味が悪い。

6月23日
サッカー日本対ブラジル戦。
悔しい、でもブラジルは、強かった。

6月19日
ワールドカップ、日本戦が引き分け。
負けてはいけない試合、負けないための試合に選手は勝った、
試合は引き分け。
次は、負けても勝て、そんな試合が、見たいと思いました。
がんばれ、日本。

6月18日
日本対クロアチア戦の朝を迎えた。
何処か緊張感のある朝だ。
TVをつける。
イタリア対アメリカ、3人の退場者を出し、引き分けた。
朝のお茶で、一息いれて、心を落ち着ける。

6月17日
今年も雨の季節到来。
なぜか最近、ラバーの長靴が流行してる。
フランスのメーカーの長靴がなんとなく一番カッコイイ。
僕も、釣り、アウトドア用にイギリス製の長靴を愛用している。
イギリス、フランス製の長靴は、日本製の長靴とはちがって、乗馬用のブーツがラバーで出来ているような感じでカッコイイ。
膝上まであったり、ふくらはぎのところがやたらに細かったり、はいて確かめないと色々問題はある。
僕は、大きめのサイズのものを調節して、自分の足にフィットするように工夫して履いている。
おしゃれしてる贅沢気分が気持ちがいい。

6月12日
朝と夜と、ワールドカップ。
24時間いつも起きているような生活が始まりました。

5月29日
久しぶりに朝起きして、釣りに出かけた。
川につくと、緑がまぶしい、夏モードになっていた。
少し大きめの毛鉤に勢いよく魚が飛びついた。
一匹目を釣ると少し安心して、その日が始まるような気がする。

インドネシア、ジャワ島の大地震、たくさんの犠牲者が出た。
南太平洋でも地震があった。
北極の氷河が、溶けて、南の島が海に沈む。
アメリカの投資会社が、海に沈む島を観光資源として、投資家を集める。
昨日見た、アメリカのパニック映画が、今日はニュースになったようだ。
僕は、何もなかったように一日釣りをする。

5月28日
まだ5月だと言うのに、入梅みたいな毎日。
雨がやんだら、自分の描きたいものを探しに出かけようと思う。

先日、「本日休診」井伏鱒二の小説を読んだ。
舞台は、戦後の蒲田。
この小説の少し後に蓮沼に住んでいた事があるので、なんとなく蒲田の街を思い出した。
小説の最後の医者の気持ち、切なく、やりきれない気持ちになった。
人の世の中で生きている姿、そんな感じがした。

5月5日 こいのぼりの日
こんな忙しくて静かなゴールデンウィークははじめて、電話もメールもなし。
無重力で仕事しているようで、つかみどころがない。

4月30日
ゴールデンウィークの連休は、釣りにも行かず、散歩でもしよう・・・・。
何もしないという事を書くのは、すごく難しい。
何もしないのだから書く事がない。
かといって、何もしないことをしているのだから、何かしているわけだ。
僕がすること、猫がないたら、煮干をあげる。

4月3日
ドナルドフェーゲン、ジェームスカラム、親子のような年齢の2枚のCD
を買った。
何処か似ているのにぜんぜん違う、どちらも今の僕にはすごく刺激的な音楽でした。

4月2日
ラブアンドピースジェネレーション。
テーマをジェネレーションにしたら、すごく描きやすくなりました。
新作ファイルが作りたいと考えています。

最近、毎日何回もコンピューターで、天気予報を調べる癖がつきました。
春から始まる雷、集中豪雨、台風のような季節風、夏の猛暑、いきなりの豪雪。
地震、台風も以前より増えたような気もします。
その反面、以前は当たらないのが天気予報なんて、思っていたのに、
その正確な、予報にすごく感心。
雷が鳴ったら、すぐにおへそを隠す。

3月28日
三軒茶屋のアーケードのイラストが、70年代風だったり、246沿いのヘアーサロンの看板が、
ヨーロピアンエレガンス風だったり、意外と70年代はしぶとく街に痕跡を残しています。
街は文化の遺跡、これからも色々、発掘しようと思っています。

3月26日
「Love and Peace」数点を青山IDEE、二子多摩川高島屋IDEEに展示します。

3月23日
今頃、ラブアンドピース。
何時の時代も平和が一番。
戦争がなくなれば、環境にもかなりやさしいと思います。

3月18日
左手の筋を違え、右手は、手の付け根を軽い捻挫。
それでも、釣りへの執念、毛鉤を巻く。
毛鉤ケースの中の春。

3月9日
昨日は、ぽかぽか、今朝は、どんより。
春は気まぐれ、そこがかわいいとこかもしれません。

2月15日
長野県の渓流が解禁。
世田谷公園の梅もそろそろ開花。
マスクの季節。

気がつけば、ぼちぼち春。

2月5日
立春が過ぎた。
もうじき、春の川に会える。
毛ばりを巻こう。

昔読んだ、宇宙船とカヌー・本を思い出した。
父が宇宙開発の科学者、息子は、インデアンカヌーを復刻して、アメリカ大陸を旅する話だ。
宇宙開発が、夢であった時代が過ぎ、自然との出会いが、未来への夢として書かれていたと思う。
今の環境問題意識、癒しはとはかなり考え方が違う。
一人で冒険が出来たこと、そこに共感した。
もうすぐ春、毛ばりを流しながら、この続を考えようと思う。

2月4日
まもなく春、なぜか駐車場の桜の木を大家さんがばっさりと切った。

沈黙の春。

1月29日
気がつけば、お正月もはるかな昔、クリスマスは過去、もうじき、節分。
鬼が島の季節。
カト思うとバレンタイン。
どちらが好きかと聞かれたら、バレンタインだ。
わざわざ、鬼が島まで行って、鬼を絶滅させるのも気が引ける。
昔話は残酷なのがおおいい、舌切り雀とかも、子供のころから嫌いだった。
花咲じじいは、好き、でも登場する爺さんはあまり好きになれない。
園芸の趣味を持ったカントリーライフを楽しむ老紳士、オリエンタルな庭に、はす池の脇の桜が咲く、なんとなくモネ風印象派。
もしくは、アンリルソーのように公園を散歩しながら、幻想的な楽園の夢を見るなんてのもいい。
2月には、梅の花が咲く、まだ寒い春先の、咲き始めが美しい。

1月22日
クリスマス島にアングラー家族3人の結婚10周年豪華客船の旅、そんなコラムののイラストを描いた。
最初は、そんな事が出来る特権、そんな嫉妬があった。
でも、客船の写真を見ているうちに、その人たちが必要とした素敵な時間に招かれたように思った。
昔のトロピカル世界一周、そんな旅が素敵に感じた。

ボーンフィッシュを釣ろうと、張りきって出かけた3人が、なぜか魚釣りをせずに、南の海に感動した素敵な面白い話でした。

1月22日
朝起きて、車で10分、雪の世田谷公園に散歩に出かけた。
雪の日の朝日がまぶしく、窓の水滴がきらきら光る。
雪の公園、昔見たニューヨーカーの表紙そのままのような景色。
路面を平らにするために、いつもは、枯葉を集めるカートが、僕の横を追い越していく。
近所の、犬の散歩。いつもより厚手のタイツをはいたジョギング。
昨日作られた、雪だるまが、いくつも、枯れ枝の手をつけたやつが一番大きい。
風で雪が舞い落ちる、ここは都会だ、それがすごく自分自身を包み込んでくれているようで、すごく安心する。

1月21日 初雪
天気予報どうり、朝起きると、銀世界・・・白世界かな。
我が家の前の畑が、白一色、駐輪場のフリースを引いたダンボールには、案の定ぶち猫が、
他の猫連も姿なし、何処かで、寝ているのだと思います。
車は、昨年末にスタッドレスタイヤに変えておいたので、問題ない。
久しぶりに肉眼で見る雪、雪を触る指先、寒くてほてったほほ、玄関までの長靴の足跡、
雪の日は刺激的です。

1月19日明日の天気
明日は、大寒らしい。
天気予報は、せいぜい明日とか、週間、一ヶ月。
毎年の大寒を予測する。
・・・・・所で大寒で、小春日和の年もあったのでは・・・。

1月16日
今年は、どうにか、伸し餅一枚は、残らず食べ終えた。
めでたしめでたし。


1月10日
最近の大相撲は、ブルースリーの燃えよドラゴンで見た相撲を見ているようです。
なんといっても、ちょんまげが似合わないのか似合っているのか微妙な感じが楽しめます。

1月9日
インクスポットのイラストのほとんどが、おじさん、おばさん。
気がつくと自分もそんなおじさんになっていました。
年齢ではなく、新しいだけでなく、少しだけ夢、そんなキャラクターが描きたかったようです。

1月8日
昨年末にLOHASのイベントでイラストを描きました。
地球環境、飢餓、戦争・・・僕に何が出来るかって考えると、人に知れず釣りを楽しむ釣り人になって考えようと思いました。。
魚を釣るのは、別にLOHASとは関係はない話です。
アウトドアとか、フィッシングは、環境破壊、動物愛護、地域住民とのトラブル、交通渋滞、たしかに意外と迷惑な遊びだとは思います。
でも、馬鹿でいられる平和があるような気がするのです。
馬鹿から生まれる、笑い。
まじめな、LOHASにも少しは、馬鹿が必要不可欠な気がしたのです。

2006年
新しい年が始まった。


Oh my cat



ポジ


我が家の庭には、大きな鉢がおかれています。
これはのんき君や、ウー、くまどりなどのベット。
暖かい日の午前中、気持ちよさそうに3匹が、鉢の中に毛玉になって丸まってお昼寝。
いろいろいたずらするけど、「先日もやっと生えてきた、チューリップの上にねてしまった、ハーブの鉢を、棚から、落とした、網戸に上った。」この姿を見ると、つい気持ちがゆるんで、許しちゃうんです。

2008年
のんき君は、ある日ちらりと目があって、どこかへいなくなった。
二度と戻っては来ませんでした。
くまどり君は、交通事故。お隣が病院に担ぎ込んで、2か月入院。
今は元気に庭で遊んでいます。
我が家の「ポジとら」ご覧ください。


OHmyCAT

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inkspotに戻ります。