<東北自然歩道・福島から青森へ>        
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岩 手 編 ・・・岩手県・一関駅から青森県・八戸駅
期 間:平成17年10月2日から10月13日


散居集落風景
1 はじめに
 昨年の8月に福島、11月に宮城県内を歩き、続編として今回は岩手県をトレースする。段々とゴールの青森・竜飛岬が近ずいて来た。しかし、岩手も青森も有数の大な県で、しかもトレイルは東西に振れているのでコースの選定次第では予想以上の日数が必要になる。
 各県の所轄部から取り寄せた自然歩道のガイド書と道路地図を頼りにトレイルを選定する。この時、より困難なルートを選び行動中は最も容易なルートを捜す矛盾は、岩登りのバリエーション・ルートをトレースする時の心境に似ていて、思わず苦笑する。
 10月になり日射時間も短く朝夕の冷え込みが気になるが、ともかく夜行・高速バスで前回下山したJR一関駅へ向かう。


2 行動の記録  
   概略総距離=279Km。総行動時間=78時間50分(実績値)

  
 
第1日目 10月2日(天気 雨):一関駅から平泉・瀬原
                 (距離23Km)行動6時間30分。
 初日から雨具姿で歩くとはツイてない。行動中は濡れても平気だが野営地に屋根が無ければ2日目には濡れたテントを張るので辛い。
 朝から野営地を気にしてはファイトが湧かない「最初が雨天なら後半は好天気になる筈・・」とポジテブに考えて歩く。
 最初のポイント・厳美渓は、栗駒山に発した盤井川が中流で切り立った岩肌や多くの滝を形成して岩手県を代表する景勝地らしい。しかし、雨で視界も悪く期待出来ないので、入口の看板だけを見て迂回する。
 今日は、藤原三代ゆかりの地・平泉町を通るので、毛越寺、中尊寺等の探訪が出来るコースだが、広大な寺院内を観覧する気はないので「
チョット眺めよう」と思っていたが、いずれも門前で入場料を払うので入らずに退散。管理された人混の敷地内より、寺院の周囲を通過するだけでも雰囲気は味わえる。
 今は見物より今夜の野営地が気になる。予定していた中尊寺裏の金鶏山麓キャンプ場付近で近所の人の聴くと「あそこは閉鎖ヨ」との事。しかたなくコー
ス沿いに北上する。
これまでの経験で、町から外れると空き地はあるが、屋根付きの休憩舎は期待出来ない。又国道沿いは、バス停など屋根はあるが騒音が深夜まで続くで出来れば避けたい。
 周囲を探索しながら1時間ほど進むと、脇道に小公園らしいスペースがあり屋根付き門が眼にいる「安部一族鎮魂の碑」の記念地で幸い山門が広く乾いているので野営地にした。100m先の国道のガソリンスタンドへ行って事情を説明して水を貰う。若い店員が「歩いているの?何処まで?」と理解出来ない顔をして水をくれた。


 第2日目 10月3日(天気 曇り後晴):平泉・瀬原から上鹿合集落
                   (距離23Km)行動6時間30分。
 今回のトレイルを代表するような平坦道の歩きが続く。朝の通勤時間帯には車が通るがそれが過ぎれば殆んど車は通らない。東北有数の穀倉地帯らしく典型的な田園風景が広がり、「稲刈りシーズン真っ盛り」である。この地方の特徴・散居集落が点々と続くので歩いていても飽きることがない。
 平安の昔、安部氏や藤原氏等の強者達が駆け抜けた衣川沿いの古戦場も、今は豊かな穀倉地帯となり「古戦場跡」の標識で辛うじて往時を偲ぶことが出来る。
 4時間ほど歩いて国見平の温泉・いきいき交流館に着く。この地区で奈良時代の大和朝廷が蝦夷(えみし)の指導者・アテルイと交戦したとの事。温泉施設の「アルテルの里」は開店まで1時間も待つので、最初の入浴は諦めて先へ進む。
 国見平の先の太平集落からモデルコース<肝沢平野を望むみち>が始まる。増沢ダムの北面を通り上萩森集落を北上して上萱刈窪集落に着く。近日中に市民マラソン大会が開催されるようで道脇にコースを示すノボリが林立していた。やがて国道397号線と交差。東西に走るこの道は古く陸奥と出羽を結ぶ交易ルート・旧仙北街道との事。
 1日の最重要事項・野営地は予定通り鹿合集落の山城跡鹿合館公園にする。公園内の山頂部に休憩舎(吾妻屋)があり、城主の館跡との標識に「亡霊が出るのでは・・」と一寸不安になるが屋根の威力には勝てずテントを張る。


 第3日目 10月4日(天気 雨):上鹿合集落から横川目町
                 (距離28Km)行動7時間。
 晴天は続かず今朝も雨具姿で出発。天気予報では終日雨らしい。国道37号線に再び出て北上。路肩に設けられた電光表示板の「只今の6℃」に早朝の冷え込みを感じる。
 2時間程歩いて金ケ埼集落の「寿の湯」付近なったので「営業していたら入ろう」と思い気にしていたが見つからず通過。更に2時間進んで千貫石溜池の森公園に着く。ここには溜池の土手が何度も決壊して困り果てた村人達が「おいし」と云う乙女を銭千貫で買い生贄にしたと伝えられ、供養に「おいし観音」が祀られている。
 この観音がモデルコース<堤と牧場を通るみち>の起点だ。干し上がった千貫石溜池の北面を2kmほど進み、金ケ埼牧場跡への分岐点に着く。しかし、標識はあるが指示先の道を20mも進むと雑草と倒木で廃道になってしまった。しかたなく溜池口まで戻り公道を北上。この先の水神温泉から再びシングルトレイルになっているので「これもダメだろう」と現地まで行かずに迂回して37号線を進む。
 雨は本降りで止みそうにないので、野営地の休憩舎を捜しながら和賀町へ向かう。和賀川は大川で橋下の河原は期待通り乾燥した平地スペースがあり、農機財の保管場所になっていた。近くで農作業していたオバサンに断ってテントスペースを確保。500m先の横川目町へ出て焼酎とツマミを購入して天気祈願のお祓いをした。


 第4日目 10月5日(天気 晴):横川目町から花巻温泉
                 (距離23Km)行動7時間30分。
 停滞していた前線が南下して雨の心配は消えた。予報ではしばらく天気が続くらしいので野営地を案ずることはないので助かる。入山して4日目だか夜明けが遅くなったようだ。
 今朝は5時になっても遠景の山影と舗装道がボンヤリ見える程度。建造物は闇に消えて自然の姿を肌で感じ、古代から更に縄文の時代へと想いは広がる。やがて民家のニワトリが時の声を発し、ライトを灯して早出の車が通りだして1日が始まる。
 今日までのトレイルの様子から、山道は荒れているので迂回が賢明のようだ。今日の八方山コースも怪しいので最初から敬遠して37号線を直進する。モデルコース以外でも新鮮な空気と湧き水には恵まれるので満足出来る。
 八方山の下山口に高村記念館・山荘があるので立ち寄る。案内によると、高村光太郎が宮沢賢治の父を頼りに疎開して、昭和20年秋から27年秋まで独居生活をした土地とのこと。近くには、山荘を建造中1ケ月ほど文教場の宿直室で暮らしたと云う旧山口小学校(現歴史民俗資料館)があった。
 旧山口小学校を過ぎて今日の野営地・温泉のメッカ花巻へ向かう。事前の資料から「平塚・花巻交流の森(キャンプ場)」を捜す。キャンプ場は無料で近くに金矢温泉があり是非泊まりたい場所だ。金矢温泉の看板に従って無事目的地に着く。
 テントを乾かしていたら管理人さんが来たので「今晩泊めて下さい」と云ったら「良いですヨ」「空いているので何日でもドーゾ」とこと。テントサイトは屋外だが、10畳ほどの板張床の上に青ビニールのフライが設置され、それも無料とは夢のようなキャンプ場。一段落して裏の花巻温泉郷・金矢温泉へ入りリッチな1日に満足。


 第5日目 10月6日(天気 雨):花巻温泉から紫波町・ラフランス温泉
                 (距離29Km)行動6時間30分。
 キャンプ場から1時間ほど脇道を北上して花巻温泉バスターミナルに着く。早朝で人の気配はないが、湯治客で賑わっている様子が伺える。
 今日は2つのダム・葛丸ダムと山王海ダムを通る。この間は10kmほどの尾根と峠越えになっている。葛丸ダムの下流は葛丸渓谷で紅葉の名所だが少し早くまだ紅葉はみられない。葛丸ダム堰堤から1km上流の橋で対岸に渡り北上して山王海ダムに向かう。橋の距離案内に「山王海ダムまで25km」と表示してある。地図上では10km程度なので不思議に思う。ともかく公道だから道が違うこともないだろうと峠に向かう。
 峠でモデルコースは新山神社へ向かうが無視して山王海ダムへ下る。ダム堰堤手前の500mで道は全面通行禁止で閉鎖され上流への迂回となっていた。これで距離表示の謎が解けた。しかし、堰堤が見えて15kmも迂回する気にはならないので「ともかく直進して見よう」と柵を跨いで既設道を下る。道は堰堤まで続き、公道まで出れたが途中管理棟があり徒歩では通れるが一般には開放していない。
 ダム下流の志和温泉近くに野営して温泉に入る予定だったが温泉は廃業して建物は朽ちていた。近くにいたオジサンに「この付近に日帰り温泉はありますか?」と聞くと1km先に町営の温泉センターを教えてくれた。志和温泉は閉めたがすぐ側の志和稲荷神社は「日本の3大稲荷神社のひとつで遠方からも来る」と紹介してくれた。
 国道13号と並行して北上する稲荷街道は盛岡へのバイパス道で大型車か頻繁に通り狭い歩道は危ないが他に公道はない。
 やがてラ・フランス温泉館の賑やかなノボリが立つ施設に着く。大きな遊技場のような建物で、町立の村おこし施設とは思えない雰囲気だ。今夜は雨の心配もないので、施設裏の東根山登山口の杉林にテントを設営して温泉に入る。広い畳敷きの休憩室で疲れを癒した。


 第6日目 10月7日(天気 快晴):紫波町・ラフランス館温泉から盛岡市・東黒石公園
                   (距離25Km)行動7時間。
 食料が減ってザックが軽くなったのと温泉の効用で身体が軽い(参考:実測歩行ピッチから速度を換算すると、歩きはじめは220歩/100m、90歩/分。従って時速=2,5km。通常145歩/100m、112歩/分。従って時速=4,6km)。
 稲荷街道は信号が少なく直線路のため営業車が猛スピードで通過する。脇道に避難したいが、北へ直進する魅力に負けて狭い歩道を進む。しかし、通勤時間帯になって車が切れ目なく「限界ダ!」と湯沢の住宅街で小道に入り、小刻みに角を曲がり盛岡市内へ向かう。
 盛岡市街の西面・飯岡山目指して進むと、リンゴ園が広がり収穫間近かのリンゴが見事だ。飯岡山の裾を過ぎると盛岡のビルも間近になってくる。
 東北自動車高速道を過ぎると「志波城古代公園」に着く。城の外郭は840mx3360m、高さ5m城壁と60mピッチ毎に監視櫓が設け軍事上も強固な城であったそうだ。
 市内には大型スーパーもあるが時間が早いので開いていない。市街地を通過して高松池脇を北上した頃、スーパーが開店したので早速食料を追加購入。この付近では見慣れないニッカズボン姿を見て、店前で準備していた店員のオバサン達が「山登り?何処へ?」と質問されて、自然歩道やら行き先等を説明すると珍らしがっていた。それにしても、オバサンは元気で良く話しかけてくれる。
 今夜ごろから雨の予報だから休憩舎を捜しながら進むと、四十四ダム手前の東石黒町に小規模の幼児公園があり吾妻屋と水道を見つける。予報通り日が暮れて雨になった。


 第7日目 10月8日(天気 小雨):盛岡市・東黒石公園から石神の丘・道の駅
                 (距離28Km)行動7時間30分。
 小雨混じりの強風が吹く中を出発。四十四ダム沿いのトレイルは北上川の上流へと向かう。陸羽街道(国道4号線)とGRいわて銀河鉄道と並行するモデルコース<啄木を訪ねるみち>の田舎道を歩き、歌人・石川啄木の生誕の地・玉山村を通る。啄木記念館は時間が早いので閉っていた。早出・早着の行動だから商店やこの種の開店時間にはタイミングが合わない。
 今日まで廃道を数度迂回して来たので、予定より1日早い日程で進んでいる。先を急ぐ旅でもないので「日程調整で遅出か停滞でもしよう」と思うが、朝になると無意識に出発の準備をしてしまう。そう云えば今まで雨でも停滞をしたことがない「スポーツ旅の自己流ルールとして停滞なしもアリ」と納得する。暇にまかせてそんな事を自問しながら北上。降雨で岩手山の雄姿も眺められず、今夜の予定地・沼宮内へ着く。
 予定していた彫刻公園には休憩舎がないので、4号線沿いで騒音に悩まされるが近くの道の駅・石神の丘に併設した工作棟のオープンスペース(屋根付き)にテントを張る。
 ガイド書で紹介されていた道の駅の<名物・手打ちソバ>を注文、久し振りの下界の味は美味い。


 第8日目 10月9日(天気 快晴):石神の丘・道の駅から一戸町・産直センター
                  (距離28Km)行動8時間。
 モデルコース<旧奥州街道のみち>の起点・御堂集落までは、国道4号線を北上。出発して2時間で道路脇に「北緯40度」標示板が眼にとまる。その先で国道と別れて旧奥州街道に入る。近世5街道は、江戸幕府の参勤路の主要道で他の街道は道路の拡張で一里塚も消滅しているが、奥州街道は4号線が別コースとなったので現在でも数個ケ所の一里塚を始め往時の面影を残している。
 昨日の雨で道脇に山栗が落ちている。昔を思い出して数個拾い渋皮を歯で除去して食べる。山栗独特の味は懐かしいが皮の渋さが口内に広がり閉口した。
 途中の御堂観音には、北上川の源泉「弓弭湯筈(ゆみはず)の清水」の湧き水がある。伝説では、八幡太郎義家が東征の時、炎天下に兵馬が苦しむのを忍びず観音に祈願して岩を動かしたら清水が湧いたとの事。
 小繋集落でモデルコースは終わり国道4号に出る。野営予定地の一戸町の小鳥谷まで国道を歩き町立の物産センターに着く。センター横の休憩舎で休んでいたら、定年間近の夫婦が来て「歩いているの?野宿は寒くない?」と質問が飛ぶ。定年後何をするか模索中とのことでしばらく団欒をする。
 物産センターから10分ほどの所に「県内最大の民家がある」と云うので行ってみる。県指定の有形文化財・朴館(ほうのきだて)家で建坪150坪の旧地主宅。中に入るとヒンヤリとして旧家の歴史を感じた。



 第9日目 10月10日(天気 曇後小雨):一戸町・産直センターから金田一温泉
                      (距離23Km)行動7時間。
 少し疲れ気味だから5時に出発。出来れば今日は温泉に入りたいので、金田一温泉まで行きたい。今日も旧奥州街道の一部を通って北上するモデルコース<末の松山のみち>を進む。
 末の松山は別名打浪峠と呼ばれ、峠の切通しには交叉層(海底時に出来た異質地層が地表に隆起)が名所となっている。
 峠を下ると「桜清水」が湧き出て明治天皇が御幸行時に峠でこの水を使ってお茶を立てたとの標示あり。
 ニ戸町に入ると国定史跡・九戸城跡に着く。この城は南部藩の実力者・九戸政実の居城で難航不落だったとの説明あり。
 モデルコースは長嶺集落で終わり国道4号線に合流。並行する公道を進んで金田一温泉に到着。
 日帰り温泉<ゆうゆうゆーらく館>の脇の休憩舎に荷物を置いて、県内随一のラジウム温泉に早々につかる。金田一温泉郷は数軒の旅館とホテルがあるが余り繁盛していないようだった。


 第10日目10月11日 
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