TOP
<北海道自然歩道・東西横断>A1&A2&A3  函館市から江別市
・・維新の道・火山回道そして拓殖の道へ・・
期 間:平成20年6月12日から6月28日 (17日間)

羊 蹄 山 の 遠 望


 1 はじめに 
 北海道自然歩道は、平成15年に10年計画で策定され、現在までに一部は完成したが整備中か未着手のコースが多い。計画路線では、東西横断、南北縦貫、及び地域の3グループに区分され、その総延長距離は4、580km、日帰りベースで289日と云う超ロングトレイルである。今回は、かって「北海道の玄関口」と呼ばれた函館港を起点とする「維新の道」からスタート。

概略コースは、函館湾から北上し内浦湾に出て、海岸沿いに長万部まで「A1路線・維新の道」を辿る。長万部から「A2路線・火山回道」の黒松内を経由してニセコ・洞爺湖・支笏湖を経て終点・千歳市に進む。日程に余裕があれば更に北上して「A3路線・拓殖の道」の途中・江別市まで足を延ばしたい。
  歩行時のタイムやポイント等、テント利用者の参考用として別紙「資料編」を作成。

 2 トピック&スケッチ

  概略総距離=402Km。総行動時間=104時間50分(実績値)。


 第1日目 
  6月12日(天気 晴):函館市・若松町から梁川公園
             距離:3km。行動時間:40分
 

羽田から函館空港へ。雲を集めた東北の山波の向こうに佐渡ケ島を望み、やがて日本海に張り出した男鹿半島を過ぎると、高度を下げて津軽海峡を渡り北海道に到着。 改めて飛行機便の利便性に感心する。


       綿雲の下に
       残雪の 頂は
       飯豊 月山
        鳥海山か



 第2日目 
  6月13日(天気 雨後曇):梁川公園からJR仁山駅
            距離:23km。行動時間:6時間30分
 小雨模様の五稜郭を後に、一路国道5号線を北上。この道は、明治政府が西洋式馬車道として七飯峠までの17Kmを整備。歴史街道100景に選ばれ、赤松並木は往時を偲ばせるが、馬の糞代りの排ガスに元気なし。
  



     排ガスで
     維新の道の 松並木
     迷惑気味に
     青息吐息
 

 第3日目
  6月14日(天気 晴):JR仁山駅から道の駅・森
            距離:25km。行動時間:6時間40分

「駒ケ岳」は全国に16座あり、その中で当地の山が最北。山の形が馬の背に似ているところから由来している。四方から眺める山容が皆異なって見える珍しい山。



    山麓の
    広い牧場に 良く似合う
    黒牛群れと 
    赤屋根サイロ 



 第4日目
  6月15日(天気 快晴):道の駅・森から八雲町・パノラマ公園
             距離:31km。行動時間:7時間40分
 

 森町から八雲町へと内浦湾沿いに北上する。本茅部、落部、野田生の漁師集落ではホタテ養殖の仕込最中。
 この沿岸も太古から人々が営んでおり、縄文時代中期の遺跡から軽石で造った家形模型が出土された。


      時を超え
     文字なき人は 有様を
     石に託して
     今に伝える  



 第5日目
  6月16日(天気 快晴):パノラマ公園から長万部・ふれあい大橋
         距離:36km。行動時間:9時間40分 
   八雲町を過ぎ、函館本線沿いに山崎、黒岩、国縫、そして中の沢と長万部までウンザリする直線道路が続く。
 追い越して行った車が豆粒になって陽炎に消えた。
 



      白線が
      彼方へ続く 直線路
      車の姿
      陽炎に消ゆ

 第6日目 
  6月17日(天気 快晴):長万部・ふれあい大橋から黒松内・道の駅
          距離:32km。行動時間:8時間10分
 普通電車は朝夕の数便、利用者は通学専用みたい。特急やコンテナ車が貨車駅など無視して頻繁に通過。
 黒松内で3日連続の温泉に入る。ここも高温で豊富な湯量の「源泉かけ流し」で疲労回復に効果抜群だが熱過ぎてノンビリ出来ない。


     二股の
     無人の駅は 貨車利用
     通学子女の
     専用駅だ


 黒松内からフットパスの標識に従い町道を辿る。途中の電波塔までは舗装だが、その先は次第に輪跡も消え夏草が膝まで茂る廃道になった。町道には違いないので2Kmほど山道を進み、集落近くでジャリ道になってホッと一息。道脇のラベンターに北海道の道の事情を諭された。


     北国の
     短かい夏を ラベンダー
     風に吹かれて
     若葉に映える


第7日目 
  6月18日(天気 快晴):黒松内・道の駅から蘭越・ランラン公園
          距離:22km。行動時間:5時間50分

 単調な直線路を何日も歩くと慣れて来る。そんな時は暇つぶしに携帯をかける。充電や圏外の心配のない「心の携帯電話」。コールすると時空を越えて想い出が広がる。



     直線路 
     暇にまかせて 考える
     家族ことや
     仲間のことを



 目名峠を越えて蘭越町に下ると水田風景が広がり遠くにはニセコ連山が望まれる。
 今日まで並行して来た函館本線とも蘭越町で別れてニセコ高原へと北上する。


     水田の
     淡い水音 眼で追えば
     原野の先に
     残雪の峰


 第8日目 
  6月19日(天気 曇):蘭越・ランラン公園から昆布温泉公
           距離:22km。行動時間:5時間40分

 北海道の特徴として道路数が少ないこと。国道と道道が主要都市や町を結び、それ以外の少ない町道(脇道)は行止り路でトレイルの対象外が多い。
 今日のコースは例外で町道を歩く。未舗装の林道は車も通らず<クマとの遭遇>を恐れて鈴を鳴らしながら進む。


       ダミ声の
       威嚇を残し 北キツネ
       不満顔して
       クマ笹に消ゆ

 
  ニセコ連山の残雪を眺めながら今回の最北地点・湯本温泉まで北上。スキーのメッカ・ニセコアンヌプリの山腹を巻き気味に下り昆布温泉に到着。ホテル前の豊富な湧水<甘露水>を幾人も給水していた。昭和29年に昭和天皇が巡幸の折「甘露な水」と御言葉を賜った由。


     
       積雪は
       山中深く 浸透し
       甘露カンロの
       味となり湧く

   ニセコ周辺には温泉地が点在している。何処も豊富な源泉を誇り「かけ流し湯」が常識のようだ。
 温泉と湧水が厳しい自然からの贈物となり、この地の開拓達を癒してくれたことだろう。


       熱々の
       かけ流し湯は 本場もの 
       広い露天で
       時を忘れる

 第9日目 
  6月20日(天気 曇):昆布温泉公園から真狩・細川たかし記念公園 
                 距離:23km。行動時間:5時間50分

 羊蹄山の残雪は数十年かけて溶岩のフイルターで濾過され、山麓で湧水となって噴出している。これ等は清流となって羊蹄山を回る尻別川となり日本海に注ぐ。川の語源はアイヌ語<シリ・ベツ=内陸深くから海へ至る>の意。ちなみに、北海道の地名の80%はアイヌ語らしい。


     湧き水は
     麓を潤す カムイの水
     羊蹄山の
     眠れる宝

 

 出発の目安時間を4時半にしているので、調子が出て来た時、朝の通学や通勤時間帯に集落を通る時が多い。
 ニセコ駅近くのコンビニで休憩していると、所沢ナンバーの車が停車。珍しいので声をかけると、彼はオーストラリヤ人で日本に来て3年、川越に住み当地へ出張中とか。函館から歩行中と云ったら信じられない顔をしていた。


     オハヨーと
     車番が縁で 外人と
     思わぬ会話
     朝のサプライ


 第10日目 
  6月21日(天気 晴):真狩・細川たかし記念公園から洞爺湖・水の駅
          距離:25km。行動時間:6時間30分 
 羊蹄山の南面は、洞爺湖まで開拓地として明治以降多くの入植者を受け入れた。高原上部から五の原・四の原・三・二・一と地名が降りてくる。
 後から入植した人ほど条件が悪い上部で苦難を強いられただろう。今は立派になった家屋やジャガイモ、小豆等、傾斜に沿った広大な畑を眺めていると往時の開拓者魂に頭が下がる。


     朝霧が
     晴れて一面 芋畑
     緑のじゅうたん
     どこまで続く

 明治38年・青森から開拓者の一団が函館に着く。その中に乳児を抱いた未婚の女性がいた。
 入植先の厳しい暮らしは子連れにはムリで、母親は泣く泣く函館で宣教師に子供を託し、独り入植先の留寿都(ルスツ)へ向かった。
 後日、野口雨情は実在のモデルの哀話をもとに童謡・赤い靴を作詞した。と留寿都の赤い靴公園内モニュメントの解説。最後に<この歌は厳しい開拓時代の鎮魂歌>と記してあった。



     開拓の
     厳しい暮らし 今は夢
     涙を誘う 
     赤い靴の碑


第11日
  6月22日(天気 曇):洞爺湖・水の駅から幡渓温泉
          距離:32km。行動時間:8時間10分

 
 洞爺湖の北面から湖畔沿いに壮瞥まで半周する。この一帯は山間部にも関わらず、湖の恩恵を受けた恵まれた土地で水田が広がる。
 それでも、開拓時代の苦難を物語る朽ちかけた民家に出会う。



     風雪と
     苦難に耐えて 板壁は
     時を刻んで
     老女を守る




第12日目 
  6月23日(天気 晴):幡渓温泉から美笛パーキング 
          距離:28km。行動時間:7時間30分
 洞爺湖サミットの警備要員が3万人と報じている。その為の宿泊地も半端な設備では収容出来ない。洞爺湖から20Km以上離れた北湯沢温泉の9階建・3棟のホテルに投宿していた。機動隊のバスが数十台と幹部用レンタカー多数が広い駐車場を埋め尽くしていた。



     サミットで
     満車のホテル 駐車場
     脇で隊員
     朝の訓練




第13日目 
  6月24日(天気 曇後雨):美笛パーキングから支笏温泉休暇村 
           距離:26km。行動時間:6時間50分
 支笏湖畔沿いに国道276号線を進むと、樽前山・噴火時の火砕流で出来た涸沢が周囲の環境で苔の渓谷を形成。道路から750m樹林帯の奥に入るが、現在は崩壊の恐れがあるので渓谷入口の観覧台止まり。



      静寂な
      涸沢渓谷 苔むして
      秘境を守る
      クマの足跡


 支笏とは、アイヌ語<シコツ=大きな谷間>の意で初めは<死骨>と書いたが印象が悪いので支笏に改められた由。
湖畔温泉に明治末から昭和26年まで運行した王子軽便鉄道(通称・山線)の小さな鉄橋が明治の良き時代を語っていた。



     山波に
     湖囲まれ 波静
     美笛を下り
     支笏湖に着く



第14日目
 6月25日(天気 快晴):支笏温泉休暇村から千歳市・青葉
             距離:26km。行動時間:6時間40分
 前述・山線の線路跡を支笏湖から千歳市内まで25Kmのサイクリング・ロードに整備されている。線路跡だから何処までも続く直線路を快適に進む。
車道から少し離れているだけで大自然の影響下にあり、途中に「6月16日にクマ出没」の注意看板があった。


     支笏の
     白樺林 霧晴れて
     鹿の親子が
     吾を見つめる

千歳市街地の青葉公園は、樹齢450年代の水楢林で深い緑に囲まれている。そんな静寂を破り突然<バーン・ゴー>と異常な轟音に「何事か!」テントから顔を出したら、音の先に戦闘機が見えた。
この地に自衛隊の基地があることを思い出した。



    共喰いの
    証の凶器 ファントムが
    耳をつんざき
    低空飛行


第15日目
  6月26日(天気 曇):千歳市・青葉公園から漁川
         距離:23km。行動時間:6時間

千歳川は千歳郊外から石狩平野の水田地帯を潤す。川の両岸から遥か彼方まで広がる耕地は北海道ならではの見事な景観。それにしても百年程度で整備した開拓者のエネルギーに感服する。



    清流の
    鮭のふるさと 千歳川 
    昔も今も
    人を育む



第16日目
6月27日(天気 快晴):漁川橋からJR江別駅
            ・・・JR苫小牧駅・フェリー経由帰宅
          距離:25km。行動時間:6時間30分

 
千歳川の源流は支笏湖で、約100Km下って石狩川に合流する。モデルコースは日帰りのため、千歳、恵み野、北広島の各駅が起点だが野営泊の利点で駅へ立ち寄らず土手沿いのジャリ道を進む。



    土手道を
    川の流れに 誘われて
    行けど行けども
    野営地見えず


 苫小牧でフェリーの待ち時間を利用して白老町のアイヌ民族博物館へ。有料だけあって屋外に数軒の民族家屋やコタンの解説、古式舞踊の公演を観た。
 特にセツ(檻)に4頭のクマが捕らえられ、その内の1頭は最近捕えたようで、荒々しく動いていた。他の3頭と同じ用に、最初は身の不運に苛立ち怒り、やがて諦めに変わるのだろうか。



    生捕られ
    怒りのクマは 眼をむいて
    野性の声を
    鋭く発す


第17日目
  6月28日(天気 晴):大洗フェリーから水戸駅経由岩槻駅

都圏の寄港地が大洗フェリー港で少々不便。でも、60歳以上のプラチナ割引を適用し運賃6,800円は格安。マリン・シアターや展望浴場など多彩な施設で休養には最適な旅。



   日暮れどき
   夕焼け雲と 染まる海
   展望風呂の
   湯加減上々




 
 3 あとがき(所感)

 1)初めての北海道は、期待した以上に雄大な自然界と人々の親切さに感動した。更に、開拓時代の面影を残し、初めての土地と思えない懐かしさを覚えた。

 2)人類がマンモスを追ってシベリヤから南下、先史時代から狩猟、採取および漁労を中心とする生活を営んで来た原始日本人の足跡を多くの遺跡が物語っている。そんな山河を歩いていると無性に心が穏やかになった。それは、理性の奥に眠っていた野性が徒歩の道中で呼び起こされたのかも知れない。

 3)特に内陸部の千歳市一帯に多くの遺跡が残っているのは、蝦夷地と呼ばれる以前に早くから文化が栄えていた証。次回内陸部を北上する時、どのような遺跡と出会えるか楽しみだ。

 4)明治期以降の開拓民政策で内陸部へと入植し、町を繋ぐ道路は国道と道道で結ばれているが、集落が少ないのと歴史が浅いために、内地にある集落間の生活路は少ない。自然歩道は生活路を兼用しているので、廃道の恐れがあり地元で確認要。従って自然歩道は国道と道道に頼らざる得ない。着手して5年が過ぎても未整備コースが多い原因のひとつと思えた。A1、A2、A3路線で車道と独立した<フットパス>として北湯沢温泉先の平成ふるさとの道・7km、支笏湖を源とする千歳川の千歳市内まで、その先の石狩川まで土手道を合わせて100kmを推奨したい。

 5)仁山駅での郵便配達のオヤジさんの話しによると、1)北海道に梅雨はないが、天気は不安定で降雨も多くベストは7月下旬から9月上旬。2)公道(国道、道道)以外の道は頻繁にクマが出没するので鈴は必需品。3)内地みたいにコンビニや食糧店が少ないので早目に調達要。

 6)予定では期間を22日間とし、内3日間を完全休養としたが、2日に1度の割合で温泉で疲労回復を図ったので毎日行動して支障なかった。休養予定日は半日行動(3時間位)で洗濯や整理時間にしても良い。あまり長くなると旅が惰性になりがちで、心身共に充実出来るのは最長2週間位が適当。

 7)野営地は基本的に公園等の休憩舎を利用した。理由は一時的に降雨があり、連日濡れたテントは大きなハンデイとなるため。幸い、バス停や公営の広場、公園の管理がおおらかでクレームはなかった。単車や自転者で旅をしている若者と数人出会ったが徒歩者には会わなかった。住民も旅行者に慣れているようだったが、日中からテントを張るのは自粛した。

 8)内地と比較した時、面積の割りには道路数が少ないので地図は1/10万の道路地図で支障はなかった。1 /20万では詳細不明で見難い。

 9)カロリーの収支試算を試みた結果(概算)
  ・消費総カロリー Q=52,100 Kcal
       条件:体重=57 Kg、平均荷物重量=12 Kg、総距離=402km
  ・摂取総カロリー S=41,980 Kcal
           条件:事前購入食料=12,400 Kcal、現地購入食料(含む酒)=29,580 Kcal
  ・体脂肪減少量 w=(Q-S)x0.5/9=562g(実測値=660g・・・体脂肪率測定による)

10)食料について
・荷持の軽量化のために、主食や調味料以外は現地購入とした(食パン、ドーナツ等の行動食)。・コンビニで湯をもらい味噌汁を作った。ケースがゴミになるので店先でナットや豆腐を食べた。・カリントのカロリーは高いが胃にもたれた(食パンに自作の酢味噌を塗って食べた)。
・現地購入の干タラは味が淡白でソーセイジの代わりになった。
・総合ビタミン剤を毎日飲んだが効果は不明。

11)装備について
・蚊よけの網ハットは効果抜群。夏の時期には必需品
・自転車用のポンチョは軽量で防水効果高い(袖口があり、荷物を覆うので便利)。
・ガスは140g(18回)消費した(全量=230g)
・テントのポールが2本損傷した(原因は不明、寿命か)。
・装備の軽量化:コンロバーナ(250g)、ザック(1.2kg)、寝袋+カバー(1.1kg)、テント(1,2kg)等の軽量品の新替検討。


 

 <テント泊の参考資料>          
TOP