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< 九州自然歩道・縦 断  >

 前 編 ・・・鹿児島・佐多岬から宮崎・牧水公園
期 間:平成15年1月29日から2月18日

 ・・・・・・続 き・・・・・・ 

 第11日目 2月9日(天気 晴れ):石橋から高千穂小学校側
                         (距離28Km)行動8時間20分。 
 今夜の泊地もキャンプ地ではないので午後になったら適地を探さねばならない。そのためにも余裕を持って早出したい。国分市内から霧島神宮へ北上する交差点を近くのコンビニで聞く。普通の商店は早すぎて開いていないのでコンビニは便利だ。
 出発して2時間ほど歩いて清水町付近の道路沿いに<つるた温泉>が目に付く、しばらく風呂に入ってないので、1時間ばかり道草をくって温泉につかった。
 鹿児島ルートも明日で終わる見通しがついたので気分も大分楽になってきた。温泉の主人が番台から「山登りですか」「私も霧島へは良く登りに行くんデスヨ」と声をかけてくれた。九州自然歩道については知らないようで、バックパックも認知されていないようだ。
 これまでも道を尋ねて必ず「何処からきたの?」と聞かれるが、前日のテント地を答えてもピントこないようで「関東の埼玉から」と云うと納得して「イヤー遠い所からごくろさん」とねぎらってくれる。(方言で訛っているので大体そんな意味のようだが・・・)。
 湯上りでリラックスしてノンビリと高千穂目指して進む。一本道で迷うこともない。道場口、牧神、と集落を過ぎ、豊後追で日豊本線の線路を越え霧島町に入る。
駅へは寄らずそのまま北上し田口の集落で<老人いこいの家>の広場でテントや衣類を干して1時間ほど休憩。ここにテントを張ろうと思ったが、子供達が来てキャッチボールを始めたので、再パッキングして更に1時間程歩く。
 高千穂小学校側の個人所有の広場に「一晩テントを張らして」と許可をもらう。近くの酒店で焼酎カップを買い今日もアルコールで祝杯をあげる。
 

 第12日目 2月10日(天気 晴後曇り):高千穂小学校側から宮崎県・御池キャンプ場
                           (距離26Km)行動8時間40分。 
 今日で鹿児島県ともお別れだ。霧島地区は観光地として整備されているので、トレイルもしっかりしているだろう。30分で霧島神宮・大鳥交差点に着く。トレイルは湯之野温泉経由になっているが、高千穂河原ビジターセンターまで舗装道を通り、センターにザックをデポして空身で中岳を往復しよう。
 中岳山頂に単独の登山者がいたので「シャターお願いします」とスナップをとり早々に下山する。センターで再び荷を担ぎ御鉢(1206m)の登りにかかる。さすがは有名地で4名の下山者とすれ違う。山頂付近は火山独特のガラ場でズルズルを足場が崩れ歩き難い。
 高度を上げると強い南風が吹き、あおられながら最高峰の高千穂峰(1575m)への登りのかかる。山頂から宮崎県になり御池まで標高差1300mの下りになる。
 ここでも3名の単独登山者と行き交う。きょうは日曜日なので多いようだ。山道は急降下だがトレイルは確かで迷う心配はない。
 霧島東神宮を抜け御池・キャンプ場へ着く。池で釣りをしているオジサンにキャンプ場の様子を聞くと「夕方役所の管理人が点検くるだけ」とのこと。良く手入れされたキャンプ場はバンガローや常設テントもありシーズン中は賑わうそうだ。
 テントで休んでいたら「コンチワー」と管理者が来て「テント一晩・1260円デス」と集金された。(高いテント代!)と思ったが規則らしいので文句も云えない。宮崎県内のキャンプ場はオフでも有料なのだろうか?


 第13日目 2月11日(天気 曇り):御池キャンプ場から椎屋
                          (距離24Km)行動6時間10分。
 宮崎県下は「トレイル標識は完備」と期待して歩いたが期待に反して所々設置さてあるだけでかえって混乱するだけだ。御池からトレイル通り標識のない山道を500mほど下り県道に出る。後原集落から<皇子温泉>の標識に従い県道と別れる。
 舗装された里道を進むと時間が早いので閑散とした温泉に着く。10分ほど歩くと天然記念物の狭野神社の杉並木を通り直進して先ほどの県道に出た。トレイルは途中から里道に入るのだが見失ってしまう。3km先で合流するのでそのまま県道を進みJR高原駅前を通る。
 高原町は神武天皇の生誕地とか、この付近は神話の時代から人々が暮らしていたので落ち着いた雰囲気がある。駅を過ぎ上麓の郵便局で自宅へメールを出す。
 県道414号線でトレイルに合流。霞神社へ石段700段を上がると休日のせいか参拝者で賑わっている。
 門前に土産物店が軒を並べて呼び込みをしている。石段からでなく裏側に車道が上まで伸びてこちらが正門のようだ。焼き芋屋の出店があったので、¥200円也でホカホカの芋をほうばる。三叉路に標識があったりなかったりで、地図上にない新道があって混乱することしきり。作業中のオジサンやオバサンに何度も聞いて岩瀬川に出る。
 椎屋大橋の麓から一本道で地図に従いながら椎屋集落に着く。今夜は雨の予報だから屋根のある所に設営しよう。
 幸い道沿いに<椎屋集会場>と看板の比較的大きな軒下があったので、テントを設営。ほどなく「コンニチは、大丈夫デスカ」と集会場を管理者が声をかけてきたので「スミマセン一晩テントを張らして下さい」とお願いして快諾を得た。
 予報通り日暮れと共に本降りになり屋根のありがたさが身にしみる。ウトウトしていたら21時ごろ先ほどの管理人さんが来て「仕事が今終わった・・どうですか?」と心配して様子をみにきて、「これ・・どうぞ」とスルメと焼酎カップを差し入れしてくれた。おかげで雨音を子守り唄に熟睡出来た。


 第14日目 2月12日(天気 曇り後晴):椎屋から照葉大吊橋先4km
                           (距離34Km)行動8時間50分。 
 岩瀬ダムまで後平、笛水、竹元と各集落を抜けて行く。ダムから緩い登りになり見晴らしが良くなると昨日までのトレイルが遥か彼方になり(1日歩くとこんなに遠くなるものか・・)と驚く。
 交通量の多い268号に出て直ぐ里道に入るが途中で道の迷い再び268号線に戻る。里道は道標がなければ数個所の三叉路で必ず迷うので、4km程県道を歩き新町から北上してトレイルに入る。太尾まで一つ尾根越えをして更に岩前集落まで2kmの大きな尾根越えにかかる。ガイドブックで<シダの群生をかき分けて前進>と注記があった所だ。その通りの山道で(こりゃ廃道ダ!)とボヤキながら道を探して登る。上部へ進むほど怪しくなって来て、稜線付近で林道に出てホッと一息。下降路も山道があるようだが更に迷う恐れがあるので遠回りだか林道下ることにする。
 トレイルは綾南川上流の川中キャンプ場を経て照葉大吊橋に至るが、林道を下るとその中間点に出た。今日は天気がよいのでキャンプ場にテントを張ることもないので、キャンプ場はパスして照葉大吊橋へ向かう。
 照葉大吊橋は<歩く吊橋・世界一>で総長さ250m・高さ142mと大きな看板がある。周囲の原生林は日本一の照葉樹林帯で九州中央山地・国定公園に指定されている由、町オコシの一貫として地元・綾町が下流の公園設備と共にPRしているようだ。通行料100円は少々セコイが、(これも体験)と渡ってみる。
 川沿いに左岸の旧トロッコ道を辿り、深い尾根が切れて平地になった所でザックを下ろす。キャンプ場をパスしたのでこの付近でテントを設営しよう。


 第15日目 2月13日(天気 晴れ):照葉大吊橋先4kmから清水兼
                          (距離30Km)行動8時間10分。 
 道標の少ない里道を地図と地形を比べて尾立、平瀬集落を抜けて前記公園設備の杢道集落に着く。ここにもトレイルセンターがあるが建物は立派だが、利用者が少ないためだろう資料は乏しい。
 バイパス道を久木野まで進み里道に入る。法華嶽、高野、八重尾と約1km毎に集落を通地図にない林道を通り南河内集落から地図通りになる。九州第二に人造湖の籾水池の脇を抜けて又道に迷う。
 道路工事中の監督に聞けば「パイパスが出来たので、道はこっち」と進行方向と90度折れた方向を示す。聞かなければ危ない所だった。
 直角に曲がって囲集落でトレイルに合流。財川に沿って上流へ元山、水喰集落を抜けて一つ尾根越えになるが、ここでは、林道が数箇所交差して(尾根を越えた)と思って下ったら元の道に出てガックリ。再度引き返し、山感を総動員してようやく目的の清水兼集落にたどり着く。里尾根は低い代わりに地形が複雑で道以外はジャングル並でヤブコギなどとても出来ない。地図上の点線(山道)は鬼門だ。
 宮崎平野と九州中央山地の境部に沿ってトレイルは設置されている。日常生活に利用されていない里道や作業道を忠実にトレースするには標識が不可欠だが、バックパック人口が皆無のようだからルートを変えるしかないように思える。
 清水兼集落の河原にテント設営<迷いの一日>の疲れを癒すため洗濯と少し冷たいが行水をする。


 第16日目 2月14日(天気 晴れ):清水兼から西都原
                          (距離21Km)行動5時間。 
 昨日の迷路にこりたので、地図の点線路(徒歩道)はエスケープを考えて行動しよう。幸い今日はほぼ県道と林道歩きのようだから注意するのは新設道に迷わされないことだ。岩下、九流水、釘野集落からトレイルは<長谷観音>の標識に従って進むが、途中から別れ南下して西都原へ向かう。
 古墳で有名な西都原は想像以上に大きな規模の古墳群で案内板によれば<300基あまりが東西2、5km、南北3,5kmの台地に点在>1500年前の時を越えて現存しているのに、一種の爽やかな印象を覚える。
 町内でこれから数日分の食料の買出をして北方部出口のトイレ脇にテント設営、今夜は古墳と共に一夜を過そう。


 第17日目 2月15日(天気 曇り後雨):西都原から旭ケ丘
                            (距離29Km)行動7時間50分。
 一ツ瀬川の広い河原沿いに上流へ219号を進み、杉安橋を渡り反対岸を2km引返す。坂江の橋を渡れば半分の距離だから何かソンをしたような気持ちになる。今度は瀬江川に沿って上流への道を行き小さな尾根を越えて今別府集落に着く。
 今日は各要所に案内標識があり(トレイルが管理されている)ことが判る。この調子で最後まで面倒をみて欲しいものだ。川原橋から再び尾根越えの林道を進み、黒水川にかかる谷内橋を渡り川沿いに下流へ下る。
 今夜のテント予定地・白髪神社まで4kmほどは道に迷うことなく進む。神社手前から本降りなったので出来れば神社周辺でテントを張りたい。神社はお祓い中で赤い囲いの敷地内は玉砂利で整然と整理されテントを張る雰囲気ではない。(・・1ピッチ先の青鹿溜池のキャンプ場まで行こう)と雨具を付けて出発。
 数軒の集落では留守が多く道を尋ねたくても聞けないが、幸い新築中の大工さんが居たので池への道を確認することが出来た。ストックを見て「スキーに行くの?」と怪訝顔で聞くので「イイエ・山歩きで使うのデス」と答えても腑に落ちない様子であった。これまで2・3度問われたので当地では登山用のストックは珍しいようだ。(キャンプ場だから湖畔にあるのだろう)青鹿溜池沿いに半周したが、それらしい設備は何もない。やはりトレイル通り途中から尾根に上がるべきだった。
 池の上流から尾根へ登りウロウロするが樹林帯の平坦な尾根では勝手がわからず舗装道で出たので、そのまま進むと旭ケ丘の集落に出た。雨天だが明日は晴れるようだから今夜はガマンして公民館脇の草地にテント設営して近くの民家に水汲みに行く。珍しく標準語のオジサンが「こちらの洗浄飲料水をどうぞ・・」と親切にわけてくれ「雨の中大変デスネ」と同情してくれた。


 第18日目 2月16日(天気 曇り):旭ケ丘から矢研キャンプ場
                          (距離13Km)行動3時間30分。 
 予備日を使わず毎日行動しているので数日の前倒行程だ。次回の入山初日が1000mの登りになるので、体調が良ければ今回荷物が軽くなった時トレースしておいたほうが賢明か?そんな目論見をして今日も早目に出発。
 トレイルは里道で新しく出来た道との分岐点は道標がなく戸惑う。ペンライトでは地形を判断するのは不十分で、6時半ごろには文字が見える程度明るくなるのでそれまでゆっくりと進む。舗装道の林になった所に運悪く舗装が欠けた所に右足を踏み込みグニャと足首を挫いてしまう。(たいしたことはないナ)とそのまま下り県道307号に出て組集落の手前でトレイルと合流。ここから5km県道を歩けば矢研キャンプ場に着くが、痛めた足首がジンジンと痛みが増してきた。(ヤバイ!)と靴を脱いで見ると大分腫れている。
 ウッカリ・ミスを反省しても始まらないので、今日は予定を短縮して矢研キャンプ場までとする。以前にも痛めた同じ部分だから連日の行動がオーバーワークになっていたのだろう。キャンプ場について速やかに沢水で冷やすことにしよう。
 キャンプ場はシーズンオフで無人だが、シーズン中は矢研の大滝(神武天皇が矢を研いだいわれがある)や尾鈴山(1405m)登山基地として賑わっているそうだ。日曜日だからか管理人が点検に来て「朝出る時にトイレと電話ボックスのライトを消して下さい」と申し送りをして下山して行った。キャンプ代はナシ。明日は予定通り下山に決め最後の夜はキャンプ場の貸切となる。


 第19日目 2月17日(天気 晴れ): 矢研キャンプ場から牧水公園経由日向港
                           (距離19Km)行動7時間10分。 
 「最後よければ全て由」だから充分に注意して歩こう。昨日な管理人の話では「牧水公園までは人はあまり入らないが、道ははっきりしている」「2度大きな登りがあるので1日では大変」とコメントを貰った。足首の調子も悪いので時間がかかるだろうから、スヘア電池と交換してライトを頼りに未明に出発する。
 2時間ほど旧トロッコ道を歩いて林道に出て、直ぐ沢沿いの山道に入る。最初の登りは高度差400mで峠から600m下降して石並川まで下り丸木橋で対岸に渡ると2度目の登りになる。神陰まで450m樹林帯の山腹と尾根を伝って高度を上げる。
 神隠峠が近ずくと平坦路になりしっかりした登山道に安堵する。神陰のコルには<山の神―三方界>の標識があり尾根道にわかれ牧水公園への下りになる。
 途中から林道が横切るがトレイルがしっかり標識も完備しているので近道でもあるのでそのまま下り、追内川の上流に出て沢沿いに下り赤井笠集落を抜けて若山牧水公園に着いた。
 バス停で時刻を調べると5分後に出るが、濡れ物や荷物の整理を考えて次の便にした。早速帰路の船便の予約を入れて次回の入山路や公園内のキャンプ地の下見をする。バスに40分程揺られてJR日向駅に着いた。

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3 あとがき(反省と所感)
地図上からは9割は舗装道のトレイルだから(足への負担が大きいな)と覚悟していたが、実際はほとんど舗装道で、登山道の野首岳、辻岳、陣の岡、横尾岳、御岳、大の柄岳、狐ケ岡、霧島山塊、そして神陰峠と数箇所の里尾根越えが未舗装で他は硬い舗装のトレイル歩きでウンザリした。
 しかも、里尾根越えはオープン後20数年を経て、新規の道と交差や重なり、利用者が少ないこともありメンテナンスがないので荒れ放題の状態で苦労した。
 1県当たりの管轄距離が東海自然歩道に比べて長いので同等には扱われないが、東海のそれは分枝路毎に標識があり且つ、県によっては「30分歩いての標識がない時は道が違うので最後の標識まで引返せ」と云うほど完備していた。
 せめて、出入口に赤布でも良いから統一した目印が欲しい。実態はトレイルを忠実にトレースしなくても主要ポイントの場所をオリエンテーリング並に各自の好みの道を歩けば良いのかも知れない。
 ともあれ遠隔地とは云え、資料の収集不足で最新の情報を入手せずに出発したことが一番の反省点だろう。


 1)行動について
 1−1) トレイルの状況が不明なので、その分予備日を4日間取ったが、幸い予定通りの日数でトレース出来た。特に2月初旬だから高隈山系(御岳、大の柄岳)と霧島山塊に積雪が多くて天候待ちを懸念していたが、無事通過出来たのは幸いだった。

 1−2) 2月までは日射時間が少ないので、通常の5時出発・午前中テント地着はムリであった。休養や洗濯の面から午前中に着くためにバックパックは3月以降にしたい。
 ライトを頼りに早出したが、舗装道ではルートが単純であれば問題ないが、後半疲れて来て注意力が鈍って足首を捻挫してしまった(ほぼ明るくなったのでライトを消して歩いたのも反省点)。

 1−3) 山道が少なく舗装道が多かったので、歩行速度は時速3,5〜4,5km(毎分歩数94〜120歩)で普段よりアップした。休憩のタイミングは90分〜120分毎に10分程度で食料と水を補給した。気温が低いせいか汗も少なかった。

 1−4) 費用の節減に往復船便を利用した。大型フエリーで揺れも気にならず、展望風呂と畳の大部屋に乗客は数名でゆっくり出来た。シーズンオフで30%割引の料金はありがたい。

 1−5) 1ステージ3週間の行動は現状では心身共に最大日数のようだ。出来れば1ステージ2週間が荷物も軽くなり行動も充実するように思える。予備日が必要な場合は諦めてエスケープする計画が実態に合っているようだ。


 2)食料・装備について
 2−1) 主食の白米1,5食分を夕方炊いて4時頃と6時頃に分けて食べた。コンロは1日1回・40分間だけとしたので、予備ガス(500CC)だけで12日間使えた。朝食は水とビスケット類、行動時は通常の行動食(スルメ、ピーナツ、チョクレート、チーズ、ビスケット等)とした。結果帰宅時の体重は3Kg減っていた。

 2−2) 靴紐が緩すぎたせいで、2日目に両足中指爪にダメージ。爪が靴に当たらないように紐を強く締めたら4日目に解決した。五本指靴下を履いても小指爪が痛み易いので、テープで養生した。(テント地に着いたら毎日足指のマッサージをしたのは効果があった。そのためにもテント地へ余裕を持って早めに着きたい)。

 2−3) 今回初めてストックを2本持参した。バランス確保と推力の補助効果はあったが、荷物が重い時(16Kg以上)は肩の負担が厳しい(両手が空いてれば肩のサポートに使える)13Kg程度(後半で食料が少なくなった頃)であれば、クロスカントリースキーのストック捌きの要領でスイスイと歩行出来るので効果バツグン。今後は1本だけにしよう。
 ストックは、アウトドアーの中古店でスキー用ストック(伸縮なし)を購入してリングを撤去・石突部にゴム製プラグを挿入した。
 キャンプ場以外のテント地では、ストックを外に置いて看板代わりに「私は怪しい者ではありません」と自己表示する役目にもなる。(コレ何に使うの?と聞かれることもあるが・・)。
 これは四国遍路をテント泊で巡拝した時に、笠と金剛杖がその役目をして効果があった。

 2−4) テントの張綱用として1m程度の細紐を付ける(コンクリー床等杭が打てない時にブロック等の重石を括る)。

 2−5) コンロのポンプ加圧について、4日目の夕食時コンロの安全弁が作動して弁から焔が出た。良く調べたら<加圧過剰>のようで原因は、メタで余熱+手動ポンプで加圧を着火前にしたため、最初からタンク内圧が高くなり過ぎたようだ。
 以降はメタ余熱だけにして問題解決。(ポンプは高地か寒冷時のみ使用するようだ)。それにしても<コンロ故障>は致命傷になるので、予備のプラグを持参要。
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