INDEX

テント担いで四国遍路・2巡目 (愛媛・香川編)

期 間:平成19年10月15日から10月27日 


琴弾公園から夕日の寛永通宝

 
 §1 行動の記録 ー前頁から続くー

 第10日目 10月24日(天気 快晴):丸亀市野球場から足尾大明神
                    (距離37Km)行動9時間40分
 早朝、丸亀市街に入ると最初にライトを灯した新聞配達のバイクと出会う。薄明るくなると早朝ウオークのオバサン達、7時過ぎに通学の子供達と通勤車が増え、そして一日が始まる。オバサンも子供達からも行き交う時に笑顔の挨拶が嬉しい。この交流が巡拝を惹きつけるひとつと思える。
 78番・郷照寺は自動ゲートで7時にならかないと境内にはいれない。30分待ちのため近くを散策すると、四国第一の閻魔大王を祀る閻魔堂()があり覗くと恐い姿の大王が鎮座していた。
 後半の80番・国分寺からは「へんろころがし」と呼ばれる山道になる山中には水場がないので長い一日になった。しかし、この間はハイキングコースでもあり6名のハイカーと出合った。
 82番・根香寺まで山道を進み分岐点の足尾大明神の公園にテントを張る()。



 第11日目 10月25日(天気 曇後晴):足尾大明神から84番寺脇駐車場
                    (距離29Km)行動7時間40分
 出発して直ぐ鬼無町まで350mの下降路になる。町中は盆栽通りがあり見事な年代モノの松が道を飾る。見事な姿に立ち止まっていたら、早朝散歩のオヤジさんが「おはよう、ご苦労さま」と挨拶をして「私も4年がかり巡拝してますヨ」とのこと。地元の仲間30数名の編成で月1回、貸切バスで日帰り巡拝しているとのこと。生活に密着した地元ならではの企画に感心した。
 84番・一宮寺から歩道がない県道を北上して高松市街地に入る。ここまで来るとゴールの88番寺が見えて来る。
 高松湾に突き出た屋島の岬が近ずき、ひと登りして84番・屋島寺に到着。裏手の駐車場にテントを張った。



 第12日目 10月26日(天気 雨後曇):84番寺脇駐車場から亀鶴公園
                    (距離23Km)行動6時間20分
 3時の起床時から降雨あり雨具を着て出発。急下降のへんろ道は雨で滑り易く、薄明のライトでステップを誤り数回転倒しやっと公道に出る。未明の山道・下降路は避けるべきだった。
 今日は雨天だから屋根下に野営したいので、大きな公園が適地と判断。2巡目の最後の野営地は87番・長尾寺を過ぎてコースから離れるが県立亀鶴公園にする。
 先客の野良猫が迷惑そうにしていたが休業のボート場のテント下が空いていたので野営地にした()。



 第13日目 10月27日(天気 雨後曇):亀鶴公園から88番寺・結願後JR徳島駅
                    (距離15Km)行動4時間10分
 連日好天気のツケか最終日になって本降りになる。公道コースを辿って無事88番・大窪寺に到着()。当初は野営地から空身で往復する予定だったが雨でもあり帰路はバス便で最寄の駅のJR造田駅近くまでバスに乗った。帰路の最短は、このバスで志度駅まで行くと新宿行き高速バス便がある。
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




  §2 あとがき(教訓と所感) 
◇ 無事に結願出来てホッとした。初順目には「道に迷わないように・・」又「野営地があるだろうか?」と不安な日々が多かったが、2巡目はそうした不安もなく周囲を見渡すユトリがあった。

◇ ユトリのせいか前回では少なかった地元の人達との交流も頻繁に持てた。歩き遍路が増えて認知度が高まり環境が好転したのも大きな理由と云える。一方、ゴミのポイ捨てや一般遍路者相手の悪質なニセ行者?の被害も多いらしい。

◇ それにしても、遍路は回数を重ねる度に新たな体験が出来るのか「108回巡拝記念」のメモリアルを何度も見た。一方、身体不自由でやっと歩ける老人を身内が引率して参拝している姿にも好感を持てた。

◇ いずれにしても、各自の環境に合わせた遍路文化が幅広く根ずいて頼もしく感じた。空間的に寺院・道中・宿泊と区分すると、自分のように道中と宿泊を重点にした旅も有りと思える。

◇ 道中即ち遍路道について、文献によると「道・みち」の語源「ミ=神」の意で、神酒や神楽と同様に畏敬すべき聖なること。又「チ」はあっち、どっちの様に方向や場所を示す意味。従って、古代「みち」とは、聖なる地=異界への誘いに由来。山中でヤブコギや雪山でトレースを失った時のことを思うと道の大切さと共に維持管理の重要性を再意識する。国内外を問わず自然歩道と呼ばれているコースも古来人々の生活路でそれは、歴史でもある。早朝の遍路道を歩くとそんな思いが尽きない。

◇ 更に、古墳や有史以前の遺跡を通ると、思いは悠久の時を越え、縄文時代を遥か越え石器時代までさかのぼる。
狩猟生活の人々は遊動生活をして、マンモス1頭で一族50名ほどの1ケ月分の食料だったとか。その頃はどんな言葉を話していたのだろう?今に残る言葉があるとすればなんだろう?と暇に任せて考えた。
基本単語は名詞や動詞が1字か2字で表現されコミニュケーションに使われたのでは?例えばコメ、ムギ、ヒエなどの食料品、イヌ、ウシ、ウマなどの家畜等、土地の名前なども意外と古い言葉が残っているかも知れない。その頃と今歩いている山波の風景は同じだろうと思うと愉快になった。

◇ 行動開始は従来の通り未明に出発したが、公道歩きには支障がなかった。幹線道路でも車が少なく騒音に悩まされず「良き時代の遍路道」に浸ることが出来た。難点は、早過ぎて「名物・讃岐うどん」が準備中だったこと。

◇ 荷物の軽量化で食料は主食意外は5日分だけ持参、不足分は現地購入にした。身体への負荷は軽減され「現地で手配出来るのは現地」方式にすれば旅の寿命も伸びそうだ。

◇ 夏に痛めた左足親指の爪が半分剥離して支障がないか心配していたが、テープを張って養生して歩き問題なかった。
◇ 食料について
・ 主食:米又はα米のオジヤ食(乾燥玉子スープ、乾燥ワカメ、フリカケ入)
 行動食:カリントウ、クキー、食パン+マヨネーズ、飴、裂スルメ、ラーメン
現地購入品:オニギリ、豆腐、食パン、クッキー、玉ウドン、チーズ、ちくわ、野菜テンプラ。
・ 酒類:チュウハイ止めて地酒にした。
・ 帰宅時の体脂肪減量=約900g

◇ 装備について
・帰宅時の総装備重量=9.4kg
・防寒シーツ不用。
・ガス使用量 260g(13日間使用)
・中敷+厚手の中敷(踵部分のみ)効果大
・スケッチ用にハガキ利用
・タオル不要(バンダナ2ケのみ)
・クリームは多めに(毎日足指に塗る)
・ザックの軽量化検討要:1.2Kgを0.8 Kg
・シュラーフ新替検討要:0.9 Kgを0.6 Kg
・水筒は200ccで充分(秋期)各寺補給可

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  §3資 料 編 ・・次頁へ・・
    1 ポイントとタイム
    2 費 用
    3 資料・地図類

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   
  INDEX    BACK