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テント担いで四国遍路・2巡目 (高知・愛媛編)

期 間:平成19年8月29日から9月13日 


愛媛・下坂峠の刈り入れ


   はじめに

 疲労は「寝れば回復する」と思っていたが、最近疲れが取れ難いようになった。やはり歳のせいか?それとも加齢にあったトレーニングが出来ていないのか、いずれにしても「テント担いで独り旅」も怪しくなって来た。この際、2巡目の区切り打ちに出て「今しばらく歩かせて・・」とお大師さんにお願いしよう。残暑が気になるが,ムリやムラから開放され「歩くことだけ」に集中してみたい。
 今回は途中の宿毛市で一時中断してフェリーで九州・佐伯港へ渡り熊本の故郷へ墓参りをする。若い頃、登山に熱を上げて両親には心配をかけたので、その詫び参りをしよう。

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 §1 行動の記録  
  総徒歩距離=362km(26Km/日)、実働総時間=110時間(7時間50分/日)


第1日目 8月29日(天気 快晴):JR安和駅からJR影野駅
                 (距離20Km)行動5時間20分。 
 舗装道の照り返しも加わり「ムッ!」とする暑さだ。身体が慣れていないので歩き初めて5分もすると大汗が吹き出てくる。
 途中、小休止している遍路者に「暑いですネ」と声をかけ、今日の泊地・影野駅を目指す。
昔ながらの大坂遍路道(→)を抜けると炎天下に出る。
 午後2時頃一番暑さが厳しい時、後から「お遍路サーン・・」と呼ばれた気がしたので振り返ったら、腰の曲がったバーチャンが小走りで追いかけて来て「暑いのにご苦労さま」と冷えた缶ジュースを渡してくれた。顔中をシワシワにした笑顔は観音様に見えた。



 第2日目 8月30日(天気 快晴):R影野駅から佐賀温泉
                   (距離 20Km)行動6時間10分。
 今朝は霧が出て、陽射しが強くなる前に先へ進めてありがたい。加えてガスが晴れる頃には市野瀬遍路道の樹林帯に入り助かる。
 今日は、距離が短いので午前中に野営予定地の佐賀温泉に到着。
 気温34℃では「温泉へ」の意欲も湧かないが、汗を流すべく入浴後、夕立が気になるので近くの橋下にテントを張った(→)
 昨夜と同様に熱帯夜でテント内は蒸し風呂気味。外は日暮れと共にヤブ蚊の大軍で「今夜も寝不足か」とウンザリする。



 第3日目 8月31日(天気 曇後晴):佐賀温泉から大方町公園
                  (距離25Km)行動7時間40分。
 いつも通り、夜明けを待たずに5時前に出発。日の出前の静寂は日中の猛暑を忘れさせ徒歩旅ならではの時間帯だ。
 56号線・旧道の明治38年に開通したレンガ壁の熊井トンネン内はヒンヤリとして天然クーラー。案内板によりと、開通式に訪れた村人が「トンネルの入口は大きくても出口は小さい・・」と云ったとか。
 6年前に野営した井ノ岬温泉を過ぎると広々とした土佐湾が望まれ、目安の足摺岬は湾の遥か先の空に消えている(→)
 佐賀温泉付近から土佐くろしお鉄道と遍路道が並行しているので「駅に水道があるだろう」と思っていたが、粗末な屋根だけの無人駅(←)で給水は出来ずガソリンスタンドで貰った。



 第4日目 9月1日(天気 曇後晴):大方町公園から-大岐海岸
                  (距離27Km)行動8時間。
 9月になったせいか、昨夜は熱帯夜から開放されて熟睡出来た。定刻4時半に出発。夜明けには間があるが、公道の白線を頼りに一路足摺岬へ向けて南下。
 今回は珍しく足にマメも出来ず快調だ。舗装道歩きの対策として踵部分に厚手の中敷を入れたのが良かった。
 四万十川を渡って新伊豆田トンネル(1.6km)内は、炎天下から開放され考える余裕が出来、距離標示で歩幅の測定をする。210mを320歩(65cm/歩)で歩速は110歩/分であった。従って時速換算では4.3km/時間となる。トンネル内は幾分早足だから普段はもう少し遅いようだ。



 第5日目 9月2日(天気 快晴):大岐海岸から38番寺折返・五味橋
                  (距離32Km)行動10時間20分。 
 野営地から足摺岬の38番寺へは空身で折り返す。重い足をなだめてようやく38番寺到着(→)。納経所で「歩きですネ」と聞かれて「ご苦労様」と奥から冷えた缶ジュースを接待してくれた。
 往路を遠回りの土佐清水市経由で22km歩いたので、復路はバスを利用した。
 車内で途中から乗車して来た70歳代のオジイサンが「ご苦労サン」と云って千円札を出され「接待だから・・」云われ断る訳にも行かず受け取った。好意のお返しとしても無事に結願したいものだ。



 第6日目 9月3日(天気 快晴):五味橋から宿毛港
                 (距離34Km)行動11時間。 
 昨日帰路をバスに乗ったので、予定以上に歩けた。歩けば半日の距離も車では一休みしている時間である。浮世の価値「より早く!」を基準に考えれば徒歩はムダ、まして公道歩きではバカみたいだ。しかし、チベット仏教では五体投地で巡礼する人もいるのだから、「より早く」の価値が全てではない。特にリタイヤ後は新たな価値を模索するチャンスでもある。目安の足摺岬を越えたユトリでそんなことを考えながら39番寺・延光寺へ向かう。
 明日は、歩き始めて1週間になるので、休養を兼ねて宿毛港から九州・佐伯港へフエリーで渡り高千穂経由で熊本の墓所に行く。



  9月4日(天気 快晴):宿毛港から宮崎・高千穂
              (距離0Km)行動0時間。
 1日3便のフェリーの最終便で佐伯港に未明到着。一番電車で延岡駅下車、高速バスで九州中央部の山間集落・馬見原でローカルバスに乗換え昼に墓到着。2年振りの墓参りが出来た。
 同じ経由で引き返し高千穂YH泊。同宿の若者は自転車で日本一周とか、来春就職するので区切りの旅で北海道をスタートし沖縄、西表島まで南下するそうだ。



  9月5日(天気 快晴):宮崎・高千穂から宿毛市
              (距離2Km)行動20分。
 予定通り午後、フェリーで炎天下の宿毛港に到着。20分程歩いて港近くの市営野球場の木陰(→)にテント設営。
 夕方から高校生は野球練習、中学生達はソフトテニスのクラブ活動を始めた。どちらも遍路者に馴染んでいるようで元気な挨拶を受けた。
 明日からの再スタートを記念に「ビールで乾杯!」と酒屋を探したが町外れで店がなく乾杯は見送る。



 第7日目 9月6日(天気 快晴):宿毛市から菊川小学校
                 (距離24Km)行動7時間50分。 
 関東に台風9号が上陸の見込みらしい。その影響か早朝から暖かい南風が吹く。天気予報では今日も34℃とか「カンベンしてよ」とボヤキが出る。
 松尾峠で高知県から愛媛県に入る。この付近は海岸から外れセミの声が一段と樹林帯を覆う。峠を下ると40番・観自在寺に着き今夜の野営地・菊川小学校までもう一息だ。前回も菊川小学校脇(←)に設営したので近くに食料店がある筈。
 隣接して白壁の町立研修センターがあり午後から「すこやか教室」があるそうでバーチャン連中が数名参集。皆70代以上の先輩で電動椅子や嫁の車で意気揚々と集まって来た。屋内の会場を見ると、準備運動からボールゲーム等笑い声が絶えない。ここにもジーサンの姿は皆無。女性上位は何処も同じようだ。そんな様子を眺めていたらバーチャンがペットポトルを出して「開けてチョ」「ワシはよう開けきれん」と頼まれた。長閑な時間に疲れを忘れる。



 第8日目 9月7日(天気 快晴):菊川小学校から津島バス停
                (距離19Km)行動6時間30分。 
 今日はシングルトレイルが主流で車の騒音に煩わされることもない。坂道の遍路道は磨り減った石敷になり歴史を偲ばせてくれる。津島町の先の長い松尾トンネル(1,7km)は日中交通量が多く排気ガスが充満するので早朝に通過すべく津島町(→)で野営する。
 近くに大型スーパーあり食料と酒を入手。毎日設営後の乾杯が待ち遠しい、特に炭酸入缶チューハイは乾いた喉にはこたえられない。



 第9日目 9月8日(天気 曇後晴):津島バス停から42寺前・天満宮鳥居
                  (距離27Km)行動7時間30分。 
 松尾トンネル内には前日の排ガスが残っていて「ムッ」とする。30分我慢してトンネルを出ると対抗から自転車のオバサンが止まって「お遍路サン、オニギリ」と云って出来たての大きなオニギリを渡してくれた「新米を今握ったんだから美味しいヨ」と笑顔と共に接待してくれた。
 コンビニの2倍もあるジャンポオニギリに腹の虫も満足して元気が湧いて来た。
 今日は、41番寺手前で設営する予定だったがオニギリ効果で42番寺まで行き、近くの天満宮の鳥居脇(→)に設営。設営地は、寺の納経受付が7時からだから2時間程歩いて寺に着く距離が良い。


 第10日目 9月9日(天気 曇後晴): 次の頁へ


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