●3 部  たち上げのセレモニー

 

 ▼井口 伸男さん

 ▼発足の宣言をみなさんで読み
承認しました。

 

 濱田靖一氏の呼びかけによって2005年4月、第1回憲法9条を語る生田の集いが喫茶「モンタナ」で開催され「憲法9条を語る生田の会」が準備会として出発しました。その9月には、小森陽一九条の会事務局長を招き講演会を開催するなど、これまで6回の「つどい」を開いてきました。今年の7月「生田9条の会」たち上げのための実行委員を募り第1回実行委員会を7月29日に開催、当日までに8回の実行委員会を開いて準備してきました。この実行委員会のなかでいっそう検討され深められた「生田9条の会申し合わせ」(会則)が参加者に提案され全員の拍手で採択されました。(別掲)
 申し合わせ朗読は「憲法9条を語る生田の会」世話人 井口伸男さん(長沢在住)。
 次に発足の宣言が、三田在住のYさんより峻厳にそして高らかに宣言され、拍手で承認されました。(別掲)
 つづいて、司会より新運営委員の29名が紹介されました。

 

▼隈部 直光さん(三田在住)

 この参加者のなかでも10指に入る高齢だと自己紹介された隈部さんですが、このお話を聞き会場は大爆笑……。そうです。これくらい明るくユーモラスに楽しい運動をすすめましょう。

 

たま9条の会 
隈部直光代表の連帯の挨拶

 いま多摩区には、菅、たま、生田と3つの九条の会ができました。また市レベルでは「かわさき九条の会」があります。これらの会にかけもちで会員になりオーバーラップしながら「九条」の運動の声をあらゆるところで高め広げて行くことが肝心だと思います。
 市民に運動を紹介するときに「たま九条の会」というと、「多摩区のどこに球場を作る運動なのか」というような話しもでるほど、まだまだ九条の運動が知られていない、とユーモアを交えて話をつづけます。
 安倍政権の登場で、ここ1~2年が勝負になってきた。私の存命中に「たま九条の会」も「生田9条の会」も、めでたく解散ということにしたいと思う。ここで憲法改悪の動きをつぶせば50年は絶対大丈夫。そうやって同窓会のメンバーで、「先生、いつだったか九条の会とかいって憲法改悪に反対したことがあったね」という声を聞きながら他界できることを望んでいます。

フィナーレ  片岡七恵さんの平和の唄

 

▼片岡 七恵さん





最後には「アンコール!!」の声も


全員で「ふるさと」の合唱。

 

ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

と、峠三吉の詩を「アメージンググレイス」のメロディーにのせアカペラで唄います。2曲目は、広島の中3生が作った歌詞に、たかだりゅうじ氏が曲をつけた『願い』という歌。

もしも この頭上に落とされたものが
ミサイルではなく
本やノートであったなら
無知や偏見からときはなたれて
君は戦うことをやめるだろう
……

 「このような地域の草の根の集いのなかから、9条が実現されていくのだとひしひしと感じています」と話しながら最後に『広島の有る国で』を情感豊かに歌いあげました。

……
ヒロシマの有る国で
しなければならないことは
ともるいくさの火種を 消すことだろう

片岡さんの独唱のあと、全員で『ふるさと』をうたいました。目にハンカチをあてながら口ずさむ人もいます。

 

▼小林 忠太郎さん

 

閉会のあいさつ 

 いま、「生田9条の会」が力強く発足しました。ここに参加した方からも参加できなかった方からも、たくさんのお力をお借りしました。
 この時間から『生田9条の会』が、よりたくましく、より力強く足をそろえることができますように、皆さんから広く深く応援していただき、平和のために力強い第1歩踏み出して行きたいと思います。本日は、ほんとうにありがとうございました。

 

 

会場には、参加記念の景品にしようと有志が「絵手紙」を寄せてくれ、それを50点あまり展示しました。この景品には、引き出しの下に眠っていた絵はがきや、古本などもありました。

▲参加者を迎えます


▲受付では思わぬ人に出会ったり

1階の出口付近では、アンケート、カンパなどに応じ、景品をうけとったり感想などを交歓し談笑する参加者。思わぬ邂逅にときめく姿も。販売コーナーでは、生田の書店が出張販売にきてくれたり、9条茶などの九条グッズ、「すげ九条の会」など九条関係の書籍も販売されました。

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