2006年10月21日 生田9条の会たち上げのつどい

 去る10月21日(土)、「生田9条の会」たち上げのつどいが、栗谷2丁目にある栗谷町会会館で開かれました。午後1時20分の開会から、延べ106人の参加者を迎えて終了までの3時間余、ぎっしりとつまったプログラムにそって次々と披露されました。
 思想・信条・政治的立場の違いを超え、憲法を守ろうという1点で参加を呼びかけ1万5千枚のカラーチラシをまききり大判のポスターを張りだしました。8回に及ぶ実行委員会には、なんと30名余の実行委員が参加しアイディアと企画を練り「参加型の会」にするため会議を開きました。
 この「つどい」のもようを、プログラムにそって見てみましょう。

●1部 オープニング

 

▼司会挨拶

 

 1部、2部、3部担当のそれぞれの司会があいさつ。

 

 ▼太極拳演武


▲会場販売もした手染めのTシャツ

 

 スポーツクラブ「アスリエ生田」の中のサークル「生田武術会」の6人の有志の皆さんが、手染めスティンシルのオリジナルTシャツを着て「アメージンググレイス」の曲にのり、しなやかにそして力強くそろった太極拳の演武を見せました。このTシャツは「生田9条の会」のネームが入った手製のもので、この日のためにスタッフ全員のものをつくり販売もしました。演武の終わりに一人ずつ背中を見せ、6人で「I・?・9・Jo」(アイ・ラブ・9・ジョウ)の文字を読ませました。

 

▼ゆり乙女の会

 

 生田・麻生地域の7人の“やや乙女”たちが、肩にオレンジ色の翼をはためかせ登場、緊張の面もちで「カタロニアの鳥も、日本の鳥も、ピースピースとさえずる……」という「ピースナイン」の歌にあわせて踊りました。孫子の代にも平和を祈る気持ちが伝わります。

 

 ▼生田うたごえ喫茶

 

 奇数月の第3土曜日に、読売ランドの「モンタナ」という喫茶店で、歌声喫茶を開催している「生田うたごえ喫茶」の皆さんと、ステージに残った「ゆり乙女の会」のメンバーがいっしょにうたいます。坂本九の「上を向いて歩こう」の曲にのせ「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は~」と九条の条文を歌詞にした替え歌を披露。

 

 ▼五十嵐さんのギター弾き語り

 

 寺尾台在住のシンガーソングライター。23歳で戦死した詩人・竹内浩三の「骨のうたう」に曲をつけてギター片手に

戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまってだれもいないところで
ひよんと死ぬるやあわれ
ふるさと風や こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため 大君のため
死んでしまうや その心や
……

と、切々と歌いあげました。

 

 ▼塩田さんと6年生バンドのみなさん

 リズミカルに楽しく「そりゃもう!」と「アメリカ200年」のオリジナル2曲をギター、タンバリン、大太鼓など4人で歌い、会場からは自然と手拍子も出てステージもにぎやかにのってきました。
  02年の生田小学校の卒業生の親たちがバンドを組みステージデビュー、ついに来年の1月にコンサートを開くことになったとのことです。

<そりゃもう>
第2次世界大戦が終わって
沢山の血と汗が流れた
国が暴走せぬようにと
9条の結界がはられたのさ
万感籠もる憲法 日本民族の宣言
そりゃもう! そりゃもう!
世界規模の9条 ……

 

 ▼濱田 靖一呼びかけ人あいさつ
(生田在住)

 

 戦争は、国と国民がおこなう最も愚劣で罪悪な行為です。憲法を変えようとする人たちには、日本を戦争をする国にしたいということが見え見えです。
 民族の未来を保証し、希望の楽土を築くには憲法9条があってこそ可能です。皆で肩を組みスクラムを組んで9条を守っていきましょう。このたち上げの今日から、謙虚にそして勇敢にすすみましょう、と訴えました。

 

千葉 茂樹映画監督のお話
  (西生田在住)

 

 「命と平和を守る」というご自身が監督した映画を紹介しながら、マザー・テレサが1979年ノーベル平和賞を受賞したときの言葉を伝えました。「私にはこんなりっぱな賞を受ける資格はありません。でも、この受賞が貧しい人々や平和について、みんなで考えるきっかになるなら、貧しい人たちに代わって賞を受けたいと思います」
 そして、「私たちの最大の敵は憎しみではない、無関心である」、「小さな命を守るということは、平和を守ること」など、マザー・テレサが残したことばをあげながら、たち上げを機会に生田の地で平和をつくっていきたい、憲法を守っていきたいと結びました。

 

 

 映画『「命と平和を守る」マザー・テレサの生涯』上映

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