『屠龍の乙女編 第5話』

 最初に動いたのは瞳であった。すぐに立ち直ると、薫に追い討ちをかけようと振り下ろされている『古龍(ドレイク)』の左前足を手にした大剣で斬りかかる。
──グギャァアァァァアアアッッッ!!
 獣じみた声を上げながら『古龍』は傷ついた前足を退ける。
 そしてその声は薫が倒れたことで茫然自失となっていた瞳以外のパーティーの面々に正気を取り戻させた。
 瞳は、薫を標的にさせないためさらに追い討ちをかけようと飛翔一閃、首を狙うが流石に避けられた。
 苦し紛れに空中で避けようのない瞳を傷を負っていない右前足が狙う。その右前足を立ち直ったばかりのみなみが『魔法のハンマー』で真っ正面から迎撃した。その一撃は鋼をも切り裂く『古龍』の爪と真っ向から打ち合い、力比べとなる。
 いくらみなみの膂力が人間離れしていようと『古龍』との体格差はいかんともしがたく、みなみが吹き飛ばされるかのように見えたその時、
「ええ~いっ!」
 と、気合声とともに『古龍』の前足を押し返した。
 予想外の一撃を受け『古龍』は体勢を崩し右前足を地につける。その右前足をみなみは力任せに『魔法のハンマー』で殴りつける。その一撃は『古龍』の爪を砕き、その指の骨まで軽々と粉砕した。
 さしもの『古龍』ものたうつように前足を宙で暴れさせる。
 その隙に薫の身体を知佳が『力』で体重を軽減させ、美緒が安全圏まで運び出した。
「人間風情ガ味ナ真似ヲ……」
 くもぐってはいたがしっかりとした発音で『古龍』は人の言葉を発した。
「それはこっちの台詞よ。人に化けているなんて味な真似を良くもしてくれたわね。お陰で手痛いダメージを受けたわ」
 ちらりと後ろの薫を伺い見てから『古龍』を睨み付ける。
「ククク、オマエラ人間ハ愚カダナ。姿形ニ惑ワサレ、本質ヲ見抜ケズニソノザマヨ」
 『古龍』は勝ち誇ったかのように嘲笑う。
「まだ勝負は始まったばかりよ。嘲笑うのなら地獄に落ちてからにでもするのね」
「面白イコトヲ言ウ小娘ダ。……コレヲ見テモ言ッテラレルカナ?」
「え、えーっ!?」
 みなみはあまりの事の推移に素っ頓狂な叫びを上げた。
 彼女が完全に砕いたはずの指が見る見るうちに再生されていったのである。そして、そのまま再生されたばかりの右前足でみなみを打ち据えようとする。みなみは素早く動揺から立ち直ると、それを盾で受けながら後ろに飛んだ。
「!?」
 流石の瞳もそれには目を見張ってしまった。「『再生(リジェネレート)』なんて『古龍』が持つ能力じゃないわよ!?」
「……その『龍(ドラゴン)』は『古龍』などではありません」
「十六夜さん!? 薫は……」
「今のところ命に別状はありません。……それよりも今はあの『龍』の方が問題です」
 十六夜は『邪気』が強く渦巻く方に顔を向ける。「昔、一度だけあれと同じ『龍』に出会ったことがあります。かの偉大なる『女帝』に付き従いその身を『魔』に堕とし力を得たもの。その名を……」
「……『魔龍(ティアマット)』……」
 瞳は苦虫を噛み潰したような表情で呟く。「でも『魔龍』はこっちにはいないはずよ」
 基本的にこの世界のドラゴンは『竜族』と『龍族』に分類できる。
 『竜族』とは自然との調和を重んじるドラゴンであり、どちらかといえば『自然神』といった性格が強い。
 一方『龍族』は己の欲するままに行動し、破壊と殺戮を好む。
 そういう性格のためか一般に『竜族』は『光』の属性を持つものが多く、逆に『龍族』の中には『闇』の属性を持つものも少なくはない。
 だからといって『竜族』の方が『龍族』よりも『人類(ヒューマノイド)』と親しいというわけでもなく、自然を破壊するものには『竜族』は例え何者であろうとも容赦はしない。
 一方、『龍族』の中には『人類』と交易することで儲けを得ることを楽しんだり、『人類』を観察するのを楽しむような『人類』側のものもおり、一概に『龍族』が『人類』に敵対しているとは言えない。
 要は個体によって行動理念が異なるのである。
 では、『竜族』と『龍族』。この二つのドラゴンの差は何なのかだろうか。
 元々ドラゴンとは『魔族』の中でも最上位に位置する『鱗の女帝(スケイリー・エンプレス)』の眷属と伝えられている。かの『女帝』は元はといえばこの世界の『森羅万象』の守護を司るものだったという。そのために『神々』の眷属として生み出された『人類』が良いようにこの世界を汚した事に対し強い憤りを覚えたのである。
 そこで、己の意思とありようをこの世界に知らしめるものとしてドラゴンを作り出した。
 しかし、この世の『森羅万象』を守護するはずの『女帝』の思考そのものが『人類』に対する大きな憤りからこの世のありようとは大きくかけ離れたものとなっていき、ついには『魔』に堕ちた。そのため『女帝』の眷属であるドラゴンは『女帝』に付き従い『魔』に堕ちるものと『森羅万象』に従うものの二通りに分かれた。
 この時『魔』に堕ちたものが『魔龍』であり、『魔族』としてこの世界にあだなすものとなった。そして、『森羅万象』よりも『女帝』の意志に従うことを選びながらも『魔』に堕ちるのを嫌いこの世に残ったものが『龍族』と伝えられている。
「確かに『魔龍』がこの世界に干渉するにはよほどの条件がなくてはなりません。しかし、極稀に『古龍』の中には『魔導』に手を出し『魔』に堕ちるものがいるそうです」
「まさか! 『龍族』というものは『女帝』の意志に従いながらも『魔』を嫌ったがためにこの世界の住人として生きているのよ。他の何者よりも『魔』に堕ちることを……いいえ、『魔』に触れることをなによりも嫌うわ」
「私もあの時まではそう思っていました。しかし、いかなる『龍族』であっても強大な『魔』の力に触れそれに魅了されたがめに『魔』に堕ちるものもまたいるのです。その名を『邪龍(ファフニール)』と申します」
「……『邪龍』……」
 鳴りやまぬ大剣を青眼に構え、眼前の敵の名前をポツリと呟く。「そう、これが『邪龍』なのね、『バルムンク』……」
 物言わぬ大剣はより一層共鳴を強めその意思を主に伝える。
「……分かったわ。あれは私向きの相手ね。十六夜さんは薫をお願い。仁村さんは援護を、岡本さんと陣内さんは神咲さんを守り通して」
「独リデ何ガデキルトイウノダ? ソレモタカダカ『女騎士(ヴァルキリー)』一人デ」
「そうね、確かに一人では何も出来ないかも知れないわ。……でも、『邪龍』一匹ぐらいなら狩ってみせるわ」
「言ワセテオケバツケアガリオッテ!」
 『邪龍』は突然息を大きく吸うと、いきなり全てを吐き出す。
「『龍の吐息(ドラゴンブレス)』!?」
 知佳は驚いたように叫ぶと、すぐさま、「『あらぶる風の精霊よ。害意を持って我を襲わんとする全てを吹き流せ。風の障壁(ウインド・シールド)』」と、防御呪文を唱えた。
 『吐息(ブレス)』。それは一部の怪物(モンスター)が使う特殊な攻撃手段である。体内にある特殊な器官で作られた炎や氷と言ったものを自分の呼気とともに敵を傷つける目的で吐き出す。当然呼気とともに吐き出されるわけだから口元から扇状にばらまかれることとなる。小さい生き物が使えば大した破壊力にはならないが、巨大な生物、例えば『龍族』などが使えば大量虐殺の武器となり得る脅威の攻撃手段である。
 そして、『邪龍』より吐き出された『吐息』は知佳の作り出した『風の障壁』に吹き飛ばされ全く意味がなかったように見えた。「瞳さんっ!?」
 しかし、『邪龍』に攻撃を加えるために前に出ていた瞳は呪文の効果範囲外にいたためただ一人『吐息』にさらされていた。
「身ノ程知ラズガ。我ガ『活力奪取吐息(エナジードレインブレス)』ノ糧トナルガヨイッ!」
 くもぐった嘲笑があたりに響く。
「……そんなことは願い下げね」
 不敵な笑みを浮かべると、瞳は抜き身の大剣を正眼に構える。
 直後、瞳の姿が『吐息』にかき消される。
「瞳さん!?」
「千堂先輩っ!」
 知佳とみなみが同時に悲痛の叫びをあげる。
 『邪龍』も賢しいゴミを片づけたのが満足か、その邪悪な眼を怪しく光らせた。
「……この程度なわけ、必殺の攻撃も……。拍子抜けも良いところだわ」
「馬鹿ナッ!?」
 一筋の閃光が走るとともに瘴気にも似た『吐息』があたりから消え去り、傷一つ負ってない瞳が大剣を一閃し前に出る。
「残念ながら私には『龍族』の攻撃を防ぐ術があるのよ」
「馬鹿ナ! ソノ様ナ事ガタカダカ人間風情ガデキルハズガナイッ!!」
「そう。だったら別に信じなくても結構よ。それで事実が変わるわけはないのだから」
 瞳は一気に詰め寄ると大上段から大剣を振り下ろす。先程の牽制目的の攻撃とは違い、深手を負わせるためにはなった渾身の一撃である。それはいとも容易に『邪龍』の右前足を完全に両断した。
「ガァァァッ!! ……ダ、ダガ無駄ダ。ワ、儂ニハアノ御方カライタダイタ力が……」
 『邪龍』は苦しげにそう言ったが、「ナ、何故ダ!?何故再生セヌノダッ!!」
「『邪龍』なんて愚かなものね。姿形に惑わされ、本質を見抜けずそのざまなんだから」
 瞳は先程の借りを返すためにここぞとばかりに言い返した。
「キ、貴様……」
 忌々しげに睨み付けていた『邪龍』だが、突如何か思い当たることでもあったのかその目が恐怖で見開かれた。「マ、マサカソノ剣ハ……」
「この世の中には破邪の霊剣や、神殺しの魔剣、魔落としの聖剣といったありとあらゆる伝説の剣が存在するわ。……そして、その中の一振りに龍を殺すのを定めとされた魔剣があるの……」
「馬鹿ナ!? アノ剣ハ憎キ『マルドゥーク』トトモニ滅ンダハズ!」
「違うわ。『屠龍剣バルムンク』は龍殺しの英雄『マルドゥーク』の亡き後、己の主とするべき使い手がいなかったから永い眠りについていただけ。運が良いのか悪いのか私がその新しい主になった……それだけの話よ」
 瞳は肩を竦めると、「さて、雑談はこれまでよ。……私たちを傷つけた罪、その身で知る事ね」
「ナメルナヨ、小娘。儂ガタダノ『邪龍』ダト思ワヌ事ダナ……。コノ程度ノ傷ナラバ丁度良イはんでヨ」
「それは楽しみね」
 瞳はそう言うと無造作に『バルムンク』を振るう。
 『邪龍』はその一撃を避けるために一歩後ろに下がった。瞳はその隙に相手の懐に飛び込むと、下腹部を一気に斬り裂く。
──グゥヲォオオオォォォッッッ!!
 再び獣じみた声を上げ『邪龍』はもがき苦しむ。
 瞳は上から流れ出る『邪龍』の血を大量に浴びながらそのまま尻尾の方に走り寄る。
「サセルカ」
 『邪龍』は尻尾を振りかぶるとそのまま瞳に振り当てる。尻尾に取りつこうと向かっていた瞳はそれを真正面から受けることとなった。とっさに『バルムンク』で受けた瞳だったが、樹齢百年の大木にも匹敵する太く長大な尻尾による一撃を無事に受けきれるわけもなく、凄まじい衝撃とともに反対側の壁に吹き飛ばされる。
「『心地よき微風をもたらす風の精霊よ、我が願いに答えかのものを優しく受け止めよ。風の緩衝(ウインド・クッション)』」
 瞳が壁に激突する寸前、知佳が素早く唱えた呪文によりふんわりと受け止められた。
「小癪ナ真似ヲ。……ナラバコレハドウカナ。『我が偉大なる主よ。我が血を供物とし魔の眷属を我に助成させたまえ。魔族召還(サモンデーモン)』」
 『邪龍』の術が完成するや否や、先程瞳によって作られた血の池から禍々しい瘴気が吹き出された。強い瘴気が辺りの空気に干渉して嵐と見まがう風を吹き荒らす。
「な、何が起こったの?」
 突如捲き起こった瘴気の嵐を受け、瞳は動揺する。「……この濃い瘴気は……まさか『上位悪魔(グレーターデーモン)』級のモノなの!?」
「これはまさか!?」
 それまでピクリとも動かなかった薫が意識を取り戻したのは十六夜が驚きの声を上げるのと同時だった。「薫!?」
「……魔…界の……もの…か……」
 十六夜を杖代わりにして薫は苦しそうに立ち上がった。
「薫、無理しては駄目なのだ!」
「……陣内。別に…無理は……してない…ね……」
 無理矢理作った笑顔を美緒に見せると薫はそのまま瘴気を放っているものへと向かう。
「神咲先輩ッ!」
 みなみは慌てて薫を追う。
「薫、無理はしないで下さい」
「……ここで寝てたらうちの命も危ういね。千堂ッ! こっちの魔族はうちらが引き受ける。その『龍』はおまえが何とかするねッ!」
「無茶言ってくれるわね……」
 渋い表情を浮かべながら瞳は呟く。「だけど正論ね」
 瞳は『バルムンク』を握り直すと、再び『邪龍』へと向かっていった。

「岡本、魔族の召還直後を狙って確実に一匹ずつしとめるね!陣内は敵の死角から攻撃して確実にダメージを与えることに専念する。知佳ちゃんは臨機応変にうちらと千堂の援護を。……十六夜、行くよ」
「はい、危険と感じたら岡本様や仁村様に任せて退くのですよ」
「……分かってる」
 負傷を感じさせないしっかりとした足取りで薫は一気に血の池から召還されようとしている『魔族』に近寄る。
「岡本、行っきま~す」
 みなみは相手の出現と同時に攻撃をしかけられる間合いで一気に宙に飛ぶと、そのまま渾身の力を込め『魔法のハンマー』を敵の頭の上に振り下ろす。
 出現と同時に致命傷を受けたその蒼い膚の悪魔はそのまま肉塊と化した。
「『上位悪魔』!?」
 知佳は驚きの声を上げる。「しかも十体!? うう、呪文無効化能力の高い相手は苦手だな……。でもそんなこと言ってる暇はないけど……」
「神咲一灯流・真威楓陣刃ァッ」
 薫もまた『十六夜』で『上位悪魔』を一刀両断していた。「次!」
 みなみは着地するとともにその反動で後ろに飛んだ。直後、着地点を狙った一撃が他の『上位悪魔』より繰り出されていた。すぐに体勢を立て直すと、攻撃し終わった体勢のままの『上位悪魔』を『魔法のハンマー』で叩き付け、一瞬のうちに下半身を挽肉に変える。蒼い体液が全身を染めるのを意にも返さずにみなみは冷静に崩れ落ちてきた上半身の一番上、頭を狙い澄ました一撃で粉砕した。
 薫の方に目をやってみれば二匹目もまた一刀両断されており、丁度三匹目の右腕を肩口から切り裂いたところだった。
 知佳は薫とみなみの動きを読みながらよどむところなく呪文を唱えていた。
「『何者にも束縛されずに荒れ狂う魔界の嵐よ。疾くきたりて現世を蹂躙せよ』」
 最高のタイミングで術を発動させようと最後の言葉を発さずに辺りを見渡す。前衛二人が確実に『上位悪魔』を抑えているお陰で後衛の知佳まで迫ってくるものはなかったが、その代わりどこを狙おうとしても二人が呪文効果範囲に入っていた。(……こんな事になるならちゃんと『魔法』も修めておくんだったな……)
 『魔術師(メイジ)』と『魔導師(ウィザード)』の決定的な差の一つに『魔法』を修めているかどうかということがある。
 彼らが用いる『魔術』というものは基本的に決まり切った『儀式』を手順間違えずに行えば誰でも発動できるものである。その代わり術の『威力』、『効果範囲』や術者に対する『精神疲労度』といったものは術者の『魔力』に比例し応用が利かない。
 一方『魔法』とは『魔術』の『力源(パワーソース)』となっている『異界の森羅万象』のことであり、これを理解することで術の構成を解析できるようになる。
 即ち、術の『威力』、『効果範囲』の絞り込みや増幅、場合によっては『精神疲労度』すら軽減させることも可能となる。これにより術者の『魔力』に頼ることなく術を自在に操れるようになるわけである。
 しかしながら、『魔術』を覚えるように『魔法』は簡単に学べることができないため、生来の『魔力』が強いものは『魔法』を疎かにしがちである。知佳も例外ではなく、『魔術』の方に重きを置いているタイプだった。それでも並の『魔導師』よりは『魔法』を収めてはいるものの本格的に学んでいる真一郎や彼女の姉の真雪に比べれば未だかなうところではなかった。
「薫、みなみ。ひくのだ!」
 突然美緒の声が響くとともに薫とみなみの前あたりに何か丸いものが転がってきた。
 薫もみなみも一押ししてから素早く素早く後ろに飛びすさった。間髪おかずに丸いものが閃光を発し、薫とみなみばかりか『上級悪魔』すら怯んだ。
(今しかない!)
 知佳はそのチャンスを見逃さず、「『破滅の嵐(ドゥーム・ストーム)』」と、術を発動させた。
 通常の呪文ならばその高い呪文無効化能力で傷一つつくはずのない『上位悪魔』だが、己が世界の物理法則にはその力も及ばずに鋭利な鋼の刃物すら弾く蒼い膚がいとも容易に切り裂かれていく。
 嵐が止んだ後には半死半生の『上位悪魔』たちがのたうっているだけだった。

 傷ついていることすらも感じさせない『邪龍』の横殴りの一撃を避け、瞳は肉迫しようとするが不気味に肉が盛り上がっている右前足のなれの果てが牽制にあい、三度自分の間合いに持ち込むことに失敗した。
(再生速度が遅いとはいえ、流石に傷は塞がってきているわね……)
 バルムンクを青眼に構えながら瞳は『邪龍』をじっくりと観察した。(腐っても『邪龍』と言ったところかしら? 並の龍ならば生命力をこの『バルムンク』に食い尽くされて屍となるだけなのにね……。だけど逆に『バルムンク』だからこそこの程度ですんでいるとも言えるわね。この感じだと例え『十六夜』さんであろうとも『邪龍』を傷つけるのには苦戦するわ)
 『邪龍』もどうやら『バルムンク』を牽制するあまり攻めあぐねているらしく、ここだけは奇妙な停滞をようしていた。
 『死霊』を操り『魔族』をも呼び出せるほどの強大な力を持つこの『邪龍』をも恐怖に陥れる『屠龍剣バルムンク』とはかの『鱗の女帝』が『魔』に堕ちる際に捨てた『良心』の欠片を全て集めて鍛えたものとされている最古の『伝説の武器』の一つと伝えられる。その性格上“この世界”の『森羅万象』に反するもの即ち『鱗の女帝』及びその眷属たる『魔龍』や『龍族』に対し絶大の威力を誇る。さらに言えば、『魔』の属性を持つものや『森羅万象』をねじ曲げようとするものに対してもその力を存分に振るうことができる。しかしながら、歴代の所有者たちはその力を何故か『龍族』に対してのみ使い、他のものに対してはよほどのことがない限りその力を振るうことはなかったという。
 『邪龍』もそのことを十二分に知っていたから、とりあえず己の力が回復するまでは無理に攻めずに牽制に徹して瞳の動きを読み切る策に出ていた。
 当然瞳もこの状態が何故起きているかは分かっていたし、このままの状態ならば回復している『邪龍』の方に流れが行くのは千も承知していた。何よりも時間稼ぎとして『死霊』やら『魔族』やらを呼び出し続けられたら持久力に欠ける自分たちのパーティーが負けることもいやと言うほど理解していた。(……勝機があるとしたら……この『バルムンク』でどうやってかして『邪龍』の首か心臓を狩る事ね)
 いかなる『再生』能力を持つ『邪龍』と言えども、頭と胴を切り離されれば回復のしようがないだろうし、生命の元たる心臓を貫かれてまで生き抜けるはずがなかった。だが、並の剣ならばそれだけの傷を付けることすらできない。瞳の腕と『バルムンク』の力があって初めてできることだろう。『邪龍』もそれを理解しているからこそ、完全に守りに徹している。
(……何か『邪龍』の気がそれる、何かがあれば……)
 丁度その時、
「薫、みなみ。ひくのだ!」
 と言う美緒の声が玄室中に響いた。
 瞳には何が起こるかは分からなかったが、これが好機となる、そんな気がした。
 直後、神速の踏み込みで四度瞳は己の間合いに入ろうと動いた。当然、『邪龍』も右前足で牽制の一撃を放ちつつ、本命の左前足の一撃を準備していた。
 その瞬間、美緒の転がした球体が光り出したのである。背を向けていた瞳と違い、その光が直接視界に入った『邪龍』の気がほんの一瞬瞳からそれた。そして、その一瞬を見逃すほど瞳は甘くなかった。
 一気に間合いに飛び込みうまいこと左前足を踏み台にして『邪龍』の背中に飛び乗る。そしてそのまま首の付け根まで走りより、一気に『バルムンク』を振り下ろした。
 壊れた噴水のように止めどなく噴き出す血を浴びながら瞳は勝利を確信した。

「美緒ちゃん、ところでさっきの球なんだったの?」
 薫とみなみが『上位悪魔』の止めを刺している頃、隣に現れた美緒に対して知佳は好機を作り出した道具について尋ねてみた。
「……わからん……」
「み、美緒ちゃ~ん」
「うむ、あれはおとーさんから『ピンチになったら使うんだぞ。それ以外の時は使っちゃ駄目だ』といわれてもらったものなのだ。だからくわしいことは分からないのだ」
「……啓吾おじさん……」
 知佳は深々と溜息をついた。
 陣内啓吾、『凄腕の』という二つ名だけ知られる伝説の冒険者。そして、先々代のさざなみ寮の管理人である。今は新婚旅行がてらに冒険の旅に出ている。美緒にとっては育ての親、知佳にとっては初めて優しく接してくれた男性である。
 しかし、ある意味非常に謎が多い人物であり、美緒に普通に暮らすだけならいらない知識を片っ端から教え込んだりもしている。美緒がこの年でこれだけの力量を持っているのは啓吾氏の英才教育の賜と言えよう。
「とにかく上手くいって良かったのだ」
「……美緒ちゃん、その話は瞳さんや薫さんにはしない方が良いよ」
「なんで?」
「後でいっぱいお説教の嵐になるから」
「うう、それはいやなのだ~。二人とも妖怪小言おばばなのだ~」
「……誰が妖怪とね?」
「うわっ、で、でたのだー!」
「またんね! 陣内ッ!!」
 脱兎の如く逃げだす美緒を薫は反射的に追いかけ出す。「うっ!」
「薫!」
 薫が倒れ込むのを感じて慌てて十六夜が刀から出てくる。「未だ傷が治ってないのに無理をするから……」
「えっと……」
「みなみちゃん、どうしたの?」
「えっと、そのね、知佳ちゃん。千堂先輩のことほっておいてもいいものなのかな、とさっきから言おうと思ってたんだけど……」
「……まあ、言えないよね、この状況じゃ……」
 深々と溜息をつきながら知佳は答える。「わたしたちだけでもお手伝いに行こうか?」
「うん、そうだねー」
「それにしても……凄い返り血だね」
「うう、やっぱり?」
「後で鎧に付いた分を拭くの手伝ってあげるね」
「ありがとう、知佳ちゃーん」
「わ、ストップ、ストップ~! 今は抱きつかないでよー」
「……結局誰も瞳を助けに行く気はないのだ。あたしはもう暫く隠れてるとするのだ」
 いつの間にやら隠れた物影から美緒はこっそりと他のメンバーを観察していた。
 誰もが瞳の勝ちを信じて疑わないからこそ生じた隙なのだが、もし瞳の心中を知っていたらこんな大騒ぎはしていなかっただろう。

──ガキン
(!?)
 動揺を顔に出さずに瞳はそのまま『邪龍』の背中で一歩飛びすさった。
 間違えなく必殺の一撃を『バルムンク』で首根っこに叩き付けたはずだった。しかし、皮膚を切り裂いた後突然何か硬いもの叩いたときに出る音、刃を潰した練習用の剣で質が良い上に魔力を付与された最高の盾に対して思いっきり叩き付けた時に出るような鈍い金属音がしただけで他にはなんの変化もなかった。
(皮一枚斬れただけで傷一つつかないですって? そんな馬鹿なことがあり得るの?)
 『バルムンク』はその疑問に答えるかのように力強い波動を瞳に発する。(……あり得ないわよね……。だとしたらこれにはそれ相応の理由があるはず)
 『邪龍』に振り落とされる前に瞳は一気に尻尾まで走って行くとそのまま地面に飛び降りる。重装備のみなみと違い、最低限の防具しか装備していない瞳ならではの素早い動きである。
 そのまま瞳はもう一つの弱点、心臓の真下まで龍の腹の下を走り抜くと、再び下腹部を切り上げようとした。
「……ソレハサセン」
 『邪龍』はそれだけ言うと前足で地面を蹴り、後ろ足と尻尾だけで立つという随分不格好な体勢にした。「首ナラバ構ワヌガ、ソコハ狙ワセン」
 天井まで届きそうな首を折り曲げるとそのまま『吐息』を吐く。
「くっ!」
 いやな予感がした瞳はそれを後ろに飛ぶことで間一髪避ける。
 瞳がそれまで立っていたところを中心として独特な臭いを放つ白煙とともに何かで削り取られたような穴ができていた。
「『酸の吐息(アシッドブレス)』ですって?」
「儂ハ元々『地龍』ノ出デナ。コノ程度ナラバ自在ニ操レルワ」
「首を刎ねられない、『魔』の力を持っている、自在に数種の『吐息』を使いこなせる……。一体どれだけの隠し球を持っているのかしらね、あなたは?」
 瞳は刺突の構えをとり、「でも、今の行動と台詞で少なくとも『心臓』が急所と分かったからには……次で決めるさせてもらうわ」
「果タシテ本当ノコトヲ儂ガ言ッテイタト思ッテオルノカ?」
「はったりをかける余力がないことぐらいお見通しよ。……それに、『バルムンク』の共鳴が強まってるわ。術中にはまっているのはどちらかしらね?」
 『邪龍』は何も答えずに再び『吐息』の体勢に入る。
(……避けている暇はないわね。あんなもの直撃受けたら流石に肌が爛れるなんてものじゃすまないけど……あの再生能力からしてここで退いたらもう勝機はないし……やるしかないわね)
 瞳がそう覚悟を決めると一気に『邪龍』の足めがけて突き進む。
 直後、龍のあぎとが開きかけた瞬間、
──パンッ
 と、乾いた音が響いた。
──グガァァァアアアァァァッッッ!!
 突如左目を前足で庇いながら『邪龍』はバランスを崩して四つ足立ちに戻る。口内までせり上がっていた強酸が中途半端な形であたりに四散した。瞳は素早く『邪龍』の陰に入り、霧雨のように降り注がれる強酸から身を守った。
 ふと見やってみれば美緒が、
「にゃはは、『けんじゅー』はさいごのぶきだからおいしい場面で使うものなのだー!」
 と、高笑いしていた。
(……あれも彼女が言うお父さんからの受け売りなのかしら?)
 浮かんだ疑問の答えが出るわけもなく、瞳はとりあえずそのことを忘れることにした。(どちらにしろ、『心臓』を貫く好機ね)
 瞳は先程切り裂いた下腹部の傷が完全に回復していないのを目で確認してから気を高める。
 『邪龍』もすぐに瞳の狙いに気づき、立て直そうとしたが、
「そうはさせんとね!」
 と、いつの間にやら『邪龍』の左後ろ足につけていた薫が渾身の力を込めて『十六夜』を振るう。
──ガァァァアアアッッッ!!
 その一撃で足を両断するまでには至らなかったが、後ろ足と尻尾だけでたつという体勢を今すぐ取ることはできなくなった。
「千堂!」
「……ここまでお膳立てしてもらって……失敗するわけにはいかないわねっ!」
 瞳は大上段に構えた『バルムンク』を一気に振り下ろす。だが、その一撃は先程のような『邪龍』の気をそらすための攻撃ではなくある一部分を意図的に狙い澄ました強烈な斬撃だった。傷口を開くとともにさらに奥まで剣風が新たな傷を作り出す。そんな渾身の一撃も『邪龍』の『心臓』には届いておらず、最後にして最高の機会が潰えたかのように見えた。
 だが、今の一撃は瞳にとって本命ではなかった。
「……見えたぁっ!!」
 傷口の最深部で激しく鳴動する真っ赤な肉の塊を見つけるや否や、それに向かって瞳は身体ごと投げだし、懐深くで抱くように構えている『バルムンク』に全てをかけた。「これで……終わりよっ!!」
 『心臓』を貫いた『バルムンク』をそのまま引きずり出し、心臓ごと地面に叩き付ける。既に肉体から離れたと言うにしつこく律動するその物体を瞳は容赦なく細切れに刻んだ。
 瞳は最初から一撃で勝負を決められるとは考えてなかった。『邪龍』の大きさからいい、『心臓』までの筋肉という名の壁が間違えなく『バルムンク』を遮ると分かっていたからだ。それに、心臓の大体の位置が分かっても実際にそこにあるかまでは保証できない。そこで、心臓の場所を探るのと、そこまでの道を作るのを第一段階、それを通って心臓を破壊するのを第二段階とする計画を素早く立てていた。だが、その計画にはいくつもの穴があった。『邪龍』が渾身の一撃を連続して受けるような隙を作るわけもなく、もし一撃目が入ったところで心臓を見つけだして破壊するまでの時間を『邪龍』が与えてくれるはずもなかったからだ。
「バ、馬鹿ナ……。ア、アノ御方カライタダイタ力デ儂ハ無敵ダッタハズ……。コ…コノ……様ナコトガ……ア…アッテ良イモノカ……」
「例え首が刎ねられなかろうが、心臓までに分厚い筋肉の壁があろうとも工夫すればどうにかなるものよ。それに胡座をかいて人類を見下していたのがあなたの敗因よ」
 『バルムンク』にベッタリと付いた『邪龍』の脂やら体液やら血液を懐紙で拭うと瞳はそのまま宙に舞わす。
「……ダ、ダガ……ワ…シ……ダケガ…逝ク…モノ……カ……」
 『邪龍』は最後の力を振り絞ると何やら理解できない言葉を発してそのまま事切れた。
「終わった……?」
「終わったわよ、間違えなくね」
 薫の呟き声に対して瞳は力強く答える。「『バルムンク』がもう反応してないもの……。終わったのよ、薫」
「そう…か……」
 何かを言いかけながら薫はそのまま崩れる。
「ご苦労様です、薫」
 慈愛の相を浮かべ、十六夜は崩れる薫を受け止めた。
「さすがは瞳なのだ。あんなきょーぼーなじゃりゅーをたったの二げきで倒したのだ、まゆも聞いたらびっくりするのだ」
「陣内さんや薫が隙を作ってくれなかったらああもうまくはいかなかったわ。ありがとう、陣内さん」
「にゃはは、てれるのだ」
「千堂先輩、大丈夫ですか?」
 『上位悪魔』の体液のせいですっかり蒼く染まったみなみが駆け寄ってくる。
「ひ、瞳さん、大変です!」
 少しばかり慌てながら知佳もみなみの後ろから駆け寄ってくる。
「岡本さんもご苦労様」
「えへへ、どうもありがとうございます」
「仁村さんも素晴らしい援護だったわ」
「ありがとうございます……って、そんなにのんびりしてる場合じゃないんですよー!」
「……どうかしたの?」
「あの『邪龍』の置きみやげがどうにかならないうちに逃げ出さないと全滅しちゃいますよー」
「どういうこと?」
「『邪龍』が最後に放った言葉は『力ある言葉』と言われる特殊なもので、それだけで何らかの力を発揮するものなんです。とくに今回のは間違えなく……」
「間違えなく……?」
「ここの火山を噴火させるものです!」
「……そんなことが可能なの?」
「あの『邪龍』だったら……多分できると思いますけどー……」
 瞳と知佳がそうこう言っているうちに玄室の空気の臭いや噴出物が少しずつ変化してきており、ついには地面が微弱ながらも揺れ始めた。
「……この洞窟の入口まで『転移』を今すぐ使える?」
「ちょっと距離が怪しいんですけど……何とかやってみます」
 知佳は『力』を全て解放すると、「『数多存在せし空間よ、我が力をもって歪みとなし我が望みし場所と望まぬ場所を結びつけ我らを風とともに運びさらん。転移(テレポート)』」
 知佳を中心として閃光があたりに飛び散り、次の瞬間には漆黒の闇の帳が下り、瞳たち全員がその場から消え去っていた。

 瞳が目を開けるとそこは洞窟の入口だった。
「どうやら上手くいったみたいだな」
「……おかげさまでね」
 声のした方を向いてみると想像通りの男がそこに立っていた。「人前に姿を現して良いのかしら?」
「……寝てもらってるからな……」
 男に言われてみて初めて自分以外のメンバーが地面に倒れ込んで寝ているということに気がついた。
「そういうこと。……でも、眠られると困るんだけど……」
「問題ない。ここが噴火する前に脱出できる抜け道を教える」
「……!?」
「忍びをなめてもらっては困る。『竜脈』を読むのは死活問題でな。大地の変動程度のことはわかるさ。それに君があの『邪龍』を討ったこともな」
「……なるほど。それで、他の娘たちを眠らせてなんで私だけ眠らせなかったの?」
「ちょっとした確認のためだ。……『邪龍』は何か言い残したか?」
「とくに大したことは言ってないわよ。……何かあの『邪龍』は問題あったの?」
「……知らぬ方が身のためだ。すまなかったな、手間をとらせた。これが地図だ。その道を使えばすぐに街の裏手に出られる。噴火まで時間があるとはいえ……なるべく急いだ方が良いぞ……」
 現れたときと同じように男は唐突に姿を消す。
 男が消えるとともに他のメンバーたちが軽い呻き声を上げ始める。
「……う、うーん……」
「みんな、おきなさい」
「……ふぁ、ふぁい……?」
 眠そうに目を擦りながらみなみが寝ぼけ声を上げた。「あ、朝ですか……?」
「何寝ぼけてるの……。未だ洞窟の前よ」
「……どうくつ……。えーっ!!」
「やっと起きたみたいね」
「あ、あの……」
 状況がいまいち把握できてないみなみを尻目に瞳は、薫を担ぐと、
「岡本さんはとりあえず仁村さんと陣内さんを担いで私についてきて」
 そう言い放ち急いで地図に書かれた獣道を下り始める。
「あ、は、はいっ!」
 急ぐ瞳を見失わないように慌てながらみなみは知佳と美緒を急いで担ぎ上げるとそのまま転びまろびつ獣道を下る。「えっと、火山の方は……?」
「分からないわ。でも予断を許さないってところでしょうね。だから急ぐわよ」
「はいーっ!」
 重装備かつ小柄とはいえ二人も担いでいようが危なげない足取りでみなみは瞳の後ろをしっかりとついていった。

「それにしても大きな噴火が起きなくて良かったですねー」
 愛は知佳とみなみから一通り今回の顛末を聞き及びいつもの笑顔で答えた。
 あの後、瞳とみなみは無事街までたどり着き、町長に『邪龍』のやったことを包み隠さず話した。丁度折良く山の神を祀るために各地から修験者や神官たちが街を訪れていたところで、取り急ぎ地鎮祭を行って噴火を最小限におさえた。
 一方薫の傷も旅の神官の一人に癒してもらいなんとか事なきを得た。
 かくして全ては一件落着したかのようだったが、全員疲労困憊の極みだったので滞在期間を伸ばして湯治をしていくことにした。そのため、さざなみ寮に帰る日が大幅に遅れることになったのである。
 そのためさざなみ寮では一体何があったのかと大人たちはやきもきしていて、帰ってくるなりそれぞれ瞳は耕介に、薫と美緒は真雪に、知佳とみなみは愛に捕まったのである。
 他の部屋では「もう少し物事を考えて行動しろ!」とか、「無茶をするんじゃねぇーっ!」などと言った怒声というよりは罵声が響いており、愛の部屋だけがある意味静かに話が進んでいた。
 そんな周りのことを鑑みながら、
「……愛お姉ちゃんってやっぱり大物だね……」
 と、知佳はボソッと呟いた。
「???」
 だが、知佳の溜息まじりの呟きはどうやら愛には聞こえなかったようで不思議そうな顔で二人を見つめ続けていた。




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