『呪われた神剣編 第4話』
愛と真一郎たちが約束してから三日目。彼らは何とか『破魔の冷水』以外のものを手に入れるのに成功していた。
しかしながらその代償は大きく、彼らは疲労を隠せずにさざなみ寮の食堂で椅子に座ったままうつぶせになってぐったりとした表情を浮かべていた。
「おお、ご苦労さん。今日で二日目だっけ?」
そんな彼らを横目で見ながら真雪が食堂に入ってくる。
「……三日目ですよ、仁村さん……」
テーブルに突っ伏したまま真一郎は答える。「それと依頼の品の方はそこの樽の中です」
「悪いねぇ。さっそく使わせてもらうとするか」
真雪は上機嫌で樽を見た。「……おい。本当に樽でもってくるやつがいるかい」
「大は小を兼ねると言いますよ」
「ものには限度があるとも言うな」
「『シグムンド』の相場からして樽一つ分ぐらいだろうと推測しました」
「……相川少年、嫌がらせか?」
「そんなこと考える余裕なんてありませんよ。迷宮中駆けずり回って思考力が落ちてるんですから……」
「じゃあ、あの樽は誰が洗面所まで運ぶんだ?」
「使う人だと思いますけど……」
「ほーぅ。この私に運べと言うのか? ……百年早い!!」
「岡本にでも頼んで下さい。……俺はもう駄目です……」
真一郎はそのままダウンする。
他の三人を見渡して見ると全員眠っていた。
「……おい、耕介。何があったんだ?」
「さあ? 聞いても疲れて答える気力すらないみたいなんで聞いてないっすねぇ」
耕介は厨房の中から答える。「まあ、唯子ちゃんならもう少ししたら目が覚めると思いますけど」
「鷹城か? こいつに聞いてもまともな答えが返ってくるとは思えないしねぇ……。ま、とりあえずはこいつらはほっとくとして……、問題はこの樽だよな」
思案顔で暫く悩んだ後、「……おーい、岡本少年。ちょっと物運んでくんないかなー」と、二階に向かった。
真雪が食堂から立ち去った直後、ふいに唯子の鼻が動いた。
「ご飯できたよ」
そう言いながら耕介が厨房から出てくる。
「……ご飯……」
唯子が呟いた。
「きつねうどんに……」
「……き…つ……ね…うどん……」
今度はいづみが反応を示す。
「……それと今日のお薦めランチだ。早い者勝ちだよ」
「唯子のご飯ーっ!」
「きつねうどんは私のものだ!!」
早い者勝ちという言葉と同時に二人は起きあがる。
「そんなに焦らなくても……」
それを見て煽った耕介の方が焦る。「ご飯は逃げないから」
「それは違います」
いづみは断言する。「急いできつねうどんを確保しなければ全て唯子にとられます」
「ひふみひゃんひおいはー。ほんはほほひはひへはー」
「いいや、唯子ならやる。私は知っている」
「ふふー。ひふみひゃんはひひめふー」
「そんなこと言っても無駄だ。今起きているのは私たちだけだからな」
そう言いながら三杯目のきつねうどんを確保する。
「それならこうだー」
いづみがきつねうどんの方に気をうつした隙に唯子は素早くおいなりさんを強奪する。
「し、しまった……」
「ふふー。まいったか」
「ならば、これでどうだ!」
「あー、唯子の卵焼き~」
二人が一進一退の攻防を繰り広げていると、その騒々しさで小鳥が目を覚ます。
「二人とも何やってるの」
「お、野々村。見ての通り、クッ。正義の戦いだ」
「小鳥も見てないで一緒に、えい。食べようよー」
「……う、うん」
二人の高度な箸による鍔迫り合いを見て小鳥は少しだけ他人のふりをしたくなった。もし、ここがさざなみ寮でなかったら即座に実行したことだろう。
小鳥はとりあえず、二人が争ってないお皿から二人前ずつよそっていく。
「真くんの分ここにおいとくね」
真一郎は小さく頷き皿を自分の方に引き寄せる。まだ食事する気にはなれないらしい。
小鳥が再び唯子といづみの方に目を向けてみると、
「隙ありッ!」
「あー、唯子の栗きんとん……」
「この世は所詮弱肉強食。強きが勝ち、弱きが滅びるものだ……」
と、いづみが勝ち誇っていた。
その後真一郎が起きるまで二人の争いは延々と続いた。
「ふー、食べた食べた」
「唯子もおなかいっぱいだよ」
「……二人ともあれだけ食べればね……」
脇に積み重なっている料理皿を見上げながら小鳥は呟いた。「本当にどこに入ってるんだろう?」
「とりあえず、そろえるものは残り一つとなったわけだ」
真一郎は残り物を片づけながら現状を確認する。「残るは最下層『大地の霊泉』の湧き水のみ」
「……よくもまあ、これだけの期間で集めたものだな。我ながら呆れる」
「そうだねー。頑張ったかいがあったよねー」
「だが、問題は最後に残った『大地の霊泉』だな。俺たちは未だにその区画に達したことがない」
「……最下層第四区域か。少なくとも玄室を三つ越える必要があるな……」
「『大地の霊泉』がある場所も玄室だから、最低でも最下層の敵と四回も戦わなくちゃいけないんだよね」
「いや、それは違うらしい。『大地の霊泉』のある玄室には守護鬼(ガーディアン)は配置されてないらしいからな。……まあどちらにしろ相川と野々村がどれだけ余力を残せるかが、成否の鍵を握ってそうだな」
「だとしたら唯子といづみちゃんで敵をじゃんじゃん薙ぎ払っていく必要があるねー」
「そうだな、ここ暫く連戦だったからなぁ。もうそろそろ寝ておかないとベストコンディションで明日を迎えられないな。……というわけで俺はもう寝る。明日はいつも通り七時起床の九時出発。それでいいな?」
「唯子はそれでいいよー」
「私はそれ程疲れてないし、真くんが大丈夫なら」
「リーダーはお前だ。信じているよ」
「それじゃあ今日は解散。夜更かしはしないでくれよ」
「子供じゃあるまいに……」
「じゃあ唯子はみなみちゃんとこに遊びに行ってくるねー」
「さっそく破ろうとするなぁっ!!」
真一郎はどこからかハリセンを取り出し唯子に一発お見舞いした。
「あにゃぁ~」
「小鳥、唯子の監視係を命ずる。ちゃんと眠らせるように」
真一郎はそう言うと自分の部屋に大きな欠伸を一つしながら向かっていった。
そんな彼らを影から密かに見つめる怪しげな人影がポツリと呟く。
「おー、いいつっこみや~。どこで修行したんやろうなぁ?」
「彼らは冒険者なんだから『試練場』じゃないの? ……ところでゆうひ。今日仕事じゃなかったけ?」
皿洗いをしながら耕介はゆうひにつっこむ。
「……え?」
「え、じゃなくてさ。FOLXで歌うたう日だろ? 親衛隊のみんなが待ちくたびれてるんじゃない?」
「……しもうた~。そうやった、今日は仕事の日やね。耕介君、どないしよ?」
「頑張って行ってらっしゃい」
「いやね、だからおくってくれるとか……」
「さてと、次の仕事は……」
「んな殺生な~。な、な。耕介君、一生のお願いだから、な?」
「……既に五回は聞いている気がするけどね」
苦笑しながら愛用の鞭をどこからか取り出すと、馬小屋に向かう。「今日だけだからな」
「おおきに~」
軽やかな足取りでゆうひは耕介の後を付いていった。
その日の真一郎たちはついていた。最下層につくまでにイヤらしい敵に出会うこともなく、そして最下層についてからも大技を使わないと倒せないような敵には第三区域を抜けた時点で未だに出会っていなかった。
彼らは第四区域に入る前に最終確認をするため、簡易結界(キャンプ)を張り、小休止をとっていた。
「何とかなりそうだね、しんいちろ」
ご機嫌な様子で唯子は真一郎に話しかける。
「そうかもな」
簡易結界の中で呪文書を確認しながら相槌を打つ。「まあ、御剣の偵察の報告次第なんだけどな、実際は」
「少し遅いね、御剣さん」
小鳥が心配そうに声を上げる。「大丈夫かな?」
「大丈夫だろ。あいつはあれでマスタークラスを軽く超してるんだ。並の怪物(モンスター)じゃ御剣の穏行を見抜けないさ」
「そー、そー。いづみちゃんは凄いんだから大丈夫、大丈夫。小鳥は心配性だなー」
「……だけど、いつもより時間がかかってるのは確かだな……。俺の準備が終わり次第先に進もう」
「真くんさっきから気になってたんだけど、何をしていたの?」
「とりあえず素早く詠唱できてこの階層でも通じる魔術の確認さ。戦闘中は気が動転して有効な術を思い出せないときもあるからこうやって日頃からシミュレートしとけば何とかなるかな、って思ってね」
「ふへー。真一郎はあれで動転してるわけ?だったら唯子なんてまだまだだねぇー」
「俺たちのパーティーで動揺せずに戦ってるのは御剣くらいなものだろう。さすがは忍者ってところかな」
真一郎は両手でぱたんと魔術書を閉じると、「じゃ、行くとしますか」と、二人に声をかける。
「……ちょっと待って、真一郎。前から何か来るよ」
鋭い目つきで唯子は前方を見張る。
真一郎は何かあったら即座に唯子のサポートをできるように構え、小鳥は奇跡をすぐにでも発動できるように精神を研ぎすさませる。
「……どうやら殺気はもってないみたいだけど、いづみちゃんかな?」
「さあな。そう見せかけて影人間(ドッペルゲンガー)って可能性もある。用心することにこしたことはない」
「でも同士討ちはいけないよ」
「……そうだな。この笛でも吹いてみるか……」
真一郎は懐から呼び子みたいな笛を出すと口にあて一気に吹き鳴らす。
「あにゃ? しんいちろー、音出てないよ?」
「そういう笛だからな」
音が出なかったことに動ずることもなく相手の反応を真一郎は待つ。
暫くして、
「……どうやら本物の御剣らしいな」
と、真一郎が呟く。
「……? 何で分かったの、真くん」
「合図があった」
「ええ、唯子は聞いてないよ」
「そういう合図だからな」
真一郎は人の悪い笑みを浮かべる。「それに誰にでも聞こえたら、こういう場所での合図には向かないだろ?」
「それはそうだけど、真一郎だけずるいー」
「……それは悪かった、唯子。お前にも笛を渡しておくか?」
突然唯子の後ろに見慣れた人影が顕れる。
「わっ! いづみちゃん、脅かさないでよー」
唯子は涙目でいづみに訴える。「びっくりしたなー、もう」
「遅かったな、御剣」
「ちょっとね。……それよりも相川、厄介なことになったぞ」
「厄介?」
「ああ。……とりあえず『大地の霊泉』のある玄室までの道筋に問題はない。問題は玄室の中だ。厄介な連中が居座っている」
「あれ? 『大地の霊泉』のある玄室って守護鬼は配置されてないって話じゃなかったけ?」
「……行けば分かるよ。そう、とりあえず見てもらえば分かると思う」
真一郎は簡易結界を消し、
「そうか。……どちらにしろ行かなきゃ話は始まらないしな。出発しよう」
と、宣言した。
「なるほど、こういうことか……」
真一郎は玄室の扉の僅かな隙間から息を潜めて中を見つめる。「上位悪魔(グレーターデーモン)六匹に雑魚が一、二、三、……数える気にならないな……」
「どうする、相川?」
いづみは小声で真一郎に話しかける。「どいてくれそうにないが?」
「……やるしかないだろう。とりあえず、少なくとも一匹は頼めるか?」
「やってみよう」
「唯子は左の二匹。突入前に俺が『加速(ヘイスト)』をかけといてやるから後は何とかしてくれ」
唯子は兜の面頬をおろし、一つ大きく頷く。
「小鳥は真ん中の一体を中心に『強制送還(バニッシュゲート)』を」
「うん。真くんは?」
「うざったい雑魚を一掃する。……じゃ、はじめるぞ。『万物を大地に縛り付ける戒めよ。我が求めに従い、かの者の戒めをゆるめよ。加速』」
真一郎が呪文を唱え終わるやいなや、唯子は通常の数倍のスピードで玄室に突っ込む。
気持ち遅れる程度の間でいづみがそれに続く。
「てりゃぁぁぁっ!!」
唯子は気合一閃上位悪魔の胴を真っ二つに切り裂く。その返す刃でもう一体をいとも容易に屠る。
上位悪魔級になると意識しなくても一流の剣士の剣を弾き返すほどの防御結界を常備しているといわれている。この様な芸当は『シグムンド』の恐るべき切れ味と唯子の膂力がそろったからこそできたと言えよう。
いづみは敵が一瞬唯子に気を取られた隙に一番右端に陣取っていた上位悪魔を駆け上がり、手にした円架で首に斬りつける。
──グシャァァァッッッ
上位悪魔は予想外の一撃を受け、のたうち回る。それに巻き込まれる前にいづみは直ぐさま跳び上がると次の一体の頭上に着地し、円架で脳天を貫く。そのまま円架を握る手を捻り傷口に空気を流し込む。
完全に敵が前衛の二人に目がいった瞬間、
「『この世ならざるものよ、退け。強制送還』」
と、小鳥は奇跡を解き放つ。
虚をつかれた上位悪魔一体がそのまま異界に送り返される。しかし、その奇跡の波動を感知した手の空いている2体が小鳥に向かって突進する。他にもまったく無傷の下級悪魔(レッサーデーモン)の群が前列という盾のなくなった真一郎と小鳥の後列を与し易しとばかりに殺到する。
小鳥が再び『強制送還』を発動させようと詠唱を開始するがどうやっても間に合いそうになかった。
小鳥が半ば諦めかけた瞬間、真一郎が一歩前に進み出た。
「『異界の絶える事なき煉獄の炎よ。我が申し出に従い現世(うつしよ)に破壊をもたらせ。蒼炎爆裂(フレア・ブラスト)』」
たちまち小鳥に迫り来る2体の上位悪魔と、いづみに傷つけられた上位悪魔を蒼い炎が包み込む。この世界とは異なる森羅万象に従う異界の炎はやはりこの世ならざるモノを燃やし尽くさんとその牙を奮う。小鳥が周りを見てみると他の下級悪魔もやはり蒼い炎に包み込まれ燃え尽きようとしていた。
「す、凄い……」
「……奥の手だからな……。だけど、これがげ……んか…いだ……な……」
「ししししししし、真くん!!」
倒れ込む真一郎を間一髪のところで小鳥が抱き留める、はずだった。「あ、あれ?」
小鳥は真一郎の体重を支えきれずにそのまま倒れ込む。
「うー」
とりあえず立ち上がろうとするが、意識のない人間の体重は通常時より重く感じるという。今、小鳥はそれを実感していた。
「あー、真一郎が小鳥を押し倒してるー」
「なんだと?」
唯子の冗談に凄い形相でいづみは真一郎の方を振り向く。「相川ッ! お前この非常時に……」
ジタバタしている小鳥を見ていづみは言葉に詰まった。
さっきのが唯子の冗談だといづみは悟ると、
「……唯子、冗談も休み休みに言え……」
と、脱力した。
「あにゃぁ~。本気にとるとは思わなかったの。ごめんね、いづみちゃん」
「……質の悪い冗談だったしな。とりあえず、野々村を助けてあげないのか?」
「あー、忘れてた」
唯子はにゃははと笑いながら真一郎を持ち上げようとする。「あにゃぁ? 真一郎重いな~。太ったのかなー」
「何やってるんだか」
いづみは唯子が冗談で持ち上げてないと思い、笑いながら声をかける。
「違うよいづみちゃん。真一郎本当に重いんだってばー」
「……おかしいな。そんな重い装備はしてないはずだが?」
唯子の顔が嘘偽りを言ってるものではないのを見ていづみも真一郎を持ち上げるのを手伝おうとする。「た、確かに重いな……。何かのマジックアイテムが自己防衛機能でも発動させているんじゃないのか?」
二人が悪戦苦闘している中、小鳥も真一郎を立たせようとしたから努力していた。しかし、二人より膂力で劣る小鳥の力でどうにかなろうはずもなく、すぐに諦めることとなった。
「……!?」
小鳥が辺りを見渡した瞬間信じられない光景に出くわした。燃え尽きた悪魔の中から何か他のモノが飛び出そうとしていたのだ。真一郎に気が向いている二人はそれに気づく様子もない。気づいている小鳥にしたって真一郎が邪魔で何もできないでいた。
「二人ともうしろ!」
小鳥はとりあえず真一郎を持ち上げようとしている二人に警告を発する。
それと同時に悪魔の中から出てきたモノが四人に襲いかかってきた。反射的に唯子といづみはその場からとびすさる。
「しまった!」
「真一郎! 小鳥!」
二人は悲痛な叫びを上げる。小鳥に警告してもらったお陰で気づいたまでは良かったものの、急に襲いかかられそうになったためにいつもの癖で間合いを取ってしまったのだ。そのため、今真一郎と小鳥を襲いかかってきたモノから守るものが無くなっていた。
一方小鳥はやはり身動き取れずにそれを見ることしかできなかった。襲いかかってくるモノがまるでスローモーションをかけているかの様に緩慢に近づいてきているように感じた。
刻々と近づいてくる殺意を身ながら小鳥は、
(ここで私は死ぬのかな……)
と、なんとなく助からないことを悟っていた。
これまでの出来事があたかも走馬燈のように頭の中をほんの一瞬で駆けめぐる。そのほとんどの出来事はセピア色なのだが、真一郎や唯子、それに最近のものだといづみと一緒にいたときのものは鮮明に思い出せていた。
(……やっぱりあの時と同じだ……。私、真くんと一緒に死んじゃうのかな?)
なおも色んな事が彼女の頭をよぎる。真一郎と出会った日のこと、唯子と喧嘩した日のこと、真一郎が途方にくれていた日のこと、さざなみ寮に初めて訪れた日ののこと、はじめていづみと会った日のこと、……そして、冒険者になる決意を定めた日のこと。
(……そうだった。あの日に私は決めたんだっけ。どんなことがあっても諦めないって……)
小鳥はなおも迫り来る殺意を睨み据える。(諦め何かしない。絶対に真くんと一緒に生き残ってみせる)
唯子といづみが何か言っているようだったが、小鳥には聞こえなかった。彼女は今自分にできることを必死になって考えていた。そして、一つの結論に達する。
(今、私にできること……。後でみんなと笑って過ごすために今の私にしかできないこと……)
そう考えていくうちに小鳥の腹は据わってきた。(諦めなんかしない。何もできなくたって最後の瞬間まで諦めない)
狂気に彩られた双眸が小鳥の目の前に迫る。次の瞬間、炎のように揺らいでいる紅い舌がその口から哄笑とともに顕れた。二人の命は正に風前の灯火といえた。
(まだ、間合いには少し遠い。……でも、やらなくちゃやられちゃう)
敵の攻撃方法が分からない限り後の先は取れない。小鳥は覚悟を決め、一か八かの賭けに出る決意をした。
しかし、小鳥は目の前に広がる光景に何か違和感を感じていた。
(……舌にしては何だか変な気がする……)
小鳥がその違和感の正体を悟ると同時に舌らしきものが絶対にあり得ない方向に真っ直ぐに動く。それは一瞬のうちに頭を上下に分断した。
「……相川も積極的になったもんだな、え? 野々村ちゃんを押し倒すなんてよ」
「端島!?」
いづみが驚愕の声を上げる。「お前、いつの間にここに……?」
「そっち側の入口から今来たばかりさ」
大輔は真一郎たちが入ってきた方とは反対側にある入口を指さす。「中に入ってあたりを見てみたら怪しげなモンがそこの悪魔のなれの果てから出てきそうだったんでね。とりあえずこいつで刺してみたわけさ」
「……炎の魔剣『レーヴァティン』だね」
唯子は大輔の魔剣を見てから、「あれ、今日はななかちゃんと一緒じゃないの?」と、尋ねる。
「マメダヌキか? あいつなら今日は道場の方に行ってるぞ。……ほら、あのべらぼうに強い人なんて言ったけ?」
未だに昏倒している真一郎を引き上げながら大輔は唯子に聞き返す。
「……それって千堂さんのことか?」
大輔の逆の方からいづみは真一郎を持ち上げるのを手伝う。
「おう、その人だ。その人が久々に道場の方に顔を見せるそうだから一つ稽古を付けてもらうとか言ってたぞ、確か」
「あやー。瞳さんが来る日だったんだ」
「あー、鷹城も同じ道場の人間だっけ?」
「そーだよ」
「唯子は知らなかったのか?」
「うん、このところ忙しくて道場に顔出してなかったからね」
いづみの問いかけに苦笑を浮かべながら唯子は答える。「ちょーっと後が恐いかな~」
「ああ、噂のさざなみ寮の備品破壊事件ってやつか?」
「はやや。何で端島君が知ってるの?」
「一部で有名な噂だぞ。まあ、誰でも知ってるわけじゃないから気にすんな」
真一郎に意識がないのを確認すると大輔はそのまま床に寝かせる。
「うう、そう言われると気になるよー」
今にも泣きそうな顔で唯子に見つめられ、
「……分かったよ、種明かししてやるよ。昨日FOLXで槙原さんに聞いたんだよ」
と、大輔はあっさりと降参する。
「槙原さんが?」
「おう。とりあえず俺は相川に用があったからこの頃何をしてるか槙原さんに聞いたんだよ。そしたら鷹城がさざなみ寮で暴れてものを壊したとかで迷宮に潜ってるって聞いてな。だから金策で忙しいみたいだから相川に用があるんなら最下層に行った方が早いんじゃないか、って言われたんだよ。そんでここにいるわけ」
「相川に用?」
いづみが怪訝そうな顔で大輔の言葉をそのまま返す。
「だったんだけどな。……これじゃあなぁ……」
気持ちよさそうに寝ている真一郎を見て大輔は一つ溜息をつく。「野々村ちゃん、何か起こす方法ない? 俺、一応急ぎの用がこいつにあるんだけど」
起きあがったばかりの小鳥は、
「ええっと、多分真くんは高位の『魔術』の行使で一時的に精神を疲弊させちゃったから昏倒してるんだと思うの。精神の疲労をとれば起きると思うよ」
と、言う。
「今すぐできる?」
「やってみる」
小鳥は精神を研ぎ澄まし、「『大地の母なる神よ。御身に流れる気脈の精気を分け与えたまえ。大地の慈愛(レイライン・ヒーリング)』」
詠唱が終わるとともに、小鳥の体内に大地を流れる『竜脈』の力が入り込んでくる。小鳥は真一郎の額に手をかざし、その力を譲り渡す。
「……っ」
それまでピクリとも動かなかった真一郎の指先が小刻みに動く。
「……とりあえず気がついたみてーだな」
大輔はそう言うと爪先で軽く蹴る。
「痛ッ」
いかに魔法でコーティングされているローブとはいえ、戦士の履くような鋼鉄製のブーツを防ぎきれるほどの防御力はない。「……唯子かぁ~? こんなバカげた起こし方するのは……」
「よう。元気そうで何よりだな、親友」
「……大輔? ……じゃあ、俺の今いる場所は『試練場』じゃないのか?」
ハッキリしない意識を取り戻そうと頭を振りながら体を起こす。「……でもこの感触は最下層の床な気が……」
「ああ、当たりだ。お前を捜しに降りて来たんだよ」
「……何で?」
「それが命の恩人に対する言葉か? 用事があるからに決まってるだろうが。何も好き好んで野郎に会いにこんなとこまできやしねぇーよ」
「……言えてる」
真一郎は苦笑する。「で、俺が気を失ってた間に何があったわけ?」
「おもしれーもんがお前と野々村ちゃんに襲いかかってきてたんだよ」
大輔はそう言いながらそれに指さす。「ま、これだけの大物の首を出せば俺一人なら三ヶ月は楽して暮らせるな。ここまできたかいがあったもんだぜ」
「……何であんなもんがここにいるんだ?」
「やっぱ相川はあれの正体に気がついたか」
大輔はにやにや笑いながら、「お前の想像通り地獄の道化師、フラックさ」と、答える。
「何だって!」
いづみはあまりの事態に驚きの声を上げる。「フラックだというのか、こいつが」
「いづみちゃん、知ってるの?」
「知るも何もこいつほど有名な異界のモノは探してもそうはいない」
「小鳥知ってる?」
「名前は聞いたことがある気はするけど……」
「その一撃はありとあらゆるバッドステータスを敵に与え、古龍(ドレイク)急の吐息(ブレス)攻撃をしてくる最凶最悪の異界の住人、それがフラック。……あのまま攻撃が当たっていたら、二人ともどんな高司祭の奇跡であろうと助からなかっただろうな……」
戦慄の表情のままいづみは淡々と語る。「いや、端島が倒してなければ全滅してたかもな」
「ま、問題はこれがやつの本体じゃねーってところだな。……それでもまあ、暫くはこっちにこれねーから賞金自体は出るから俺としちゃあ、どっちでも良いんだけどな」
胴体の方に未だについている顔の下半分を切り取り、切り離した上半分と一緒にズタ袋に入れ、大輔は肩に担ぐ。「ってえわけで俺はお前の命の恩人ってこった」
「……少し納得のいかない点もあるけど……まあ良いか。助けてもらったのには変わりないしね」
真一郎は肩を竦めながら苦笑する。「じゃ、俺たちも用事をさっさとすませるとしようか。……ところで大輔はこれからどうするの?」
「ああ?そうだなー、収穫もあったしこれ以上ここにいるのもかったりーから帰って寝る」
「じゃ、少し待っててくれる? 俺たちはすぐ用事すむし」
「別に良いぜ。こんなとこから一人で帰るの味けねーし、それに別に一人でこんなとこ歩き回って死にてーわけじゃねーしな」
大輔の軽口を聞き、真一郎は思わず爆笑する。
「なんだかなー。それが『孤高の剛剣』とまで言わしめた男の台詞なのかぁ?」
「別に好きでパーティー組んでないワケじゃねーよ。足引っ張られんのがきれーだから独りで迷宮に入っているだけだ」
「じゃあ、ななかちゃんは?」
「マメダヌキぃ~? ……あいつはほっておくと何しでかすかわかんねぇから見捨てらんねぇーだけで、なんだ、その、まあ、そう、なんとなく、なんてーか……」
だんだんとしどろもどろになる大輔を見て真一郎は再び爆笑する。
「相川。てめー、喧嘩売ってんのか?」
大輔は爆笑し続ける真一郎に容赦なくヘッドロックを見舞う。
「いてててて、ゴメン。悪かったってば、大輔」
「ふん。次言ったら今度はよーしゃしねーかんな」
「もうされてない気もするんだけどね」
真一郎は頭をさすりながらぼやく。「あ、ところで、用事って何?」
「ん、ああ。やっべー、やっべー。相川がバカなことばっかすっから忘れるとこだったぜ。おめーの用事が終わったら一日付き合ってくんねーか? 未鑑定のアイテムがたまってよ、そろそろ売りさばきてーんだよ。生活費もあぶねーしな」
「ああ、そんなこと。別にいいよ」
「お、わりーな、相川。ホントはなんか奢ってやるつもりだったけど、さっきの貸しと暴言でなしな」
「……報酬なし攻撃とはひきょーなり」
真一郎のぼやきとほぼ同時に、
「相川。湧き水をくんだぞ」
と、いづみが声をかけてきた。
「ありがとう、御剣。それじゃみんな、帰ろうか」
「長居は無用だしな」
「大技結構使ったから疲れたしね」
「ご飯、ご飯♪」
「……お前は結局それかぁーいっ!!」
今日もまた、真一郎のハリセンが最下層に鳴り響いた。
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