『呪われた神剣編 第2話』

「ははは、それで帰ってきたわけだ」
 カウンターの向こうでこの冒険者の店の管理人(マスター)である耕介は欠食冒険者のために食事を用意していた。
「も~、唯子おなかぺこぺこだよ~」
「……信じないで下さい、耕介さん」
 真一郎は抗議する。「どこの世界に『おなかがすいたから今日は帰ろう』て言う冒険者がいるんですか」
「ここ」
 真一郎の質問に対し耕介は即答する。「俺の目の前」
 耕介の目の前にはぐでーとカウンターで突っ伏した唯子が物欲しそうに厨房を覗き込んでいた。
「はぅ~、おいしそーな臭いがする~」
「……」
 真一郎は無言のまま唯子の後ろに立つ。
 唯子はまだそれに気づいてない。
 真一郎は素早く唯子のこめかみを両手で押さえると、
「何でお前は緊迫感がないんだぁ~っ!!」
 と、叫びながらグリグリする。
「あう~。痛いー、しんいちろー」
「知るかぁっ!」
 耕介はその二人をあえて無視し、残りの二人の方に顔を向ける。
「……まあ、ここでボケッとしているのも何だろうし、普段着に着替えてきたらどうだい?」
 暫く二人を見つめてからいづみは、
「……そうさせてもらいます。行こうか、野々村」
 と、小鳥の方を向く。
 やはり小鳥も二人を暫く見つめてから、
「……そうだね、御剣さん」
 と、答えた。
 二人は二階の自分たちの荷物をおいてある部屋へ向かった。

 冒険者の店とは社会的に信用されていない職種である冒険者達を相手に商売している店のことである。冒険者の代わりに冒険で用いる消耗品や装備、冒険で見つけてきたアイテムの売却の代行などを行う。当然店側の儲け分をとるが、たいていは値段の数パーセントと言ったところである。
 そして、基本的にこの種の冒険者の店の二階は宿となっている。一般の宿では信用のおけな冒険者達を寝泊まりさせないため、たいていの冒険者は自分が世話になっている店で寝泊まりしているのだ。
 しかし、真一郎たちは風芽丘に自宅もしくは下宿を持っている。ある程度の社会的信用を持っていながらなぜこの店を利用しているかといえば、唯子と小鳥の二人が家族に黙ってこの副業(アルバイト)に就いているからである。家に持ち帰れない冒険の道具をここ、『さざなみ寮』の彼女らの部屋においてあるのだ。

「いい加減許してあげたらどうだい、真一郎君」
 いづみと小鳥が自分たちの部屋へ向かってから少しばかり間を置いて耕介は真一郎に声をかけた。
「いいえ、ここで許せばつけあがりますから」
「あう~。唯子は自分に正直に生きているだけなのに~」
「それがいかんのだ、それが」
「あうう~~~。痛いよ~、しんいちろー」
 更に容赦なく真一郎はグリグリを続ける。
「……はよー」
 上からのそのそとある意味これら一連の騒ぎを起こした張本人が起きてきた。「耕介、飯あるか?」
「ありますけど、そこの欠食児童用です」
 彼の目の前でじゃれ合ってる二人組を指さす。
「おお、相川少年に鷹城か。どうだ、儲かったか?」
「……そう見えますか?」
 真雪の方に顔だけ向け真一郎にしてはかなり低くて暗い声で答える。ちなみに唯子にグリグリは未だに続行している。
「見えないな」
 あっけらかんとした声で真雪は答える。「ま、何だ。少しはあたしも出してやるからそう怖い顔するな」
「……」
 ふと真一郎は思案顔になる。「……確か仁村さんは魔導騎士(メイジナイト)でしたね」
「ああ、そうだよ。現役ンときはね。今は結構錆びついちゃってる気もするけどな」
「こいつを鑑定してくれませんか?」
 真一郎は唯子を解放し、脇に置いてあった剣を持つ。
「あうー」
 唯子はそのままダウンする。しかし、目の前に食事があるのに気が付くやいなや復活していた。
「……これは?」
「話すと長くなるんですけど、とりあえず今日の収穫です。とりあえず『鑑定(インディファイ)』の呪文をかけたんですけど、かなり高位のマジックアイテムらしくって全然手も足も出なかったんですよ」
「ふーん」
 真雪は真一郎からそれを受け取るやいなや、鞘から剣を抜く。「結構な業物じゃないか。どうやって手に入れたんだい?」
「魔将(アークデーモン)級を倒した際にそいつが残してったものです」
「魔将だぁっ!?」
 流石に真雪も驚きの声を上げる。「んなもんと闘ったのか、お前ら?」
「はい、運良く生き残れました」
「おいおい。今、風芽丘で魔将と戦えるパーティーって神咲んとこだけかと思ってたら、何だよ、こいつは驚きというか何て言うか……」
「運良くですよ。失敗していたら全滅でしたし」
「そんなこと分かってるさ。あたしだって幾度となく魔将と闘ってきたんだからね。……それならこのクラスのアイテムを持って手もおかしくないわな」
「知っているんですか?」
「まあね。これは有名だからなぁ」
 真雪は刀身を全て鞘から抜き、机の上にのっける。「これに刻まれている文字を読んでみな」
「ええっと、古代神語ですか?『我、魔を砕くものなり』……? どこかで聞いたことあるような、ないような……」
「剣士なら一度はあこがれる伝説の剣。その中でもこいつは異質だ。この剣だけが史上唯一『魔族殺し』の属性を持っている。……別名『魔落とし』の剣……」
「ま、まさか!?」
「そのまさかだよ。『カラドボルグ』、間違えなくこいつは伝説の神剣『カラドボルグ』に間違いない」
「で、でもこれ魔将が持っていたんですよ」
「最後の所有者がとある魔王にうち勝った際この剣に呪いをかけられたと伝えられている。その呪いのために所有者は続けざまに襲いかかってきた魔将に敗れ神剣は奴らに奪われたそうだ。その日以来私たち人間の歴史から神剣は消え去った。もし、神剣を再び人間の手で振るいたいのならばその呪いを破らない限り無理だと伝えられている。」
「……使えないじゃないですか、それじゃあ」
 真一郎の脱力した顔を意地悪く見ながら、
「そうでもないさ。おい、耕介。愛のやつは今日神殿の方か?」
 と、真雪は耕介に尋ねる。
「愛さんですか? 法衣に着替えて出かけてたからそうじゃないですかね?」
 手際よく欠食児童用の食事を作りながら耕介は厨房から答えた。
「槙原さん、ご飯、ご飯」
 唯子は既に空になった皿を天に掲げる。
「はい、はい」
「そいじゃま行くとしますか」
「どこにです?」
「とりあえず、愛にこの剣の呪いについてみてもらう。多分あいつなら何とかなるんじゃないかな」
 真雪はそういいながら唯子を引っ張り上げる。「さて、鷹城。お前もついてこい」
「え~、唯子はご飯食べてたいなぁ~」
「これの所有者になるやつが来なくてどうする? さっさと行くぞ。あたしには時間がないんだ」「唯子のにんじん~」
 未練がましい目で鉄板の上でジュウジュウ音をたてて香ばしい臭いをただよわせているニンジンを涙目で見つめた。
「そんな目をしても駄目なもんは駄目だ。相川少年、そっち側から引っ張れ」
「は、はい」
 真雪の勢いに押され、真一郎は真雪の反対側煮立ち、唯子を入口へと引きずる。
「あれ、唯子。何してるの?」
「仁村さん、どうかしたんですか?」
 丁度着替え終わり上から下りてきた小鳥といづみがその三人を物珍しそうに見つめる。
「いづみちゃぁ~ん、助けてぇー」
 助けを呼ぶ唯子の口をふさぎ、
「御剣、耳を貸すな。こいつには神殿に行く義務がある」
 と、真雪は二人に言った。
「ですが仁村さん。無理矢理引きずっていくのも……」
「良いんだよ、御剣。これが唯子のためなんだ」
「真くんまで何言っているの?」
「……そうだな。御剣、野々村。お前らも来い」
「どこにですか?」
「愛に会いに神殿まで行く」
「はぁ、何をしに?」
「こいつの呪いを見てもらうんだよ」
 真一郎はそういうと戦利品の剣を見せる。
「……呪われた剣なのか?」
「じゃあ、それを持った唯子は!?」
「それを調べてもらいに神殿まで行くんだよ。と言うわけでついてくるように」
 真雪は話を強引にまとめると馬車用の鞭を手でもてあそびながら出口に向かう。「けけけ、楽しくなってきたなぁ~、おい」
「「「「……」」」」
 最後の真雪の呟きを聞いた四人は思わず顔を突き合わせて、頭を抱えた。

 神殿まで来た五人は真雪と小鳥の顔パスで問題なく中にはいることができた。
「『日輪の女帝』の高司祭槙原愛に面会したいんだけど」
 神殿の受付係に真雪は声をかけた。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「仁村真雪。それであいつには通じる」
「少々お待ち下さい」
 受付嬢は五人を後に残し、神殿内に入っていく。
 数分後、
「槙原高司祭は今夜の準備で手を離せないそうです。少々お待ちしていただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「構わないよ」
「それでは、こちらにどうぞ」
 受付嬢に案内された部屋は応接間であった。「ここで、お待ち下さい」
 受付嬢が立ち去った後、
「小鳥。今日何かあるわけ?」
 と、真一郎は隣に座っている小鳥に小声で話しかける。
「この頃神殿に顔出してないから知らないよ。役に立てなくてごめんね、真くん」
「謝ってもらうほどのことじゃないよ」
 その直後、ドアをノックする音が部屋に響いた。
「どうぞ」
 真雪がぶっきらぼうにそれに応える。
 扉を開けて入ってきたのは、深紅の日輪の紋が入った純白の法衣に身を包んだ愛であった。
「真雪さん、ここまで来るなんて珍しいですね。何かあったんですか?」
「まあね。早速で悪いけどこれ見てくれないかな?」
 真雪は愛に唯子の持っている剣を手渡す。
「……微弱な呪いの波動を感じます……」
 愛は剣を受け取ると目を瞑り集中する。「……特殊な呪いみたいですね……。普通に見たり触っただけでは発動しないもの……。剣に所有者と認められて者のみに降りかかる災い……。……剣の力と相殺されていて分かり難いですけど、かなり高位の魔族がかけた強い呪いじゃないでしょうか?」
「おお、流石『慈愛の聖母』の二つ名持ち。それ当たり」
 真雪は軽く拍手する。「で、何とかなりそうか?」
「……う~ん、多分何とかなるんじゃないでしょうか」
 愛は目を開くと、「でもこれどうしたんですか?」と、尋ねてきた。
「まあ、話すと長くなるから手っ取り早く言えば、相川少年のパーティーが『試練場』の最下層で魔将から分捕ってきた」
「え~、今の風芽丘で魔将を撃退できるパーティーは瞳ちゃんの……」
「愛、それはあたしがもう言ったから言わないでやってくれ。流石のこいつらでも傷つく」
 にやにやと薄ら笑いを浮かべながら真雪は愛の言葉を遮る。
「そうなんですか。分かりました」
 愛は素直にその言葉を受け入れる。
 しかし、四人には真雪の言葉が素直に受け入れがたいものであったのは言うまでもない。
 そんな四人の疑いの眼差しを気にも留めずに真雪は、
「で、愛。こいつの呪いを解けるのかい?」
 と、尋ねる。
「解けると思いますけど……」
「何かあるんですか?」
「ちょっと揃えなくちゃいけないものがあるし、それにこれから私仕事がありますから」
「仕事?」
「ええ、72耐の指導員をしなくてはいけないんです」
「なななななななな、72耐……」
 それを聞いた途端、小鳥の顔が蒼白となった。「わわわわわわわわわ、私も参加しなくちゃいけないのかなぁ……」
「小鳥ちゃんはまだ現役さんだから免除ですよ。私は冒険者引退したから後進の育英のお手伝いをしなくちゃいけないんです」
「よかったぁ~」
 露骨に安堵の笑みを浮かべる小鳥。
「なんだい、愛。その72耐って?」
「えっとですね、見習いの修道士さんたちの精神修養のために行われる山野を72時間以内に走破するという荒行です~」
「荒行……。野々村もやったのか?」
 いづみは隣でホッとしている小鳥に訊く。
「うん。冒険者になるためには絶対合格しなくちゃいけない資格だから……」
「で、実際には何をやるんだ?」
「まず修道士さんたちを身一つで山のどこだか分からないところに置いてきて、ここにどんな手段を用いてでも良いから時間内に戻ってきたら合格なんです」
 愛はにこやかに説明する。「で、その山というのが……」
「いやぁーーーっ!!」
 小鳥はいきなり絶叫すると猛スピードで部屋から出ていった。
「どうしたんだ、小鳥のやつ?」
「ああ、小鳥ちゃん苦労してましたから。思い出しちゃったのかな、あの地獄に一番近い山」
「……槙原さん、今さらりと凄いこと言いませんでしたか?」
「ええ、別にそんな大したこと言ってませんってば~」
 このときその場に残った、真雪をも含んだ四人はその言葉が嘘だと直感的に悟った。
「……で、合格率はどれっくらいなんだい?」
 一番早く現実に復帰したのは真雪だった。
「大体一割ですか。三割くらいは三ヶ月近く行方不明になりますし」
「……そうかい……。……ところで呪いを解くのに足りないものってのは何なんだい?」
 流石の真雪もこれ以上深入りしたくないと思ったらしい。それ以上は突っ込みを入れずに素早く話題を変えた。
「それはですね、『破魔の霊水』と言いまして『試練場』の最下層第四区域にある『大地の霊泉』の一番底にある水なんです」
「それだけなのかい?」
「後はですね、やっぱり『試練場』の最下層に住んでると伝えられている……」
 愛の注文はこの後、10にも及んだ。
 その最中に真一郎が、「ペン、ペン、ペン、ペン」と慌てて筆記用具を探し出したのを付け加えておく。

「はやや、多かったねぇ、真一郎」
「相川、全部書き留めたか?」
「とりあえずはね。でも五日後までに揃えられるかは別問題だなぁ……」
「怖いよ、怖いよ、怖いよぉ~」
 帰りの馬車の中、約一名トラウマにうなされながらも、今後の身の振り方を四人は相談していた。
「やっぱり唯子のために新しい剣を買ってやるのが早いかな。……これ以上借金するのはいやだけどさ」
「といっても唯子にあう剣はそうそう出回ってないから特注になるだろう?それには時間がない」
「怖いよー、暗いよー」
「お金はみなみちゃんと知佳ちゃんから借りれば何とかなるんじゃないかな♪」
「……それは最後の手段だけどな。一応千堂さんにも相談した方が良いかな?唯子と同門の方だし」
「ひもじいよー、さむいよー」
「千堂先輩か……。唯子はどう思う」
「瞳さん? うーん、多分何本も自分用の剣もってるだろうけど……。絶対交換条件で『真一郎一日借用権』とか言ってきそうだし、唯子としては止めた方が良いと思うけど」
「疲れたよー、眠いよー」
「……俺は別に良いけど」
 満更でもない顔で真一郎は応えると、
「「絶対駄目」」
 と、二人は息を揃えて抗議した。
「帰りたいよー、逃げたいよー」
「……お前らなぁ……」
 それまでずっと黙っていた真雪が口を開く。「身の振り方の相談をするのは良いが、そいつを黙らせろ。うっとうしくてならん」
 真雪は振り返って小鳥を指さす。
「唯子にはちょっと……」
「無理です」
「『平常心(サニティ)』を使えるの小鳥しかいませんから」
 三人三様の答えを真雪に返す。
「だーっ、魔術で眠らせるとか忍術で眠らせるとかあるだろ!」
「少し風向きが悪いです」
「魔術だと範囲が広すぎて……。それに仁村さんの方が俺より術者として力量上なんですけど」
「……悪かった」
 それ以降馬車内の会話は途切れた。
 その変わりBGMとして延々と途切れることなく呟いてる小鳥のトラウマを全員がさざなみ寮に辿り着くまで聞かされる羽目となった。

 さざなみ寮に着くや否や、唯子といづみは小鳥を自室につれていき強制的に(忍術で)眠らせた。
 真雪は疲れたのかそのまま部屋に籠もりきり音沙汰ない。
 真一郎は耕介の手伝いをして自分たちの夕食を確保した。
「じゃあ、愛さんの分は三日間用意しないで良いんだね」
「はい、そう耕介さんに伝えておいてと頼まれました」
 できた料理を自分たちのテーブルに配膳しながら真一郎は答える。
「それにしてももうそんな季節なのかぁ」
「耕介さんは72耐知っているんですか?」
「ん? まあ、色々とね」
「それってトラウマものの修行なんですか?」
「らしいねぇ。愛さんがうけたときは凄かったしなぁ」
 遠い目をしながら耕介はグラスを拭く。「『敵、敵、敵ぃ~』とか言って攻撃系の奇跡を動くものにめがけて乱射してたからなぁ」
「え?」
「あの時は焦ったなぁ。既に実力は当時の司祭長様お墨付きだったし、俺なんかまだ駆け出しで上手いぐあいに術の抵抗すらできなかったからなぶり殺されかけたしなぁ」
 グラスを棚に戻しながら耕介はしみじみと呟く。「いやぁ、あの時ほど生きてるって素晴らしいって思ったときはなかったねぇ」
「は、はぁ……」
 真一郎は返す言葉もなくただ頷くだけだった。
 唐突のキツイ話のせいでこの話題を続けるわけにもいかず、だからといって話題の転換をするには辛すぎる状況に陥り、真一郎は途方にくれた。
 耕介の方は昔を思い出し、何か頻りに頷いているみたいなのだが、このまま続けばすぐに真一郎の異常に気がつくだろう。そうなれば真一郎が何故ひいているのかを気づき、場合によってはその話が愛や小鳥といった72耐トラウマ組に伝わるかもしれない。真一郎としては、それだけは何とか避けたかった。自分の過去の汚点を知られて平常心でいられる人間など普通はいないのだ。間違えなく何かしらの手で口封じされることだろう。
 特に愛の実力ならば今の真一郎を消すことなど非常に容易いと簡単に想像ができた。
(まだ死にたくないし)
 真一郎は自分の本心を確認すると、態とらしくない話題の転換を考え出す。
 しかし、幾つかの思案をシュミレートしたところ、
(……無理だぁーっ!!)
 と、すぐにそれが不可能であることを悟らされた。
 ここまで話されてはどう話を持っていっても今のままでは話題の転換に無理がありすぎる。
 だからといって今のまま何もしなくては耕介が異常に気がつきこちらを見るかもしれない。そうなればおしまいである。
(このままでは……)
「ところで真一郎君。さっきから静だけど、どうか……」
 と、耕介が振り返ろうとしたその瞬間だった。
 死に神のカマが首筋にあてられたのが見えた真一郎に対し、奇跡は起こった。
「おいしそーなごはんのにおいー」
「唯子。ごはんは逃げたりしないぞ」
 小鳥を部屋に送り届けていた二人が着替え終わり下に降りてきたのだ。
(チャンスだ!)
 真一郎は死に神のカマを振り払うとその機会を逃さなかった。「小鳥の様子はどうだった?」
「とりあえず薬を嗅がせて眠らせた」
 いづみは淡々と事実を述べる。「これで大人しくなるはずだ」
「いづみちゃん、その台詞まるで悪役さんみたいだよ」
「……所詮私は忍びだからな……」
「うー、唯子には分からないネタだよー」
「忍びは没人情の上に成り立つ、って言うことじゃないのかな」
「……何でそういうことを知っているんです、耕介さん?」
「俺もここに長くいるからねぇ……」
 耕介は新しいグラスを拭きながらまたも遠い目をする。「色々とあるのさ、色々とね」
「はぁ」
 真一郎はやはりこの人は常人とは何か違うとつくづくと感じさせられた。「と、とりあえず、明日からの計画を練ろうか?」
「唯子、もうおなかぺこぺこだよぉ~。そんなの後にしようよ~」
「それも一理あるな。食べながら軽く相談していくというのでどうだ、相川?」
 一瞬、(何でここまで苦労しているのかこの小娘はぁッ!!)と、唯子に対し殺意の波動に目覚めかけた真一郎だが、実際お昼を抜いたせいで空腹感すら麻痺しかけていることに気づき、「……良いんじゃないかな」と、何とか笑顔で答えることに成功した。
「まず愛さんの言っていたアイテムの取りに行く順番だけど、難易度順か、区画順かのどっちかに決めないといけないと思うんだけど?」
「ふいほは、ふはふふんのほうはひひほほもふへぼ」
「……口の中のものをどうにかしてから答えろ。まあ言いたいことは予測がつくけどな」
「私は日持ちするものから徐々に取っていくべきだと考えるな。愛さんが『解呪(リムーブ・カース)』の奇跡を執り行ってくれる日は五日後なんだ。その日までに持たないものを取ってきても無駄になるだけだろう?」
「それも一理あるなぁ」
「へもふいほは……」
「……だから食べるか喋るかどちらかを選べ」
 流石の真一郎も少し切れかけ気味に唯子に文句を言う。
 唯子は少し考えた後、何も言わずに自分の目の前にある料理を猛スピードで詰め込みはじめた。
 真一郎はそれを見てから少し椅子からずり落ちた。
「相川、こんなことで一々気を落とさない方が良いぞ」
「まあ、結果は分かっちゃいたんだけどね……」
 真一郎は何も言わずにサバのみそ煮に箸を入れる。「ははっひゃひはほは……」
「……相川……」
 いづみはとりあえずほうれん草のお浸しを片づけてから真一郎に話しかける。「分かっちゃいると思うが、様になってないぞ」
「ひひんは、ひひんは。ほーへほへはんはははんはひひーはーほひへほひはふは……」
「いや、そこまで何もいじけなくても……」
「ふ~、食べた食べた。だからね、真一郎。唯子としては難易度順に取っていった方が良いと思うんだ。最下層で生き残れる可能性は少ないんだし、確実にいった方が良いと思うよ」
「しかしな、唯子。ものが腐ったら使えないんだぞ」
「いづみちゃん、そこは真一郎に『鮮度(フレッシュ・キープ)』の呪文をばーんとかけてもらっちゃえば良いんだよ」
「……『解呪』の奇跡用の触媒に魔力を加えるのか?」
 サバのみそ煮でご飯を平らげ終えた真一郎が唯子に突っ込む。
「う。それは考えてなかった……」
「今のところは御剣の案が一番現実的だな」
「だとしたらナマモノ系は最後か?」
「いや、氷室で取っておけるものは速攻で帰ってくれば問題ないと思う」
「だとしたら『破魔の霊水』は早めでも問題ないか」
「それよりもこの珍獣『ウマシカ』の角が問題だろう」
「唯子は『緑竜(ガスドラゴン)の鱗』が一番難題だと思うな~」
「そうか? 私としては試練場第六層に自生していると噂される『桃色光苔』が結構難敵だと思うぞ」
「「「う~ん」」」
 三人は頭を付き合わせ、考え込む。
 暫く、考え込んだ後、
「……そうだな、『転移(テレポート)』ですぐに戻らなくてはいけないものからピックアップしていくか」
 と、真一郎が提案する。
「……じゃあ、まずこれなんかはどうかな?」
「それか、だったらこれもかな?」
「いや、それは大丈夫だろう」
「だったら、唯子の言っていたこれも……」
「それは帰り道によると思うな」
「槙原さん、第六層のマップあります?」
「ついでに最下層のもあったらお借りできますか?」
「サバ味噌おかわり~」
「「まだ喰うんかい」」
 そんな風に喧々囂々としていたら、
「お前ら、元気いいなぁ」
 と、三人の後ろから真雪が声をかけてきた。
「真雪さん、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもねぇだろうが。あたしだって腹が減ってるんだよ。耕介、めしー」
「はいはい。急に忙しくなり始めましたねぇ」
「あんたは年寄りかい。その爺むさい言い方はよしな」
「俺もいろいろありましたからねぇ……」
「……まぁね。確かにあっただろうけど、そう老け込むことはないだろ」
 真雪は苦笑しながら手に持ったものを唯子に手渡す。「鷹城、こいつを貸しといてやるよ」
 三人ははかった様に同時にそれに目がいった。
 手渡されたものはかなり長い古めかしい木箱であった。
「これは……?」
「開けてみな」
 真雪は促す。
 唯子は言われたとおりに箱を開ける。
 箱の中身は一振りの両手剣であった。鞘と柄の凝った意匠がただの剣でないことをこれ見よがしに告げていた。
 そして、一目見た瞬間から唯子はそれから目が離せずにいた。
「もしかして、これは!?」
 最初にその正体に気づいたのは真一郎だった。
「当たりだ。あたしの現役時代の愛剣、伝説の雷の魔剣『シグムンド』さ」
「これが『シグムンド』……」
「仁村さんの二つ名『雷の女帝』の象徴とまでいわれた魔剣……」
「ま、あたしは締め切りが近いからそれを使うこともないしね。後でちゃんと返してくれるんなら貸してやるさ」
「でも良いんですか? こんな伝説の魔剣を唯子なんかに貸しても……」
「相川少年、君がどう鷹城のことを考えているか知らないが、少なくともあの千堂と渡り合えるだけの腕を持ってるんだ。あたしみたいに使いこなせないだろうけど、使うには支障がないはずだ。それに鷹城にあう剣なんてそうそうないだろ? お得な話だと思うけどね」
「……で、何が目的ですか、仁村さん?」
「勘が良いねぇ、御剣は。ま、確かにただじゃ貸す気はないさ」
 真一郎といづみは生唾を飲み込み、真雪が条件を切り出すのを待つ。「『試練場』第三層の霊泉『乙女の吐息』の水を汲んできてくれ。締め切り間際は肌が荒れて仕方なくてね……」
「「……え?」」
 二人は拍子抜けした。どんな無理難題を押しつけられるかと思ったら想像以上に簡単な話だったのだ。
「何だよ。あたしが肌の美容を気にしちゃおかしいわけ?」
「いえ、そうじゃありませんでして……」
 あまりの意外な展開に真一郎は既に日本語を話していない。
「そんな条件で本当に良いのかと思ってしまっただけです」
「ああ、別に構わないよ。三、四日それを貸すぐらいだったらそんなもんだろ。ま、お前らじゃなければもっとふっかけてるけどね」
 真雪は呵々大笑とばかりに笑う。「耕介、酒ー」
 真一郎といづみはお互いに目配せをした。彼らとしては今回の冒険行では戦力外と考えていた唯子がこれだけの魔剣を持って参加してくれれば何も言うことはない。しかもこの様な非常に条件の良い話だったら尚更である。
 問題は当の本人である唯子次第なのだが、さっきから一言も会話に参加していない。
「唯子、俺は良い条件だと思うけど、お前は……」
 真一郎は振り返り唯子を見た瞬間血の気が引いた。「ゆ、唯子さん?」
「うふ、うふふ、うふふふふふ」
 既に目が尋常ではなかった。完全に剣の魔力に捕らわれ、魅入られていた。
「……どうする相川?」
「ど、どうするって言われてもな……」
「うふ、うふふふふふ」
 真一郎は途方にくれたように溜息を一つついた。「本当に仁村さん。こいつで大丈夫なのですか?」
「ああ?それっくらいなら大丈夫だろ。『シグムンド』の方も気に入ってるみたいだし」
「そうは見えませんけど……」
「なぁ~に、戦士なら一度は通る道だって。辻斬りさえしなけりゃ問題なしだ」
 呵々大笑とする真雪を見て真一郎は、
(絶対この状況を面白がってるだけだ……)
 と、心の中で深々と大きな溜息をつくのであった。




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