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困難を乗り越えよう
教室で子ども達に語る「心の話」のページです
千葉昌之 HIP
1.どんな時に話すのか
■苦しいことやつやいことがあった子どもに対して ■障害を持っても、頑張って生きていく人がいるという事を知らせる話として この話は次の本を参考にしています。(瀬上敏雄 『中村久子の一生』 春秋社 9頁)
2.教師の話
中村久子さんという方がいました。今から100年ぐらい前の人です。
この人は、2歳の時に恐ろしい病気にかかりました。突発性脱疽という病気です。高い熱のために、肉が焼け、骨が腐っていくという病気です。中村久子さんは、何度も手足を切り落として、とうとう両手両足を失ってしまったのです。
中村久子さんの生まれた明治時代は、障害を持った人が今のように法律で守られ、大切にされてはいませんでした。久子さんは、赤い鼻緒の下駄をはいて学校へ行くことを夢見ていましたが、小学校には1日も通うことが出来ませんでした。というより、障害者ということで、入学が許可されなかったのです。
学校に行くことの出来ない久子さんでしたが、努力してあることができるようになりました。それは、次のどれでしょか。
@編 み 物
A字を書くこと
Bご飯を作ること
実は、これは全部できたのです。洗濯も掃除もできるようになったのです。みなさんは、口で縫い物ができますか。口で針に糸を通せますか。口で糸を結ぶことができますか。久子さんは、練習に練習を重ねて、これらのことができるようになったのです。努力でこれをやり遂げたのです。
19歳の時、久子さんは自ら進んで「見世物小屋」の芸人になるために、故郷をあとにしました。「見世物」というものは、珍しい芸や物、曲芸や手品などを人に見せる興行の世界のことです。
手足の無い人間が生きていくには、その手足の無い姿で縫い物をしたり、字を書いたりして、人々に見てもらって生きる見世物の世界しかないと久子さんは考えたのです。苦しみ考えた末の決心でした。それから26年間、久子さんは見世物小屋の芸人として、つらくとも真剣に働きつづけました。
ヘレン=ケラーという人を知っていますか。あの方も、中村久子さんに会いました。そして、こう言いました。「わたくしより不幸な人、そして、偉大な人。」そう言って、久子さんを励ましたのです。
みなさんも、これからの人生の中で様々な困難や苦しみに出会うと思います。でも、中村久子さんのように最後まで自分の可能性を信じて、なお不幸な人たちへのあたたかい心を持つ人間として生きてほしいと思います。。 |