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失敗した人の立場に立とう
教室で子ども達に語る「心の話」のページです
千葉昌之 HIP
1.どんな時に話すのか
■何かに失敗した子どもがいるときに ■友達の失敗を責めている子どもがいる時に この話は次の本を参考にしています。(船井幸雄 『男30代、悔いなく生きる約束事』 三笠書房 172頁)
2.教師の話
20世紀最後のプロ野球は巨人が優勝して終わりましたね。先生は巨人のファンでもあり、長嶋監督のファンでもあります。これからするお話は、長嶋監督の1つのエピソードです。
長嶋監督が初の日本1になったのは平成6年でした。そのシーズンのお話です。開幕3戦目の横浜球場で行なわれた、対横浜ベイスターズ戦のことです。その日は、小雨が降り続き、終盤には風も出てくるという最悪のコンディションでした。
試合は、同点のまま9回裏をむかえ、長嶋監督は守備を固めようとして、屋敷要選手をセンターに入れました。屋敷選手は、93年まで横浜の外野手として活躍していました。
屋敷選手は、横浜球場は守り慣れた球場だったのです。
ところが、その屋敷選手が何でもない平凡なセンターフライをヒットにしてしまったのです。フライが上がった瞬間、突風が吹いたということもあったのですが、ボールを見失い、後ろにそらしてしまったのです。
この屋敷選手の「エラー」で巨人はサヨナラ負けをしてしまいました。
守備の名手といわれ、その守備力を期待されて守備固めに入った屋敷選手。しかも、場所は慣れ親しんだ横浜球場でした。それなのに、結果は無残な「エラー」だったのです。
意気消沈して家に帰った屋敷選手に突然、電話がかかってきました。屋敷選手は、「はっ」としました。さて、ここで問題です。
電話は、どのような内容だったのでしょうか。 |
@「やめてしまえ」という叱りの電話
A「気にするな」という激励の電話
B「うれしかった」という喜びの電話
電話の主は、長嶋監督でした。長嶋監督は、屋敷が電話に出るなり、こう言ったのです。
君ほどの名手が捕れないんだから、あれは誰にも捕れないよ。だから、今日のことは気にするな。また、明日から頑張ってくれ。 |
電話は、「気にするな」という長嶋監督の激励の電話だったのです。
その瞬間、屋敷選手のふさいでいた心は、いっぺんに晴れたといいます。そして、ここまで気を使ってくれる長嶋監督のためなら、何でもしようという気持ちになったそうです。
長嶋監督の気配りは、実はこれだけではなかったのです。屋敷選手に電話で言ったのと同じ内容の話を、その夜、試合終了後、記者たちにしていたのです。そうすれば、明日の新聞に長嶋監督のコメントとして載るはずです。
それを選手たちが読めば、「長嶋監督が、名手・屋敷でも捕れないと言っているのだから」と納得し、個人的に屋敷選手を責めたりすることはあるまいーということまで踏まえた上での配慮だったといいます。
その人(失敗した人)の立場に立って考える。 |
口で言うのは簡単ですが、普段から相手の立場に立って考えていないと、自然にできるものではありません。