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子どもへの本のすすめ方

   読み聞かせのちょっとしたアイデアのページです
             千葉昌之 HIP


1.「これは、良い本だ!」と思ってすすめたのに
  苦い思い出まではいかないのですが、うまくいかないものだなあとつくづく思った体験を2つ。
  
  私は「ゲド戦記」(全4巻)という本が非常に気に入っています。児童書では、最高峰の本の1つだと思っています。長い話ですが、もう繰り返し4回も読んでいます。1週間程前にも読みました。
  この本は6年生から中学生向きなのです。そこで、ぜひ、6年生にすすめてみようかと思いました。しかし、6年生が読むにはとても難しい本です。「これは、余程、読書をしている子ではないと読めないぞ。」ということで、クラス1の読書家にすすめたのです。4年前のことです。

 この本、とってもいいんだよ。少し難しいけど、○○さんなら読めると思うから、貸すから。読んだら、感想を聞かせてね。

 ○○さんも悪い気はしなかったのでしょう。「はい!」と元気よくこたえました。
 ところが、1週間たっても、2週間たっても、「まだ、読んでいません。」というこたえが返ってきます。ひょっとして、難しかったのかなと思い、「難しかったんでしょう?」と聞いてみました。すると、「うん。」とこっくり頷きました。「難しくて、何がいいたいのか、よくわからない。」とのこと。
 翌日、本を返してくれました。私は、少し寂しくなりました。

 原則1  自分が面白いと思った本は、他人も面白いというわけではない。


 また、私は、工藤直子さんという方の大ファンなのです。工藤さんの本は20冊以上、持っています。たくさんの本の中でも1番なのは「ともだちは海のにおい」という本なのです。くじらと、いるかの友情の日々が詩とメルヘンチックな文章で綴られています。もう、これを読むと、心がほのぼのとしてくるのです。
 これは小学の中学年からでも読める本なので、やはり、ある読書家の5年生にすすめました。 

 すごくいい本があるんだけど、読んでみない?○○さんなら、読めると思うんだけど。

 この「○○さんなら、読める。」という言い方が曲者なんですよね。こういう言い方はやめるべきです。(自分に言っています。)
 この子にも、何日かたって聞いてみました。「あの話、良かったでしょう?」「う、うん。面白かった。」「どこが良かった?」「えーと、忘れちゃった‥‥」。
 読んでいないのではないのかと、余韻を残すようなこたえ方でした。きっと、読んでいないのでしょうね。

 これは、読んでいない子どもが悪いわけではないのです。「この子なら読むだろう」とたかをくくった私が悪いのです。

 その後、朝の会で「ともだちは海のにおい」をすすめた時に、しばらくたって、この話を読んだ何人かの子ども達が、私に次のように言いにきました。「先生、私、いるかのファンになっちゃった!」、「あの、ほのぼのとしている所がいいよねえ」、「パリにくじらが行った時の詩が好きだな」と、教えてくれました。
 初めから、全員に紹介していればよかったと思いました。

 原則2  個人にすすめるより、全員にすすめた方が効果は大きい。


2 子どもの興味・関心をつかむ
 私の尊敬する国語の大家、野口芳宏先生は8年前(93年)の論文の中で次のように言っています。

(「授業のネタ 教材開発 93年8月号」明治図書)


 本を読むことの大好きな人がいる。そして、自分の読んだ話をよくよく人の前で話すのが好きな人がいる。そういう仁には、会えば最近読んだ本の話をする。そして、実にしばしば「野口さんは読みましたか」「えっ、まだ?あ、そうですか、まだですかあ。」などと言うのである。
 そう言われると、私はばつが悪いような気持ちになって、何だかひどく居心地が悪くなるような気になる。そうして、私は、その仁のいう「面白かった本」については、ひそかに「読まねえぞ、俺は!」と変な意地を張りたくなってくる。
 と言うのは―、その仁は所詮「自分の好きな本」または「自分が関心を持った本」さらにあるいは「自分が必要と感じた本」を読んだに過ぎないのである。その仁の好み、関心、必要が、私の好み、関心,必要と必ずしも一致しないのは当然のことである。だから、彼が読書をすることに比して、私は一向に読書をしないというような事にはならないのである。
 そんなことに気づいたある日のこと、私は逆にこっちから、「先生、この本はお読みになりましたか。」「これはいかがです。」というように問うてみたことがある。
 その中のいずれも読んでいなかったその仁は、やや苦しい表情をして、「読んでいない。」と、答えたので、追い討ちをかけて、「お望みでしたら、お貸ししますが‥‥」と言ってみたところ、読書家の彼にしては意外なことに、「いや、今ちょっと外にも読みかけている本があるので、いずれ、また‥‥」と、体よく断って逃げを打った。
 私は、この一件から随分本を読んでいるように話す人も、結局は自分の読んだ本のことしか話さないものだということも確かめることができた。

 これを読んで、「私もこういう事があるなあ」と思いました。
 参観日の懇談会でヘルマン=ヘッセの「デミアン」を保護者達にすすめたのです。私が中学の時に感銘を受けた本です。三浦綾子さんが、青春時代に出会った本の中で大切な本だと述べた話を引用して。
 ある保護者の方が購入してくださったのですが、「私には、合わなかった」とおっしゃっていました。「自分が良い本は人も良い」と思い込んでいた1つの例です。

 冒頭で述べた2つの例も、似ています。
 子どもに本をすすめるのはいいのですが、「何で読まないんだろう」とか「読書家じゃなかったのか」などと思うのは間違いです。 

好みの違いだから,読まなくてあたりまえ。

 私は今後、こういうおおらかな気持ちで、子どもに本を紹介していこうと思います。

原則3  その子の好みにあった、本を紹介するようにする。(好きな本、関心を持つ本、必要と感じる本)

 野球の好きな子には野球関係の本。「イチロー」の本や、「野球教室」の本なんか、すすめられるでしょう。ボランティアが好きな子には、福祉関係の本。「五体不満足」や「盲導犬サーブ」なんか、いいでしょう。
 子どもたちによく接して、その子の興味や関心が何なのかをつかむことが大切になってきます。
 読書家だから何でも読む、私が面白かったら他人も面白い、こういう観念を捨てて、本の紹介をしなければならないと思いました。

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