キリスト暦1836年のわらしちゃん 制作:菅谷中さん hilihiliで始めての投稿イラストとなりました。菅谷さんは造形家でイラストレーターです。腕が実にいい人なのですが・・・。彼の描いたわらしちゃん、どひゃー!!なイラストになっています^^;)。でもこれは彼が勝手に考えたものではありません。
まあ、話せば長いことながら・・・。
わらしちゃんはそもそも座敷わらしです。もともとは北村がHPに福がきますよーに^^)って考えたキャラクターなんですよね。
でもって座敷わらしというのは妖精とか妖怪とか、そういう位置付けをされるものなんですが、場合によっては”死霊”、すなわち死者の霊であるという話もあります。まあ、伝説を語る人や、説話が語られた背景によって、座敷わらしの位置付けが変わるのが原因なんでしょう。
似たような話は河童でもあります。説話や民話では河童は水の神であったり、化け物であったり、使役に使われた使い魔だったり、あるいは”死んだ子供の霊”であったりもします。
さて、北村の頭の中には、昔、聞いたある話がこびりついています、
大飢饉の時にある母子がやってきた。お腹がすいたと泣く子供に母親は「皆もお腹がすいているのよ」とやさしくさとした。子供はそれを聞いて泣き止んだ。それからしばらくして母親はやおら子供をつかむと河原まで走り、子供の頭を石で砕いて殺した。
あっという間のことで誰もとめられなかった。血を川の水で洗い落とした母親の顔はとても美しくほほえんでいた。
死んだ子供は河童になって川で遊んでいたともいう。
これは河童の話なのですが、こういう話が北村の頭にあったせいか、hilihiliのわらしちゃん、いつのまにか非業の最後をとげた女の子の霊ではなかろうか、という発想がわいてしまいました。
そしてそういう話を菅谷さんとしてできたのがこのイラストです。
人柱にされたわらしちゃんが、今、タタリ神となって地中から姿をあらわしたところですね。人柱という発想は有名な民話からきています(>「キジも鳴かずば撃たれまいに・・・」の話ですね)。
キリスト暦の1836年、ユーラシア大陸の東のはずれの島国では大飢饉の真っ最中。そして、大平洋上には戦艦ビーグル号にのった若きダーウィンが航海を続けていました。
北村によるタタリ神バージョンわらしちゃんはいずれ描きます。