科学とは何か?1:仮説は無限にある

 

 :科学はものでも知識でもない、考え方だ

 科学とはなんでしょうか?。科学とは物体ではありません。では哲学や思想でしょうか?。おそらくそうです。あるいは

 :考え方

 :ある種の人間の営み

と言った方がいいかもしれません。

 物知り博士という言葉がありますが、知識そのものは科学ではありません。知識というのは科学そのものではなく、むしろ科学の成果です。例えるなら料理(クッキング)という動作の結果として食べ物(フード)ができますが、食べ物は料理という行為そのものではありません。つまりクッキング=フードではありません。

 同じように知識=科学ではない。

 科学論文と呼ばれるものは知識や情報の単純な網羅ではありません。もしそうなら、科学者は論文の中で、解析とか考察(Discussion:分析の結果からどう考えるか)なんて事柄を書かないはずです。でも実際の論文にはそういう事柄が書かれています。

 科学論文は情報を網羅した百科事典ではありません。例えば世界でもっとも有名な学術雑誌のnatureは百科事典ですか?。違いますよね。反対にいうと、百科事典は科学でしょうか?、あるいは学術雑誌でしょうか?。そうではないでしょう。

 例えばの話、食べ物がずらーっと並んだカタログ、ようするにメニューは料理という行為そのものですか?。違いますよねえ、同じように百科事典は科学ではありません。

 ついでにいうとサイエンスライターとかサイエンスジャーナリストは科学者ではありません。それに北村の著作も含めて、サイエンスライター(と称する、あるいはそう呼ばれる人々)が書いた記事は論文ではありません。サイエンスライターの活動とは

 ”サイエンスとは明らかに違うなにか”

なのです。弱ったことにサイエンスライターが科学の普及書を書くのですから、科学についての誤解が広まるのもまあ当然ですね。じゃあ、このサイトとこのコンテンツはどうなるんだ?、という疑問も持つ人もいるのでしょうけどそれは個人で考えるべきこと。

 とはいえ、考えたからといってその結論が確かなのかそうでないのかはまた別問題であるのが頭の痛いところですね。

 さて、そんなことはともかくとして。

 

 :証拠から導ける答えは無限にある

 科学とは考え方です。それは幾つかの仮説の中からあるものを選択して、さらに検討する動作であると考えることができるでしょう。

 具体的に考えてみましょう。幾つかの証拠、つまり限られた有限の知識から考えうる仮説の数はどのくらいあるでしょうか?。この質問を以下のような例え話で考えてみましょう。ここにバラバラにされた写真の断片があります↓。

 

 これをどうつなげたらよいのでしょうか?。写真に残っている風景を手がかりに考えてみましょう。例えば写真のピースを以下のようにつなげるやりかたがあります。

 

 ここで描かれた青い線は、このように風景がつながっていたはずだという架空、あるいは仮説的な風景であると考えて下さい。なるほど、すっきりつながりました。しかし、次のようにつなげるやりかたもあるでしょう。

  

 さらに、こんな配置もありえます。

 

 この場合、失われた部分にわらしちゃんが写っていたことになっていますが、これでもかまいません。わらしちゃんの代わりに家があってもいいし、大きな樹があってもかまいません。

 他にもつなげかたがあるはずです。実際、ピースの組み立てかたは幾つあるでしょうか?。ちょっと考えれば分かりますが、組み合わせは無限にあります。さて、写真のピースを、

 ”手持ちの証拠”

と考えて下さい。そう考えた場合、復元できる写真の組み合わせはとは何でしょうか?。

 おそらくそれは、

 ”証拠から導き出せる仮説”

です。

 今、写真の組み立て方は無限にあるといったわけですが、そのことからすると有限の証拠から導き出せる仮説の数は無限であるということになります。つまり、

 ”幾つかの知識から仮説が無限に出てくる”

ということなのです。

 

 :仮説をチョイスするのはいいけれど

 しかし、あなたの手持ちの科学論文を読んでみましょう(学術雑誌に掲載されたやつですよ、もちろん)。それらの論文に、

”結果が無限に出てきました^^)、すげー”

なんて書いているでしょうか?。書いていませんよね。実際、そんなものは論文ではありません。たしかにマスコミやサイエンスライターはしばしば複数の仮説を同列にただ網羅、紹介して読者を煙にまいてそれでよしとしますが、彼らは科学者ではありません。そして少なくとも良く訓練された科学者はそんなことをしません。

 科学者は無限の仮説の中からあるものをなんらかの基準でチョイスしているのです。このことは、科学者は情報を収集しているだけではないし、情報の収集だけでは論文なんて書けないということを示しているようです。ではどういう基準で科学者は仮説をチョイスしているのでしょうか?。

 こういう質問をすると、人によっては矛盾のない論理的な仮説を・・・、と答えるかもしれません。

 しかしそうでしょうか?。

 確かにそれが必要な条件であることは確かです。矛盾がある文章なんて文章ではありません。少なくとも正確な文章ではない。

 では、次ぎのことは正しいでしょうか?。

 科学とは論理的で矛盾がないことである

 これは明らかに不十分な考えであるように思えます。なぜか?。今度はそれを考えてみましょう。

 

 論理的ではまだまだ十分ではないへ進む→

 科学のコンテンツに戻る→