ニネヴェ図書館の科学史漫画その3余談

ピタゴラスのベンチャー企業あるいは新興宗教

 三平方の定理を発見したのはピタゴラス。これゆえにピタゴラスの定理と呼ぶ。この広く信じられた歴史と俗説は事実ではない。考古学が明らかにしたのはピタゴラスよりも1000年以上前、メソポタミアの人々がすでに三平方の定理を使っていたという事実であった。そして、資料を読むとピタゴラスがメソポタミアを訪れていた痕跡がかすかに残っている。

 

 

 三平方の定理は古代メソポタミアにおいて、紀元前18世紀、古バビロニア王国時代からすでに知られていた。哲学者列伝によるとピタゴラスは前540年に盛年(およそ40歳)であったという。ここからピタゴラスがメソポタミアへいったのは前560年ごろ、新バビロニア王国時代であることがわかる。

 哲学者列伝によるとピタゴラスはエジプトを訪問し、そこで数学を学んだことが強調されている。しかし、彼がエジプトで三平方の定理を知ったとは考えられない。エジプト出土の数学文書で重要なのはリンドパピルスだが、この数学文書には三平方の定理がない。さらには、この定理を用いないと成立しない問題や記述もない。つまりエジプトに三平方の定理はなかった。これゆえ、ピタゴラスがエジプトで三平方の定理を知ったとは思えないのである。

 しかし、次のような俗説が一般に広く信じられている。すなわち、エジプトでは洪水の後、5:4:3の結び目をつけた縄を用いて直角三角形を作り、それで直角を知り、畑の区画をしたと。

 この俗説は広く信じられているもので、これゆえにピタゴラスはエジプトで三平方の定理を学んだと信じる人も多い。だがこの俗説は根拠のないもので、19世紀の歴史家カントール(Moritz Cantor)が述べた空想であった。こうした根拠なき空想話が引用され続けていることには古くから批判がある。例えば数学史家アーボーはその著書「古代の数学」河出書房 1971 pp55 で、この空想は80年ほど前に考え出されたことでなんら根拠もない仮説であるという主旨の論評を行っている。しかし、アーボーの批判から50年が過ぎた現在に至るまで、この俗説が正されることはなかった。

 反対にエジプトに三平方の定理がなかったことを頭に入れると見えてくるものがある。ピタゴラスよりも前のギリシャ人哲学者タレス(生年は第39オリンピックの第一年、前624年とされる)はエジプトを訪れて学んだ。哲学者列伝に残る彼の旅路はエジプトだけで、メソポタミアに行ったとは書かれていない。そして確かに、タレスによる”数学の業績”は、あくまでもエジプトの数学文書リンドパピルスの範疇なのである。つまりタレスの業績は彼自身の発見ではなかったし、重要なことに、タレスは三平方の定理を”発見”していない。このことは三平方の定理がエジプトになかった事実を裏付けるものだろう。

 *なお、タレスの数学業績とされるものには直角三角形を円に内接させる(直径を辺として円に内接する三角形は直角三角)がある。こうした幾何学的知識はエジプトらしからぬものだが、タレスの幾何学的な業績には議論の余地があるので(例えば「ギリシア数学史」ヒース 共立出版を参考)、ここでは考慮しない。

 一方、ピタゴラスはエジプトに学んだことが強調されてこそいるものの、メソポタミアを訪れたことも哲学者列伝には書かれている。そのピタゴラスがエジプトにはなかった三平方を持ち帰っていることからすると、やはりピタゴラスはメソポタミアで三平方や、他の多くを学んだことがうかがえよう。

 しかしピタゴラスはメソポタミアのすぐれた算術を持ち帰らなかった。三平方の定理も、その実用的な使い道には興味を持たなかった。彼がしたのは数学というギリシャにはなかった知識で皆を幻惑してセミナーを作るという行為であった。彼は新興宗教の教祖であったし、あるいは、今風に言うとベンチャー企業の創始者であったとも言える。結果から言えば、彼は同じようなことをした前任者タレスと差別化を図るために、エジプトのみならず、タレスが訪れなかったメソポタミアにまで足を伸ばした。そして持ち帰ったのが三平方の定理だった。そういうことだったように思われる。

 ピタゴラスが作ったセミナーというかインチキ新興宗教で最も不可解な部分。そら豆を避けよ、この奇妙な戒律が一体何に由来するのかは、今一つわからない。現代人や作家、著作家は、彼が豆アレルギーだったからとか、そら豆中毒を忌避したからと理由をつけるが、これらはいずれも怪しい。まず根拠がないし、文献証拠もない。アリストテレスもこの戒律に困惑していることを踏まえると、同じギリシャ人にも理解できない奇妙な決まり事であったようだ。

 そら豆を避けよ。歴史家が好む説明は、エジプトの坊さんの戒律をピタゴラスが採用した、というものである。エジプトの司祭が豆を避けることはヘロドトスの歴史に記述がある。ヘロドトスの記述がどこまで正しいのかはいつも議論されることだが、この漫画ではとりあえずこの解釈を採用している。

 なおピタゴラスは”万物の始原は一(モナス)である”と主張したが、こうした主張も実のところメソポタミアからヒントを得たという見解がある(「バビロニアの数学」室井 東京大学出版会 pp47)。それだけではない。ピタゴラスは白い服を着て、質素な食事をした。これはペルシャのマゴス僧を思わせる。かようにピタゴラスはほとんど全部ぱくりのような人であった。

 だがぱくりだらけのピタゴラスにも特有のものがある。数から世界ができるという信念。これは非常に独特なもので、他の文化圏では見られないものだった。そしてこの異様でいかれた信念こそが西洋文明を規定し、科学を規定し、さらには世界をも規定するに至った。つまるところ、歴史時代における人類に最も影響を与えた人物はピタゴラス、このいかれた田舎のおっさんであったとも言えよう。以後、人類はこの詐欺師に思考を縛られることとなった。

 

 参考文献

 ギリシャ哲学者列伝 ディオゲネス・ラエルティオス 岩波文庫

 歴史 ヘロドトス 岩波文庫

 ギリシャ数学史 T.L.ヒース 共立出版

 古代の数学 A.アーボー 河出書房新社

 バビロニアの数学 室井 東京大学出版会

 

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