ニネヴェ図書館の科学史漫画その4

アリスタルコスの三角関数

 ピタゴラスから始まるギリシャ数学は幾何学偏重算術軽視であった。こうした傾向はポリス時代(前8〜4世紀)の終焉とともに変わり始める。ピタゴラスと同じくサモスの出身であったアリスタルコス(前301〜230年ごろとされる)は、月と地球、地球と太陽のそれぞれの距離の比率を求めようとした。なるほど、彼は証明においては幾何学を用いた。しかし具体的な比率については計算を行ったのである。これはピタゴラスとまるで違うところで、そして彼の目論見は、初期の三角関数であった。

 

 

 アリスタルコスは半月の時、地球と月、太陽が直角三角形を作ると考えた。そして彼が計測して得た数値は、その直角三角形の角度は3度であるというものだった。実際の角度は1度の6分の1(10分)程度で、アリスタルコスの観測は結果的に間違っていたが、彼の幾何証明と計算は正しかった。3度の直角三角形の辺の比率は18:1以上で20:1以下である。彼はこのように結論づけた。そしてアリスタルコスのこの試みが三角関数の始まりとなった。3度の比の正確な値が算出され、三角関数が完成するのは400年後の紀元2世紀のことである。

 実のところ三角関数は古代メソポタミアにもあったらしい(前18〜16世紀、古バビロニア王国時代の粘土板文書 Plimpton322)。しかしギリシャ人はこの数学を受け継がなかったようである。古代メソポタミアの三角関数と、アリスタルコスから始まり現在に至る三角関数は別起源。

 世界は数で出来ていると考えたピタゴラスは、しかし算術を軽視して、図形で考えた。こうしてギリシャ人は図形で宇宙を考えるようになったし、この発想が円軌道の重なりで宇宙と惑星を理解する端緒になった。図形で宇宙を考える。こうした発想は他の文化圏では生まれなかったようだし、メソポタミアにも存在しなかった。時折、古代メソポタミアの人々も重なる天球で宇宙と惑星を考えたと言われる。しかしこれはどうも勘違いが由来のようである。

 古代メソポタミアの人々は、天地は怪物ティアマトの体から作られたと考え、大地は地上と地下水の世界と冥府の三層より成ると考えた。そして天も二層、あるいは三層と考えた。この考えを楔形文字から見た近代の研究者は、重なり合う天をギリシャの天球に該当すると見なした。これが勘違いの由来であるらしい(古代の宇宙論 ブラッカーとローウェ pp60参考)。実際のところ、メソポタミアの世界観において天とは、平らな天井が三層構造になっているもので、天球ではなかった。

 つまり図形で宇宙を考える。円の組み合わせで惑星軌道を考える。これはギリシャのオリジナルであった。そしてこの発想が現在の天文学に至るわけで、要するに、天文学の根本はピタゴラスのインチキセミナーが由来。

 

 参考文献

 世界の名著9 ギリシャの科学 アリスタルコス 太陽と月の大きさと距離について

 ギリシャ数学史 T.L.ヒース 共立出版

 古代の宇宙論 C.ブラッカー M.ローウェ 海鳴社

 

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