妖精分類計画 存在するのかしないのか私が見たことがないものに 私はいかに名前を与え そして 分類・体系化するのか
人間は様々なものに名前を与えます。例えばこの文章を書いている私には、北村雄一という名前が与えられています。人間も名前ですね。人間とは生物のある集団につけられた名前です。そしてまたその集団とは、ある祖先から進化したすべての子孫のことたちのことです。
そしてまた生物とはある特徴を持った化合物の集合です。地球の歴史のある時、自分で自分の複製をつくるという能力をもった化合物ができました。生物とは、この化合物と、その複製の子孫、何百億、何兆、あるいは何百兆回もくり返された複製の産物すべてのことをいいます。
名前とは便利なものです。人間という名前、生物という名前、肩書きがなければ私は自分の正体を簡単には説明できないでしょう。もっとも、北村が人間であると言う時、それはあることは説明していますが、私のすべてを説明しているわけでもまたありません。
名前は実体のないものや、存在しないものにさえつけられることがあります。例えば一般に使われる魚類という言葉は生物のある集合につけられた名前なのですが、魚類というものは自然には存在しません。
生物のグループとは生物の間に存在する類縁関係に与えられた呼び名ですが、私達が魚類と呼ぶ生物の集合は、生物の間にある類縁関係とは一致しません。魚類という言葉を聞くと、誰でも、
「ああ、あの生き物たちのことね」
と会話が成り立ちますが、実はそんな集合は自然界にはないのです。
ようするに私達は自然界に存在しないものでも認識して、そして名前と呼び名を与えることができるのです。私達はありもしないものも認識できる。それに名前を与え議論することもできる。では、私達が普段使っている言葉とはいったい何をあらわしているのでしょう?。それは存在するものに与えられた名前なのでしょうか?。
妖精の世界 さて、このコンテンツでは妖精を分類して名前をつけるという試みを通して、名前とは何か?、存在とは何か?、名前をつけるとは何か?、分類とは何なのか?、それを考えることにあります。とはいうものの、本当は単純に妖精さんの絵を北村が描きたいだけなんですけどね^^)。
さて、民話や各地の妖精の伝承を集め、それに基づいて絵を描くのもいいのですが、それは別のコンテンツにゆずりましょう。ここではある人が見たという妖精を描き、分類し、名前をつけることを試みます。
北村のHP、hilihiliでは心霊をしばしば見るという真世さんとリンクしていますが、彼女は昔、妖精を、それも何種類か見たことがあるのだそうです。この何種類かというのは非常に重要なことですね。ようするに真世さんは幾つかに分類できる集合を見たということです。
そこで、このコンテンツではまずは真世さんの目撃談に基づいて妖精さんの特徴を記述し、イラストを描き、名前をつけ、分類することを試みます。
さて、2003.06.12 の第1段は真世さんが見たという羽を持たない妖精さんです。ただ、このイラストは暫定アップ版。今後、妖精さんの外見をつめていきたいと思います。
ちなみに、北村の主旨はこういうことですね。科学を好きな人の中には、妖精さんとか心霊を物理的に存在しないと言ったり、科学的にありえないって言う人がいるみたいですが、それはあまり感心しない物言いですね(なんで感心できないかは、まあ、考えれば分かりますわなあ)。
それよりなにより、そういう人たちが意外と大真面目にサイエンスライターだのSFだのと言ったもっと得体の知れない”名前”やら”概念”を議論するのはどうしたことでしょうか?。そんなことをするよりはねえ、あなた・・・・・・・・・・・。