マリウポリの市街戦

Urban warfare Battle of Mariupol

 

 マリウポリの市街戦

 2022年2月24日、ロシア軍はウクライナへ侵攻。露軍は全長1800kmに及ぶ南北東の三方向からウクライナ国内へ侵入。首都キエフの包囲を目指す一方で、南部、クリミア半島からも部隊が北上。ドニエプル河口にあるヘルソンを制圧。さらに一部部隊は半島から東へ進み、3月中頃、港町マリウポリ(Mariupol)に到達。東部国境から西進してきた部隊と共に、ロシア軍はマリウポリを包囲。以後、激しい市街戦が始まる。

 市街戦の舞台となったマリウポリは台地の上にあり、流れる二つの川によって三つの地域、西岸、東岸、北部に分けられている。地形の特徴を強調して地図を示すと以下のようになる。

 

 マリウポリは海岸の海抜0から比高差60mあまりの台地で、周囲を川に削られて、かなり急な斜面に囲まれている。さらに雨風によって侵食された谷もある。高低差のある地形は人間や機械の行動を絶対的に制限し、壁として機能する。地形を見ないと人間の行動は理解できない。そのため、行動に制限を加える河川敷や侵食谷は青や緑で強調してある。

 マリウポリの中心街は西岸にある。西から見た場合、大通りが東西を貫いており、途中で広場に到達する。この広場中央に、後に露軍の爆撃で有名となる劇場があり、市役所もこの近くにある。つまりここが町の中心。大通りはそこから奇妙に曲がった道筋を経て橋を通り、東岸へ入る。

 マリウポリ本来の仮想敵はNATO軍であったはずで、当然、NATO軍は西から攻め込んでくる。町の西方には集合住宅がブロック状に集まった街区があり、敵を迎え撃つ陣地として設計されたことがうかがえる。このように壁として機能しうる集合住宅は、以上の地図では紫で示している。

 西岸において壁として機能しうる集合住宅は斜め左下(南西)に伸びているが、これらの住宅が守るのは台地の最高点であった。TV塔もここにある。こうした集合住宅の配置は、守備隊が台地を陣地として立てこもることを想定した作りに見える。事実、ここを守備するウ軍は最終的に弾薬不足で陣地を放棄、東部の製鉄所に後退することになるのだが、その時まで露軍はこの台地最高点を確保できなかった。マリウポリの構造は非常によく考えられている。

 町を貫く大通りが奇妙に曲がっているのも部隊の移動をさまたげる効果があるように思われる。周辺の住宅街の道も微妙にずれたり屈折しているが、これは日本の城下町で見られる特異な道路配置、つまり敵軍の移動を妨害する意図がある構造とよく似ている。

 このように西方から来る仮想敵を想定されて作られた都市マリウポリ。しかし露軍は東西両面から侵攻してきた。これは防衛側にとって予想外であったらしい。

 

 3月9日、ロシア軍が産科病院を空爆。死傷者多数。シリア内戦などで覚えた攻撃手段。子供や妊婦のいる場所を意図的に狙って恐怖を与え、市民の抵抗心をそごうという戦術を使用。

 

 3月16日、ロシア軍が避難民がいる劇場を空爆。確認できるだけでも300名あまりの死者が出る。子供がいると書かれた場所をわざわざ攻撃していることから、産科病院の空爆と同様、シリア内戦などで覚えた恐怖戦術を用いたことがわかる。

 

 3月27日、ロシア軍のT-72戦車が市街地を砲撃する動画が投稿される。場所は西岸市街地の北で、台地を縁取る河川敷をのぞむ住宅街。道路の形や周辺の家屋の形、配置から場所(geolocation)の同定は理解しやすい。

 

 

 T-72はここから対岸の北部市街地を砲撃しており、砲弾の薬莢が何十個も散乱している。遠くの市街地を狙っていること。距離がある以上、わずかな射線のずれで着弾が大きくずれること。実際、動画を見るに固定の目標を狙っていないらしいこと。以上を踏まえると、これは市街地への無座別砲撃。

 

 3月31日、T-72戦車による住居への、近距離砲撃が投稿された。

 

 動画を見ると露軍戦車は一度撃って、その後に後退する。この戦い方は後に、他の投降画像でもよく見るものになった。もともとはチェチェン紛争やシリア内戦で編み出したやりかただという。

 T-72が砲撃するこの場所はマリウポリの東岸(east side of Mariupol)で、Pashkovskoho 通りという場所。街路樹に隠れて見えないが、戦車の前方少し先には、Kvityという花屋がある(今は真っ黒焦げになっている)。周囲は三角屋根で長方形、二階建て、三階建ての建物が並ぶ。こういう建物はマリウポリの東岸市街地でよく見る。そこまではわかるのだが、自分には動画の撮影場所がどこだか分からなかった。調べてみるとTwitter上でMapperKurmmという人が場所を同定していた。この人は非常にすぐれていて、難しい場所をいくつも特定している。事実、この人の同定に基づいてみると、周囲の建物の特徴や配置が、動画と一致する。

 

 3月31日投稿の動画には通りを多分、BMPで走る抜けるものがある。

 

 これは自分でも場所がわかった。先の動画と同様、Pashkovskohp通りで、先の場所から東へ走り抜けている。マリウポリには連続した google view がないが、いくつか、周囲を見渡せる場所がある。この露兵たちはたまたまその場所を走り抜けていて、見覚えのある建物が背景を流れていく。露兵たちが頭を出して移動していることから、この場所は危険がないということがわかる。言い換えると、ここからほんの少し東へ、その方向にはウクライナ軍守備隊最大の拠点、アゾフスタル製鉄所(Azovstal)があるのだが、その方向へ数百m移動すると、そこはもうウ軍との戦闘地帯。

 

 マリウポリの市街戦において、3月末は大きな進展があった時期であった。市街地西に突入した露軍は25日、市役所を制圧。27日。戦闘に参加していたチェチェンのカディロフ部隊(Kadyrov's)が市役所にいる動画をアップ。28日はドネツク部隊(DPR)が北部市街地で政府関係の建物にドネツクの旗をかかげた。ただしこの建物、税務署であるらしく、税務署にドネツクの旗をかかげてマリウポリ市政制圧の風を装うのは、いささか誇大広告である。

 以上を踏まえて3月31日におけるマリウポリ市街地の戦況はおよそ以下のようになると思われた。

 

 

 3月29日投稿の動画では、チェチェンのカディロフ首長が作戦を指揮する露軍モルドヴィチェフ中将と会って状況説明を受けている。この際、動画には地図が映っていて、ここからロシア軍が制圧した地域がわかる。それをオレンジで塗りつぶすと以上のようになる。露軍の動画もおおむね、この制圧地域に一致するので、これは正しい解釈だろう。さらに29日に得られた衛星画像(satellite image)と、その戦火分布からすると、露軍は町の西岸で、壁になる集合住宅群にとりつき、あるいは大通り沿いに東へ進み、台地から河口へ降りようとしていることが見て取れる。

 一方で、東岸では制圧したはずの地域で戦闘が行われていた。市街戦において前進は制圧を意味していなかった。拠点がある限り、ウ軍は制圧地域に入って攻撃をしかけてくる。

 備考:3月29日の動画でカディロフ首長と会議する露軍司令官モルドヴィチェフ中将(Andrey Mordvichev)。この人は3月19日に戦死の報道が出ていた。亡くなったはずの中将が動画に登場するので撮影日がかなり前ではないかと疑う意見もある。一方で、動画に写る地図は3月25日の市役所制圧を示唆しており、混乱的。モルドヴィチェフ中将戦死の報は誤報であったのかもしれない。ちなみに今回の戦争では露軍の将軍、将官が次々に戦死したが、誤報の可能性があるのはこのモルドヴィチェフ中将のみ。露軍の甚大な人的損失は事実。また、仮にモルドヴィチェフ中将が生存していたとしても、彼の続報は現状無い。

 付記:モルドヴィチェフ中将は第8諸兵科連合軍(8th Guards Combined Arms Army)の司令官で、ウクライナのミサイルで戦死したとされる。中将の生死には以上のように不明瞭な部分があるが、同部隊の副司令官フロロフ少将の戦死は確認されている。4月16日に、知事参加によるサンクトペテルブルクにおける葬儀で公式に発表された。

 

マリウポリの市街戦 2022年4月=>