マリウポリの市街戦

Urban waefare Battle of Mariupol

 

マリウポリの市街戦 4月1日から

 

 4月2日の動画。露軍戦車T-72が集合住宅を砲撃するというもの。場所はマリウポリ東岸(east side of Mariupol)の南、海岸近く。

 

 砲撃先に応戦の火は見えず、ウ軍の存在は私たちには確認できない。そして、露軍戦闘車両は市街戦でしばしば取る行動、撃って、後退する、その行動を示していない。この戦車は砲撃で集合住宅を解体し、ウ軍の隠れ場所を破壊しているように見える。破壊するとは、ここにウ軍が現れた証拠。この場所は露軍がすでに制圧した領域であり、3月27日にはカディロフ部隊(Kadyrov's)が旗をかかげて歩いた場所であった。

 

 カディロフ部隊はしばしばTikTok軍隊(TikTok army)と揶揄される。彼らはTikTokに盛んに動画投稿して勇しさをアピールする。しかし動画に写る”戦闘”はしばしば本物の戦闘に見えない。例えばこの動画も銃撃を途端にやめて、彼らの主人であるカディロフ首長の肖像が描かれた旗を持って歩き出す。それは激しい戦地に見えて、実はここが安全である証拠でもあった。こうしたことがあるから、カディロフ部隊はTikTok軍隊と揶揄される(*一応付記すると、彼らの動画には激しい銃撃戦や負傷した仲間を助け出すものもある。だから彼らの動画のすべてが嘘や誇張、八百長ではない)。

 しかし、3月27日にカディロフ部隊が旗を持って練り歩いていたその場所は、4月2日、T-72が砲撃する戦地に戻っていた。

 

 カディロフ部隊が歩いていたのはマリウポリ東岸市街地を南北に貫く大通り。その南端であり、Morskyi Bivdと表記された東西の通りと交差する。通りの交差点でもあるこの場所は広場になっていて、そのまま階段で海岸へ降りることもできる。T-72が砲撃するのは、ここから少し住宅街に入ったところ。

 市街戦は”制圧”すれば終わり、というものではなかった。ウ軍は拠点がある限り、そこから出て、ロシア軍の背後にまで現れて戦いをしかけてくる。このため、東岸の露軍は一度制圧したはずの地域を、もう一度制圧し直す行動をしていくことになる。

 

 4月4日に出てきた動画。メディア投稿のもので、東岸市街地に広がる戦火を南からみている。

 

 望遠レンズで撮影されているから建物の遠近がつかみにくいが、どうも東岸市街地の南端にある高層建築から撮影されたものらしい。この建物はレンガ作りで、ちょっと奇妙な形で他より高く聳え立つ、二つの建物からなる。4月4日前後のロシアメディアの画像には、この建物から周囲を伺うものがある。だから、ここから撮影されたのはほぼ間違いない。画面手前に特徴のない小さな箱状の構造物が見えるが、これも手がかりになる。二つの高層建築の北側には、集合住宅が壁のように並んでいる。画面手前の箱状構造は、この集合住宅の屋上の、箱状突起物のひとつに思われる。他にこういうものは見当たらないし、この構造が見える視線を考えると、撮影者の位置がより正確に特定できる。

 以上を踏まえて画面に写った建物の特定と、そこからわかる戦火の分布を示すと、次のようになる。

 

 煙が盛んに上がっているところは、町の東西を走る、Peremohy通りであるらしい。さらにその南の住宅街でも煙が上がっている。なお、攻撃されているPeremohy通りは、3月31日にT-72が住宅街を砲撃していたPashkovs koho通りのひとつ南にある。二つの通りは170mほど離れているので、ロシア軍はこの4日間の間に1街区、170mを移動したと解釈できる。つまり1日に40mだが、この速度、これから先に出てくるマリウポリ市街戦における露軍の移動速度30m/dayとほぼ等しい。

 

 4月5日に出てきたカディロフ部隊(Kadyrov's)の動画。これは市街戦を行うカディロフ部隊の一人が、対戦車ロケットを打ち込んだ後、踊って決めポーズを取るというもの。

 

動画は周辺180度を撮影しており、動画をつなげて見えてきた周囲の様子が以下。

 

 集合住宅が中庭を囲んでおり、そこを遮蔽物と陣地にしてカディロフ部隊が戦っている。個々の集合住宅は2階建てで、形は長方形か正方形。屋根は平らではなく三角屋根。こうした建築物は例えば東岸の市街地、やや北部で見られる(*東岸南方ではもっと高層の集合住宅が配置されている)。画面では集合住宅が方形に並び、さらに奥の住居は横幅がなく、形がむしろ正方形であるようだ。こういう建物の配置と組み合わせはかなり珍しく、該当するのはこの場所だと思われた。

 

 左の建物に突出した三角屋根構造があること。奥側左手にも、似た構造があること。右奥の建物が凹状に見えること。撮影者の右方向に小さな張り出しがあること。建物の左右が舗装されておらず、土が剥き出しであること。これらの特徴が一致する。画像の解像度が悪いので解釈には怪しさが残る。しかし、自分の見る限り、撮影場所はやはりここだと思われた。

 だが、撮影場所がここだとすると、これは意外であった。なぜなら以下で示すように、ここは露軍の制圧地の真っ只中だったからである。

 

 この画像を作って位置を突き止めた4月5日の時点では、ウ軍が制圧地の奥まで浸透してくると自分は思っていなかった。だからこれは私には奇妙に思えたし、さらに言うとカディロフ部隊の攻撃方向も妙なのである。自分の位置同定(geolocation)が正しいとすると、彼らは東の方向、つまり露軍制圧地の奥側へ攻撃していることになる。

 このことをtwitterでつぶやいたところ、vijay ninel という人から次のような反応があった。

Good analysis,I think the Chechen fighters were just making this video for fun and there was not any real fighting going on. This would explain why they are deep inside Russian lines.

 良い分析です。思うにチェチェン兵はこの動画を視聴者向けに作っているのであって、実際の戦闘であるわけではないのでしょう、こう考えるとなぜ彼らがロシア軍前衛の奥にいるのか説明できます。

 この説明は私も正しいと思う。少なくともカディロフ部隊の動画を鵜呑みにするのは危険だ。なぜなら彼らはTikTok armyだから。しかし後から気づいたのだが、実はこの場所、4月4日の報道で戦塵が上がっている場所だった。

 

 以上から考えると、この場所でカディロフ部隊が戦うこと、カディロフ部隊が自軍の奥方向、東に向かって攻撃すること。これらの奇妙な動作が整合性を持ち始める。だから、vijay ninel のreplay には次のように答えるのが妥当だと思う。

 Yes, I think so. because Kadyrov's are TikTok army. But, I found that Kadyrov's April 5 battle field and April 4 burned area are the same. So, There is a possibility that Kadyrov's April 5 battle is truth

 これは嘘動画では? という解釈には同意します。カディロフ部隊はTikTok軍隊ですから。しかし、4月5日のカディロフ隊の戦場と、4月4日の戦塵が同じであることを見つけました。ですから、カディロフ隊の4月5日の戦いは本物かもしれません。

 *付記すると、それでもなお、カディロフ隊の動画を疑う証拠もある。彼らが撃っている方向には隣の街区の建物があって、その距離は20m程度。銃撃戦をするにはあまりに近距離。この事実は嘘動画仮説をむしろ支持するように思われる。

 

 ともあれ、以下のことは言える。市街戦において制圧は制圧を意味しない。本拠地が残っている限り、ウ軍は出張って来て、露軍制圧地の奥へと進み、場合によっては露軍の背後から攻撃してくる。これが市街戦であった。

 

 *2022年5月15日における付記:マリウポリの制圧に露軍は1万を投入したとも言われる。1万の軍勢というと大軍に聞こえるが。これを例えば20人に分けると500の部隊が出来る。500の平方根はほぼ22であるから、500の部隊を均等に100mずつ配置すると一辺が2.2kmの正方形になる。広い領域には違いないが、マリウポリは東岸市街地だけで南北3km、東西5kmの広さがある。もちろん、部隊を前も奥も均等に置く必要はない。前線で密にすれば良い、しかし、4月前半の時点でウ軍がいる領域の前線は総延長40kmぐらいになっていた。露軍1万の大部隊も配置すればかなりスカスカになるはず。つまり、ウ軍は露軍部隊の間を抜けて移動することが可能であろうし、実際、そういう行動が4月以降、動画から観察されていくことになる。このコンテンツの文章は動画投稿時の感想に基づいている。つまりカディロフ部隊が動画を投稿した時、4月5日当時の自分には違和感があった。だから以上のような解説文になった。しかし5月から振り返ると、カディロフ隊の奇妙な攻撃方向。それはウ軍が露軍制圧地域のあちこちで戦闘を開始した、その証拠であったと解釈できるだろう。

 

 以上と同じく4月5日、露軍側から出て来た動画。マリウポリで大量のウクライナ兵が投稿したという触れ込みから抜粋。

 

 手を上げて降伏の姿勢を示す兵士が次々に歩いてくる。しかし彼らが歩く道は剥き出しの黒土。これは奇妙。マリウポリは巨大な製鉄所がある工業都市で、市街地は当然アスファルト舗装。周辺の市街地もgoogleで見るかぎり、道路はアスファルト舗装か、あるいはマカダム舗装(Macadam pavement)と思われるものであった。マカダム舗装は砂利をローラーで圧縮したもので、マリウポリの場合、その石質は白。いくつかのgoogle view からすると白い外来の土砂を盛土して固めているように見える。あるいはコンクリートのようにも漆喰やモルタルのようにも見える舗装もあったが、それも白。あるいは舗装がない土が剥き出しの道路も、その土質は明るい灰色。動画のようなチョコレート色の黒土が見当たらない。

 そもそもこの時、マリウポリの守備隊が立てこもっていたのは西部の市街地、北部のイリイチ製鉄所とその周辺。そして東部のアゾフスタル製鉄所と周辺市街地であった。つまり土が剥き出しの道路はちょっと考えにくい市街地や工業地域ばかり。さらに影の長さからすると時刻は夕方のように見え、影の向きから考えるとこの人たちは南へ向かって歩いていることになる。マリウポリが南を海に面した港湾都市であることを考えると、これも非常におかしな状態であった。南へ歩けば歩くほど市街地へ近づき、背景はより工業化が進んだものになるはずではないのか? 

 以上は舗装や土質、時刻、方角に関する違和感だが、軍事的な違和感を指摘する声もtwitter上に存在した。例えば胸のポケットに手榴弾をもったままの人物がいる。武装解除されるはずの捕虜が中身のつまったバッグを身につけている。1ヶ月も戦ったにしては髭が伸びていない、服がきれいすぎる。軍靴ではない白い運動靴を履いている人物がいる、などなど。要するにこの”降伏動画”は嘘とみなして良い。

 これ以後、露軍は、マリウポリでウ軍守備隊が降伏したという宣伝を幾度もすることになる。少なくとも一件、守備隊の1グループが降伏した確かな例がある。しかしその他のウ軍降伏報道は裏が取れないか、あるいはあからさまな嘘やホラ話であった。以上の降伏動画もそうした嘘報道のひとつであり、そして最初のものであった。

 

 次はこれもまた4月5日の動画。画像をつなげてパノラマにしたもの。

 

 右手に大通りがあり、この大通りと並行して小さな通りが画面左奥にある。そこから露兵がこちらへ走り寄り、そして大通りを駆け抜けていく。右手には警戒にあたるであろう兵士が立っている。ただし兵士は若く未熟であるようで、かなり無警戒で、突っ立っているだけのようだ。マリウポリの市街戦は、その動画投稿の多くが東岸からで、しかも大通りに通りが並行するというかなり特徴的な街区。すぐわかりそうなものだが、探しても見つからない。困って調べたらtwitter上でMapperkrummが位置を同定していた。以上はMapperKrummの同定を参考に画像と衛星画像の一致を根拠づけたもの。

 そして見てば分かるように、これはふたつの通りが並行しているのではなく、Volodymyrska という大通りに隣接する街区から撮影された映像であった。旧ソ連邦の街区はおそらくは市街戦を想定して、集合住宅などが方形に配置される。方形配置なので必然、街区の内側は中庭や移動経路として使われる。結果的にそれが”二つの通りが並行して走っている”と思わせる見た目になっていた。考えてみれば確かにおかしいのである。もしこれが”二つの通りが並行している”構造であったのなら、二つの通りは住宅一軒分の間隔しかないことになる。そんな道路配置は不自然極まりない。

 人間は物事を理解する時、これはこうだろう、そういう先入観。あるいは作業仮説を通してまずは理解する。そうしないとそもそも理解という作業を進めることができない。だからそうするのだが、先入観や最初の作業仮説が間違っているとあらぬ方向へ理解が飛ぶ。これも同様で、二つの通りが並行しているのだろう、という思い込みが探索を失敗させていた。画像から位置を探る時、失敗したら最初の先入観を変える必要がある。これは遭難者を探すようなものだ。こんなところにいくはずがない。こんなところへ登るはずがない。そういう先入観で探索から除外した場所。そこにこそ相手はいるし、だから見つからないのである。

 

 次は4月8日の動画から。こちらも大通りを露兵が駆け抜けていくというもの。

 

 こちらの撮影場所は自分でもわかった。道路には路面電車のレールがあり、さらに画像に写っている建物はレストランで、店舗情報をgoogleに上げていたので。露兵はTravnyaアベニューという大通りを駆け抜けていく。そして実はこの4月8日動画の撮影場所。4月5日動画の延長線にあった。

 

 4月5日と8日の動画で、いずれも露兵は東から西へ駆け抜けている。移動方向は同一直線上にあって、距離は350mほど。動画に写っていない移動も含めればもっと長いのだろう。写っている兵士が概して若いことを考えると、新しく来た部隊のように思える(この時までマリウポリの動画に写る露兵は40ぐらいの熟練兵たちであった)。これら一連の動画は、新しくやって来た部隊が市街戦の最前線に向かう場面だったのかもしれない。マリウポリ東岸市街地における西方向への移動とは、ウ軍本陣であるアゾフスタル製鉄所へ向かう、ということなので。

 ところで二つの動画の時系列は正確にはわからない。5日の動画は空が晴れ気味で、影からすると時刻は正午を過ぎているように思える。一方、8日の動画はむしろ曇り気味。影がはっきりしないものの、それは西へまっすぐ伸びているように見える。つまりこちらの時刻は朝ではないだろうか? 二つの動画は同一の移動が別の日に投稿されたのではなく、同じ場所へ向かう別の部隊をそれぞれ撮影したように思える。

 さて、このように露兵がウ軍の本陣製鉄所へ向かおうとする一方、ウ軍ははるか後方にまで出て露軍を攻撃していた。以上の画像でも示した4月9日。屋根の上からウクライナ兵が露軍のBMPを対戦ロケット弾で撃破する動画が投稿されている。ウ軍は露軍の制圧地域の奥へも浸透して攻撃してくる。それが明瞭になった出来事であった。

 一方で、露軍の物資欠乏もこの時に明らかになった。以上に上げた5日と8日の動画。それを見ると明らかに民生品と思われるリュックを背負っている露兵が複数確認できる。

 

 使えるものはなんでも使え。合理的な行動だとも言えるし、露軍の補給に問題があることを示す証拠でもあった。

 4月に入ってマリウポリにおける露軍の前進は西岸の市中央で著しい。露軍は西岸において3月25日(画像が出たのは27日)、市役所を制圧した。衛星写真から見る3月29日、4月3日の戦火分布からすると、露軍は大通り沿いにそのまま東へ進み、さらに川沿いに沿って台地を降り始めたことがうかがえる。さらにロシア報道の取材箇所からすると、露軍は10日までに河口を占拠、さらに海岸沿いに今度は西へ進み、海沿いにあるマリウポリの駅にまで到達した。

 

 4月10日、ロシアの報道が河口に入る。ここから露軍が河口まで占拠したことが分かる。報道が入るのはかなり安全が確保された場所なので、10日の時点で前線はもっと先にあるはず。11日にはロシアの報道が河口からさらに数百メートル西に進み、そこからドローンの空撮動画を撮影投稿した。

 

 空撮動画は市街地を東西180度見渡しているが、ここでは西側のみ示す。画面右奥、海岸近くに黒焦げになったマリウポリ駅が見える。市街地ではいくつか火災が起こっており、このあたりが戦線らしい。

 煙上がる戦火からすると、戦線はマリウポリ駅の大通りにある。奥で大きく燃えて煙をあげるのは病院(Zdorov'ya hospital)。