Q:なぜツリー・オブ・ライフにこだわらなければいけないのでしょう?

 A:ツリー・オブ・ライフが生物の真のグループ、なまの自然、現実だからです。ツリー・オブ・ライフとは自然の姿です。もしあなたが恐竜を理解したいなら、骨を見て、そしてツリー・オブ・ライフを見て下さい。

 

 これを読んでいるあなたの好きな恐竜とはなんでしょうか?。博物館にいくといろいろな人を見ることができます。ある子供は恐竜図鑑を持っていて、骨と本を見くらべて考えています。ある子供は「こんな恐竜知ってるよ」って言いながら走っていってしまいます。そうかと思うとチーマー風の青年たちが「はー」っと眺めていたり、派手なお姉さんがホストのようなおしゃれな男性に「これすごくない?」と言っていたりします。

 あなたの好きな恐竜とはなんでしょう?。

イラストレーターの描いた想像図ですか?。本のなかの空想のドラゴンですか?。造形家の作った粘土やプラスチックのかたまりですか?。想像図や粘土やプラスチックは恐竜ではありません。

 想像図を描いたり、作ったりするなとはいいません。

 でもそれは人間の妄想や空想の産物です。

 あなたの好きな恐竜はなんですか?。

 イラストですかプラスチックですか?。それとも骨ですか?。

 ある研究者が北村にこんなことをいったことがあります。恐竜をやりたいといってくる学生がいる。まあ、それはよい。でも聞いてみると彼らの好きなものは”肉のついた皮をかむった、色のついた恐竜”なのだ。そしてこう言いました。北村くん、これはいったいどういうことなんだい?。

 そうですね。どういうことなんでしょうかこれ?。

 鳥を抜かすとすべての恐竜は骨になっています。一般的にいう恐竜とは骨なのです。骨から組み上げられたレプリカにもオリジナルの情報があります。これがあればツリー・オブ・ライフを作ることも、強度を推定してどのくらいの速さで走れるのか考えることもできます。

 もしあなたが”本当の恐竜”が好きだというのなら骨を見たりツリー・オブ・ライフを考えたり、分岐学を理解することをおすすめします。もちろん昔夢中になった想像図や造型物を持っていてもかまいませんよ。描いてもいいし、集めてもいいでしょう。それはそれ、趣味ですからね(北村もチョコエッグのカブトエビが欲しくてかるくですけど集めたことがあります。でもちっとも出ない。その代わりなんか分からん黒い肉食恐竜がでちまったので、ある人と交換しようという話になりました)。

 閑話休題

 しかし、趣味と現実をこんがらがらせてはいけません。

 趣味と現実をこんがらがらしてしまう人のなかにはツリー・オブ・ライフが大嫌いな人もいます。頭のなかで考えたグループとツリー・オブ・ライフが一致しないからです。一致しないのは悪いことではありません。私達の脳はもともとそのようにできています。

 でも、もしあなたが鳥は恐竜には思えない。だから別にするべきだといった場合。それは自然の樹ツリー・オブ・ライフを切ってなにか別のものに加工しているのです。つまりツリー・オブ・ライフをアレンジして生け花にしているのですね。これは現実世界を自分の夢で切り刻んで加工することです。これはもはや自然科学ではありません。生け花愛好会。つまり文化活動です。

 自然なツリー・オブ・ライフは異様な姿をしています。得体のしれない枝をのばしたり、みにくい部分があったり、無気味な姿をさらしたり、とんでもないところからとんでもない枝がのびたりします。でも、それが自然の姿なのです。そして、そこにこそ研究して解明すべき謎があるわけです。

 でも生け花には追求するべき謎はありません。あってもそれは心理学が扱う問題です。あなたは心理学者になりたいのでしょうか?。それとも恐竜学者になりたいのでしょうか?。生け花をしたいのでしょうか?。自然の樹をながめたいのでしょうか?。

 生け花はきれいな夢や妄想を作り上げる芸術活動かもしれませんが、それは自然科学ではありません。

 あなたの好きな恐竜とはなんですか?。自然なツリー・オブ・ライフですか?。それとも生け花でしょうか?。

 あなたの好きな恐竜とはなんですか?。骨ですか?。それともあなたの頭のなかにある妄想ですか?。

 あなたが見るものとはなんですか?。骨ですか?。それとも図鑑のイラストですか?。

 あなたの集めるものはなんですか?。物事を見きわめる考え方ですか?。それとも単なる知識ですか?。

 あなたが使うものはなんですか?。進化を再現する計算ですか?。それとも自分でも説明できない”何か”ですか?。

 あなたが語りたいことはなんですか?。どう考えるべきかですか?。それとも美学ですか?。

 あなたがすることはなんですか?。推測(すいそく)ですか?。それとも憶測(おくそく)ですか?。

 自然を観察する人はありのままにツリー・オブ・ライフを観察しなければいけません。生け花クラブをする必要なんてないのです^^)。

 私達はどうするべきでしょう?

 1:自然のツリー・オブ・ライフを受け入れ自然を研究したり楽しむ→研究者あるいはナチュラリストになる

 2:鳥は恐竜に見えないと生け花にこだわって美学を熱く語る→生け花同好会

 3:どうでもいいこっちゃと受けながし、恐竜の骨をながめたり、映画を見たりやわらかく生きる。恐竜は恐竜、鳥は鳥。鳥は恐竜から進化したのです。

 どうしますか?。

 

 次ぎの質問に→ 

 恐竜のQ&Aへ戻る→ 

 

 おまけ:

 生け花がいけないとはいいません。問題は生け花がツリー・オブ・ライフにひってきするものだと勘違いすることです。

 ツリー・オブ・ライフやそれを計算する分岐学を嫌う人は何人もいます。その人たちは頭のなかで生物のグループを作り上げてこれが正しいと主張します。なんで研究者はこれを認めないのか!!っとも叫びます。研究者は保守的だともいったりします。

 でも、先にいいましたね。人間が生物をグループにできるのはツリー・オブ・ライフがあるからであると。

 そして人間の頭のなかにはツリー・オブ・ライフを組み上げる計算方法などないと。

 ようするに今いった人たちはパズルを組み立てる計算方法をもたないままパズルを組み立てようとして、そして”なにか”を作っちゃったわけです。これまずいですよねえ?。

 未知の計算でできあがったものは何か?。自然なものか?。あらたな地平か?。それとも化け物か?。

 研究者は保守的だと叫ぶ人は自分達がどうやってグループを作ったのか説明できません。あるいは説明してもどうしてそれが正しい計算方法なのか説明できません。説明できるといった人がいたら聞いてみましょう。なぜ正しいのか?。それは何なのか?。

 私達は多くの場合、自分でも気がつかないうちに何かを仮定しています。なにかをふまえて何かを言っています。自分や相手のいうことが何を前提にしてなりたっているのか?。そしてその前提は正しいのか?。どうして正しいと言えるのか?。それを考えてみましょう。

 ちなみに分岐学では

 生物は進化する

 生物の特徴は遺伝する

 生物の特徴はツリー・オブ・ライフをつくる手がかりになる

 データーを計算してでた答えのうちもっとも仮定の少ないものを選ぶ

 仮定がすくなくてなりたつ答えは他の答えよりも確かであろう

 ぎゃくに仮定がたくさん必要な答えはいいわけがましい

 でも仮定がすくなくてすむ答えも正しいと決まったわけではない

 正しさは確かめないといけない

 確かめるには他のデーターをくわえることで確かめることができる

といったことを前提にしています。

 ↑例えばこれらの前提を疑うことをおすすめします。これらは確からしいですか?。確からしくないですか?。

  

 次ぎの質問に→ 

 恐竜のQ&Aへ戻る→