種の起源:

On The Origin of Species

By Means of Natural Selection

or The Preservation of Favoured Races in The Struggle for Life

 第1章:飼育栽培のもとでの変異

 この章は冒頭19ページ(岩波文庫版で)、以下のような意味の指摘ではじまります。

 飼育栽培されている動植物の変種や亜変種の個体は変異が大きく、その度合いは野生の種や変種の個体間の変異よりも大きい。つまり飼育栽培されている動植物は自然のものよりも変異が大きくなっている。

 このことは直感的に納得のいく指摘です。そしてダーウィンはこうした違いが起きる原因は飼育栽培の条件が一様でないことや飼育栽培という環境そのものが変異をうみだす原因ではないか?、とします。つまり変異が多くなっている原因は、以下の2つ

 1:飼育栽培の条件が多様である

 2:飼育栽培という環境そのものが変異をつくり出している

ということをダーウィンはいっているらしい。1番目は人為選択の話のようです。そして2つ目はむしろ獲得形質的ともとれるような話です。もちろんこれは、環境が生物の形に影響を与えてその変異が子孫に遺伝する、という意味で獲得形質っぽいといっているだけなので注意してください。別にラマルク的な、”高い場所の葉を食べようと首が少しのびた動物のこの特徴は子供に遺伝する”、という意味でいっているのではありません。

 さて、ダーウィンはここから2番目の原因について話を進めます。

 ダーウィンは飼育栽培という、自然とは異なる(異常な?)条件が生物の生殖系に影響を与えて、そのため飼育栽培動物や植物に変異が多く発生するのではないか?、と考えています。その証拠として飼育環境下で子供ができない動植物などを上げて、飼育という環境があきらかに生殖に影響をおよぼしていることを取り上げます。

 これ、たしかに直感的にはなんか納得できそうな話なのですが、面白いことに飼育栽培品種は野生のものよりも変異が増大しているという研究結果があるそうな(矢原 1999, 現代に生きるダーウィン 「現代によみがえるダーウィン」長谷川眞理子、三中信宏、矢原徹一 文一総合出版1999, を参考にして引用:Burt & Bell, 1987, Nature,326,803~805:北村は2004.09.26の時点でまだ読んでいませんけども、参考まで)。原因としては飼育環境の直接的な作用というよりも人間がそういう系統を選抜した結果と考えるのが妥当なのでしょうけど、現象としてはダーウィンのいう通りだということにもなりそうです。

 さらに飼育栽培条件と変異の具体的な例として、22ページから枝変わり植物が取り上げられます。枝変わり、これは1株の植物の”ある枝”だけが、身体の他の部分とは違う性質を持ったものになってしまうことです。ダーウィンの原文では Sporting plants 、辞書に載っている英語では枝変わり=Bud variation (あるいはBud mutation)。ちなみに「岩波生物学辞典」の第3版には”枝変わり”は載っていますが、4版では載っておりません。3版でも枝変わり=芽条突然変異で載っているだけで、説明は芽条突然変異の方に載っています。これは4版も同じ(ちなみに読み方は芽条突然変異=がじょうとつぜんへんい、です)。

 枝変わりとはようするに今でいう体細胞突然変異。身体を作っている細胞が分裂して組織を成長させていく過程で変異を起こし、その変異を起こした細胞から分裂してできた子孫の細胞とその細胞で作られた器官(例えば枝)が変異した性質や特徴を持つことです。

 ダーウィンはこの枝変わりを”飼育栽培環境が変異を生み出す”という彼のアイデアを支持するひとつの証拠として取り上げ、枝変わりが自然では少ないが、栽培のもとではまれではない、と指摘します。こうした実例を見せられたら飼育環境の条件が生殖系にまで影響をおよぼし、そして変異を生み出す。このダーウィンのアイデアがなかなかあなどりがたいものではなかったか?、と思えてきます^^)

 なお、枝変わりは園芸栽培植物の品種をつくり出す時に必要な変異の供給源として大きな役割をはたしているようです。育種の方法に枝変わり選抜法ってものもありますし、実際、ちょっと調べたら私達の身の回りの栽培植物、例えば果樹などでは枝変わりから作られた品種がとても多い。温州ミカンのさまざまな早生品種やリンゴの紅玉の紅玉1系、2系、3系(<着色の早い枝変わり品種)、スタークリムソンデリシャス、などなど(参考に「訂正追補 果樹園芸大事典」佐藤公一、森英男、松井修、北島博、千葉勉、編著 1980, 養賢堂発行)。

 24ページからは、まったく離れた器官どうしの変異に相関性が見られるという話題。例えば、脚の長い動物は頭部が伸長する傾向がある、とか、くちばしの短いハトの足は小さい、無毛のイヌは歯が不完全である、などなど。たしかに変な相関性ってものが生き物にしばしば見られます。後の話ですが、第4章191ページでダーウィンはまたこの話題にふれて、アルマジロ、センザンコウ、クジラという、哺乳類としては異常な状態の皮膚(体毛がない/装甲になっている)をもった動物のいずれもが異常な歯を持つことを取り上げ、これにはなにか関連性があるに違いない、と書いています。この話題、将来の進化発生学で取り上げられるアイデアのひとつかもしれません。

 とはいえ、例外もあるので、種の起源、第6版では議論を少し後退させている様子。例えばアリクイは歯はないけど体毛でちゃんとおおわれていますしね。ところで人間はどうなるんでしょう?。たしかに人間の歯は退化傾向にありますけど・・・。ちなみにダーウィンがこうした知識を引用したのはジョフロワ・サンチレールの著作からだったりするというのはちょっと、へーですね^^)。

 25ページ、ここからは遺伝について述べられます。

 進化に必要なのは変異と遺伝、そして淘汰です。変異と変異の原因や供給についてはすでに述べたから、次ぎはその変異が遺伝することを論じるというわけなんでしょう。ちなみにダーウィンによると、なんと当時の理論的な著述家(原文では theoretical writers)は遺伝というものに疑問をなげかけていたらしい。品種改良にたずさわっている育種家は当然、疑ってなどいないのですが、なかにはそういう人もいたんですね。これは少し驚きです。

 そうなるとたしかに遺伝について説明しなくちゃあいけません。

 さて、27ページで興味深いことにダーウィンは、遺伝を支配する法則はまったく知られていない、と書いています。ダーウィンが種の起源を発表したのは1859年、メンデルがエンドウを使って遺伝の法則を見つけ発表したのは1865年のことです。そしてメンデルの発表はあまり注目をあびなかったのでダーウィンも遺伝の法則について知ることは最後までありませんでした。

 ダーウィンは当時主流であった遺伝理論に基づいて形質の遺伝と進化を考えたために、生物の進化と遺伝の関係について終生なやんだそうです。当時の遺伝理論は交配すると遺伝物質が色をまぜるように中間的になる、というものでした。これだとある特徴は交配するたびに薄められてやがて消えてしまいます。つまり自然淘汰で有利な特徴が選抜されるもなにも、その前に有利な特徴が薄まって集団から消えてなくなってしまう。

 しかしメンデルの遺伝理論ならこういう問題は起きません。メンデルは遺伝子が粒子のようなものであると考えましたが、これならうまれた変異が薄まるということはない。メンデル遺伝に基づけばダーウィンの悩みは解決するわけです。

 実際に彼がメンデルの論文を読むチャンスもあったわけで、2人の異能ぶりを知っている現代の進化学者や系統学者がもしダーウィンがメンデルの論文を読んでいれば・・・って想像してしまうのも当然ですね。ダーウィンがもしメンデル遺伝を知ったらどうなったのか?。ダーウィンの悩みが解決するどころか19世紀のうちに進化のふるまいを数学的に記述する域にまで到達してしまったのか?、どうなのか?。

 いずれにしても現実世界でダーウィンのアイデアとメンデル理論が融合するのはずっと先の話、1920〜30年代以後のことです。

 ちなみにメンデルの発見があまり注目をあびなかった理由は良く分かりません。ちょっと本を読んだだけでは当時の他の論文とかなり雰囲気が違っていたから、先進的すぎた、数学的だったからなじまなかったという見解がありました(以下の「雑種植物の研究」や「植物の変異と進化」平凡社 S.44 [Plant Variation and Evolution] D.Briggs & S.M.Walters 1969 を参考)。ただ、このことをある人に聞いた時、その人が指摘したように、理由はもっと単純かもしれません。

 「メンデル 雑種植物の研究」岩波文庫、原題[Versuche Uber Pflanzen-Hybriden]1866 を読めば分かりますが、メンデルのこの論文、オーストリアーハンガリー帝国の1地方、ブルノにおけるブルノ自然科学会例会で講演した内容をブルノ自然科学会誌に載せたものなのです。ようするにヨーロッパの1地方の会報誌に載った論文なんですね。それも言語はドイツ語、部数は40部。これではちょっと・・・、知っているほうがむしろおかしいかもしれません。

 なおメンデルは20世紀の学者であり、19世紀の人ではない、という評価は結果的にはそうなのかもしれませんが、事態はもう少し複雑かもしれない。彼はエンドウの交雑実験から、雑種第2代におけるエンドウの対立形質がきれいな整数比に分離できることを示し、遺伝の要素が粒子のようなものであることを推測し、この推測を交雑実験をくり返すことでさらに検証しました。彼は数学や物理学にひいでていたというから、メンデルの才能がまさに発揮された結果で、時代を先んじているといわれるゆえんなのでしょう。

 ですが、科学の仮説の発見、仮説の勝利とはそんなにきれいなものなんでしょうか?。メンデルのエンドウのように雑種2代目でもきれいに分離しない(あるいはそう見える)遺伝もあります。もちろんメンデルは自分の仮説に基づいて、複数の遺伝要素がひとつの特徴/形質に影響を与えるのならきれいに分離しないことが説明できる、と正しく考えています。

 ですが彼のこのアイデアは当時の他のアイデアにくらべてどのていど有利なのでしょう?。

 彼のアイデアは明らかに有利なアイデアとして選ばれるべき状態だったのでしょうか?(<これは北村の素朴な疑問)

 そしてそもそも彼はどうやってあの比率を発見したのでしょうか?(そりゃあエンドウを交雑させたからなのですけどね、でも当たり前といえば当たり前だけどもう少しアイデア捻出の過程は複雑なんじゃないかなー)。

 ちなみにメンデルのデーターが統計上、異常なまでにきれいであり、確率からするとほとんどありそうにないデーターである、という結構有名な事実と。そしてなぜそんなきれいなデーターをメンデルは手に入れた(あるいは手に入れてしまった)のか?、については例えば「疑似科学と科学の哲学」名古屋大学出版を参考にしてください。

 このあたりの事柄はもっとよく調べたら科学の世界で仮説がどう発見され、どう受け入れられるのかという点に話がおよびそうで、非常に興味がそそられるところです。

 閑話休題

 さて、なんにせよ遺伝というのはかなり複雑なしろものです。メンデルはエンドウマメで実験することで

 純粋な親どうしの交雑→生まれた雑種1代目の表現型はすべてR

 1代目の雑種の交雑→生まれた雑種2代目の表現型はRとr. Rとrの比率は3:1

 という現象を見つけて、これを

 RR×rr→Rr 

 Rr×Rr→RR+Rr+Rr+rr=RR+2Rr+rr 

 という規則で説明しました。しかし遺伝の見た目のふるまいはエンドウのようなシンプルな例だけではありません。ある場合は一部の遺伝型が致死なのでうまれる前に消えてしまったりします。ようするに人間の眼からはかくれてしまう。ある場合には中間型が出現したり、あるいはまるで違う形や性質が出現したりする場合もあり、母方の特徴だけが出現したりする場合もあります。このようにメンデルの法則ではいっけん理解しにくい現象がままありますし、実際にメンデル遺伝にぜんぜん従わないものもあります。

 ダーウィンはある特徴が遺伝し、あるいはしない。あるいは子供の形質が祖父や祖母、もっと遠い祖先に戻ること、一方の性に限って出現するものがあること、など遺伝の複雑なふるまいを正直に述べています。ダーウィンの一部の言い方はメンデルの法則を思わせるものですし、他のものはもう少し複雑な例について述べているのでしょう。じっさい、メンデル以前にも多くの人が交雑についていろいろ研究しており、部分的にはメンデルが見つけたような現象を見つけていたそうな(考えてみれば当たり前)。

 ダーウィン自身も非常に多くの交配実験を行いましたが、メンデルのように現象を単純な数値に分離する/あるいは解釈するということはしませんでした(あるいはそういう発想がなかった?)。彼は多くの事例を見過ぎた、あるいは正直に観察するのにとどまったのかもしれません。

 

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 おまけ:

 メンデルのレポート「雑種植物の研究」でメンデルは、一見するとメンデル遺伝に従わないような遺伝。雑種2代目が3:1に分離しない例も、ひとつの形質を複数の遺伝子が支配すると仮定すれば自分のアイデアで説明できるうるといっています。これは面白いですね^^)。もちろん、そうした事柄は、当然メンデルのようなアイデアを持っていない/あるいは受け入れない人たちにとってはメンデルの法則がなりたたない証拠であるとみなされそうなものです。

 しかし結果的にはメンデルが正しい。

 また雑種の形質が3:1どころか、さまざまな変異をあらわす/あるいは正規分布するという事例がメンデル遺伝への反論の材料になった話が「植物の変異と進化」平凡社 S.44 [Plant Variation and Evolution] D.Briggs & S.M.Walters 1969 に載っていますが。これもまた複数の遺伝子が関与すると仮定することで、メンデルの法則に基づいて理解することが可能。

 そして実際にそうだった。

 とはいえ、こういった議論は面白いですねえ。当時、メンデルの法則はどのくらい説得的だったのでしょう?。

 さて、またメンデルは植物を栽培条件に置くことが変種をつくる傾向を異常にたかめるということに反対しています。単純にとらえるとダーウィンの発想とはまったく逆に思えますが、じっさいのところどうなのでしょうね?。

 あと、本文で述べたメンデルのデーターについてはフィッシャーが書いてあるので、彼が注釈をつけたメンデルの論文ともども参考にしなければなりますまい。

 Fisher 1936, Has Mendel's work been rediscovered ? , Ann.Sci 1,115~37

 Benntt.ed. 1965, Experiments in plant hybridisation. Mendel's original paper in English translation with commentary and assessment by R.A.Fisher together with W.Bateson's Biographical Notice of Mendel, Oliver and Boyd, Edinburgh and London.

 まあ読むのは先の話になりそうです。ちなみに読んでない論文をアップするのはおかしく感じますけど、このコンテンツ、あくまでメモですから^^)

 ところでメンデルもそうだけどニュートンはどうやって万有引力のあの値を導いたのでしょうねえ?。

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