ホプロリカスとホプロリコイデスとは?:
ホプロリカスとホプロリコイデスは名前がよく似て、まぎらわしいものです。そのためコレクターも博物館の展示も、さらには科学者に至るまで誤字誤植や混同、分類や学名の混乱もある三葉虫たちです。このため、これらの三葉虫をここでは一括して紹介します。
ホプロリカスとホプロリコイデスはもともとどちらもリカスとされていました。まず、そのリカスから説明します。リカスが最初に報告されたのは1818年。最初に見つかったのは尾板(pygidium)、要するに尻尾の化石で、これにlaciniatus の種名がつけられました。今で言うLichas laciniatusです。
以上に対して最初のホプロリカスが見つかったのは1846年。この時はまだ属名がリカスで、Lichas tricuspidata という学名でした。記載論文を見ると、頭部の軸部分(頭蓋)と尾板がこの種のものとしてあげられています。
ちなみに人によっては、この学名を聞いて違和感を持つでしょう。なぜかというに現在この学名の種名はtricusupidata ではなく、tricusupidatus になっているからです。つまり語尾が本来の-aから-usに変わっています。つまりこれ、女性名詞から男性名詞に変わったということです。
学名はラテン語であり、女性と男性がある:
tricusupidata(トリクスピダータ)とは3を意味するトリ(tri)と槍や棘を意味するクスピス(cuspis)を組み合わせたもので、三つの棘という意味。語尾がaですから、これは女性名詞です。学名は古代ローマ帝国の公用語であったラテン語でつけられます。科学の用語はギリシャ語が多く使われますが、これもラテン語化して使われます。そして生物の名前はローマ帝国の人名と同じ作法で付けられる。例えば語尾がaで終われば、それは女性の名前です。つまりトリクスピダータは三つの棘という意味で、末尾がaで女性名ですから、日本語で言うとミツトゲ子さん、と言ったところ。
これに対して現在使われているtricuspidatus(トリクスピダツス)は語尾がus。これは男性の名前です。すなわちミツトゲ男くん。本来はトリクスピダータ(ミツトゲ子さん)だったのに、途中で別の研究者が、これはトリクスピダツス(ミツトゲ男くん)が正しいはずだ、そう言って勝手に学名を変えてしまったんですね。そしてそれが定着してしまった。このように学名を後の人が変えてしまうことは現在の規約では認められていません。しかし、規約ができる以前の人はこういう勝手なことを結構していました。
学名はともかく市場のトリクスピダツスは一体何?
学名が途中で勝手に書き換えられてしまったこと。今では書き換えられた学名の方が使われていること。これはともかくとして、tricuspidatus には少々謎があります。記載された標本を見ると、尾板(尻尾)に三対の棘があることが分かります。前から二対は大きく、三対目は尾端で融合します。学名のtricuspidatus(三つの棘をもつもの)もここから来ているのでしょう。
問題は、Hoplolichas tricuspidatus の名前で売られている化石の尾板がこういう形をしていないことです。今、ホプロリカス・トリクスピダツスの名前で売られている化石。あれらは一体なんなのか? 詳細はわかりません。この仲間の三葉虫が抱える混乱のひとつです。
ホプロリカスとホプロリコイデス
化石に限らず、生物の学名は属名と種名から成り立っています。Lichas tricuspidatusであれば Lichas が属名で、tricuspidatus が種名です。これは名字と名前に例えることができます。化石が発見されると、リカス(Lichas)にも色々な種類が見つかってきました。人の名前に例えれば、山田太郎、次郎、三郎、たけし、よしこ、はじめ、という具合にどんどん増える。これだと困るから、例えば太郎、次郎、三郎は山田のまま。残りのたけし、よしこ、はじめは上山田さんにする。そんな感じで分割します。リカス属もこのように整理整頓されました。こうして生まれた新しい属名がホプロリカス(Hoplolichas)です。そしてLichas tricuspidatusは Hoplolichas tricuspidatus になりました。
リカスの名前の意味
ここで少し補足です。Lichasは一体どんな意味なのか? これがよくわかりません。単純にラテン語で考えるとギリシャ神話の大英雄ヘラクレスの従者リカス(Lichas)のことのように思われますが、仮にそうだとしても、なぜこの三葉虫にこの名を与えたのかわかりかねます。とりあえず、リカスはリカスという名前なのだとしましょう。
ではホプロリカス(Hoplolichas)だと一体どういう意味になるのか? こちらはわかりやすくて多分、リカスの語頭にホプロン(hoplon:οπλον)をつけたものでしょう。ホプロンといえば、それは古代ギリシャ市民が戦闘に使った丸い盾のことで、生物の学名ではしばしば使われます。つまりホプロリカスとは、ホプロ+リカスで、意訳すれば武装したリカスと言ったところ。
ホプロリコイデスの意味と特徴
以上に対してホプロリコイデス(Hoplolichoides)はホプロリカス(Hoplolichas)の末尾にオイデス(-oides)をつけたものです。-oidesも学名によく使われるもので、...のようなもの、とか、...に似たもの、という意味を与えます。つまりホプロリコイデス(Hoplolichoides)とは、ホプロリカスのようなもの、という意味。その名の通り、ホプロリコイデスはホプロリカスとよく似ています。というか、ホプロリコイデスも本来はリカスでしたし、ホプロリカスとホプロリコイデスを区別しない人もいます。
そしてホプロリコイデス創設の目的もホプロリカスと同じ。増えすぎた仲間を整理整頓するための新枠、新名字としての役割をもっています。さらに以上を踏まえれば分かりますが、ホプロリコイデスという名前はホプロ+リカ+オイデスという作りになっています。この作りを頭に入れておけば、覚えやすいでしょう。
さて、次にホプロリコイデスの特徴を見てみましょう。
ホプロリコイデスの特徴は、頭鞍のbullar lobeが大きめであること、頭鞍のぶつぶつ化が顕著であること、頭部から生える棘が2本にわかれること、そして尾板が特徴的です。ホプロリコイデスの尾板は、三対目の棘が二対目の棘のすぐ近くにあります。ちなみにホプロリカスとは違って尾端の突起は第三対目の棘とは見なされません(まあこの区分は相同的というよりは便宜的なものと見るべきでしょう Holloway & Thomas 2002 Hoplolichoides, Allolichas, Autoloxolichas and Akantharges, and the classificetion of lichid trilobites を参照)
ちなみにホプロリコイデスの基準となった種はコニコツベルクラツス(conicotuberculatus)ですが、これも最初の綴りはconico-tuberculataでした。途中でハイフンが入っているのもさることながら(古い学名ではハイフンを入れたものがありましたが、今ではハイフン無しで表記されています)、この学名も本来は末尾が-aであることが分かります。どうやらこの種も学名の語尾を途中から-usに変えられて女性名から男性名にされてしまった例のようです。
基準となった種の名前であるコニコツベルクラツス(conicotuberculatus)。これはおそらくラテン語のconus(円錐)に由来するコニコ(conico-)に、小突起を意味するツベルクルム(tuberculum)を合わせたもの。意味は尖った小突起。多分、頭や体を覆う突起を表現したものでしょう。ホプロリコイデスの特徴には、頭鞍が顕著にぶつぶつ化するというものがあります。
なお、一応注釈するとホプロリコイデス。コニコツベルクラツス(Hoplolichoides conicotuberculatus)は存在に疑問点はありません。種族の特徴も分かりやすく、はっきりした種、あるいは属です。市場で販売されている化石もこの特徴をちゃんと持っています。
ホプロリカス・プラウティニは一体何者だろう?
ホプロリカスたちが抱える混乱の今ひとつはホプロリカス・プラウティニ(Hoplolichas plautini)です。これは1885年にSchmidt(多分、読みはシュミット)という人が記載したもので、標本は頭鞍や頭部の一部と胴体の一部、そして尾板からなっていました。記載論文を参考に模式図を描くと次のようになります。
このホプロリカス・プラウティニは化石市場でもよく見かけるものです。しかし以上の知識を踏まえて考えるとかなり奇妙な存在であることが分かります。まずこの三葉虫の頭鞍の様子は、ホプロリカス型です。頭鞍のbullar lobeが比較的細めで、ぶつぶつ化は顕著ではなく、頭部から生える角は1本です。それはホプロリカス・トリクスピダツスと比べればよく分かるでしょう。
ところが尾板の形状がおかしい。プラウティニ(plautini)の尾板はむしろホプロリコイデスと同じです。
つまりプラウティニ(plautini)は、頭はホプロリカスなのに尾板がホプロリコイデスになっている。これは一体どういうことでしょう?
化石はしばしばバラバラの断片として産出します。こうして見つかった部分たちを同じ種類のものと見なすには根拠が必要です。プラウティニ(plautini)を1885年に記載したシュミットは、頭鞍と尾板がつながった化石を根拠としました。三葉虫はダンゴムシのように体を丸める。そのまま化石になれば、頭鞍と尾板が合わさった状態になります。シュミットが見つけたのは、ホプロリカス型の細めの頭鞍と、ホプロリコイデス型の尾板が合わさった化石でした。
しかしこの標本を再確認したHolloway & Thomas 2002 は、この標本が同一の個体のものと考える必要がないこと、そもそも尾板が不完全すぎることを示しました。つまりホプロリカス型の頭部とホプロリコイデス型の尾板を持つプラウティニ(plautini)種は根拠がないということです。これは究極的にはプラウティニ(plautini)種が人為的なキメラであることを示唆する内容です。
ですが奇妙なことにホプロリカス・プラウティニ(Hoplolichas plautini)の学名を持った化石は市場に存在します。それは、やや細めの頭鞍、頭部から生える1本の角、第三対目の棘が小さく、第二対目の脇に生え、尾端に小さな突起が生えた尾板。市場で売られる化石の特徴は、まさにシュミットが記載した通りです。これら”ホプロリカス・プラウティニ”は一体なんでしょうか? シュミット以来135年。みんなは発掘したばらばらの化石をシュミットの言う通りに組み立ててきたということでしょうか? それともシュミットが正しくて、本当にこういう姿の三葉虫が実在するのでしょうか? 業者に聞いても分からないでしょう。これもまたこの仲間にまつわる混乱と疑問のひとつです。
最後にもうひとつややこしい話をしましょう。かつてプラウティニ(plautini)はフルキフェル(furcifer)と呼ばれていました。比較的最近になって、プラウティニと呼ぶのが正しいとされています。この呼び名の変遷は詳細が分からないので推論ですが、シュミットが1907年にこの標本をフルキフェルと呼んでいたのだが、実はそれ以前の1885年に同じ標本をプラウティニと呼んでいた、このことが根拠かもしれません。つまり、新しい方のフルキフェルを皆は使っていた。しかし実はそれより前に同じ標本がプラウティニと呼ばれていた。この場合、前の学名が優先されます。このことに気がついた皆は優先権に従ってプラウティニを使うようになる。
こういうことは生物学の歴史ではよく起こります。100年も前の学名の変遷が、何十年もすぎてから一般に伝わり、周知されることもありがちです。例えばブロントサウルスがアパトサウルスになったこと。これは一般に周知されるまで数十年以上かかっています。ところがこの学名の変遷には続きがあります。Holloway & Thomas 2002 はプラウティニの尾板が、実はフルキフェルであることを示しました。つまりプラウティニはフルキフェルのままで良かったらしい。だけども、そもそもホプロリカス・フルキフェル(プラウティニ)は人為的なキメラかもしれない。あるいはそうでないのかもしれない。
ここには二重になった混乱があります。
では化石市場での学名はどう受け取るべきなのか? あれは正式な学名というよりは、便利な商品名であるとみなした方がいいかもしれません。少なくとも混乱がある以上、そうみなした方が良いでしょう。
以上、これがホプロリカスとホプロリコイデスにまつわる色々な混乱の様子です。ちなみにこの文章では学名をなるべくラテン語読みしていますが、英語読みの方が普通でしょう。plautiniはプラウティーニと読む場合があり、furciferはフルシファーと読むのが一般的です