詭弁・その6:確からしさの無視/陰謀論/そして幸せへの道

 

 可能性はゼロではないという理屈

 ミラ:うーーーん、じゃあさ、確からしさの無視はなんなわけ?

 わらし:仮説には確からしさに違いがあるわ。シャングリラとそうでないもののようにね。

 ミラ:そうね、あるわねえ。シャングリラはうさんくささ大爆発だしねえ。確からしさなんてみじんも・・・・。

 わらし:でもシャングリラが実際にある可能性はゼロではないだろ?

 ミラ:まあ、そうねえゼロではないでしょうねえ。まずないだろうけど。

 わらし:まずないだろうけど、まったくないわけではない。ゼロではないからシャングリラを信じるって理屈。

 ミラ:はあ、また正気とは思えないことを・・・。

 わらし:なんで?

 ミラ:だって成立する確率がごくごく低いわけでしょ? それをあえて信じるなんておかしくないか?

 わらし:そうだけど、でも、宝くじを買う人はいっぱいいるわよね。

 ミラ:いや、そうだけどさ、宝くじが当たりますようにって信じても当たる確率が上がるわけじゃないでしょうが。

 わらし:上がるわけじゃないが、上がるかのように信じている人はいくらでもいるだろ? げんをかついだり、当たりが出た売店で買ったりさ。

 ミラ:いやそうだけどさ。それは信じる人間の心の問題だろ? 現実に当たる確率が変動するわけじゃなし。

 わらし:もちろん、現実は変化しないだよ。

 ミラ:おかしいじゃん。

 わらし:だからこそ詭弁なんだよな。

 ミラ:えっ?? ああ・・・そうか。そうねえ、この話が宝くじじゃなくて科学の仮説で、そしてこういうやり方で仮説を正当化するとしたら、たしかにね、これは詭弁だわ。

 わらし:そうだあ。手堅いものと手堅くないものの違いを無視して、信じる方を選ぶ。そして可能性は低くてもそれはゼロではないと正当化する。

 ミラ:でも、それって正当化になっていないんじゃないの? 可能性がゼロではないとはいっても、結局、仮説自体の確からしさは上がらないし、上がるわけもない。不利な状況はいっこうに変わっていないわけだし。

 わらし:うん、なってないよ。その仮説を信じる信じない、それはその人の勝手だわ。でも信じることをもって仮説まで確からしくなると思っちゃいけないわけよね。

 ミラ:あるいはそれで正当化になると思ったら間違い、というわけね。

 わらし:そうだあ。だけどな、買う買わないの是非は別にして、こうすれば当たるに違いないって理屈をつけて宝くじを買う人はいっぱいいるだろ。それと同じ心理で怪しい仮説を正当化したつもりになったっておかしくないべ。いや、むしろ人間としてはそういうのがむしろ普通なのかもしれないなあ。

 ミラ:なるほどねえ・・・。人間心理に効果があればそれでいいってわけか・・・。

 わらし:そういうことだな。別に理屈で人を説得する必要はないからな。相手が科学者じゃないのならなおさらだ。聞き手をなんとなくその気にさせればいいのよね。

 

 シャングリラ 

 ミラ:なるほどね。じゃあさ、陰謀論ってなによ?。

 わらし:科学者がシャングリラを認めないのは、これを認めると彼らの立場が危うくなるからだ、そういう論法だな。ようするに、陰謀だっ!!陰謀だっ!!ってやつだ。

 ミラ:科学者のことをなんだと思っているんだ、そいつは??

 わらし:まあそういうな、無理もない話だで。科学者といっても人間だからな。人によっては自分がよりどころにしていた仮説が崩れそうになったら、それにしがみつくこともあるだろうなあ。時にはとんでもない連中がイデオロギーに魂を売ったあげくに科学とはまったく違う動機で新しい仮説の研究を妨害する場合も実際にあるのかもしれん。

 ミラ:そりゃあそういうことも起こりうるかもしれないけどさ・・・・。

 わらし:でも、科学の歴史を俯瞰すれば結局はそうじゃないと分かるべ。

 ミラ:そうねえ、天動説から地動説、万有引力から相対性理論、古典物理学から量子論、創造説から進化論、古典分類から系統学、地峡説から大陸移動説、科学の歴史は古い仮説が新しい仮説に次々にとって代わられる歴史よね。

 わらし:だから科学者がシャングリラという斬新な仮説を妨害しているっていうのは科学史をよく知らない人の論法だな。

 ミラ:現実の科学はそうではないと。

 わらし:まあね。ようするに、最初は風当たりが強くても、証拠の多い説得力のある仮説は結局は認められるってわけだ。認められないのは科学者のせいというよりは、むしろ仮説のせいだろうな。

 ミラ:認められないのは仮説がやわいからなのね。人のせいにする前にやることがあるだろうと・・・・。

 わらし:まっ、そういうこっちゃ。ちなみにこういう論法には反対の使い方もあるだよ。曰く、

 シャングリラはいずれ認められる日がやってくる。大陸移動説もそうだった

こんな感じでな。

 ミラ:はあ、責任転換の次ぎはウェゲナー気取りかよ。

 わらし:実際には大陸移動説というのは無視されたというよりは、当初から支持された方だな。

 ミラ:へーっ、そうなんだ。

 ミラ:なんたって証拠が多かったからな。肝心の大陸移動のメカニズムが説明できていないという致命的なことがあったので、海底地殻の地磁気の記録とかマントルの対流などが見つかるまで完成されなかったけどね。でも最初から証拠のないシャングリラとは大違いであることに変わりはない。

 ミラ:つまり、あれでしょ。もともと証拠が少ないシャングリラを大陸移動説と同じに扱うなってことよね。

 わらし:そうだな。結局、この論法も科学の現実をよく知らない人間が使う論法だでよ。同じ論法ではガリレオを持ち出す人もいるな。

 ミラ:また、おおきくでたわねえ。

 わらし:まあな。天動説/地動説論争は難しい面がいろいろとあるが、いずれにせよ陰謀論を駆使したとてシャングリラ自体の確からしさが上がるわけでもないし、具体的な証拠が増えるわけでもない。

 ミラ:価値観との混同、確からしさの無視、陰謀論、これらは混然一体とも言えるのかな? なんか似ているわよねえ。正当化をしているように見えてなんにもなってない。

 わらし:うん。いずれも人間らしい発想なのよね。人間は社会のなかでずっといきているから価値観をとても大事にするわ。そればかりじゃない、価値観や信じるものを優先して確からしさを無視することもしばしばある。そして社会のなかでは人間関係による暗闘、つまり陰謀もあるから、そういう人間社会の尺度で科学をおしはかろうとする。それはいたしかたないことよね。

 ミラ:でもそれは現実の無視じゃないの?

 わらし:そりゃあな現実の無視だわさ。、地球は平らであるべきだと思っても地球は平らになんかなったりしない、当たりますようにといっても宝くじの当たる確率は変動したりしない、陰謀だといっても仮説の確からしさが上がるわけでもない。そんなことみんな薄々知っているさ。

 ミラ:じゃあだったらなんでこういう詭弁がまかりとおるのかな?

 わらし:さあなあ、もしかしたら人間の認識に原因があるかもな。いずれにせよみんなシャングリラを守るためにいうのさ。シャングリラとは個人個人それぞれ違うものだがなあ。それは自分が何十年も信じてきた仮説だったり分類体系だったり、あるいは自分の信じるイデオロギーに基づいた仮説だったり、それを守るために現実を無視するだよ。

 ミラ:具体的にはなんというのかな?

 わらし:そうだなあ、例えば

  民主主義は自由だろ?、信じるのは自由だろ?、だからこっちでもいいじゃないか

  研究者は保守的なんだよ

  みんな妬んでいるだよ

  これは新しいパラダイムです

こんな感じじゃねーか?。

 ミラ:ようするに自由であることをいいことに自由にならないことも自由にしようとしてないか? それ?

 わらし:まあね、だって実験や検証を無視しているんだもん。ようするに現実から自由なんだよ。あるいはそのつもりでいるってことかな。現実から自由なんだから心の翼を大きく広げてだな、あの青いお空の彼方へ・・・・

 ミラ:きれいな言葉だが、なんとなくどす黒いぞ。

 わらし:まあな。

 ミラ:それに、それって現実から自由なんじゃなくて現実を無視しているだけじゃない。

 わらし:でも現実から free なんだろ。ほれ、自由だべ。

 ミラ:自由も地に落ちたもんね。

 わらし:はん、もともと自由という言葉に付加価値をつけたのは人間よ。自分で作った付加価値にしばられて現実を無視するってのはよくできた話だわさ。

 ミラ:お前、いうこときついな。

 わらし:そういう反論は価値観によるものね。理路整然となぜ反論しない?。そのままじゃ阿呆って言われるぞ。

 ミラ:反論じゃなくてただの感想よ。

 わらし:そうね。

 ミラ:それにしても詭弁ってようするに信じる心が生み出す言い逃れじゃないの?

 わらし:かもね。少なくとも人間はしばしば信じる仮説/コアを救うためにいろいろな手段をはりめぐらせるのよ。そして場合によると現実を無視して心のなかへ引きこもってコアを守る。その時に使うもの、それが詭弁よね。

 ミラ:まあねえ、そうかもねえ。ところでさ。詭弁で、なにが得られるの?

 わらし:幸せじゃない?

 ミラ:幸せ? 

 わらし:信じるものを守って、都合の悪いものを全部、無視してきたの。不利な証拠は理解せず、こむずかしい理屈に頭を悩ませることもなく、信じるままにやってきた。それは幸せじゃない? 

 ミラ:そうですかねえ?

 わらし:そうじゃないかな。反対に科学は過酷なのものなのよ。信じるものもない、信じることもない。ただ確からしさがあるだけ。事実と分かる仮説もあるけど、そうなったらそれはもう興味の対象外ね。地球が丸いか平らであるかは昔は議論の対象だったわ。でも今の科学は見向きもしない。分かったことはもういいのよ。科学は先に進むだけ。だから真理もない。真理は宗教の範疇よ。科学に真理なんてないの。ただただ仮説をテストしてより妥当な仮説を発見しようとする。

 ミラ:いつまで?

 わらし:永遠に。ひるがえれば現実もまた過酷だわ。現実は人を殺すわ。そして科学は現実をコントロールする力を持っている。何世紀もそういう方法論としてやってきたんですからね。だから科学は現実と同じくらい恐ろしいものなのよ。実際にみんな言うじゃない、科学も技術も進歩しすぎたって。

 ミラ:まあねえ、そういう人もいるわねえ。

 わらし:みんなはね、もう引きこもりたいの。助けて助けて、こんなに便利で豊かなのに、なんでこれ以上歩かなきゃいけないの? なんでこれ以上、新しいものに適応しなければいけないの?って。新しい技術、新しい仮説、これに適応しなくちゃいけない人間と社会の負担はとても大きいの。みんないうじゃない、昔がよかったって。みんな、誰しも今すぐに自分のお部屋のなかに引きこもって、豊かで、安定して、なにも変わらない世界でくらしていたいのよ。

 ミラ:そう・・・ですかね?

 わらし:そうじゃない? 人間は楽なのが好きなのよ。ある程度便利になったらそれでもういいのよ。水は低きに流れるわ、それが安定なんですからね。そして引きこもるのが人間にとっては安定的な姿じゃないかな? でもね、そこに科学が忍び寄ってくるのよ。せっかく引きこもって現実を無視したのに科学が現実をひっさげて侵入してくるわ。そうなったらどうするの? 恐ろしい侵略者相手に詭弁を使うのは当然じゃないかな?

 ミラ:でもさあ・・・・幸せってそういうものだったかな?

 わらし:何を幸せというかの問題ね。でもねえ。永遠に仮説をテストする科学と、信じる仮説を防衛して引きこもるのと、どっちが楽かしら?そしてどっちが幸せって呼べるのかしら?

 幸せになりたいのなら現実と証拠から眼をそむけて信じるものにしがみついて引きこもろう。

 言葉を多くしよう。言葉はしばしば空虚なものだ、空虚な言葉と確からしい言葉は現実のテストがなければ区別なんてつきやしない。

 だから安心していい。数こそ力なり。詭弁を通すためにたくさんの言葉と詩を語れ。これは電気の配線や自動車のエンジンをいじっているのとは違う。質や妥当性は関係ないのだ。

 検証を無視しよう、科学を理解しそこなおう。科学を理解してはだめだ。そんなことをしたら敗北を認識してしまう。無知こそ力なり。意図的に愚鈍であれば敗北さえも認識しないですむ。自分の仮説を実行してはだめだ、破たんしていることがばれてしまう。言葉だけ、文字だけ、そして価値観だけで語ろう。そうすれば永遠に幸せだ。なにも科学や現実を無視しても生活はできる。死にやしない。

 我らの社会は少なくとも人口の何%かは、こういう思考をしてもそのまま存続させる程度には緩衝剤となってくれる。社会が現実によるテストから緩衝剤になってくれるのなら引きこもれば良い。それはある意味では人間らしい姿ではなかろうか。

 幸せは自己欺瞞と詭弁のなかにある。現実と科学のなかにはない。

 あなたはあなたのシャングリラを見つけられましたか?

 

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