1970年代までの「ホロコーストの記憶」

ヒトラー暗殺事件記念碑

シュタイン広場

マテウス教会前の記念碑

記憶としての廃虚

シナゴーグ跡の記念碑−記念石

強制収容所の記憶

(写真はすべて本人撮影――無断転写不許可

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ヒトラー暗殺事件記念碑(52年)

この記念碑は、事件の舞台となった軍総司令部跡に設けられた「ドイツ抵抗記念館』の中庭に立っている。正面に面する通りは中心人物を記念して「シュタウフェン通」と名づけられた。

 

 戦後いち早く追悼されたナチ犠牲者はユダヤ人や共産主義者などの反ナチ抵抗−犠牲者ではなく、ドイツ愛国者たる保守的な反ナチ抵抗主義者であった。手を縛られた裸の青年像は抵抗者としてよりも、受苦者としての犠牲者像を表現している。

 碑文「恥じることなどあろうか/君たちは抵抗した/君たちは目覚めさせようと偉大なる合図を送った/改心の合図を/君たちの熱き生を犠牲にして/自由と権利と名誉のために闘えと」

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ドイツ抵抗記念館年表

52

記念館の地鎮祭

53

中庭に「記念庭」設立

55

シュタウフェンベルク通りの改名祝賀

60

記念版の序幕

67

ベルリン市が「シュタウフェンベルク通り記念−教育施設」の設置を決定

68

常設「反ナチズム抵抗展」が開始

80

「記念庭」の改造

83

ベルリン市長が「ドイツ抵抗記念館」への改造依頼

86

「ドイツ抵抗記念館」展の一部開催

89

「ドイツ人抵抗記念館」展の全面開催

 

シュタイン広場(53年)

「ナチ・レジーム被迫害者連盟」のイニシアティブによるナチズム犠牲者の碑

 強制収容所囚人のシンボルとナチ期の年号の下に「ナチズムの犠牲者にささげる」の碑文が書かれている

 しかしその2年前にスターリン犠牲者の碑が同じ広場に建てられている。ナチズムとスターリニズムを同一視し、西ドイツの政治−社会体制を正常なものとして擁護しようとする「全体主義的」な歴史解釈がここにはみられる。

 

 

スターリン主義の犠牲者にささげられた記念碑

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マテウス教会前の記念碑(60年)

「一九三三−一九四五年の被迫害者」のための碑

六〇年に、頭を垂れ、手首を縛られた痩せた女性という「被迫害者」のブロンズ像が、空襲で死亡した市民が埋葬されているマテウス教会墓地の前に設立された。ここでも反共主義が抱き合わされ、六五年にはその近くに「苦悩の壁」記念碑が建立されたのである

 

 

 

 

 

 

 

続く

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