記憶としての廃墟

ヴィルヘルム皇帝記念教会

――戦争の記憶、被害者としての記憶、復興の記憶――

 1895年にドイツ帝国初代皇帝のヴィルヘルムTを記念して建てられたこの教会は1943年の空襲で廃墟となった。57年、交通上の理由から、全面的に改築する計画が持ち上がったが、市民の反対により、廃墟の一部を残すことになった。もともとこの教会は人気のあるものではなかったが、戦後長らくこの教会が廃墟として放置されたことによって、戦争被害からの復興を象徴する建造物になったのである。61年落成。同じことは、ベルリンのかつての表玄関、アンハルト駅にも言える。61年に爆破、廃墟を残存。

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シナゴーグ跡の記念碑−記念石

ポグロムと空襲で破壊されたシナゴーグは、修復可能であったものも含めて、戦後、取り壊され、その空き地は住宅地や駐車場に利用された。記念碑は静かにユダヤ人とその抹殺の記憶を伝えている。

@ミュンヘン通りのシナゴーグの記念碑(63年)

 ドイツの行政機関によって建立されたはじめてのユダヤ人のための記念碑。ここには「1909年に建立されたユダヤ教信徒のシナゴーグがここに建っていた」と簡単な碑文が添えられていただけだったが、1989年にブロンズの碑文版がその記念碑の下に据えられた。

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「ここに1909年から1956年までシナゴーグが建っていた。このシナゴーグは1938年11月9日の帝国水晶の夜の間にその位置のために住宅建造物においては破壊されなかった。ナチスによるユダヤ市民同胞の追放と強制移送の後に、このシナゴーグは機能を失い、1956年に解体された。」

Aファザーネン通りのシナゴーグ

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 ポグロムと空襲による破壊の跡、このシナゴーグは57年に撤去され、小規模のユダヤ教区館になった。正面に残存物がおかれ、内庭に記念碑の壁が設置されている。

強制収容所の記憶

――遠くの場所で起こった「犯罪」の記憶

@ヴィッテンブルク広場の警告碑

「私たちがけっして忘れてはならない驚愕の場所」としてアウシュヴィッツなどの強制収容所があった場所が書き連ねられた警告板がベルリンの繁華街の中心に立っている,。背後に見える建物はベルリン最大の老舗デパート「KaDeWe」。つまりこの場所は京都で言えば四条河原町に当たる。(1967年建立)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Aトレブリンカ記念碑

66年作で、79年にシャルロッテンブルク区裁判所前に設置された。死体の山をイメージしている。86年に次のような碑文が付け加えられた。「トレブリンカ収容所Uで、19427月から194311月まで、75万人以上の人間が殺害された。しかしこの過去を前に、目を閉じるものは、現在に対しても盲目になる。この非人間性を記憶しようとしないものは、新たな不正行為にふたたび染まっていく。」

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