笑えない話2







 新聞の記事に、幾つもの悲惨な死が毎日記されていた頃が嘘のようだった。当時の紙面は変死した人物や失踪した有力者の顔写真がずらりと並び、見る者の心に暗い影を落とすのが常で、人々はそれに慣れていた。
 しかし現在の1面記事には、食料品店の小火であるとか、救出された子猫の話であるとか、あるいは算数の天才少年の話などが沢山の行数を使って詳細に書かれている。どれも眉を顰める必要のないニュースばかりだった。
 元々魔法界の人々は伝統と秩序を重んじるタイプが多く、「例のあの犯罪者」がいなくなった今となっては、記事のネタになるような特殊な事件は当然ながら発生の頻度が極端に減っていた。
 新聞社よりももう一段ほど大衆的なニュースを必要とする雑誌社などは、紙面を埋める題材探しに苦心した。一般庶民が読まずにはおられない、刺激的で話題性のある事件を。
 ブラック家の若き当主にして「あの」ハリー・ポッ夕ーの養父、シリウス・ブラック。近頃公的な場に於いて自分が同性愛者であると発表した彼などは、格好の標的だった。
 いささかくだけた報道を生業とする人々は、こぞってシリウス・ブラックの後を追い回した。パーティ会場の出口や、知人宅の玄関や、おそろしく田舎のマグルのテリトリーに建っている彼の小さな隠れ家まで、それこそ意中の相手を追う若者のような情熱で彼等はシリウスに張り付いていた。
 彼等の求めている絵は、彼の恋人とされている人物リーマス・ルーピンと並んでいる写真だった。その距離は近ければ近いだけ良く、抱擁やキスや、体が適宜触れ合っている写真であれば尚よかった。新聞の一面や雑誌の表紙に載って人目を引くショッキングな写真。彼等はシリウス・ブラックに対してそういった存在であることを望んでいた。
 しかしパーティー会場でも移動中でも食事中でも、シリウス・ブラックとその恋人と目される人物は、一般的な友人同士のとる態度を崩さなかった。彼等2人の間には常に3歩以上の距離がおかれており、記者たちが期待するように互いの臀部を撫で合ったりであるとか、何事かささやいた後のかすかなキスであるとか、そのような艶やかな場面は一切見られなかった。
 一部では、彼等の関係は偽装ではないかという意見も出たが、同性愛宣言までして、いったい何の為に偽装するのかという謎に対する見当は、皆目つかないのだった。 
 仕方がないので彼等は俯き加減のシリウス・ブラックの表情を幾枚も激写し、それを雑誌の表紙にする。伏せられた彼の睫毛は殊更に強調され、若い女性達(と或いは彼女達の母親の世代も)は「こんなハンサムな男性が同性愛者だなんて!」と憤りながら雑誌を購入する。彼の表紙はある程度の販売数を約束した。 (彼の恋人リーマス・ルーピンは被写体としては不思議な存在だった。シリウス・ブラックと並べて撮ろうと単体でアップにして撮ろうと、どうにも「間違って写ってしまった近所の人」に見えて仕方ないのだ。どこの物好きが近所の人間が表紙になった雑誌など購入するだろう。そんな訳で記者達はあまりリーマス・ルーピンを撮影するのを好まなかった。更に言うなら雑誌社のほとんどはリーマス・ルーピンの持病に関するある情報を掴んでいるのだが、その方向からの記事、例えば「同性愛ではなく究極の友愛!?」であるとか「人狼の病を支え続けた貴族的献身!?」であるとかいう、確実に女性読者の涙を絞りそうなレポートを掲載しようとすると、かならずその直前に人権擁護団体やあるいはスポンサーやあるいは想像もつかない上の層からの横槍が入り、記事を作成していた人物は職業生命を絶たれるのだった。まるで見せしめか或いは呪いのように。この世界の人々にとって、リーマス・ルーピンに関する一切はちょっとしたタブーと化していた)

「ほかの同性愛者達にメッセージをどうぞ!」
「告白をなさったのはどちらなんですか?」
「ハリーはあなた達の関係に対して何と言っていますか?」
「お好きな体位は?」
「現在の政治について何か一言!」

 黒い礼服を着た他のゲスト達が小走りに駆ける中、フラッシュが焚かれた。闇の中に傍若無人に光る様は、まるでダイヤモンドだった。知人宅を辞するところだった彼等は、そこで不意の急襲に遭ったという次第だ。シリウス・ブラックもリーマス・ルーピンも揃って曖昧な笑顔で、記者達を蹴散らすことのないようゆっくりと歩んだ。シリウスは自棄になって質問に答えたり、記者達を怒鳴ったりという事を一切しなかった。これは彼の性質からすると驚くべき忍耐である。それもその筈、彼はルーピンからこう言い渡されていたのだ。「もし君が私達のプライベートな事柄に関して何か1言でも……いいかい?1言だよ?漏らしたら君は後で大変な後悔をするだろうという事は言っておく。私は最大限の努力で99.9%の譲歩をしているつもりだ。でも100%以上を発揮するつもりはない。分かるね?」
 言い渡された以上、約束を破ればどのような申し開きをしようと謝罪をしようと、ルーピンには通用しないのをシリウスは知っている。彼は死んでも発言しない覚悟だった。

「シリウス、性的嗜好が変わったのは矢張りアズカバンが理由ですか?」
「シリウス、他の男性との恋愛経験はありますか?」

 彼の背中を見ながら歩いているルーピンは、記者に不躾な質問をされながら無言で歩くシリウスを見ていると、子供達に囲まれて悪戯をされながらも、吠えずにじっと我慢している大きな犬が連想されて胸が痛んだ。学生時代の彼ならば、最初の1つ目の質問で杖を抜いていただろう。帰ったら頭を撫でてやらなければ。ルーピンは思った。

「シリウス!学生時代あなたと交際していた女性の1人、ミランダ・デーントのインタビュー記事を読みましたか?」

 女性記者の甲高い声が響いた。瞬間シリウスの歩調が乱れたのをルーピンだけが見て取った。
「彼女は、あなたは同性愛者ではなかったし、また将来そうなるようにも思えなかったと断言しています」
 記者の声はよく通ったので、他の記者も質問をやめ、辺りは俄かに静まり返った。
「なんでも彼女の記憶によればあなたは女性の体や……その精神の美しさの信奉者で―――」
「発言中失礼ですが。それについてこの場で言及するのはその女性の名誉を損なうものだと思います。私は記事を読んでいませんが、その女性に関して何かをお答えするつもりは一切ありません」
 数ヶ月に及ぶ沈黙を破ったシリウスに向かって一斉に集音のための杖が突きつけられる。「そこで堪えられないから、君はいつも私に言い負けるんだよ」とルーピンはひそかに考えた。勿論シリウスの発言は背後の自分を意識したものだと十分理解した上で。
 女性記者がルーピンと同じ感想を持ったのかどうかは分からないが、ともかく彼女はシリウスの反応を得て勢い込んだようだ。そして彼女はシリウスに対して、ルーピンほど甘くはなかった。

「その貴重な証言を基に、我々はこう考えます。あなたは異性愛者であるための体の機能の一部を、アズカバンで損なったのではないかと。それを世間から隠すために、友人であるルーピンさんの協力を得て、同性愛者の振りをしているのではないかと!違いますか?」

 痛いほどの静寂が訪れた。
 シリウスの頭脳は、耳から入った記者の言葉を拒否したようだった。彼の常識では、それはこのような場面で決してなされるものではない筈の質問だった。この状況は彼にとってみると、世界が相談なくこれまでの常識を打ち捨て、突然全裸にタイだけを身につけた装いがディナー出席の基本となったのに等しい事態だった。
 「失礼だが?私は何か聞き間違いをしたようだ」と言いたげな顔で彼は首を傾けた。実際そう発言した彼の声が聞こえるような、一種幼い表情だった。誇らしさで頬を輝やかせた若い女性記者がシリウスを見上げる。
 その場にいた男性記者の半数は内心シリウスに深く同情をした。そしてその場にいた男性記者の残りの半数は、自分がシリウス・ブラックではなく、公衆の面前で不能か否かを問われる身分でなかった事に安堵した。この状況ではいくら否定をしても聞き入れられはしないだろうし、否定をしなければそれは即ち肯定と取られるであろうから。滑稽でも惨めでも、シリウス・ブラックには申し開きをするしか道が残されていない。
 女性記者とシリウスに向かってフラッシュが焚かれる。
 いつもは固く結ばれているシリウスの唇が、心持ち開かれている。
 彼は放心しているようだった。
 そのとき低く咽の鳴る音がした。
 やわらかく、そして止まる様子のないそれは男性の忍び笑いだった。
 くっくっく、とその人物の声は静寂の中で耳についた。
 その場にいた人々はこの緊迫した場面で誰が何のために笑っているのかを見きわめようと忙しく周囲を見回し、ようやく笑っている人物を発見する。
 それはシリウス・ブラックの後ろにひっそりと立っていたリーマス・ルーピンだった。
「もう、その理由で、いいじゃないか、シリウス」
 ルーピンは辛うじてそれだけ喋ると、後は本格的に笑い出してしまい、そして止まらないようだった。切れ切れに「君は私のジョークを褒めるけど」「敵わない」「世界の層は厚い」「すごいセンス」といった言葉が聞こえた。ルーピンは彼なりに必死で笑い止もうとしているらしかったが、止まりかけては記者の顔を見、止まりかけてはシリウスの顔を見て、そしてまた吹き出すのだ。シリウス・ブラックは最初は憮然としていたが、やがて諦めの表情になり、笑いのあまり一歩も動けなくなっているリーマス・ルーピンの肩に手を添えて歩き始めた。
 非常に無礼で珍妙な質問をされた上に、恋人と目される人物に大笑いされている男に、追い討ちの質問を浴びせるような無情な人間はさすがにその場にいなかった。
 若い女性記者も呆然として、悪い菌類でも食べたかの如く笑い続けるルーピンと、哀れなシリウス・ブラックが退場するのを見守った。
 ただよろよろと歩く笑い男とその恋人に向かって、幾つものシャッターが切られる音だけが響いていた。





 「これから私達は旅行に出る事が多くなると思う」

 という一通の手紙をフクロウが運んできたとき、ハリー・ポッ夕ーは机の上の一冊の雑誌を眺めているところだった。
 それは寄り添う2人の男性の写真が表紙となっているが、普通の人間が見る限りでは「あまりに笑いすぎて腰が抜けてしまった人」と「腰が抜けた人に寄りかかられて困惑している人」以外の何者にも見えなかったので、彼は吹き出した。

 まるで写真のリーマス・ルーピンの笑いが伝染してしまったかのように、ハリーはしばらく笑っていたが、やがて息をつくと鋏を取り出し表紙を切り取った。そして切り取られた2人の写真を丁寧にファイリングすると、ハリーは済ました顔をして机の引き出しを閉めたのだった。











下品な話でごめんなさい。
そのあとずっとシリウスさんとリーマスさんの間では
下品なジョークが流行したと思う。
あるいは先生が時々思い出してシリウスさんをからかったり。
(セクハラ!セクハラ!)
「今度から倍のサービスをしてやる」
とかシリウスがムキになって言い返したり。
(セクハラ!セクハラ!この駄文自体セクハラ!)
まあどっちにしろ以降2人は旅行がちになるみたいです。

「死にかけたり、大怪我をしたりに比べれば
不能なんて、もう本当にどっちでもいいよ」
と先生は考えているようです。
「概ね同意だが、どっちでもよくはない」
とはシリウスの意見。

たまにイギリスに帰ると
「あの凄いギャグセンスの一団は
もう来ないのかな?」
と若干残念そうにしたりして
シリウスを怒らせたりもする。
2006/07/25


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