春と病床の彼


 骨や神経は勿論のこと、筋肉や皮膚もぴったりと丁寧に接合をしてもらったので、シリウスの腕は外見上はまったく以前と変わらなかった。ルーピンはシリウスの肩の造形に関して、あまり日頃の彼らしくない情熱的なジョークを言い、シリウスも笑ってそれを受けた。2人はいつも通りマグルの小さな宿に腰を落ち着け、大抵の時間をそこで過ごした。
 シリウスが「仕事中」に大きな怪我をしてから、2週間が経つ。「1ヶ月の間は動けないであろう。一生その状態で過ごしたくなければ、くれぐれも絶対安静で」と、癒しの魔法の遣い手から言い渡された彼の両腕と両足は未だ動かなかったが、本人もルーピンも特に滅入っているようではなかった。
 ただ、ルーピンは多くの時間を彼の側で過ごし、シリウスは「こんなに長い時間お前と寝室で一緒に居るのは初めてではないか?」と問うた。読書を続ける友人へ流し目をくれて、付け加えた言葉は「何もせずに」。
 ルーピンは次のページを繰って「学生時代はもっと長い時間を過ごしたこともあるよ」と答える。シリウスは「肩をすくめたいが、動かなくて残念だ」と真顔で言った。
 ルーピンが一定以上の努力を払ってシリウスの側にいるのは明らかだった。食料品の調達以外の理由では彼は外出をせず、何度かフクロウ便による手紙が届いたこともあったが、彼が返事をしたためるのは稀である。シリウスは「遠慮をせず、用があるなら自分が餓死しない程度の期間出掛けてきても構わない」と申し出たのだが、ルーピンは「用など無い」と首を振った。しかし2人とも、シリウスが杖を握れない今、たとえ相手が子供であろうと、魔法遣いの襲撃を受ければ今度こそ彼の命はないと良く理解をしていた。なのでルーピンの外出に関してそれ以上の会話は発生しなかった。
 季節は春だったので彼等は多く花の話をした。色や形や匂いの話を。そして現在の花と過去に見た花の話を。そしてシリウスがマグルの飽くなき品種改良への挑戦を詳しく語り、ルーピンは途中で居眠りをした。春だったので。
 時間だけは沢山あったから、ルーピンがうたた寝をするとシリウスも少しまどろみ、その結果夜更かしをして本の朗読会になることも度々だった。シリウスは友人の声が純粋に好きだったので、朗読の時間は如何にも機嫌が良い顔をしていた。
 本来は1秒とじっとしていられない性質だったシリウスは、昔に比べれば恐ろしく忍耐強くなったが、それでも時に退屈して、フォークを口元へ差し出すルーピンの手を囓ったり舐めたり口付けたりという悪戯をよくした。普段なら即座に返されただろう皮肉や懲らしめの手は現れず、代わりに幸せそうな微笑があるので、シリウスは居心地が悪くなって毎回目を伏せるのだった。その様子は、ふざけて飼い主を強く噛みすぎたと自覚した犬が後ずさっていく所にとても似ていた。
 そういう風に、シリウスはルーピンの手が近付くと高い確率で唇や頬で触れた。そんな時は緩やかな緊張が走り、2人は少しの間沈黙する。けれどその瞬間の緊張の共有を明らかに彼等は楽しんでおり、その視線はどことなく共犯者めいていた。暖かく鼓動の早まる沈黙が一番長くなるのは、シリウスの体を拭き清めて着替えさせる時間だった。「なあ、リーマス。お前はこの間『して欲しいことがあれば何でも言ってくれ』と言ったな」「ああ、うん」「何でもというのはどの程度何でもなんだ?」「……君の回復を妨げない事なら何でも、という意味だよ」「……そうか」「そうだとも」というような、意味の有無がはっきりしない会話がのろのろと行われたりもする。ある時は、ルーピンの目に視線を据えながら、彼の指を口に含んだシリウスへ「君は肉体的な制限で私に手が出せない。私は精神的な制限で君に手を出せない。この状況はとても公平だね」と彼が笑顔で言い放ったりもした。
 体の損傷も暗殺者への不安も、決して彼等を不幸にすることはなかった。



 珍しくその日、ルーピンは3時間程不在をしていた。シリウスは空を見るのに飽きてしまって、思い立って右足を動かしてみる。遠隔操作をしているようなじれったい動きではあったが、両足は神経の命令を実行しようと微かな動きを見せた。そうなるともう堪えが利かないのがシリウスである。癒し手の注意も忘れ、わずか数十分で彼は両足を床へ降ろしていた。まだ腕の方はぴくりとも動かないが、肩で壁に体重を預け、歩行訓練のようなことを始める。彼の頭の中には、もうすぐ帰ってくるルーピン、その彼を戸口で悠々と迎える自分、驚いて少し大きな声を上げる彼、という図が鮮明に浮かび上がっていた。
 シリウスの予想より数時間遅く、これ以上時間が余ったらこれからアルプス登山にでも挑戦するほかないとシリウスに思わせるくらいの時刻にルーピンは部屋へ戻ってきた。
 確かにシリウスの予想通り、2人の目が合った瞬間に酷く驚いた人間がいたが、驚かされたのは残念ながらシリウスの方だった。
 ルーピンの顔は赤く腫れていた。小さな裂傷もあった。
 ルーピンは扉を開けた瞬間、その小さな応接間代わりの部屋に居るはずのない友人の姿を見付けても、傷を隠そうとしたり、あからさまに困った顔をしたりはしなかった。ただ
「ああ、歩けるようになったんだ」
 とそう言った。
 自分の体調や快復の兆しに関してなどは綺麗にシリウスの頭から抜け落ち、彼はただただルーピンの頬に注視してどうしたのかを尋ねる。
 あまりに彼の黒い瞳が、自分への心配で一杯になっているのでルーピンは苦しくなって少し笑う。
「シリウス、そこの椅子に掛けてくれ。急に無理をしてはいけない」
「リーマス、その怪我はどうしたんだと俺は聞いてる」
 それでもルーピンは彼の手をとって椅子へ座らせ、今日の街の様子を語った。咲いていた花や、路地にいた大道芸人の話を。怪我に関する説明かと黙って聞いていたシリウスだが、やがて視線は不安そうに揺れ、
「その話は怪我をした理由に繋がるのか?」
 と多少怒りを孕んだ声で尋ねた。ルーピンはゆっくりと首を振る。
「リーマス」
「私は君に理由を説明できると思う。君が心から納得できる、嘘の理由を」
「・・・・・・」
「でもそれは出来ない。たぶん気付いていると思うけれど、私は君に嘘をつけない。それは以前にそう決めたからだ」
「なら、怪我の理由を話せ」
「話したくないんだ」
「・・・・・・」
 きっぱりと彼は笑った。もし、杖を持っていたなら彼は部屋に戻るまでに傷を綺麗に治していただろう。そして持っていなくとも、シリウスの寝室にあてている部屋に入る前に傷はなくなっていただろう事をシリウスは確信する。
 彼がシリウスに対して自ら禁じたのは虚言であって、秘密を持つことではない。
 シリウスの表情が変わったが、ルーピンはそのままの顔で続けた。
「シリウス、さっきの続きだけれど、ジャグラーの投げ上げる炎の棒が幾つも幾つも夕空に上がって、子供が歓声をあげた。……空のオレンジ色と炎のオレンジ色はあんなにも違って、でも映えていた。私は大人だから子供達の分もと多い目に硬貨を渡して道を急いだよ。君に大道芸人の話をしようと考えながら」
「どうして言えない」
「夕空が綺麗で、器用な人が面白い芸を見せてくれて、君が部屋で待っている。私にはそっちのほうが余程重要な話だ」
「そうやっていつもお前は―――」
「違う、シリウス。それに比べたらこんな怪我は取るに足りない、どうでもいい事だ」
 そう言ってルーピンは不思議な眼をした。
「君が思っているより、たぶん私は非道い話をしている」
「お前が言わないならはっきり言おうか。それは誰かに殴られた傷だ。非道いのはお前ではなく加害者の筈だ」
「いいや、非道いのは私だ。こんな傷は私に何の影響も及ぼさない。塵ほどの……痛みも怒りも不安もない。感情が起きる段階に至りもしない」
「・・・・・・」
「……私は何か報いを受けるべきなのかもしれない」
「何の話をしている」
「君がここでこうやって話をしている事の方が、余程重要だ」
 そう言って、ルーピンはシリウスの美しい黒い髪に触れ、彼の額にそっと口付ける。「公平ではないね」と小さな声で囁いて身を引いた。いつもならルーピンの肩を覆うか抱きしめるかしていた筈のシリウスの両腕は未だ動かず下がったままだった。
「君の心配するような事では絶対にないと誓う。それから、半年後にはきっと話そう。約束する」
 あたりはすっかり暗くなり、照明を点けていない室内では互いの瞳の光りのみが唯一くっきりと見えるものだった。2人はしばらく無言でそうやっていたが、ルーピンが不思議そうに怒らないのかと彼に尋ねる。
「お前が話さないのは、俺の為だからだ。自分の為じゃない」
 とても悲しそうな声だけがした。
「そして俺が怒っても、お前は話さない。怒っても何も変わりがない」
 まったくその通りだったので、ルーピンは最早答えることがなかった。彼はごめんと呟いて、寝室へ連れて行くためにシリウスの手を取って立たせた。彼は黙って為されるままに従う。
 窓から微風が流れ、夜と花の混ざった匂いが室内に満ちた。









半年後、きっかり同じ時間にシリウスは勢い込んで質問します。
しかし確実に先生は話を忘れていることでしょう。

無論半年を待たずしてあとがきで内情をバラしてしまう訳ですが
(ギャラリーは気楽で良かねー)
ルーピン先生は多分、腐敗の呪いを受けて死んだ3人の遺族に
呼び出しをくらってプチ吊るし上げを受けた。
先生は、罵りや恨みや泣き言を何時間か黙って聞いていたのですが
「自分の大切な人の代わりに生き残った方に会いたい。
会ってあの人の分も生きて欲しいと伝えたい」
と言い出したので、たぶん全部の恨みを受けるような
酷いことを言って、そしてぶたれたのだと思います。
(裂傷はたぶん指輪の石によるもの)
これ以上人生の負荷を増やすとシリウスは耐えられないだろうことを
先生は知っているので。繊細ですからね、あのしと…。

遺族の人も、でも悪くないし
シリウスも悪くないし
かといって先生が悪いわけでも勿論ない
それぞれ正しいのに、でも全員困り悲しむという事態も
現実では珍しいことではないですね。

本文だけで完結せず、あとがきに足が出てようやく片付く話。
(明るいものを書きたいなあ)

2004/03/30


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