シリウス・ブラックに関する短い考察


 普段は全く意識しない事であるが、彼の顔は嫌というほど整っている。もしシリウスを知らない人物に彼の造作を説明するとしたら私はTVの話をするだろう。私達のささやかな家にたった一台だけあるTVが映し出す様々な映像。私は他の魔法使いに比べれば比較的長い時間それを鑑賞してきたのだが、シリウス以上に整った顔の男性が映ったことは今まで一度もない。どう厳しく見ても贔屓目に見ても、懐柔されようと脅されようと、その意見は変えられない。まあ、私の頭がどうかしていると言われればそれまでなのだが、単なる感想であるから大仰に考える事もない。
 そして彼は高潔だ。面と向かってこういえば本人は口疾に否定するだろうけれど、それが真実なのは間違いない。どうしようもなく短気で口の悪い彼であるが、核にある部分は驚くほど高貴で、時にそれは私を絶句させる。嘘や裏切りや妬みや阿り、人間に付き纏うあらゆる醜いものそれら一切を、人の意志で切り離す事は実は可能であるという気が、シリウスを見ているとしてくる。実際ああいう具合に生きるのは外側から見ているよりは幾分難しいと私などは思うのだが、シリウスは少しも意に介してはいないようだ。というよりは、他の生き方など考慮してみたこともきっとないだろう。
 もちろん彼の所作は育ちの良さに相応しく、流れるように美しい。姿の綺麗な鳥を見ている気分になる程だ。声は抑制の効いた低い声で、昔より一層魅力を増した。背も高く、骨格は特別丁寧に造られたかの如く形が良い。

 けれど。そんな風に完璧に美しいものと暮らしていながら、私の意識に普段それらがのぼる機会は滅多にない。

 私が見ているシリウスは、新聞を読んでいる時にくしゃみをしてしまい、皺の寄ったそれを無心に直している姿であったり、特別念入りにきついジョークを私に披露する得意気な顔であったりするのだ。あるいは2人でベッドの上にいる時、どんなに行為に没頭していても、ふと気遣う目を向けてくる彼や、揺れて定まらない私の背を支える腕の感触や。
 もっと雑多で細かいものだ。印象と言ってもいい。私はそれらを確かに愛している。
 愛用している手持ちの品が、ダイヤモンド製であろうとプラチナ製であろうと特に影響はないのと同様に、客観的価値が高いからといってそれに対する思い入れが変わる訳ではない。役割にぴったりと合った素敵な手触りが何より重要なのだから。

 最後にきちんと言っておこう。私は友人シリウス・ブラックを愛している。
 私のその感情と、彼の完璧さの間にはあまり関係がない。そしてそれは多分、とても贅沢なことなのだろう。






某企画参加作品再録。
課題は「恰好いいシリウス」でした。
クリアできたのかどうかは今でも謎です。
これと対の話もそのうち登場。
2003/02/11



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