酒。そして2人(続)



 自分がシリウスを殺さなければならないとルーピンは考えた。気は進まなかったのだけれど。本当に、出来ればやりたくはなかったのだけれど。4人のうち2人が殺されて、1人が殺人者。復讐をする人間が自分ひとりしか残っていないのであれば仕方ないと、アルコール漬けの朦朧とした頭でルーピンはそう考えた。
 その液体は彼を守った。飲んでさえいれば怒りや悲しみや動揺はとても丸く穏やかになり、ルーピンを刺すような事はしなかった。水の底に立っているようなものだ。石のつぶてや激しい雨は、彼のいる場所まで届かない。
 痩せた体の皮膚が、酒の所為で骨格から今にも滴り落ちそうにたるんでいる。瞳は微細に震えるようになり、意識は常に白濁していたがルーピンは一向に頓着しなかった。
 シリウス、無事だったのかと微笑み、さも安堵したような顔で彼に近付く自分をルーピンは想像する。彼が自分の知るままの彼であれば、警戒はしないだろう。
 そこでまず一撃。それは張り巡らせてある何らかの術に弾かれる。二撃目でその防護の術を解除。三撃目で彼の息の根を止める。
 二撃目と三撃目にはかなり高等なスペルを使う必要があった。相手の術より下等であれば、打ち消される確率が高くなる。
 そして速さ。それがすべてを決める。シリウスの魔法使いとしての格はルーピンとは比べ物にならない。速さで補わなければ地に伏すのは間違いなくルーピンの方だろう。
 しかし負ける訳にはいかない。彼を殺さなくてはならない。なにしろ殺人者と自分しか残されていないのだから。
 ルーピンは両手で顔を覆った。
 泥酔は少しづつ脳細胞を殺すという。ではこの自分を打ちのめす為に用意されたとしか思えない終劇も、友人達の死も裏切りも、何もかも消えるのだろうかと、彼はその甘い思いつきをゆっくりと味わう。もしそうなるのであれば、引き換えに人生で一番幸福だったあの頃の思い出を失っても構わないと。
 記憶を治療する薬のように、目を閉じて彼は液体を飲み下した。


 アルコールの味は当時の記憶に繋がっている。
 あの頃は毎日酒しか摂取していなかった。よく死ななかったなと、他人事のようにルーピンは回想する。
 シリウスが新しい杯を手渡してきた。一度失って、奇跡的に取り戻せた友人。今、ルーピンの目の前に座っている。
 彼がルーピンを見る目は一種独特である。息を止めるような熱心さで、これまでの空白を取り戻すように見る。真摯に。
 こんなひたむきな目をして自分を見る人間を殺そうと思っていたのだな、と逆に感心するような気持ちで、ルーピンは尋ねた。
「私が君に勝つ可能性はゼロかな?」
「何に関して?」
「そう、例えば……魔法」
 悪びれもなく真面目な顔でシリウスは返事をする。
「うん、まあゼロに近い」
「言ってくれるね」
「術の種類にもよるが、俺はエネルギーの急激な変換・移動系が得意だ、というかそれしか能がない。つまりは攻撃的な魔法だな。逆にお前は調和・維持系の方が得意だろう」
「そうだっけ」
「そうさ。気付いてなかったのか」
「……ああ、だから四苦八苦する事が多かったのかな。いま納得したよ」
「知ってると思ってたが」
「……じゃあ結局は勝てない訳だ。君に」
「真正面から向かい合えばな。色仕掛けを使えばこの限りではない」
 この失礼な発言も許されなければならなかった。なぜなら今彼等は酒を飲んでいるからである。
「色仕掛けって!?露出度の高い服を着るのかい?私が?」
 むせて咳き込みながらコップをテーブルにおいて、ルーピンは確認する。
「いや、お前がにっこり笑う。俺がそれに見とれる。その隙をつくんだ」
「そういうのは色仕掛けとは言わないよ」
 それが色仕掛けなら、昔にルーピンが考えていた手段も色仕掛けだった。魔法使いが魔法使いを殺すのに、魔法を使わなければならないという法はない。泣いて取り縋り、首の後ろに廻した手で頚動脈を切ればいいのだ、という結論。
 シリウスは、泣きながら腕を伸ばせば決してそれを振り払えはしない、と祈るような気持ちで信じていた。殺すための手段として。心の最後の拠り所として。そのどちらでもありどちらでもなかった。
 今、シリウスは目の前にいる。彼を殺さなくてもいい。腕を伸ばせばきっと受け止めてくれるだろう。その至福。ルーピンは目を閉じた。目を閉じていても彼の視線を感じる。夜よりも黒く、犬のように罪のないあの目が自分を見ている。
「リーマス?眠るならベッドへ行け」
「少しだけ。少しだけだよ。すぐに起きる」
「一度目を閉じたら、朝まで開かないだろう?って、もう聞こえてないな」
 聞こえているけれど、と返事をしようとしたが、ルーピンの舌は動かなかった。なので『心地良いから、もうしばらくそうやって見ていてくれないか』という言葉もシリウスへは伝えられなかった。
 しかし彼のささやかな望みは、ごく自然に叶っていた。






 テーブルの上で、腕に顔を伏せてルーピンは眠っていた。その友人を眺めながら、向かいの席でシリウスは酒を飲んでいる。食卓に両足を乗せるという何とも行儀の悪い格好だが彼は頓着しなかった。注意をする役割の人間は寝息を立てているのだから。
 ルーピンのひそやかな呼吸の音。
 今日も色々な事柄について話した、とシリウスは思った。飲んでする議論のなんと複雑怪奇で単純明快な事か、と。
 相手も、自分でさえ思ってもみなかった言葉を言うので先行きが見えない。そして普段は読めない、彼の本音が少しだけ分かる。今日の彼は哀しい顔をしていた。だからきっと彼にとっては何か哀しい話題だったのだろう。シリウスは食卓に手をついて何とか立ち上がる。
 背と膝の裏に腕を廻して、彼を抱き上げた。シリウスが不安になるくらい、ルーピンの体は軽い。頼りなく揺れて凭れ掛かってくる頭部。
 今抱き上げているこの体は容れ物なのだ、と不意にシリウスは実感する。おそらくルーピンの意に添うものではない、病んで痩せた体。その中に確かに存在する、少し疲れたようではあるが優しい、仄かに明るく強い精神。体はただの容れ物。
 けれど。ただの容れ物であるが、それでも愛しいとシリウスは思った。この体がなければ彼はこの世に存在出来ない。体は常に呼吸し、血液を流し彼を生かしている。愛しくない訳がない。シリウスはそっと彼の唇に口付けた。
 寝室まで彼を運べない程酔ってはいない。しかしシリウスは友人を、側にあるソファに下ろす。こうなると朝まで目覚めないのを知っているから少々粗雑に。そして細くて骨っぽい、これ以上はないくらい抱き心地の悪い彼の体を抱きしめると、シリウスは、ひどく安心する。散々な状況の自分達ではあるが、最悪ではないと。ここからは1人ではなく、まだまだ巻き返せるのだと。守る存在があり、守られていると実感できる。
 朝、目が覚めるといつも手足が絡まっているのはどうしてだろうとルーピンは時折不思議そうに呟いている。シリウスは一応儀礼的に首を傾げて見せるのだが、今、彼は小さく笑って呟いた。「犯人は俺だ」と。
 その自白は聞く者のおらぬまま夜の空気に溶け、シリウスはことりと眠りについた。

 
   


リーマスサイドのあとがき(創作意識吐露・高飛車)
2人の人間が、現実にはあり得ない程愛し合っていて、まるで
ファスナーみたいにがっちりと精神的に組み合っている姿が
見たくて、結局はホニャを書いているのかもしれません。
究極の両想いと、優しいすれ違いについて書きたい。
1人の人間の頭で2人の人間を書くのは物凄く難しいのだけれど、
そこらへんは巧妙に、慎重に。所詮は全部奇麗事ですが、
現実の汚い部分を削り落とす時も、なるべく丁寧に。まるで
少しだけしか削ってないように見せかける。その辺りに
熱意を持って臨んでいます。
あ、私は逃避の為には酒を飲みません(て書いとかないと)。


シリウスサイドのあとがき(ポエジック・相当暑かったのだな)
好きな人の体というのは水槽のようなイメージがある。
酸素を供給し、養分を与え、適度な温度を保ち、
外部の衝撃から内側を守る。この水槽が壊れるとき、
中にいる私の好きな精神や魂が失われるのだと思うと
怖い。そして哀しくなる。水槽頑張れ、と内心思っている。
中の魚が好きなので、勿論水槽も好きだ。水槽をつつくと
中の魚がびっくりするのが楽しい。水槽に影響されているから、
余計に魚が愛しくなるのかもしれない。


BACK