おおかみ


私にはむかし、シリウスという友人がいた。
私にはむかし、ジェームズという友人がいた。
私にはむかし、ピーターという友人がいた。
 
シリウスはジェームズとピーターを殺した。
彼は罪を償わなければならない。



 リーマス・J・ルーピンはここ10年ばかり、毎日この文章を唱えてから眠ることを習慣としていた(病によってそれが不可能となる数日を除いて)。短い文章だからすらすらと言えるし、つっかえることもない。けれど、たったこれだけの言葉が最初の1年は口に出来なかった。身体は勝手に震えたし、眠るときに限ったことではないが涙が流れた。感情の爆発と同時に襲う無力感。天井の梁にロープを掛ける自分の姿が、どれほど魅力的に脳裏に浮かんだことか。
 彼は油断していた。
 自分は許されたのだと思ってしまったのだ。
 ホグワーツに入学して友人を得、人生の苦難は終わったと思いこんでしまった。
 しかしそれは全く違った。
 神(か或いは名前も知らない造物主)はこれまでの悲劇に飽きて、違う悲劇に芝居を換えただけだった。そこでルーピンは今までとは違うパターンの苦悩に切り刻まれ振り回されぼろぼろにされて悲鳴を上げる。そういう役回りだったのだ。
 勘違いをした自分が悪い。ルーピンはそう思った。
 彼のあの高潔も、彼の笑顔も、彼の優しさも、すべてはこの結末のために用意されたものだったのだ。自分の憧憬を粉々に砕いて、誰だか分からない見物人が楽しむために。そう考えられるようになるまで随分時間が掛かった。
 しかしこの夜の詠唱が1000回目になり1500回目になる頃、ルーピンは彼等の名を口に出来る自分に気付いた。シリウス、ジェームズ、ピーター。
 そして3000回目になる頃には学生時代の思い出は、誰か違う人間から伝え聞いた話のようにしか感じられなくなっていた。自分の思い出ではなく誰か別の。
 時間こそが全ての支配者で、いかな歴史や事件でも、文化や創造物でさえ、そして人間のありとあらゆる感情も、時間には勝てない。血を吐くような憎しみや不変を誓う友愛でさえ。
 そして森羅万象の中で時間だけはルーピンを虐げなかった。


わたしには むかし、シリウスという ゆうじんがいた。
わたしにはむかし、ジェームズという ゆうじんがいた。
わたしにはむかし、ピーターという ゆうじんがいた。
 
シリウスはジェームズとピーターをころした。
かれは つみを つぐなわなければならない。


 彼はいつも唱えている言葉を機械的に頭の中でなぞった。普段のように唇で唱えることは出来ない。何故なら現在の彼の口は横に大きく裂けているからだ。
 ルーピンは懐かしい母校にいた。教師として招聘されたのだ。
 恩師に会い、そして友人の忘れ形見に会った。部屋を与えられ、衣食に困ることもない。ただ1点、シリウス・ブラックの事を除いては、何の憂慮もない。
 ブラックがこの学園に現れる目的はただ一つしかなかった。それをルーピンは必ず阻止しなければならなかったし、そして彼がここに現れることは、即ち彼が判決を下された通りの罪人だったということになる。そのときこそルーピンは彼に償いをさせなければならない。血は血で。死には死を。ディメンターに与えられるよりは安らかな死を……そう考えかけてルーピンは首を振った。これは自分の役目であると。ディメンターに渡すわけにはいかない。
 しかしルーピンにとってそれは楽しい仕事ではなかった。彼はシリウス・ブラックの訪れを、借金取りのそれのように厭わしく感じていた。出来ればあの島で、自分の目に触れないように朽ちてくれればいいのにと幾分自棄のような気持ちでそう思っていた。
 面倒は何かに押し込めて蓋をしてしまうのが昔からのルーピンのやり方である。
 思えば満月の夜、人間ではない姿でこんなにも彼らのことを考えるのは珍しい事だった。
 普段は人間としての意識を失っているか、あるいは薬を服用して精神を保っていたとしても物を考えられる状態ではなかった。
 今、ルーピンの頭の中は完璧にクリアである。片足や胴の感覚が痺れているということもない。吐き気もない。この学園に来てからルーピンの飲んでいる脱狼薬は、間違いなく最高品質のものだった。
 彼はおそらく生まれながらにして計量の神と段取りの神に愛されている。「これくらいでいいだろう」「おおまかに」「だいたいこのくらい」という概念が彼の中に存在するとは到底思えない。
 きちんと切りそろえられた短い爪。ナイフとフォークを扱うように、器具を扱う手つき。彼を思い出すとき、まずそんなものが頭に浮かぶ。
 セブルス・スネイプ。
 ルーピンは薬を調合する役目を持つ、その懐かしい学友の顔を思い出す。再会したときに自分を睨みつけていた顔を。ルーピンは何かの健康法で胡桃でも噛んでいるのかと一瞬思い、それから緩やかに過去の出来事を思い出した。彼はルーピンが原因で死にかけた事があるのだ。
 しかし申し訳ないとは思いながらも、ルーピンにはその記憶もどこかの遠い誰かのもののようで、何の感慨も呼び起こさないのだった。死んだ彼等の記憶すら麻痺しているのだから、生きて健康でいる彼の記憶などは。
 そういう訳でルーピンは間の抜けた笑顔を浮かべるという対応をするしかなかったのだが、彼は噛んでいた胡桃の欠片が虫歯に刺さった(ようにルーピンには見えた)顔をして、どこかへ行ってしまった。
 彼は子供の頃からそういう調子で怒りっぽかった。
 シリウス・ブラックも同じくらい怒りっぽかったが、シリウスの怒りはきちんと他人に向かっていた。晴らしたり、ぶつけたり、常に発展するものだった。しかしスネイプにとっての怒りは、他人に投げ与えるのが惜しいくらい素敵なものであるらしく、彼はいつもそれで身を飾り立てていたのだった。彼は必死で怒りを握り締めている。他人の目からすれば湖底のヘドロに近しい物だとしても、スネイプには関係ないらしい。
 ルーピンはこういう人間を嫌いではなかった。自分の乗った奇妙な暴走列車の仕組みが理解できず、怪訝な顔をしたまま揺られているような、そんな個性の持ち主が。
 学生時代の頃の話だ。現在のルーピンは人間に対するいかなる嗜好も持ち合わせていない。
 それ以来、機会あるたび「人狼め」とスネイプは口にするようになった。
 おそらく100回その言葉を口にしても彼の望むような効果はあげられないのだと、ルーピンは説明したかった。お互いに島が何キロと離れている状態で、いくら石を投げても無駄だと。石を投げ続ける人を見ているこちらが疲れるとそう言いたかった。

 ……チョコレートでも たべるか

 ルーピンは月明かりに照らされた自分の机の上のパッケージに目を留めた。
 普段ならチョコレートどころではない状態だが、現在の彼は菓子類に心を引かれる余裕がある。狼の姿でチョコレートを食べるという珍しい思いつきは、それまでの物思いを(若干意識的にとはいえ)すっかり払拭した。
 模様の浮き出た白い紙の箱にチョコレートは入っており、貝殻のボタンと紐で留められていた。

 あれ?なかなかむずかしいぞ。 わたしは ひとのすがたをしていても
 あまり きようなほうでは ないからなあ……。

 最初は爪を使って紐を外そうとしていたルーピンだが、細すぎて中々思い通りにならない。次は牙を使ってみたが、角度的にそれも難しいようだった。もちろん少し力を入れればボタンは弾け飛び、簡単に蓋は開くだろう。しかし凝った装飾を施された箱をそんな乱暴な手段で開ける事へ、恐れに似た嫌悪をルーピンは感じた。何とかならないものかと鼻先を擦り付けたり、爪を引っ込めた前足でつついてみたりしていると、1枚の紙が机からひらりと落ちた。
 
これは なんだっけ。
えーと、なになに『年度方針……』
あ!!しまった!!

 1週間ほど前に、年度方針計画書を提出してくださいという連絡が確かに廻ってきた。その手の公的な文章を作成する機会が滅多になかったルーピンは、ああでもないこうでもないと四苦八苦して、そして中途のまま放棄していたのだった。
 提出期限は明日までとなっている。新任の教師以外はもう提出済だと聞いていた。慌ててルーピンは羽ペンを手にとろうとして、前足で額の部分を押えた。チョコレートの箱を開けることすら出来ない手で文字が書ける訳もない。ペンを口でくわえて筆記するという方法も、即座に彼は諦めた。

こういうばあい、ふつうの きょうじゅは どうするんだろう。
「ごめんなさい、ひるまでには かならず だします」
といっていいものだろうか。
ん? きょうじゅが きげんを まもらないときは
なにが げんてん されるんだろう。
こまったな。せんせいなど やったことがないから
かってが わからない。

 このまま丸くなって眠ってしまえば取りあえず思い悩まずに済む、という素敵な考えが浮かんだがルーピンは首を振って打ち消した。これまでの気ままな暮らしとは違って、現在の彼は組織に属しているのだ。その責任を果たすべく努力をするべきだ、とルーピンはドアノブに飛びついて部屋の外にまろび出た。
 

 当てはひとつしか考えつけなかった。
 夜のやわらかな温度の中、そこへ向かう為の通路はしんと冷えている。地下の階層はもう冬の空気に切り替わっているようだった。
 セブルス・スネイプ。胡桃を噛む人。
 ルーピンは石造りの校舎を音も立てずに走り抜け、黒い影のようにかの教授の部屋の前に辿り付いた。
 ノック代わりに2、3度ドアを爪で引っ掻く。時間帯を考えれば当然のことながら返事はなかった。仮にもしルーピンが部屋の主なら、例え狼が10匹集まってドアの前で遠吠えを始めたとて目を覚ませるかは怪しいところである。
 困った彼は舌を出して呼吸をし、それでも諦めきれず尻尾でドアを叩いてみた。
 突然ドアが開いた。
 丈の長い寝巻きを着たセブルス・スネイプが立っており、それは非常に喜ばしい事だったのだが、彼は仁王立ちをしてルーピンに杖を向けていた。
 驚いたルーピンは口を閉じて慌てて伏せる。
「薬を飲んでいるのか?」
 スネイプは完全に寝ぼけていて、そして殺されるかもしれないと思ったルーピンは迅速に頷いた。
「右手を上げろ」
 第三者からすれば「犬の調教に血道を上げて杖を振り回している人」以外の何物でもないだろうが、ルーピンにとっては楽観できる状況ではない。
「次は左手だ。そうだ」
 それからスネイプ教授は、「尾を振れ」「右足を上げろ」と念入りにルーピンを試していたが、彼が完全に人の意識を保っていると納得すると
「入れ」
 と冒険小説の秘密の多い主人公のように囁いて、素早くドアを閉めた。
 しかし部屋に入れたとルーピンが安堵するのも束の間、彼は呪いの魔術もかくやという勢いで罵り文句を並べ立てた。曰くそんな姿で満月の夜に徘徊するくらいならいっそ人間の姿のときに全裸で構内を歩くがいいリーマス・ルーピン。一体お前は気が狂ったのかそれともトイレの場所が分からなくなったのかと。
 ルーピンは彼の怒りも至極尤もなので黙って時計を見ながら聞いていたが(それに反論のしようもない)、15分ほど経過したところでおずおずと机の上を指してみた。
「机?机がどうしたこの人狼」
 彼の机の上には提出した年度計画書の写しが、きちんと年度ごとにファイルされていた。そればかりではなく机の上のものはすべて机の4辺に対し必ず平行に配置され、明日必要なものが全部そこに準備されていた。資料や、道具。身の回りのものに至るまで。
 もしかすると、彼は子供の頃からずっとこうなのだろうか?と内心小さく震えてルーピンはファイルを前足でつついてみた。
 驚いたことにスネイプは悲鳴を上げた。
「お前!まだ書いていないのか!」
 かつての友をすべて失い、そしてかつて一度も友であった事のない男にこんなにも理解をされている自分に皮肉を感じてルーピンは黙った。
「馬鹿者!月が昇る前に書いておけ!いや、そもそも数日前に書いておけば良かろう!新米の分際で!」
 スネイプは毒づきながらドアを開けた。慌ててルーピンは後を追う。
「どうせお前の事だ!期日など忘れて毎日うたた寝をしていたに違いない!お前は昔からそうだった!」
 夜の廊下を憤然と歩くスネイプはナイトキャップをかぶったままだったので、ブービー帽をかぶせられた生徒か、或いは変なサンタのようだった。「帽子をとり忘れているよ君」とルーピンは言いたかったのだが、狼の口では少し難しい。
「だいたい我輩は最初から校長に反対申し上げていたのだ!!お前のような怠惰で性根の腐った輩に闇の魔法に対する防御術の教師は相応しくないとな!リーマス・ルーピン!まったく我輩の言う通りだ!お前がその地位にいるのは間違っている!!」
 無視をするのも失礼だろうかとルーピンは合いの手の代わりに小さく吠えていたのだが、途中で「やかましい!」と怒鳴られて尾を丸めた。
 頭から湯気を立ち上らせんばかりの教授とおろおろした狼の影は、月明かりに照らし出されてまるで御伽噺の1場面のようにコミカルに動いていた。少なくとも影は。
 ルーピンに与えられた部屋の扉を開け、一歩内へ足を踏み入れるなりスネイプはうっと息を呑む。
「来たばかりだというのに、一体どうやったらこんなに汚せる!!」
 口のきけない彼の名誉のために少し述べておくなら、ルーピンはそもそも所持品が少ない男だったので通常の意味において部屋を散らかす事は不可能だった。スネイプ教授が嘆いているのは椅子にだらしなく引っかけられたローブであり、分類されていない書類であり、きちんとメイキングされていない簡易寝台である。別の人間が見れば「簡素な部屋」というコメントで済んだであろう状態だった。
「衣服を出しっぱなしにするのは何のまじないだ?マーキングのつもりか?しかも書類は収納されずに散らかりっぱなしだ。それでいて期日は守らない。我輩の理解を超えている」
 彼の部屋を訪ねた瞬間から、自分がずっと叱られていることに気付いてルーピンはそのエネルギーに少し感心した。そして酷く疲労したので、彼は普通の犬のするように尻尾を振ってただスネイプを見上げた。
「……こっちが用紙でこれが草稿だな。こんなくだらない用件はさっさと片付けるに限る。机と椅子とインクとペンを借りるぞルーピン」
 そう言って彼は身体の全てのパーツが地表に対してきっちりと垂直や平行になるいつもの座り方をし(スネイプの身体が地表に対してそれ以外の角度でいる場面をルーピンはあまり見たことがない。なので彼は時折おおがかりな物理の計測器を連想する)、そして印刷された物のように大きさの揃った文字でルーピンの下書きを書き写し始めた。
「……どうして年度方針に『したいと思う』とか『そういう感じで』などという表現が使われるのだリーマス・ルーピン。この書類はそんな寝言を書く為のものではない。具体的に教科書のどのあたりまでをどの時期に終えるかという計画書なのだ!」
 ルーピンは引き続き尻尾を振って首を傾げた。
「ああ、もういい。お前には何を言っても無駄だ」
 スネイプは淀みなく「闇の魔術に対する防衛術」の授業進行予定を記した。彼は一度も資料を開かなかった。教科書の内容やページ数はしっかりと彼の頭に記憶されているようだ。

いつも おもうのだけれど きみの ぶんしょうは なんだか 
おなかがすいている ひとのもの みたいだよ セブルス
どうしてだろう

 ぼんやりとルーピンが手元を覗き込んでいるうちに、原文とはかけ離れた流暢な文章の書類が出来上がり、スネイプはそれを手にとって立ち上がった。
「最初からこの有様では先が思いやられるな」
 尾の付け根の筋肉が疲れてきたので、ルーピンはじっと彼を見てから頭を下げた。フン、と盛大に鼻息がもれる。まったくもってここ数年分くらいの叱責を一夜にして受けてしまった彼は却ってくすぐったいような気持ちがしていた。もはや彼には自分を叱責するような立場の知り合いはいないので。
 少年の頃のルーピンに「馬鹿」だとか「虫だ」とか。「ボケ」だとか「ルーピン星人」だとか。実に無造作に罵り文句を投げて寄越した人々が、懐かしく思い出された。彼等のぽんぽんと頬に当たる軽快な口調と、そしてこちらを覗き込む優しい笑顔をルーピンは思い出した。あの頃少年だったルーピンは彼等に怒られる瞬間が嫌いではなかった。
 狼の身体では、笑いという感情を発露できない。それと同じく狼の身体では涙を流せなかった。勿論ルーピンはそれを知っていた。悲しいという感情は、毛皮が縮まるような奇妙な感覚に替わる。
「お前はいつもぼんやりと明後日のことを考えている!もっと足下を見ろ!」
 スネイプはきっと思ったままを言ったに違いなかったが、彼は成る程と思った。ルーピンは身近なところを何も見ない。スネイプ教授の言う通り、ここにはいない誰かや、ここではない場所や、過ぎてしまった時間やそうでなければ遠い未来のことばかりを考えている。しかしこの薬学教授は違う。常に足下に目を凝らし現れる虫や雑草に一々驚きそして怒っている。
 ルーピンがとっくの昔に疲れてしまったこの路を、彼は怒りながら歩いてゆく。おそらくこの先も疲れたりはしないのだろう。何故なら彼は少年の頃からずっと怒っているから。
 遠くへ行くときは足下を見て歩くのだと教えてくれたのは誰だったか。
 もしかすると。
 突然浮かんだその奇妙な思いつきはルーピンをたじろがせた。
 もしかすると、自分と彼はこれから長い年月をかけて、穏やかに話の出来る間柄になるのかもしれないと。もちろんそれまでには気が遠くなるくらい山盛りの怒鳴り声と罵詈雑言を聞かなければならないだろうけれど。そして不本意ながら自分は彼を嫌と言うほど消耗させるだろうけれど。
 ハリーの。ジェームズの息子の身を守り、自分の手か或いは吸魂鬼のキスによってシリウス・ブラックの命が絶えた後に何年も時間が過ぎれば、自分達は昔の話をするのかもしれない。その情景は全くあり得ない事だとは言い切れないように、ルーピンには思えた。
 『友人』という言葉が、もうすっかり『かつて心から愛し尊敬した人達』という意味になっていたルーピンにとって、『新しい友人』という概念は万有引力の発見よりも衝撃的だった。
 黙ってしまった彼をどう思ってか、スネイプはさっさと部屋を出ていこうとする。
 ルーピンは考えをまとめるか、あるいは更に突拍子もない天啓を受ける為に、もう少しの間彼が部屋にいればいいと思った。
 先刻、開けようとして開けられなかったチョコレートの箱が偶然目に入る。スネイプが身を屈めてその紐をいとも簡単に解く様を想像しながら、彼はそっと箱を前足で押しやった。
 しかし箱を見るや否や彼はさらに眉間に皺を増やして大声を出した。
「礼などいるか!!」

おれいじゃなくて!!

 薬学教授の声の大きさと、礼など考えもしなかった自分に驚いて、ルーピンはしばらく立ちつくしていた。彼の姿が部屋から消え、そしてドアの閉まる音がした後も、長い時間ルーピンはそうしていた。
 狼の身体は涙を流せなかった。しかしそれと同じく狼の身体では笑いの感情を表現できない。肺に粉が入った時のような苦しそうな咳が、しばらく続く。

おおいに そのちょうしで セブルス!
まったくもって きみはすばらしい。

 ルーピンはいつもの彼らしく色々な考えやすべての感情を、ロウソクの炎よりもあっさりと吹き消して、その場で丸くなった。それから柔らかい毛並みの腹が5、6度も上下しないうちに眠りの世界へ落ちてしまった。
 明日の朝になれば、くたびれた服を着て穏やかな笑顔を彼は浮かべているだろう。それは眠る前に唱える友人達の名と同じく、ここ10年繰り返してきた日課なのだ。




 数日後

 スネイプ教授がどこかの野良犬にリーマス・ルーピンという名前を付けて飼っている。
 そしてその哀れな犬に向かって「お前は闇の魔術に対する防衛術の教師には相応しくない」と夜毎説教をしているというジョークが、瞬く間に校内に広がった。

 やがてルーピン教授は授業中そのジョークを生徒から聞かされ、その場にへたり込むくらいの大笑いをすることになる。








という訳で「いぬ」と対なのではなく、
「彼を待つ時間」につながる話なのでした。
(何もかもが懐かしい……)

なーんでこんなに長くなるのか!??スネイプ先生の呪い?
そういえば まともな彼は初登場ですね(笑)。
2004/05/20


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