LOVE POTION


 パウダーを使って遠くの街まで買い物に出掛けたリーマスは、両手に一杯の荷物を抱えて戻ってきた。それをひとつひとつシリウスは受け取って、しかるべき位置に収納していく。瞬く間に紙袋は空になった。忙しく立ち働く友人を眺めながら紅茶を飲んで休憩していたリーマスだが、目の前に紫色の小瓶を2本差し出されて怪訝そうな顔をした。
「これは?」
「俺が今それを聞こうとした。何に使うつもりでこれを?」
「いや……私は買った覚えがないけれど。何の薬かな」
「…………媚薬と書いてある」
「ますますもって覚えがないね」
「だろうな」
 その手の薬を買ってくるような茶目っ気がもし彼にあれば、2人の生活は今とはもう少し違った様子だったに違いない。真面目に目を丸くしているリーマスの顔を見てシリウスは溜息をついた。
「そういえば薬屋さんで買い物をするとき、精算台がごった返していた。もしかすると後ろの人の買おうとしていたものが混ざってしまったのかもしれない。こっちも大荷物だったし。ああ、代金はどうなっている?」
「伝票を見ると支払った事になっている」
「じゃあ急いで返しに行く必要はないね。何かの折にでも持って行こう」
「使用期限が短いようだ。でもまあ別にいいだろう。往復のパウダー代のほうが高くつく」
 無駄な出費と自分の不注意をリーマスは詫びた。もともと経済観念が普通人と違うシリウスは、却って謝罪に驚いたようである。けれど「どうせ間違って買ってくるなら、幾らかでも使えるような物にすれば良かった」とリーマスが笑った時、彼は何かを言いかけてやめた。

 その日の夕食のあとで、シリウスがやけに真面目な顔をして話を切り出した時、リーマスはてっきり今後の生活の根底が変わるような何か重大な話題かと思った。それくらいシリウスの表情は真剣だったからだ。しかしシリウスは単に、手違いでこの家にやってきた例の薬を試してみないかと、そういう提案をしただけだった。
 リーマスは控え目に笑ったあと(彼は本当はもうしばらく笑っていたかったのだけれど、シリウスが真剣な顔をしているときにいつまでも笑い続ける悪癖を出すと碌な事にならないのは経験済みだったので)簡潔に断った。
「どうしてだリーマス?」
 彼は心底不思議そうに首を傾げる。そうすると、黒い耳と尻尾が浮かんで見えんばかりになる。卑怯だぞパッドフット、と心の中で罵ってリーマスは首を振った。
「だってシリウス、そんなものを飲んでどうするんだ。別に私達は片思いをしているわけではないし倦怠期でも多分ない」
「しかし恋人同士だろう?それに男として、こういうものは片っ端から試してみたくなるもんじゃないか?」
「……じゃあ君が飲めばいい。それは自由だ」
「つれない事を言うな。せっかく2本あるんだ」
 リーマスは眉をひそめて問題の小瓶を手にとる。女性用とも男性用とも書かれていなかった。これでは感性を鋭敏化させるものかそれとも鈍化させるものか、単に精力剤なのかの判別もつかない。成分表は擦れて消えかけており、とても読めそうになかった。
「胡散臭い」
「飲んでみれば分かる」
 シリウスはじっと笑ってこちらを見ている。少年の頃なら今ごろはもう短気を起こして怒鳴っていただろう。しかし現在大人である彼には待つ余裕と分別がある。それが微笑ましいような残念なような気持ちで、リーマスはいつも彼の我侭を聞く。そして大抵は叶える。
 もちろんリーマスが「私はいつも脱狼薬で体を痛めているのだから、これ以上得体の知れない薬を飲みたくない」と言えば、シリウスが即座に瓶を捨てるだろうというのは分かっていた。そして彼はきっぱりと詫びるだろうことも。しかしリーマスはそうはしたくなかった。自分の都合が少々曲がっても、シリウスの喜ぶ顔を見たいという誘惑に結局は敵わない。
 低い声でリーマスは唸った。
「私の理性のタガがはずれて君が酷い目に遭っても、自業自得だというのを覚えておいてくれ」
「背中がぞくっとするね、教授」
「変態の黒犬め」
 食卓に肘をついたリーマスの前に紫の瓶が置かれる。シリウスの長い腕が、こちらとあちらにデザートのようにそれを配置した。
「うん、なんだか心中するみたいだ」
「ああ、俺も今そう言おうと思ったところだ」
「薬が悪ければまさにその通りになるけれど」
「……分かった。俺が少し先に飲むから、様子が変になったらお前はすぐに吐き戻せ」
「変というのはどの程度の」
「床に倒れたらだ」
 言うか早いかシリウスは薬を一気に飲み干した。仕草が舞台劇めいていて、リーマスはロミオを連想した。そしていい年をしてどうしてロミオだ、という理不尽な非難をひそかに浴びせた後で彼も小瓶の蓋を取った。もしこのまま自分が薬を飲み干さず、笑いながら瓶を逆さにして中身を捨ててしまったら、一体シリウスはどうするつもりなんだろうとルーピンは考える。その可能性をちっとも考慮していないところがシリウスらしいといえばらしい。味について彼に訊ねてみると、甘いと返事が返ったので安心してリーマスはそれを嚥下した。
 沈黙が落ちて、瓶を置く音が大きく響く。
 彼等はポーカーをする時のように互いの表情を素早く窺いあった。リーマスは溜息をついて、自分達は子供の頃クソ爆弾などを仕掛けて回る他愛ない友人同士だった筈であるのに、どういう巡り合わせで一緒に媚薬を飲んで(おそらくは)寝室へ行くような間柄になったのだろうと独白した。
「今、唐突に我に返ったよ」
「よりによって媚薬を飲んだあとで我に返らなくても良さそうなものだ」
「まあそうだね。それにこの年で一緒にあの爆弾を仕掛けて回る訳にもいかない」
「……何か変化は?俺がハンサムに見えてきたりはしないか教授」
「君はいつもハンサムだよ」
「薬の効果か?」
 いつもと変わりない笑顔でリーマスは首を振る。そのあとしばらく、普段と同じように落ち着いた会話が交わされたので、シリウスはこの手の薬にありがちな期待はずれの商品だったかなとリーマスにぼやいた。
「そうでもないよ」
「何が」
「たぶんこれは薬の効果だ。潤んだ瞳は魅力的だというけれど、行き過ぎだよね」
「?」
 顔を上げてリーマスはゆっくり瞬きをした。両目から涙が落ちる。シリウスは絶句した。
「それからこれも」
 涙と笑顔というアンバランスな表情で、次にリーマスは指を開いた手を差し出した。それは酷く震えている。
「寒いのか?」
「いいや全く。君のほうは平気なのかい?」
「俺は何ともないようだ」
「ならいい」
 しばらくの間リーマスは、静かに涙を流し震えていた。途中でシリウスは何度か、気分が悪いなら気にせずに1人で寝室に行ってもいいのだ、と律儀に「1人で」を強調して勧告した。リーマスはしばらく思案して、「就寝中に妙な症状が起きて、朝に私が冷たくなっていたら君も寝覚めが悪いだろうから」と首を振る。
 そうしている内にリーマスの様子は除々におかしくなっていった。顔色が常にもまして白くなり、額に汗が浮かび、とうとうシリウスの問いかけにも返答がなくなってしまう。
「リーマス……その……」
「シリウス」
 意を決した、という風情でリーマスが立ち上がった。頭が大きく揺れている。彼はテーブルを回って、シリウスの着席している側へ一歩一歩ゆっくりと歩いた。靴が木の床で鈍い音を鳴らす。
 すぐ側まで来た友人を、シリウスは目を大きく見開いて見上げた。先ほどの脅迫の言葉を今更ながら思い出したのだろうか、怯えに似た色が眼に浮かんでいる。リーマスは苦しげに笑って「違う」と呟いた。
「済まないが、君を抱きしめてもいいだろうか?」
 そう言うと彼はシリウスの肩に腕を回した。のみならず、驚いた事にシリウスの膝の上に腰を掛ける。戸惑いながらもシリウスが抱き返すと、長い吐息が漏れた。
「リーマス?」
「説明してもちゃんと分かってもらえるか自信がないけれど、空気に直接触れているのが嫌なんだ」
「薬の?」
「多分。……ああ、吸血ヒルだらけの沼の中に服を着たまま浸っているような気分がする……最悪だ。シリウス……頭も覆ってくれないか……」
 シリウスが椅子に座りなおして、腕の中のリーマスをしっかりと保護する姿勢を取ると彼の体から力が抜け、重みが伝わってきた。熱病のように体が震えている。出来るだけ外気に触れたくないのか、彼は小さくなってシリウスの肩に顔を埋めた。
「しかも部屋の中のもの全部が拡大鏡で見たみたいになって目が開けていられない……これはどのあたりが媚薬なんだろう……」
「客観的には媚薬だと思うが」
 何せ震えながら涙を流し胸に身をすり寄せる友人、である。普通に生きていて拝めるようなものではない。
「私にとってはどう考えても媚薬ではないよこれは」
「……試してみるか?」
 あやすように髪を撫でながらシリウスは冗談半分に囁いた。リーマスはあっさり頷く。
「せっかく薬を飲んだのだから挑戦してみたいんだけどね。……情けないことに私は一歩も動けそうにない。」
 シリウスは無言でリーマスを抱えたまま立ち上がった。
「これで何か問題は?教授」
「ああ、ないようだね」
 2人はその時同時に悪趣味なジョークを思いついたのだが、さすがに口にするのはためらわれたので黙っていた。そして無言のままシリウスは友人を彼の寝室まで運び、リーマスは友人の肩に顔を伏せ大人しく運ばれた。
 



 彼の寝室の扉を長い足で蹴り開けて、シリウスはリーマスに「お前を横たえて、俺は紳士的に自分の寝室へ退散することもできる」と再度確認をした。リーマスは今は絶対にシリウスの体から離れられない、そしてどうせ薬が切れるまでこのままなら、何かをしていた方が気が紛れる。抱き合ったまま出来る事といったら限られている、というような内容の台詞を、シリウスにしか通じないくらい手短に言った。そして
「その代わりこれから起こる事については、君のその優秀な記憶力からは抹消してくれなくてはいけない」
 と、涙を流しながら真剣な顔で訴える。
「……悪くない」
「何が」
「いや、その表情」
「・・・・・・」
 これしきで喜んでもらえて光栄だよ、とリーマスは相手に言ってやりたかったのだが、震えが舌の根にまで及んで呂律も怪しくなってきた。彼は悔しそうに目を伏せる。
 リーマスをベッドに抱え降ろそうとしたシリウスだが、リーマスはどうしても肩にしがみついて離れようとしなかった。仕方なく彼は難儀をしながら2人で横たわり、それから2人分の靴を床へ投げる。服を脱がすのがこれまた難しかった。
 邪魔をする意志はないのであろうが、リーマスはぎゅうぎゅうとともかくシリウスを強く抱きしめる。体の隙間から手を差し入れてボタンと格闘しているシリウスに詫びながら、それでもリーマスは手を緩めなかった。ようやく何とか格好が付く状態になった時、逆にシリウスが息を乱していた。
 苦笑しながらキスをすると唇が小さく鳴って、その音にさえリーマスは身を縮める。あまりにいつもの様子と違う彼に心配半分、好奇心半分で「大丈夫か?」とシリウスが耳元で囁くと肩が跳ね上がった。リーマスの息はもう浅くなっている。
 自分の体の状態に戸惑いを隠せない彼は、頑なにシリウスから視線を逸らして呟いた。
「私のことは……あまり構わなくていいから」
「これからお前と寝るのに、お前を構わず誰を構うんだ」
 とシリウスは笑う。
 胸に唇を滑らせようとすると、人の肌が離れるのが不安なのかリーマスはシリウスの肩にしがみついたまま首を振った。ざりざりと髪が鳴る。「分かった」とだけ囁いて、シリウスはキスを繰り返しながら手探りで彼の体に触れていった。肌のきめの細かい場所と粗い場所。目で追わなくともシリウスの指は覚えている。
 彼に与えられた感覚は痛みを覚えるほどの強さでリーマスの皮膚に刻まれた。誤魔化しようのない快感。それは対応する内臓の位置するところから喉元までせり上がり、嘔吐感にも似た激しさで体を何度も上下した。リーマスは身をよじる。
 呼吸をしようと口を開けたときに強い刺激がきて、思わず大きな声が漏れた。しかしリーマスにはシリウスを窺うような余裕はない。どちらが天井でどちらがベッドなのかがとうとう分からなくなって、彼はシリウスに更に強くしがみついた。こうしていれば取りあえず落ちる心配はない。熱いシリウスの背の肌。
 上気して適度な湿度を持った人間の肌の、何と感触の良い事だろう。この世のどの物質よりも手に馴染む。リーマスは初めて知る事実に陶然として、シリウスの背に何度も手を這わせた。
 何度目かの激しいキスを受ける。もう顎に力の入らなくなったリーマスの口腔をシリウスは思うさま蹂躙した。下唇を噛まれ、喉を噛まれ、顎を噛まれ、彼は弱々しい声を上げる。
 言葉や羞恥心、シリウスと抱き合っている時間にいつもリーマスの脳裏から消えてしまうものに加えて、今は記憶や人格といったものまでが薄れつつあった。彼に残されたものは、ただ触感のみ。
 普段のリーマスは、シリウスに与えられる刺激を余裕を持って楽しんでいた。時に邪魔をしたり、時に仕返したり。しかし今は全くそうではなかった。温かい舌を追うのに必死になり、されるがままの姿勢を取り、普段なら鼻で笑ったに違いない微妙な言葉を問われた通り口にした。
 身体のすべてが自分のコントロールをはずれ、相手の意のままになるという羞恥と快楽をリーマスは初めて思い知る。
 出来るならもっと早く、乱暴に。それをどう言葉にすれば体裁が整うのか、今のリーマスの頭では考えつけそうになかった。だから名を呼ぶ。表情で哀願する。祈りのように一心に。シリウスは神より慈悲深かった。リーマスは歓喜の声をあげる。
 別人のような彼の声を聞きながらシリウスは耳元でリーマスに許可を求めた。それは彼等の間ではあまり頻繁には行われず、また行われる際には何かと準備の必要な行為だった。色々と不都合がある気がしたが、ほとんど判断力のない頭でリーマスは何度も頷く。
 シリウスは指で幾度も探った後で、ゆっくりと彼の体の中に浸入した。リーマスの上体が強張る。手に絡みついたシリウスの髪が千切れる音がした。2人の汗が混じり、シリウスの匂いをリーマスは強く感じる。いつもは異物を排出しようとする内臓の動きと吐き気に苦しまなければならなかったのだが、今は不快な感覚はすべて除去され、精製された快感だけを味わう事が出来た。世界の全てが今ここで終わるようなあの感覚が来て、リーマスは彼の名を呼んだ。人の名前の中で一番舌に馴染んだその名を。

 行為の後で、リーマスはシリウスの顔をまともに見る事が出来なかった。なので薬は切れていたにも関わらず、その効果が続いているような振りをしてずっと眼を閉じていた。しかし一生こうやっている訳にもいかないので、果たしてシリウスに掛ける第一声をどのようにすべきかという以前にも考えた懐かしい問題についてずっと吟味していた。地震か火事が起こればいっそ好都合なのにとも。
 シリウスは恐らく眠っているのだろう、ゆっくりとした呼吸をしている。それでも、リーマスの頭と肩を覆うように廻された彼の両腕は動くことがなかった。

 翌日、偶然彼らの家の前を通りかかった村民は、家の中の住人が何か言い争いをしているのを聞く。室内の人影のうち1人は暖炉に入ろうとしているようだった。もう1人の人影がそれを羽交い絞めにして止めている。
 暖炉の掃除に関して何か喧嘩をしているのだろうかと見当をつけて、村民は家の前を通り過ぎていった。







恥ずかしくて読み返せないので
誤字とかあっても知りません。
つーか後半一気に書いたので変だ絶対。

シリウスは「この店の媚薬ありったけ全部くれ!」
と言いに行こうとして、先生にお仕置きされた模様。

なんかこの薬ってどう見ても
ヘロ・コカ・キノコ系だよね……。
媚薬が男性に、こんな風に効いてしまっては
いけないと思う。
先生の一人称で書いた方が面白そうですけど
それじゃ薬物小説になっちゃいますから。
確かに媚薬の効き方とは思えませんが、
先生は病気だしシリウスは畜生人間だし、
どっちかが(またはどっちも)変なんでしょう、
たぶん。

わたしのゆうじんは、もしこれをよんでしまったら
みなかったことにしようね。やくそくだぞ?

2003/03/31


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