魔法遣いの臨終(下)


「それにしてもあれだけ仲の悪かった東にピョートルがものを頼むとはのう」
「ほんまじゃ。喧嘩するたんび山三つ焼いとった二人が」
 隅の方で交わされた陰口に敏感にエウドキアは反応した。
「やかましいぞ年寄り共。『枯れ木も山の賑わい』と言うからな、山の代わりに燃してやってもいいが?」
 憤る魔女に、しとやかに歩み寄った姫が水を含んだ布切れと箸を手渡した。
「?何だこれは?おい、老女!」
「浄土でピョートル様が渇く事のないように。唇を湿して差し上げるのですわ」
「厚かましくも浄土へ行くつもりなのか!オマエは!」
「それに関してはわしも東と同意見だわい」
「あら、でもこの場合『地獄で渇く事のないように』とは言えませんでしょう?表現上」
「子供の前で嘘は良くないぞ」
「こらこら東の、そんなべたべた濡らす奴があるか。限度を越すと末期の苦しみをいたずらに増す!おまえも文句くらいつけんかピョートル」
「構わん。どうせこんなものは生きている者の満足の為にする事だ。燃やされようが転がされようが儂には発言権はない」
「ひねた年寄りは放っておいて、次はピーター君じゃ。なかなか経験出来る事ではないぞ『死に水を取る』のは」
「大変賑やかで結構な事だ。ピーター、身体の方はどうだ?苦しくはないか」
「はい。だい、大丈夫です」
 白い魔法使いの枕元、一番近い場所に少年は屈み込んでピョートルの顔を見ていた。
「エウドキアのもとでしっかりと学べ。儂が死ねば間違いなく彼女は当代随一の魔法使いだ」
「はい」
「死ななくても随一だ」
「年寄共の顔もたまには見に行ってくれ。儂の代わりに」
「……はい」
 疲れたのか、白い魔法使いは眼を閉じた。唇だけが力なく動くのが寝台の廻りに集まった人々に某かの感慨を引き起こす。
「お前達も色々済まなかったな。礼を言う」
「わしらも。おまえには何かと良くしてもらったからなぁ」
「ただし影でこそこそじゃが」
「何の話だ?」
「バレバレのミエミエだったぞあれは。わしと対立しとった急進派の親玉がある日を境にぱったり大人しくなって引退したり」
「そういえば、わたくしを狙っていた刺客は弓をつがえたままのポーズで石になっていましたわね。面白いから放ってありますけど」
「知っていたのか」
「知らんと思っていたのならどうかしとる」
「御前達は、ぼんやりしているから」
「お互い様じゃ」
 『それもそうだ』とピョートルは聞き取れない程小さな声で呟くと、少年に手を伸ばした。その持ち主の精神に相応しいとはいえない繊細な形の手を少年は握り締める。
「後顧の憂いもない。皆もいる。ここ数百年で一番気分がいい」
「最後の言葉はどうした?ピョートル。何か格好の良いのを残すと言うておったじゃろう」
「そうだったな。『死──或は大山より重く、或は鴻毛より軽し』……少々堅苦しいか。『死と借金は避けようがない』ではどうだ」
「オリジナリティに欠けるのう」
「つまらん、つまらん」
 周囲の評価は今一つで、エウドキアまでが問題にならないという風に首を振っている。ピョートルは、しばし黙考した。
「オリジナリティとは難しい事を言う。しかし儂らしさを追及すると途端に格好良くというコンセプトから外れてゆくような気がするな」
「まあ言ってみろ」
「……『鮭に死すとも、後悔は無し』」
 臨終の場には相応しくない朗らかな笑い声が起こった。皇太后も王も大司教も芸術家も哲学者も教授も大富豪もピーター少年もエウドキアも皆破顔一笑する。
 誰もが白い魔法使いの次の言葉を待った。しかし彼は口元に微笑を浮かべたまま静かに横たわっており、その笑顔は友人達の笑いが収まった後も消える事はなかった。
「・・・・・・」
それでも彼等はしばらく待った。喋り疲れた魔法使いが小休止を取っているのだろうかと。ピョートルは楽しそうな顔をしていた。まるで彼の周囲ではまだ旧友達の馬鹿話が続いているかのように。
「ピョートル?」
「ピョートル様」
 おずおずと何人かが声を掛ける。大司教が脈をとった。
「イカン。死んどる」
 老人が首を振ると、ピーター少年が大声で魔法使いの名を呼び泣き始める。老人達はさすがに涙を見せるような事はせず、ただ芒洋と彼の顔を見た。
「……なんちゅうマイペースな」
「ゼンマイが切れたような死に方じゃな」
「今際の言葉はマジで『鮭に死すとも、後悔は無し』になってしもうたぞ」
 つい先程まで『この美しい顔も、雪の髪も波に洗われた桜貝のような爪も』と恥ずかしげもなく自らの美貌を誇っていた彼の華やかな横顔が蘇る。黙っていても人目を引く容貌の彼が、今は嘘のように主張薄くひたすら沈黙していた。ただ死んだというだけで随分と顔が違って見えるものだと、旧友達は立ち尽くす。
「結局、お葬式に関してのピョートル様の御要望は伺えず仕舞いでしたわねぇ」
「ああ。肝心な所で抜けとる奴じゃ」
 ぽつりぽつりと交わされる会話に興味がなさそうだったエウドキアは、ピョートルの顔を見下ろしたまま呟いた。
「此処に居合せたのも何かの縁だ。葬式は私が出してやる」
「本当か?やっぱり今風の派手な葬式で坊主を五十人くらい呼んだりするんか?」
 常識的な路線で質問する老人達にエウドキアは問答無用で戸口を指差した。
「これから十を数える」
「?」
「十数えている間に屋敷の外へ出ろ。逃げ遅れた人間の命の保証はしない」
「東の、それは一体……」
「始めるぞ。一……二……」
 生前のピョートルも人の話を聞かなかったが、エウドキアもそれに勝るとも劣らない。ここで探究精神を発揮していれば命を落とす可能性が大きい事に老人達は気付き、あたふたと逃げる準備を始めた。
「どなたかピョートル様を運んでくださいまし。先程将軍と半分こで折り合いがつきましたのよ」
「どうやって半分こにするのか、聞いてもええかな?姫」
「うちの国が死刑廃止になる前に使っていたギロチンが宝物庫に残してあったはずですの。それでピョートル様を上半身と下半身に分けるんですわ」
「……それで誰が上半身をもらって誰が下半身──」
「五……六……」
 ピョートルの死体を担ごうと歩み寄った者達の前に、エウドキアは無言で立ちはだかった。
「こりゃ、あきらめろ姫!逃げるんじゃ」
 猶もピョートルの死体に執着をみせる皇太后を老将軍が引っ張った。『ガッデム』と低く唸って老女は走り出す。
 老人達の慌てふためく声が廊下を遠ざかってゆき、部屋に残ったのはエウドキアとピーター少年そして白い魔法使いの遺体のみとなった。先程までは人間がひしめき手狭に感じられた部屋だが、こうしてみると随分と大きな作りの寝室だという事が分かる。
「九……十……。おい、十だぞ仔ザル」
 ピーターは魔女に呼ばれても反応を示さなかった。深い瞳の色をして魔法使いを見ている。
「行くぞ。立て仔ザル」
「置いていって下さい。僕はここにいます」
「馬鹿を言うな。オマエは私が持って帰るんだ」
 少年のか細い腕をへし折ってしまわないように注意しながらエウドキアはピーターを引っ張った。しかし少年は頑固に寝台にしがみついて抵抗する。
「怪我がないうちに言う事を聞いたほうが身の為だぞ」
 エウドキアは側の大円柱に軽く拳を叩きつけた。ヒビ一つ入ることなく、鋳鉄がえぐり取られて床に落ちる。
「殴るなら殴ればいい。僕の頭なら原形も残らないでしょうね」
 怯えて手を離すかと思われたが、意外に少年は平静を保っている。不思議に冷えた緑の眼がエウドキアを見上げた。
「死にたいのか」
「そうではありません。貴女のもとで魔法の勉強をするつもりでした今の今まで。ああ、僕を弟子にすると言って下さって有り難うございました。うれしかったです。エウドキアさん」
 魔女は突然膝を抱えてしゃがみこみ、ピーターを覗き込んだ。顔は相変らずの仏頂面である。
「それでどうした。魔法を勉強するのはもう嫌か」
「そう、ですね。この死に顔を見たら、もうどうでもよくなってしまって。本当に幸せそうで……ここで死ぬのが正解なのかも知れないと」
 用心深く寝台の縁を握り締めたままピーター少年は白い魔法使いの胸に頬を付けた。さらりと髪が鳴る。
「……らしくないことを……」
「え?」
「子供らしくない事を言うな、と言ったんだ!馬鹿者!」
 なけなしの忍耐が尽きたエウドキアが唐突に少年に体当たりをした。
「嫌だ!ここを動かない!」
「やかましい!手荷物の分際で文句をたれるな!」
 巨大な寝台が傾ぎ、壁を飾る額や燭台が音を立てて落下する。髪を引っ張られても服を引き毟られても少年は持ち堪えた。
 絶妙のタイミングでエウドキアはひゅっと息を飲む。
「おい!ピョートルが眼を開けたぞ」
「ええっ!まさか!」
 一瞬ピーターの手が緩んだ所をエウドキアが肩の上に担ぎ上げた。
「卑怯な嘘を!この恥知らず!」
「はっはっはっはっ。子供のくせに年寄り臭い喋り方をするな。ピョートルのが伝染したか?」
「そんな事は貴女に関係ない事です!降ろして下さい!」
「暴れるのは構わんが、私の顔に傷一つでもつけたら死んだほうがマシという目に遭わせるぞ」
 なんとか魔女の腕から逃れようと少年は身を捩るが、万力の如き凄じい力で身体を締め付けられて危うく意識を手放しかける。肩の上で悪戦苦闘する少年に構うことなくエウドキアは横たわる白い魔法使いの頭を一つ撫でて寝室を出た。
 主を失った広大な屋敷。
 ピョートルが何百年もかけて築き上げた、それは彼だけの城だった。建築様式から調度品細かい装飾に至るまで全てに白い魔法使いの審美眼が行き渡り、神経質なまでに統一されたそれらはまるで一つの巨大な美術品のようでもある。先程老人達が先を争って譲り受けようとした事でも分かるが、その価値は金銭で替えられるものではなかった。
 その中を黒ずくめの魔女が歩く。豪華な彫刻にも絵画にも眼をくれずに、一直線に。彼女は人さらいのように子供を抱え、歌う様に呪文を口ずさんでいた。
 エウドキアが呪文を唱えるにつれて屋敷の中は次第に明るくなってゆく。照明のせいではない、壁が天井が床が建物自体が内側から光を放ち始めていた。
「館を燃やすつもりか。勿体無いのう」
 無事に屋外に逃れていた老人達は変わりゆく思い出多いピョートル邸を眺めて溜息をついた。
 しかし炎と言うよりそれは純然たる光だった。鮮烈な、けれど眩しくはない白光が屋敷の内部で明滅を繰り返し、建物の輪郭を徐々に曖昧にする。炎のはぜる轟音も、醜くゆらめく築材のシルエットもそこには存在しない。
 まるで館は砂で築かれた建物であったかの様にさらさらと崩れ、風に散っていた。様々な大きさの光球が館の廻りを乱舞して老人達の影が右に左にその長さを変える。現実のものとは思えない光景。
「極楽浄土でも、これ程は……なぁ」
「生きているうちにこんな美しいものを見てしまっては、あの世に行ってから落胆する事になりますわ」
「ピョートルがここにおったら『色彩に対する光の優越性』とか喧しかったろうに」
 彼等が白とひかりの交錯に心を奪われていると正面の大扉を蹴破ってエウドキアが出て来た。ピーター少年を担いでいる彼女に老人達は怪訝な顔をする。
「どうだ!仔ザル。奇麗だろう?」
 黒ずくめの魔女は白光を背に自慢した。通常の赤い炎よりは遥かに高度な技術を要求されるという事はピーターにも分かる。溶ける様に建物を消すには桁外れの高熱。そして炎を光に変える色彩の変化。同時に周囲の人間を守る為に空気の冷却を魔女は一人で行なっているのである。白の魔法使いの最期を飾るのに確かにそれは相応しい宴であった。ピョートルが凭れて読書をしていた窓辺が、お気に入りであった楡の木が白に包まれて姿を消してゆく。
「……確かに奇麗です。でも僕の名前は仔ザルではありません」
「ん?そうか。ええとペーテルだったか?」
「・・・・・・」
「ピーター君じゃよ」
 笑いをこらえながら老人がエウドキアに教えてやる。ピーターがふと顔を上げた。
「皆さん、今日は本当にありが……」
 礼を述べかけたピーターを、エウドキアは最後まで喋らせなかった。
「そういうわけでアイツとの約束通りこの仔ザルは私が貰ってゆく。文句はないな」
「ないない」
「元気でなぁ。ピーター君」
「これから大変じゃのう。御苦労さん」
「お幸せにね」
 エウドキアが独特の笑顔を浮かべて片手を挙げると不意に風が強くなって、彼女の背後に静かに飛竜が舞い降りた。ピーター少年を抱えたまま魔女は軽々と跳躍して獣の背に乗る。
「さらばだ年寄り共!縁があれば又会う事もあるだろう!」
 魔女の科白の後半にはドップラー効果がかかっていた。ピーター少年が必死に身体を伸ばして地上の老人達を見る。にこにこと手を振る彼等に少年も手を振り返した。
 おりしも屋敷がひときわ強い光を放った時、エウドキアの飛竜は悠々とその上空を一度旋回するとスピードを上げて飛び去って行った。

 突然白い炎を上げて輝き始めた遥か遠方の『西の悪い魔法使』の屋敷に、何事かと家の外に出た街の多くの人々は上空を渡るその姿を見る。そして驚きながらこう噂するのだ。『西の悪い魔法使いが今、死んでしまったらしい』そして『死ぬ間際に東の悪い魔法使いと仲直りしたようだ』と。
 そのオーロラのような、幻の華のような白光は夜の間中燃え続け、街の人々は眠りを忘れて彼方を見やっていたという。




「ようやっと終わったな」
「ああ、終わった、終わった」
 美しい光明に照らされながら、老人達は互いに肩を叩きあっていた。彼等は旧友を亡くしたばかりとはとても思えない晴やかな顔をしている。
「まあー散々冷や汗かいたわ。何かおごってもらわんとワリに合わん」
「そうそう。東のがピョートルにチッスをした時な。絶対バレると思ったが」
「ありゃあ死体をピョートルが動かしとっただけだからな」
「なんか冷たいとか生臭いとか思わんかったのかのう?東のは」
「少々曲がってようが腐ってようが、他人の事はどうでもいいんじゃ。東は」
「ピョートルの趣味はよう分からん」
「脱皮までしてあんな変な魔女となぁ」
「おい、脱皮と言うとまた怒られるぞ。転生の秘術たらいう小難しい説明を嫌と言う程聞かされたじゃろう」
「脱皮で結構じゃ、あんなもの。ちゃっかり東の好きそうなかわいらしい顔の子供になりおってからに」
「もしバレたらどうする気かのう?東の事じゃ、生皮剥いで軒下にぶら下げるくらいはするぞ」
「そうかしら。殿方の方からモーションをかけて頂いたと分かってまんざらでもないんではないかしら」
「モーションかけたというのか?あれは」
「東のはそう思わんのじゃないか」
「ダマされたと烈火の如く怒るぞきっと」
「それでも可愛らしいあの御顔でとりなせますわよ。本当に愛らしかったですわ、金の髪の小さなピョートル様も。私が持って帰りたかったくらい」
「やけに素直じゃの。姫」
「これからもピョートル様には色々口実をつけて御会いしに行くからいいんです。皆様だってそうでしょう?死体は少々惜しい事をしましたが」
「結局姫は旧ピョートルの死体の上半身が欲しかったのか、それとも下半身が──」
「さあ日付が変わらん内に国に帰るか。今ごろ仕事が山積みぞ」
「そうじゃな。ピョートルのあほうな用事のせいでエライ時間を喰ってしもうた」
 老将軍がひとつ息をついて首の骨を鳴らした。他の面々もやれやれと巨大な白の館に背を向ける。
 誰かが可笑しそうに呟いた。
「それにしてもあの二人、いつかはくっつくだろうと思っていたが、まさか六百年近く掛るとはな」
 うんうんと全員が頷ずく。
「……アホじゃな、あいつ」
「ほんまアホじゃー」




 むかしむかし、ある所に有名な魔法使いが住んでいた。
 『住んでいた』と過去形で表現されている事から分かるように、彼は随分と昔の人間で今はもうこの世にはいない。享年607歳だったという。
 しかし飽く迄それは世間に広まった表向きのはなし。
 彼は転生の秘術という超高等魔法によって緑の眼をした少年に姿を変え、もう一人の長生きな魔法使いや、意外に長命な旧友達と共に幸せに暮したという。それが、ごく少数の人間しか知らぬ真実である。




       終わり








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