い ぬ


 

おれたちは まいにち さんぽにでかける。

 大抵は午前中に、シリウスとルーピンは連れだってその辺りを歩き回る。目的は外出できないシリウスの日光浴だったが、気が向けば走ったり遊んだり寝ころんだりもする。滅多に人のやって来ない区画なので何を気取る事もなかった。中年男2人で散歩もどうかと思う彼等ではあるが、シリウスが単独で行動すると、親切な誰かに通報されて捕獲されないとも限らない。
「おいでパッドフット」
 ルーピンはドアを開け放って室内の友人に声をかけた。

リーマスがおれを まったくのイヌあつかいするのはきにくわないが
なまえのよびかたはわるくない。


 犬の聴覚は、声帯を振るわせる音だけではなく、その声が肺の中の空気に響く音や、吐息が唇を掠める音までも捉える。犬になったシリウスには、名を呼ぶ声に込められた感情まで聞き分ける事が出来た。親しい人間を呼ぶときのルーピンの声の調子。それは犬の身には物理的に肌を撫でられるように感じる。
 シリウスは目を細めた。
 太いどっしりとした足で、わざとルーピンの足の甲を踏んでシリウスは家の外へ出る。人間は後から苦笑しながら付いてきた。

このすがたでいるとき リーマスは ひどくやさしい
かくしているつもりらしいが まるわかりだ。


 歩きながらシリウスが戯れに軽く体当たりをかけても、彼は笑うばかりで注意しようとはしない。学生時代に、それほど動物が好きだっただろうかと考えてみるが、はっきりとは思い出せなかった。
 一度「俺が好きなのか犬が好きなのか」と尋ねる機会を窺うシリウスである。それは相手がいつもより酔っている時などが望ましい。
 ルーピンは散歩をしながら友人に向かって話した。彼は一人暮らしが長かった人間独特の、返事の必要がない話し方が得意だった。話題は子供時代のシリウスの憎まれ口や、3日前の夕食の感想、今現在の気温の話、などなどまったくとりとめがない上に収拾もつかず飛びに飛んだ。独り言なのか問い掛けなのか判別のつけがたいその言葉を聞きながら、シリウスは歩く。どちらにしろ犬には返事のしようがない。
 膝丈の雑草を踏み分けて進むと、暖かい空気が吐息のように草の間から吐き出される。それが涼しい朝の風と混ざるのが面白いのかシリウスは駆けだした。
 ぴょんぴょんと植物の中を見え隠れしながら走ってゆく友人の後ろ姿を見て、ルーピンは幸福そうに笑って腰を下ろした。気候は申し分なく、空はすばらしく晴れていて、指名手配されている友人はのびのびと野原を駆けている。世間の常識からすると少々微妙な問題がないではないが、ルーピンは素直に現在自分は幸せであると認識していた。彼の価値観は見た目や印象と若干違って単純である。
 シリウスが1人で遊んでいるようなので、彼はすぐさま横たわって目を閉じる。

バライチゴがある。おいしそうだ。ああ、しまった、すっぱいぞ。
これはなんだ?ツルマメか。うん、これはなかなかいける。


 犬の姿になると鼻と口が前面に出ているデザインのせいか、ものがとても美味しそうに感じられるのだった。しかも目に入った物をすぐ口に入れるのが本当に簡単なのだ。見つかるたびに友人に注意されるのだが、聞き入れるシリウスではない。

コマツナギか。たしか まあまあの あじだったな。ついでに くっとくか。
うん、やっぱり まあまあだ。
……これはたべたことが ないな……うまいだろうか?いちどたべてみよう。
……いたたたた、くちのなかにカラがささって いたいじゃないか!
たべるんじゃなかった。


 風がザッと草を鳴らして、素敵な野の珍味に夢中になっていたシリウスは顔を上げる。そこに友人の姿はなかった。

あいつまた ねているな。
どうしてあんなに ねむってばかりいるんだろう。


 シリウスは夜に眠る以外に睡眠を取るという事に関してあまり理解がなかったし、重病人でもない大人が明るい時間に寝ている姿にマイナスの印象を持つ方だった。しかし何故かそんな彼の唯一の友人は、シリウスの知る中で一番惰眠を貪る大人である。「どうしてそんなに所構わず寝るのか?」という問いに対して、ルーピンは「眠るのが好きだから。そして余計なカロリーを消費しないから」と答えた。「この話は追究するとあまり明るくない方向へ行くと思うけど?」とも。シリウスはその時、納得したので素直に謝り話題を打ち切ったのだが、今にして思えば上手に誤魔化されたような気がしないでもない。
 横たわっているルーピンを探すのにはまったく苦労しなかった。シリウスは尾を振りながら、見慣れた寝顔の友人へ歩み寄る。
 細い、まるで厚紙で出来ているように頼りない友人の身体を潰してしまわないように注意しながら、そっとシリウスはルーピンに覆い被さった。
 彼の唇だけが動く。「こら」と読めた。
 シリウスは構わず彼の額に鼻面を寄せる。

おれはこの ひたいの においが すきだ。
かみのにおいと リーマスのにおいがまざって、
なんだかわからないけれど いいにおいだ。
……ハリーは何と言っていただろう。そう「物置みたいな匂い」。なかなか上手いことを言う。


 いつの間にか黒犬は姿を消し、黒い髪の男性がルーピンの上にいた。
「シリウス」
 瞳を開いたルーピンが、さすがに真剣な顔をしている。
「犬の口ではキス出来ない」
「……家に帰っ――――」
 小言を途中で遮られた彼は、仕方なく再び目を閉じる。長いキスだった。
「・・・・・野原で抱き合ってキスだって?もう駄目だね私達は。本物だ」
「偽物や仮性だとでも思っていたのか」
「一昔前のティーンエイジャーじゃあるまいし……」
「ああ、一昔前はティーンエイジャーだったな」
 笑ってシリウスはもう一度唇を重ねる。ルーピンの手が伸ばされて、シリウスの髪を撫でた。ここで洋服のボタンに手をかけたら、彼が一体どういう反応をするのかを猛烈に知りたくなったシリウスが逡巡していると、突然ルーピンはシリウスを突き放した。
「まだ何もしてないぞ!」
「君、今、歯が欠けたんじゃないか?」
「誤解―――何?歯?」
 ルーピンは口元に手を当てると、何かを吐き出した。ゆっくりとその手がシリウスの前に差し出される。
 小枝の切れ端に似た、けれど誇るようにツヤツヤと輝く茶色い破片。
「ああ………………さっき食った…………」
 シリウスがぼんやりと答える。微妙に硬い表情の友人を窺いながら。
「カブトムシの角………………」
 雨が近付いているのだろうか。遠雷が鳴った。


あめがふってきた。
でもおれは いえにいれてもらえない。
リーマスは「少なくともカブトムシを食べる人間のいない所で
考え事がしたいんだ」といって おれを いえから おいだした。
ひどいやつだ。
たまにはカブトムシくらい たべるだろう 
いっしょうに いちどや にどくらいは だれだって。





はいみなさん、声を揃えてツッコミましょう
「食わねえよ!」

寒さに弱い友人が、辞世の句を詠みかねない
風情なので、ちょっとでも楽しい気分になるようにと
書きました。こんなに頭を使ったのは久しぶり。
そういえば私達 創作する人間は、相手が
腐女子に限り、ほんの少しだけ幸せに出来る
スキルを持っているのですねぇ。
身につけた技術を使って、知恵を絞ったら
高い確率で相手が幸せになるなんて、
凄いことだと思いました。
他にも何かツライ思いをしている人がいたら
10分間だけでも幸せになりますように。

後日あとがき
その友人が、礼だとゆってパロディのパロディを
私にくれました。皆様にもおすそわけ。「ひと」
「箱根の山は天下の険 函谷関もものならず」『箱根八里』作曲者:滝廉太郎

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