陽性事件


 ハリーという少年はそれはもう沢山の家出をした。
 彼はシリウスとリーマスの共通の友人ジェームズの一人息子で、父親譲りの不思議な魅力を持った子供だった。
 彼の家出先はシリウスとリーマスの住む荒野の一軒家と決まっており、そこには彼専用の部屋やパジャマ、ソファベッド、歯ブラシ、食器があった。つまりは生活するのに必要な物がおおよそは揃っているという事だ。
 ハリーは時々口を尖らせて2人に訴える。
「シリウスか、先生がパパなら良かったのに」と。(リーマスはハリーの通う学校で臨時の教師を務め、ハリーを教えた事がある)
 ハリーは父親ジェームズを「イカレてる」、もう少し穏当に言うなら「あんなの大人じゃない」と考えているようだった。
「友達のパパはもっと普通に毎日仕事をしていて、家では新聞を読んでいるよ。それで休みの日はカードゲームで遊んだり、昔のクィディッチの試合なんかを見せてくれる」
「ジェームズだってハリーと遊ぶだろう?」
「ああ、それはね。でもパパには他にも色々楽しい遊びがある。パパはいつも何かに夢中だ」
 ジェームズの仕事は時に発明家、時に小説家、時に分類学者、時に諜報員。謎めいていて誰にも本当のところは分からない。ともかく彼はあらゆる瞬間目を輝かせていて、自分の仕事に生き甲斐を感じていることだけは確かだった。
「でも『お前だけが人生の楽しみだよハリー』なんていう父親は御免だろう?」
 シリウスがそう言うとハリーは顔をしかめて「ウェッ!」という声を出す。
「で、ハリーは『大人っていいなあ、早く大人になりたいなあ』って思ってる。違うか?」
「・・・・・・」
「手紙だけでも出しておいては?」
「ああもう、シリウスはいつだってパパのしもべ妖精なんだから。たまには僕と一緒に悪口を言ってくれたっていいじゃない」
「……ハリー、あんな頭のおかしな奴のしもべになるくらいなら俺はいっそマンドラコラになりたいな」
 ハリーは表情をくるりと変えて笑った。緑色の瞳が深みを増す。
「そう、もっと親身になって考えてよ!折角の休みで帰省している僕を夜中の2時に叩き起こして『これから登山に行くぞ!』とか言うんだよパパは!ママも止めないんだ!サンドイッチとか作ってるんだ!変だよあの人達」
「突然キノコ採りやらヒツジの毛刈りに行ったりするんだよねえジェームズは」
 リーマスはハリーと大して歳の違わない子供のようにくすくす笑った。『本当に』ハリーは考える。『2人のうちどちらかがママと結婚して僕の父さんになってくれたら良かったのに』と。彼等は他の大人達より話が分かるし、それでいてジェームズよりは「話が通じる」のだった。
 しかしこの男性2人には、ジェームズ程ではないにしろ謎がある。
 2人ともまだ十分若く健康な男性であるのに、半分隠居をするようにこの辺境の地で暮らしている。都会での楽しい遊びや中央で手腕を振るう事にはあまり興味がなさそうだ。そして2人共特に恋人を持っている様子がない。ハリーは非常にそれを残念に思っている。
 ハリーの名付け親でもあるシリウスは異常なくらいハンサムな男で、魔法界であろうとマグル界であろうと大通りを歩けば必ず声を掛けられる。そんな事はもう慣れっこなのだろう、女性のあしらいがハリーから見ても実に格好がいい。いつか女の子に誘われたらシリウスみたいにクールな返事がしたいと密かに少年は考えているくらいだ。そして、一緒にいるシリウスは理想的な遊び仲間だった。繰り出されるジョークはいちいちおかしいし、競争事や勝負事には例え子供のハリー相手でも本気になる。そのくせハリーを休憩や軽食に誘ったりするのはいつも絶妙なタイミングで、少年は「エスコート」という技術をシリウスから学んだ。
 その友人リーマスはシリウスのように目立つ容貌こそしていないが、だからといって彼のことを冴えない男性だと目にも留めないのは『分かっちゃいない女性』だとハリーは思う。彼はいつも穏やかで、にこにこと笑っている人だった。常識を何よりも愛していて、シリウスやハリーを時に諭したりするが、かといって彼が常識家かと問われれば残念ながらハリーは10回以上も首を振るだろう。ごくたまに、リーマスはシリウスを絶叫させるような事をする。居合わせればハリーも絶句するような事を。リーマスは申し訳なさそうににこにこ笑っているばかりだ。彼のやった失敗の数々をハリーは第三者に教えるつもりはないが、一度父親に向かって「面白い人というのはルーピン先生みたいな人の事を言うんだね」と呟いたら、ジェームズは読んでいた書物を恐ろしい勢いで閉じ、無言でハリーの腕を取ってクロスさせた。(ちなみに母親も台所から大あわてで走ってきて、無言のスクラムに加わった)彼の頓珍漢な所や、それでいて落ち着いた物の考え方、すべてひっくるめてハリーの目にはとても魅力的に映った。
 世の女性はどうしてこんなに恰好良い男性を2人も放っておくのだろう、とハリーは焦れったい気持ちだった。あるいは「もしかすると2人は昔ママに片思いをしていて、あんな変人がママのハートを射止めたショックから立ち直れていないのかもしれない」などと推理してみたりもする。
「それで今回は何の喧嘩をしたんだ?」
 大失恋の嫌疑の男シリウス・ブラックは、小首を傾げてハリーに問うた。ハリーの脳裏に不愉快な記憶が蘇ってきて、取り留めない推理は消えうせた。
「いつもの『パパ禁止』戦争だよ」
「ああ」
 ジェームズは息子から「パパ」と呼ばれるのを毛嫌いしている。男の子の性質として当然ハリーは「パパ」としか呼ばない。しかも実に上手に幼児の真似をして「ダリィィー」と発音してみせるものだから、ジェームズは家の中を耳を押えて駆け回る。(リリーなどは「ママ」と呼ばれても、「どうしたのマイベビィ?」と甘ったるい声で余裕の応対なのであるが)
「今日は『ハリーの馬鹿!馬鹿!でべそ!馬鹿』って言われたから出てきた」
「……それは」
「……両方バカだ」
 思わず漏らしたシリウスの一言にハリーは憤慨し、リーマスがとりなした。曰く「ジェームズが正面から憎まれ口をきくのは良いことなんだよハリー」と。
 ジェームズの本来の喧嘩のやり方は、端で見ていてさえ精神衛生上悪く、標的にされたほうは言うに及ばず、そしておそらく本人にとっても良い事はひとつもないような、そんな方法なのだとリーマスは笑っていた。
「もういいよ。先生の顔を見たいと思ってたし。それからシリウスのバイクに乗りに来たのと、あとロンドンに新しく出来たテーマパーク風のカフェに連れて行って欲しいのと、それから」
 まだあるのか、とシリウスが笑う。ハリーは涼しい顔をして頷いた。
「レポートを作成したいから手伝って」


 秋からハリーが受講するつもりの授業は、希望者がひどく多いので抽選かもしくは選考になるかもしれないという話だった。どちらにしろ篩い落しの始まる前に打てる手を打つべきだという友人の助言に従って、彼はアピールの手段としてレポートを提出する事にしたらしい。
「ただでさえ僕は有名な変人の息子だというので不利なんだから……」
 薄暗い笑みが少年の顔に浮かんで、シリウスもリーマスも慌てて彼の気を引こうとする。
「そういえば今日の午前中はずっと庭で何かしていたけど、あれは何だったのかな?ハリー」
「ああ、見せてくれと言ったのに断られた」
「ずっと円陣を描いてたんだよ。さあ、こっちに来て、2人とも入って」
 ハリーに手を取られて、庭へ出た2人は「おじゃまします」と彼の描いた魔法円に足を踏み入れた。複雑で美しい模様がびっしりと円の中を埋め尽くしている。
「へえ、君は君の父さんに似てすごい集中力だね。器用だし。私なら半年かかってもこんなもの描けないよ」
「お前はまず完全円形からして描けないじゃないか。最初の段階でアウトだ。ところでハリー、この魔方陣で何をするんだ?」
「召喚だよ。受けたいのは召喚関連の授業だもの。2人とも円から出ないでね」
 ハリーの返事に、リーマスだけが「へえ」と間の抜けた相槌を打つ。確かにそれは大人の監督を必要とする危険な行為だった。魔法とは異なるために省に探知される恐れこそないが、レポートして提出するなら大人の立会人がいたと明記できたほうが良いだろう。リーマスとシリウスという人選は最高のものだったと言える。他の大人ならば間違いなく中止を言い渡されたであろうし、少年の両親なら調子に乗ってとんでもないものを呼び出したかもしれないからだ。
「我は頭なき霊なり。足元をも見通せる力強き不死なる炎なり」
 ハリーは唱文を暗記しているのだろう、すらすらと口に上らせた。リーマスはかつての生徒の成長に目を細める。しかしその言葉の配列は、シリウスの記憶に僅かに引っ掛かる何かがあった。以前脳に収めた何か。彼は一度覚えたことは忘れないのだ。
「我は世界の恩寵なり。我が名は蛇に巻かれた心臓なり。疾く来たりて我に従え」
 いけにえを必要とせず、初心者でも比較的容易に呼べる魔物。何故か鼻腔に初夏の匂いが蘇ってきてシリウスは戸惑う。そして脳裏をよぎる顔中で笑う少年の表情と、夜の空。
「我に耳傾けよ。ロウブリオア、マリオムダ、バルナバオ、アサロイナ、アフナオイ、アイ、トテアブラルサ、アイオオウ、イシュレイ、全能の生まれなき者よ。我に耳傾けよ」
 学生が呼ぶのに無謀でない程度の。そう、レポートを作成の為や或いは。
 恋の相談をするために呼び出すのに最適な。
 シリウスは召喚の妨害をしたいという衝動をなんとかこらえた。それでは少年に大怪我をさせてしまう。何か手はないかとめまぐるしく彼の頭脳は回転したのだが、なにしろ時間が絶望的に足りなかった。

「妖精達の女王、ティターニア!」

 召喚が始まった以上、魔物が消えるまでは円の外に出られない。
「Quattuor Portate,patens esto in nomine Dominus Luce et Tenebrae」
 リーマスは友人に「伏せろ!」と言われて漸くぼんやりと昔の出来事を思い出したようだった。何故伏せなければならないのか、いまひとつ理解できていない風ではあったが、ともかく迅速に後ろを向いてしゃがみこんだ。普段は大変おっとりと行動する彼だが、いざという時は意外に俊敏な動きを見せる。いつもそれを目にすると、大型肉食獣が日常生活において必要最少限しか動かないのを連想してぞっとするシリウスだが、今回ばかりは感謝しなければならなかった。
 リーマスが地面に突っ伏したので、魔方陣の上は俄かに、召喚を行う人間が2名とメッカの方向へ祈りを捧げる人間が1名という様相を呈し始めた。
 あのときと同じ、四散する女の声のハウリング。
 あれからもう20年が経過しているというのに、現れた妖精の女王には髪一筋の変化もない。シリウスが最後に見たあのドレス、あの顔、あの目だった。あちらの世界にはファッションの流行り廃れというものはないらしい。
 初めて見る高位の魔物に目を輝かせていたハリーは、傍らに教師の姿がないことにふと気付いて振り返った。
「先生どうしたの?大丈夫?」
「あ?ああ、ちょっと立ちくらみがしてね。しばらくこうしていることにするよ」
「OK。じゃあ本格的に気分が悪くなったら、女王には帰ってもらうから、正直に言ってね」
「そうするよ。ありがとう」
 「シリウス、先生の健康管理をもっと徹底しなきゃ駄目だよ」などと、名付け親に注意を垂れている少年に、女王はこちらもマイペースに尊大な調子で名を名乗る。
「わが名はティターニア。妖精達の女王。夜の守護者。私を呼んだのはお前か、人間の少年よ」
「いかにも。我が名はハリー。ポッター家のハリーだ」
「会えて嬉しいよハリー・ポッター。傷一つない額をした少年。それと……」
 女王の真っ黒な眼球がゆらりと揺らいで、シリウスは息を呑む。
「シリウス・ブラック。大きくおなりだね」
 もしかしたら、覚えていないかもしれない。面差しが変わって気付かれないかもしれないという淡い希望は打ち砕かれた。少年は声を上げて早速女王に尋ねる。
「女王とシリウスは知り合いなの?」
「むかし、召喚を受けたね。彼はそのとき一緒にいた子供とキスをした。懐かしいよ」
「本当に!?」
 簡潔に出来事を暴露されてシリウスは口を開き、ハリーはバシッと自分の膝を叩いた。
「シリウスがキスを?その子とは恋人同士だったの?」
「後にそうなった」
「その子とシリウスはつきあった?」
「そう。そして2人は今も恋人同士だよ」
 登場早々よくもぺらぺらと喋ってくれたな、とシリウスは歯軋りをした。召喚を受けた魔物は術者の命令に基本的には服従しなければならない。ティターニア側からしてみればシリウスの恨みは丸で見当違いというものだった。
「へえー、シリウスへぇー、そうなんだ、へぇー」
「やめろハリー」
「どうして?ロマンチックじゃない?ホグワーツで出会った人と今も恋人同士だなんて。僕は全然知らなかった!」
「もっと建設的なことを尋ねるんだ。いっそジェームズの初恋についてとか」
「それでもしママ以外の人の名前が出たら、立場上僕が苦しいじゃないか。それよりシリウスの恋愛に付いて興味があるな」
「お前の恋愛についてはいいのか!?好きな子の気持ちを確かめたくないのか?」
「保護者同伴の上でそんなこと聞けないよ。デリカシーって言葉知ってるシリウス?」
「よく知っているともハリー。お前を逆さまにして振り回したいくらいには。世界平和について尋ねるというのはどうだ」
「それいいね。シリウスの恋人さんはどんな感じの人なんですか?」
「おい!」
「髪は鳶色。ひどく痩せている。優しい顔をしているよ」
「へえー、シリウスへぇー、そうなんだ、へぇー」
 その外見にぴったり当てはまる人物が自分の背後でしゃがみ込んでいる事には、さすがのハリーも気付かないようだった。リーマスは自分の髪に手を当てる。
「次に『へぇー』を言ったら暖炉に叩き込んでジェームズの元へ直送するぞハリー」
「はぁい。じゃあシリウスの恋人さんはどんな性格の人ですか」
「穏やかな子だよ。少し人見知りをするが、真面目で善良で誠実な子だ」
「ああ、いかにもシリウスが選びそうな感じ。うん、シリウスって堅実なものに案外弱いんだよね。じゃあその恋人さんは幾つの人?」
 もはや学術的な召喚というよりは、イヴェント前の談話室の浮かれた噂話に近くなってきた。シリウスは「この問答をレポートに書いて提出するつもりか!?」とハリーに囁くが、少年は聞いていない。
「同い年だった」
「同じ寮で?」
「そう」
「会いやすいもんね」
 毎日会えるさ同室だからな、と叫びたいのを堪えてシリウスは頷く。
「2人はどこで会っていましたか?」
「どこででも。授業中や談話室、食堂、それから寮の部屋」
「女子寮に忍び込んだの!?」
 すごい。ニンジャみたいだ。変態の。とハリーは少年らしい大騒ぎをして、シリウスを陰鬱な気持ちにさせた
「グラマーな人?美人?頭がいいの?」
 女王の口から空洞を渡る風の音が洩れて、ハリーはシリウスにしがみついた。大人2人は「笑われている…」と何とも空しい気分になったが、ハリーは女王が何か心変わりをしたのではないかと思ったようだった。昔シリウスとリーマスがそう思ったように。
「グラマー……ではないな。美人とも少し違うようだ。頭はよい子だね」
「痩せた人だからグラマーじゃない、か。シリウス、痩せた人が好きなの?」
 先生も痩せてるもんねー、と無邪気にも核心に迫った台詞を口にされて、シリウスは胸を押えてよろめく。
「そろそろいいんじゃないのか」
 心臓の痛みに耐えかねて、彼はハリーの肩を引いた。
「シリウスの恋人さんはシリウスのことをどう思っているの?」
「うむ」
 ハリーを後ろから引っ張っていたシリウスの手がぴたりと止まった。姿勢がハリーと同じように前のめりになる。
「その者は……シリウスを生涯ただ1人の恋人と思い定めて、尊敬し、信頼し、何より愛しているようだ」
 ハリーは口笛を吹き、リーマスは咳き込んだ。心なしかシリウスの頬が赤くなる。
「じゃあ現在の2人はどんなデートをしますか?」
「ハリー、俺に直接聞いたらどうだ」
「いままで教えてくれなかったじゃないか。本当の事を言ってくれるか分からないもん」
「何もしないようだ。ただ、2人で話している事が多い」
「何について?スポーツ?食べ物のこと?」
「色々な事を。昔話や、物語の話や、珍しい動物の話、今年の草花の話、昨日見た夢の話、自分の発見したちょっとした物事のコツについて、町で出会った面白い人の話……彼等は相手の話を聞くのが好きなんだよ」
「ふーん、仲良しなんだね」
 その手の会話を、とある人物がシリウスと交わしているのを、これまでハリーは何回も聞いてきている。そして何となくいいムードだな、と何度も思っている。しかし発想の転換には至らないようだ。
「えーと、じゃあシリウスは浮気をしたことがありますか?」
「おい!ハリー!」
 背後のリーマスを振り返ると、肩の角度がしっかりと話を聞く体勢に変わっている。特に心当たりがあるわけではないのに、シリウスは緊張の面持ちで答えを待った。
「ないよ。ハリー。一度もない。シリウスはその人間を本当に愛しているんだ」
「……シリウスはその人のどういう所を愛しているの?」
「すべてを。その人物の過去も、仕草も、身体の全部、心の有り様も、自分の気に食わない部分まで。私は人間という種族のそこまでの愛情をあまり見たことはない。とても珍しいことだ。お前にはまだ早くてまだ分からない話だろうかハリー・ポッター」
 今度は2人が咳き込んだ。
 ハリーは少し真面目な顔をして、それからにっこりと笑う。
「分かる……と思う。シリウスは僕の自慢の友達です。その話を聞いて、僕は嬉しくなった。そういう話でしょう?」
「そうだよハリー。聡明な子」
「その人に会ってみたいな……その人は今どこにいますか?」
「おい!ハリー!」
「では答えよう」
「待っ……!!」
「この家にいる」
 脂汗がリーマスの額を滑って顎からしたたり落ちた。
「え?それってどういう事?……その人はこの家に普段暮らしている?僕が来るとどこかへ行ってしまうのシリウス?」
「違う、ハリー。その、そういう訳ではない。だが……ここに寝泊りしていなくもない」
 嘘の嫌いなシリウスがした滅裂の返事を聞いてハリーの不機嫌そうな表情は益々強くなる。
「どうして黙っていたのさ。先生もその人の事知ってたの?」
「あ?ああ、まあね」
 何しろ自分のことを知らない人間というのはあまりいないだろう。
「僕だけ知らなかったのか。何かそれって嫌な感じだな。名前を聞いてもいい?」
「駄目だ。俺にもプライバシーというものがあるだろう」
「ちぇ……じゃあ最後の質問で。どうして2人は召喚をすることになったの?キスをしたのはどうして?」
 シリウスは息を呑んだ。
 あの夏の夜からずっと、彼はリーマスに言いそびれていることが1つある。それはあの妖精事件がセブルス・スネイプの呪いによるものではなかったという事だ。たった一言「あれは自分の勘違いだった」と言えば済むのだが、負けず嫌いのシリウスにはそれが出来ない。よりによってセブルス・スネイプが相手だというのも悪かった。そのせいでリーマスは、自分達の縁結びの神様はセブルスであるという、シリウスが絶叫したくなるような勘違いを未だにしている。
 そんな事情など当然知らない女王はあっさりと答えた。
「シリウス・ブラックは呪いに掛けられたのだと思っていた。胸の痛みや呼吸の詰りを。それで私は2人にキスをさせた。シリウスは恋をしていたから」
「何だって!?」
 そこで彼は立ち上がって声を上げた。先刻まで立ちくらみで座り込んでいた筈の人物。鳶色の髪で、ひどく痩せてはいるが優しい顔をした男性。
「セブルスの呪いじゃなかったのか!?」
 シリウスは額を覆う。ティターニアは大きな唇を吊り上げて言った。
「懐かしいリーマス・J・ルーピン。シリウス・ブラックの初恋の君。2人仲良く暮らしているようで重畳」
 ハリーの上げた「ええー!!」という大きな声が空へと吸い込まれていった。





「要するに僕は、信用されてなかったか、子供だと思われていたのか、どっちかだよね」
 腕を組んだハリーの叱責に、2人は言葉もなく項垂れている。
 動揺のあまり唱文を思い出せなくなったハリーが、つっかえつっかえ唱えた閉会の呪文に、ティターニアは苦笑しながら消えていった。召喚の途中で術を違えるなど、本来なら誓約を離れて魔物が召喚者に襲い掛かってもおかしくはなかったのだが、昔馴染みのサービスだったのだろう。
 顔を上げて彼等を睨みつけると、しかし2人が俯いたまま「お前が悪いんだぞ」と言わんばかりにお互いを肘でつつきあっているのが目に入って、少年は吹き出しそうになるのを我慢しなければならなかった。
「パパが言ったの?僕に内緒にしろって」
「まさか。ジェームズは正直に言えと言っていた」
「だろうね。うん、聞いてみただけだよ」
「ジェームズはこう言っていた。『大好きなシリウスおじさんと大好きなルーピン先生が恋人同士だと知ったら、僕の息子は間違いなく大喜びすると思うけどね。まあ君達が秘密にしたいと思うならそうするといい。2人で共通の秘密を設けて、更に愛情を高めようというんだね?僕の息子をダシにして。ああ、好きなだけ親密になれよ、この仲良し夫婦め!』……でも済まないハリー。もう少しお前が大人になってから、と俺達は……」
「大人になったからって何なのさ。2人の関係って未成年者には見せられない破廉恥なもの?違うでしょう」
「ああ。違う。恥ずかしいところはどこにもない」
「ひどいじゃないか、秘密にするなんて」
「ごめんハリー」
「済まないハリー」
 秘密にされていたことには本当に腹を立てているのだが、2人が恋人同士であったという事実に関しては父親の予想の通り、踊り出したいくらいに嬉しいとハリーは思っていた。何しろ大好きな名付け親と、尊敬する教授がお互いを恋人だと認めていたのだ。言われてみれば2人はぴったりと似合っているし、彼等以外の人間を隣に並べると、今となってはどうにもしっくりこない感じがした。シリウスの魅力をリーマスがよく知っているのが誇らしいし、リーマスの魅力をシリウスがよく知っていたというのも同じくらい誇らしい。
「まあ僕なんかに言われても2人は笑うかもしれないけど」
 何しろ彼等が互いを見出したのはハリーの生まれる以前、20年も前の話だという。
「え?」
「もういいよ。その代わり言っていた通りバイクに乗せて欲しいなシリウス。あとロンドンに新しく出来たテーマパーク風のカフェに3人で行きたいのと、それから」
 まだあるのか、とシリウスは笑う。
「詳しい話をしてよ。一晩かかってもいいから。その2人の『妖精事件』を」



 そういう訳で3人はたっぷりの食料と飲み物とクッションを用意して、長い時間話をすることになった。生ぬるい初夏の夜の空気について。呪いを掛けられた少年について。妖精の女王について。そして彼等の運命を変えたキスについて。
 ハリーは時に大声を上げ、拍手をしたりブーイングを飛ばしたり忙しく、リーマスは大概はにこにこと笑っていたが、稀に話し手のシリウスの後頭部を打ったりもした。
 話の上手なシリウスは、時に女王となり時にリーマスの声色を真似て、臨場感を盛り上げた。彼が話すと、当時の風がこちらに流れてくるようだった。彼は話の終盤に静かに語った。多くのものに感謝をしていると。色々な、奇跡のような廻り合わせで今の自分はこんなにも幸福なのだろうと。そして勿論リーマスを愛していると呟いて、ハリーの目の前で彼に口付けた。
 リーマスは目を閉じてそれを受け、少年はにっこりと笑って2人を見守った。
 辺鄙な場所にある彼等の家の明かりは、その日の夜が明けるまでずっと消えることはなかった。笑い声に呼応するように、いつまでもいつまでも灯り続けていた。








うわー、お疲れ様―!(相変わらず自己完結)。

こんなド恥ずかしい話を気に掛けて下さった方々、
ありがとうございました。

それと『陽性』予想も。面白かったです
妊娠や、性病・エイズなどの予想があった。
そんなコメディは嫌だ!(笑)

「ああ、そう来ると思っていたよ」
と心の中で予想していた人。ビンゴ。
もし創作に無縁の人生だったなら、
すぐさま何か作って下さい。
贅沢言わせてもらえばシリルを!(☆←ウィンク)

ジェームズの事件が無かったので、
先生はちょっぴり動揺しやすい人で、
シリウスは少し気弱く、
ハリーは額に傷のない、
魅力的な普通の少年です。
間抜けで愉快で、でも美しい日々ですね。

とある「情報」を誰かが知っていて、誰かが知らず、
誰かが隠さなくてはならないという形式は
シチュエーションコメディ初心者用。
高等者向けにもいつか挑戦してみたいです。

2003/11/10


BACK