彼の見る悪夢


 窓の外で風がごうごうと鳴っている。
 『意識を集中するとそれは言葉に聞こえる。努力すれば会話も出来る』と昔彼は言った。しかし今はもうやらないのだそうだ。『現実の社会に戻れなくなりそうだから』と。
 風に混じって彼の声がする。
 起きて彼の寝室に行かなければならない。現実の苦しみには太刀打ちできないが、悪夢の苦しみは私にも容易に終わらせてやる事が出来る。
 人がうなされているときの声というのは一種独特だ。
 話し声や笑い声とは似ても似つかない。同じ人間の声帯を使っているとは思い難いくらいだ。
 色々な事が変わった。変わらないのはリーマスがうなされている。それだけだ。彼は学生時代から人を噛む夢(それも大抵は私やジェームズやピーターを噛む夢)を見ては悲鳴を上げていた。


 『リーマス!リーマス!起きろよ!』
 大声で呼ぶと断続的な悲鳴は止み、2・3度痙攣がある。
 『ル、ル……ス、』
 『ルーモス・ソレーム』
 息が整わないので彼は初級の呪文も唱える事が出来ない。私が代わりに明かりをともすと、リーマスは狂おしい表情で己の両手に見入っていた。
 寄せられていた眉が元に戻り、激しく上下していた肩が徐々に緩やかになる。
 『僕は噛んだ!何度も何度も……肌が柔らかくて……喜んでもっと噛んだ!倒れて動けない君達を……それから……』
 『黙れリーマス・J・ルーピン!それは夢だ!さあ見ろ!俺のどこに傷がある!?』


   懐かしい、少年達のささやき声が脳裏に蘇る。1人は私でもう1人はリーマスだ。部屋に響いていたピーターの寝息と、こちらを窺っているジェームズの気配。あの時私は状況はいつか好転する、自分がしてみせると根拠なく考えていた。自分達が計画中の新しい魔法を完成させれば、そしていつか彼の病気を完治させる薬が開発されればと。
 しかし時間は私を裏切り、完膚無きまでに叩きのめした。状況が好転しないのは当然のこと、失うとは想像さえ出来なかった物を無くし持てる物のほとんどを奪われた。私に残されたものは病んだ体と歪んだ精神、そして。
 最後の友人一人と亡人の忘れ形見、それだけだった。
 もしすべてが変わらずに、あれから時間だけが過ぎたのだとしたら、私達は日差しの眩しい日曜の午後に集まり、互いの頭髪やウエストに関して軽いジョークを交わしただろう。新調した服を着せられた子供達は(ハリーの他にももう1人、2人誰かの娘や息子がいたかもしれない)庭を駆け、ジェームズはこう叫ぶ。
 『紳士、淑女の皆さん、ビールはバターが上に付く名前のやつを御所望ですかな?それとも付かないやつを?』
 全員が笑いながら一斉に返事をするので、ぐるぐると目を回してみせるジェームズ。
 ああ、風が鳴っている。
 この家には彼と私、2人しかいない。日曜のガーデン・パーティーに出席している彼と私は、久し振りに会うので近況報告に忙しかっただろうが、今の私達はそうではない。私は現在の彼の状況や考えている事がほぼ全て分かると言ってもいい。それは幾分……いや、かなり常軌を逸している程に。
 そう、私は本来なら知る筈もなかった彼の唇の味や舌の味、見るはずのなかった表情を知っている。喉の皮膚の柔らかさも掠れた声も。そしてそれを考えると堪らなく不安になる。
 ああ、考えてはいけない。それは私達が互いの救けを求める手を振り払わなかった結果であり、相手を抱きしめる手を緩めなかった結果なのだ。それ以上に私達に何が出来たというのだろう。
 家の外で風がごうごうと鳴っている。
 風の音に耳を貸してはいけない。戻れなくなってしまう。私は彼の寝室へ行って、悪夢からリーマスを解放しなければならない。
 私は寝台に手を付いて立ち上がった。







試みに暗い物も書いてみる、という感じ。
私の知っている人にもんのすごく壮絶にうなされる人がいて、
「うなされるのはどうしてか?」と尋ねてみたら
「寝ている時に、横を人がゾロゾロ通るから」という返事が
返ってきて、尋ねたのを死ぬほど後悔した事があります。
そっち系ですか!(笑)

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